たひお備忘録

とりとめのない趣味の、とりとめのない活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

名古屋鉄道完全乗車記 【令和2年1月23~25日】 その10(三河線)

知立駅に停車中の猿投行き普通列車

 今回で10回目となる名古屋鉄道乗車記ですが、今回は旅の2日目に三河線に乗った時のことを。



目次

【2日目の乗車区間】
2日目の乗車区間
※クリックで拡大(この絵に限らず当ブログの画像はクリックでだいたい拡大しますので。)

三河線

 列車は10時23分の定刻に、知立駅へ到着。次に乗るのはこの知立駅から海側の碧南市、山側の豊田市へと路線を伸ばす三河線です。

【知立駅の駅名標】
知立駅の駅名標

 その三河線ですが、先程、蒲郡線のところでも述べたように、元々は三河鉄道が大正3年(1914年)に刈谷新駅(現在の刈谷駅)から大浜港駅(現在の碧南駅)まで開通させた路線が始まり。で海側は、翌大正4年(1915年)に新川町駅と新川口駅を結ぶ新川口支線(昭和30年(1955年)廃止)と、大浜港駅と大浜口駅を結ぶ大浜口支線(昭和21年(1946年)廃止)が開業すると共に、大浜港駅から路線を延伸させ、昭和3年(1928年)に三河吉田駅(現在の吉良吉田駅)まで、昭和11年(1936年)には蒲郡駅まで全通させました。

 一方山側は、大正4年(1915年)に知立駅(現在の知立駅とは別の位置)、大正9年(1920年)7月に土橋駅、同年8月に上挙母(うわごろも)駅、同年11月に挙母(ころも)駅(現在の豊田市駅)まで開業。更に路線を延ばし、大正11年(1922年)に越戸駅、大正13年(1924年)に猿投駅までと小刻みに路線を延伸。またこの翌年には大浜港駅から猿投駅間が電化されました。更に昭和2年(1927年)8月に枝下駅、同年9月に三河広瀬駅、そして昭和3年(1928年)1月に西中金駅まで開業。更にその先、足助町(現在のの豊田市足助)ので延伸する計画があったものの、世界恐慌や太平洋戦争での金属供出の影響で未成に終わっています。加えて同年6月に、愛知電気鉄道豊橋線(現在の名鉄名古屋本線)と交差する知立駅付近から、両線を結ぶ知立連絡線が開業しました。

 そして昭和16年(1941年)、三河鉄道は名古屋鉄道に合併され全線が名鉄の三河線となったものの、戦後の昭和23年(1948年)、三河吉田駅と蒲郡駅の間を蒲郡線と改め分離。また昭和25年(1950年)からは前述の知立連絡線を介して名古屋本線との直通運転が開始となり、この時は、両線の建設経緯から名古屋本線と三河線は交差し別の駅が設けられていたのですが、昭和34年(1959年)に知立駅が現在の位置に移転して双方の駅を統合。三河線が知立駅でスイッチバックする配線になりました。

 その後の昭和39年(1964年)から昭和52年(1977年)の間は名古屋本線直通の特急列車(当初は三河線内普通列車)が運行されたりしたものの、海側、山側の末端区間は乗客の減少が続き、経営合理化のために昭和60年(1985年)から山側の猿投駅-西中金駅間が、平成2年(1990年)から碧南駅-吉良吉田駅間が、それぞれ電車の運行を取り止めてレールバスによるワンマン運転に転換。それでも乗客の減少による赤字に歯止めがかからず、平成10年(1998年)に他の赤字路線と共に廃止の方針が打ち出され、平成12年(2000年)に沿線自治体に通達。当初は沿線自治体による赤字補填で存続を図ったものの最終的には沿線自治体が廃止を容認したため、平成16年(2004年)4月に両末端区間が廃止に。よって現在は、起点が猿投駅、終点が碧南駅の間、単線一部複線の39.8km、起点終点を含めた駅数23駅の路線となっています。

【知立駅に入ってくる碧南行き普通列車】
知立駅に入ってくる碧南行き普通列車

 そんな三河線ですが、この知立駅で運転系統が分断されており、知立駅-碧南駅間が「海線」、知立駅-猿投駅間が「山線」と区別。名鉄の路線記号でも、海線が「MU」(Mikawa Umisen の略?)、知立駅を除く山線が「MY」(Mikawa Yamasen の略?)となっています。

