たひお備忘録

とりとめのない趣味の、とりとめのない活