 で、まずは海線から乗るべく、10時31分発の碧南行き普通列車に乗り換え。降りた5番線の向かい側、6番線に入ってきたのは蒲郡線でも乗った6000系の2両編成。乗車した先頭車の6021(ク6000形)は、昭和55年(1980年)製で、そこからこの40年の間、平成元年(1989年)に車内のロングシート化、平成8年(1996年)に4両編成から2両編成に変更、平成13年(2001年)に三河線用のワンマン運転対応に改造、更に平成29年(2017年)には車体の補強や内装の交換など大規模な整備が施されています。

 この車両では先頭の乗務員室直後のロングシートが優先席になっていた(加えて、仕切壁に付いている窓に位置が高いので、よしんば座れたとしても前を眺めるのはキツイ)ので、座っての前面展望は諦め7人掛けのロングシートへ適当に着座。シートはほぼ埋まり、立ち客も出るくらい混雑した列車は、定刻の10時31分に知立駅を発車しました。

 約3分で次の重原駅に停車すると、全ドアが開放。この列車はワンマン運転ですが、今朝の豊川線のように運転手さんは運賃収受を行わないタイプというのは運転席直後に運賃箱がないのでわかっていましたが。発車後しばらくしてJR東海道本線を跨いで急カーブすると、そのJRとの接続駅である刈谷駅に停車。乗客は乗車するよりも下車する方が遥かに多く、車内は空き気味になりました。そして刈谷駅を発車すると高架線に登り、刈谷市の市街地を進むのですが、沿線は高層マンションを始めとする高いビルが多く、都会の雰囲気も。その雰囲気のまま、高架駅の刈谷市駅に停車。ここでも乗客が多数下車と思いきや、たまたまなのか、それほど降りなかったのが意外に感じます。

【刈谷市駅-小垣江駅間】
刈谷市駅-小垣江駅間
【小垣江駅-吉浜駅間】
小垣江駅-吉浜駅間

 刈谷市駅を出て程なく、町並みが一瞬途切れた後、猿渡川という川を渡ると列車は地上に降りて、景色は先程までの都会から住宅地へと変化。駅に停まるごとに乗客をパラパラと降ろします。そして知立駅を出てから約20分で三河高浜駅に停車して列車交換。ここでもパラパラと下車して車内はだいぶ空いてきたにもかかわらず、何故か私の座っているシートだけ人口密度高いというか、向かい側のロングシートはこの駅で乗客が0人になったのに対して、私が座っているロングシートは(私を含めて)6人で座っているという。昨日、名鉄岐阜駅から乗った犬山行き普通列車のように、車内が混んでるにもかかわらず隣の席が空いているのも凹みますが、これはこれで微妙な状態。やがて知立駅を出て30分少々、新川町駅で再び列車交換し、次の碧南中央駅で私の座っているロングシートの乗客は一気に3人まで減ったのですが、次は終点の碧南駅。到着は、11時7分の定刻でした。

【碧南駅の駅舎】
碧南駅の駅舎
【碧南駅の駅名標】
碧南駅の駅名標

 碧南駅に到着したらすぐに列車を降りて改札口を通過し、駅舎の写真を。それで駅舎自体はイマドキのモダンでシンプルかつコンパクトなタイプだったのですが、駅前に残っていた古いタバコ屋さんが、かつてを雰囲気を僅かばかり偲ばせていました。

【碧南駅に停車中の知立行き普通列車】
碧南駅に停車中の知立行き普通列車

 碧南駅からは、乗ってきた列車の折返しとなる11時12分発、知立行き普通列車に乗車。車両は先頭車の6221(モ6200形)ですが、丁度この頃、2夜連続の寝不足が祟って眠くなってきたこともあり、先頭の乗務員室直後に立って前方を眺めることに。

【碧南駅発車】
碧南駅発車
【碧南中央駅-新川町駅間】
碧南中央駅-新川町駅間

 1両に4,5人の乗客を乗せ、列車は碧南駅を後に。地図を見ると、線路の左手には三河湾の北端部がある筈なのですが、やや距離があるためか何となく海沿いっぽい雰囲気はほんのり漂ってくるものの、基本的には住宅地という感じ。それと、景色とは関係ないのですが、この三河線(海線)。木製の架線柱がいくつか残っているんですね。

【北新川駅-高浜港駅間】
北新川駅-高浜港駅間

 新川町駅で列車交換した後も車窓から見える景色の雰囲気は変わらず、住宅地の中を淡々と走行。途中の高浜港(たかはまみなと)という駅は、名前もものすごくハーバーサイド(似たような名前で以前行ったことがある愛媛県の高浜駅は、目の前が港だったというのもありますし。)っぽかったのですが、駅が出来た頃とは周辺の景色が変わったのか、駅自体は特に港っぽくはなく。

【三河高浜駅進入】
三河高浜駅進入
【三河高浜駅-吉浜駅間】
三河高浜駅-吉浜駅間

 次の三河高浜駅で2度目の列車交換をしたあと、今度は、三河線が地図上で三河湾と一番近づく地点、線路がくの字にカーブしている頂点からちょっとだけ知立駅寄りの場所を通過したものの、そこは丁度低い掘割区間になっていて、ここも海の気配は全くありませんでした。

【小垣江駅停車中】
小垣江駅停車中
【小垣江駅-刈谷市駅(猿渡川橋梁)】
小垣江駅-刈谷市駅(猿渡川橋梁)

 やがて列車は小垣江駅で3度目の列車交換。それにしてもこの小垣江駅ですが、隣の刈谷市駅方面に複線っぽく線路が延びているのでここから先は複線区間かと思いきや、その後単線になって猿渡川を渡ります。これまでの沿線風景で、この川の河川敷が多分唯一の農地らしい農地になっているのですが、その先に見える刈谷市の市街地には、往路でも見えたように高いビルが聳え立っています。

【刈谷市駅-刈谷駅間】
刈谷市駅-刈谷駅間
【刈谷駅-重原駅間(JR線跨線橋)】
刈谷駅-重原駅間(JR線跨線橋)
【重原駅-知立駅間(山線との合流地点)】
重原駅-知立駅間(山線との合流地点)

 猿渡川を渡ると高架線に登った列車は、高いビルの間に入って刈谷市駅に停車。次の刈谷駅までの区間は複線区間を走り、地上に降りると右にカーブしつつ刈谷駅に進入するのですが、景色からだと勝手口から入るような雰囲気。その刈谷駅で4度目の列車交換を行ってから発車すると、線路は再び単線に戻り、左にカーブしてJR東海道本線を跨いで交差。次の重原駅からは再び複線になり、東海道新幹線を潜(くぐ)って交差。左にきつめのカーブを切れば山線と合流して、定刻の11時43分、海線の列車の終着駅、知立駅へと戻ってきました。

【知立駅に停車中の猿投行き普通列車】
知立駅に停車中の猿投行き普通列車

 知立駅に戻ってきたら、次に乗るのは山線の列車。列車を降りた4番線から跨線橋を渡って2番線へと移動し、11時50分発の猿投(さなげ)行きの普通列車に乗り換えます。車両はこれまで乗ってきた海線の列車と同じ6000系ワンマン仕様の2両編成で、先頭の6042(ク6000形)に乗車。先程の海線の列車より若干新しい昭和58年(1983年)の製造ですが、車内のロングシート化や三河線用のワンマン運転対応改造、更に大規模な整備が施されているのは先程の車両と同様です。

【知立駅-三河知立駅間(海線との分岐点)】
知立駅-三河知立駅間(海線との分岐点)
【知立駅-三河知立駅間(名古屋本線をアンダーパス)】
知立駅-三河知立駅間(名古屋本線をアンダーパス)

 生憎なのか結果的にその方が良かったのか、乗車した時には既にロングシートは埋まっている状態だったので、この列車も引き続き、先頭の乗務員室直後に立って前方の景色を眺めることに。定刻に発車すると程なく、海線との分岐を左にカーブ。名古屋本線を潜るとすぐに、三河知立駅に停車。ここで列車交換を行いました。

【三河知立駅-三河八橋駅間(地上の単線)】
三河知立駅-三河八橋駅間(地上の単線)
【三河知立駅-三河八橋駅間(高架の複線)】
三河知立駅-三河八橋駅間(高架の複線)

 三河知立駅を発車した列車は国道1号など大きな道路を潜ると眼前に一瞬農地が広がり、その頃、これまた大きな衣浦豊田道路を潜って交差。程なくするとこれまで走っていた地上の単線から複線の高架線へと登って、『伊勢物語』中の「東下り」の一説に因む駅名を持つ三河八橋駅に停車します。ちなみに、三河知立駅と次に停車する三河八橋駅の間が三河線で最長の駅間距離になっているのですが、この間の景色は結構変化に富んでいますね。

【三河八橋駅-若林駅間】
三河八橋駅-若林駅間

 三河八橋駅を発車した列車は、高架線の構造物は複線用だけど線路は単線という区間を走行しつつその途中、伊勢湾岸自動車道が更にその上を跨いでいきました。それにしても、知立駅を出て以来、大きな道路と交差してばっかりですね。で、地上に降り程なくすると、乗務員室から女性の声で自動で流れるぽい正午の時報が。そういえば、朝イチで乗ったパノラマカー以来、この乗務員室から毎正時に聞こえてくる時報を何回も聞いた気がする=とても時間が経ったように感じるのですが、まだ正午なんですよね。

【若林駅-竹村駅間】
若林駅-竹村駅間

 若林駅で2度めの列車交換を終えた列車は、ここから暫くの間、前方に向かって線路の右側は宅地、線路の左側は農地という景色の中を走行。その際、線路は何本かの細い用水路を短い橋梁で跨ぐのですが、橋梁の前後には、白く塗られた古タイヤが埋め込まれています。これは名鉄独特の風習ですかね。それと共に珍しく感じたのは、1月の下旬にもかかわらず、田んぼに水が入っているところがあり、更にはトラクターもその中に。このあたりは代掻きがとても早いんでしょうかね。もっとも、この日は個人的に代掻きが行われる季節のように暖かく、昨日は気温的に丁度良かった冬用のコートを着ていると茹だってしまうようでしたが。

【土橋駅-上挙母駅間(木製架線柱)】
土橋駅-上挙母駅間

 次の土橋駅は、この先の梅坪駅で接続する豊田線の車両の留置線がある関係で、この駅始発列車も設定されている駅。ふと振り向いて車内を見ると、駅ごとに乗客が降りたのか、ロングシートには一部空席が出来ていました。もっとも今更座らずに、このまま終点まで乗務員室直後に立って行こうと思いますが。それでここを発車して程なくすると一瞬町並みが途絶えるのですが、そのあたりに、珍しい木製架線柱が残っているのが見えました。そして次の上挙母(うわごろも)駅は、かつて岡崎市内まで通じていた挙母線が分岐していた駅。ここで3度めの列車交換を行います。

【上挙母駅-豊田市駅間】
上挙母駅-豊田市駅間
【豊田市駅進入】
豊田市駅進入
【豊田市駅-梅坪駅間】
豊田市駅-梅坪駅間

 上挙母駅を出た列車は高架線に登り、豊田市の中心市街地といった景色の中を走行。次の豊田市駅では、豊田線を通ってここまで乗り入れてくる名古屋市営地下鉄鶴舞線の車両が停まっていました。その豊田市駅で残っていた乗客の殆どを降ろすと、そして豊田市から次の梅坪駅までは、相変わらず市街地といった景色の中、複線の高架線を走行。今走っている路線は三河線の筈なのですが、列車本数や編成両数の違いによって、何だか三河線の方が豊田線に間借りしているように感じます。

【梅坪駅-越戸駅間】
梅坪駅-越戸駅間
【平戸橋駅-猿投駅間】
平戸橋駅-猿投駅間

 梅坪駅出て複線の豊田線から単線の三河線へと分岐。すると、目に映る大部分が農地となって景色が途端に鄙びます。そんな中、線路は高架線のままというのがミスマッチ。ただ、列車交換を行った次の越戸駅を出ると地上に降り、最後の停車駅であ平戸橋駅のあたりからは住宅地の中を走行。

【猿投駅到着】
猿投駅到着

 最後は併設された車両基地を見つつ終点の猿投駅には定刻の12時24分から若干遅れての到着に。この先、西中金駅までの区間は平成16年(2004年)4月に廃止になったものの、窓越しに見える線路は車両基地への出入りなどに使われているのか、先へと続いているように見えました。それにしても、この猿投(さなげ)という地名は面白いというか、興味をそそられるのですが、調べてみると、その歴史は遙か古代に遡り、日本武尊命(やまとたけるのみこと)の父である景行天皇が伊勢に行幸した際、可愛がっていた猿が粗相をしたため伊勢湾に投げ込んだところ、当地の山に逃げ込んだためその山の名前が「猿投山」になったという伝承があるとのこと。また猿投山には猿投神社があり、そこに祀られている主神は日本武尊の双子の兄で美濃国に封じられた大碓命(おおうすのみこと)だそうで。(このあたり詳しく書くと長くなるので、興味のある方は是非調べてみてください。)

【猿投駅の駅舎】
猿投駅の駅舎
【猿投駅の駅名標】
猿投駅の駅名標

 猿投駅では、例によって一度改札を出て駅舎の写真撮影。近くでは、政治的な演説をやっているのか、拡声器(というかマイクとアンプとスピーカー)越しの、何かを激しく非難するような声が否応なしに聞こえてきました。この日の、温かい穏やかな陽気とは、全くもって相容れませんね。

【猿投駅に停車中の知立行き普通列車】
猿投駅に停車中の知立行き普通列車

 その猿投駅からは、乗ってきた列車の折返しとなる12時31分発の知立行き普通列車に乗車して梅坪駅まで。先頭となる6242(モ6400形)に乗車したところ、貸切状態に。短い間ですがロングシートに座って、床下から聞こえてくるモーターの音や、反対側の窓から見える景色を楽しみました。


つづく

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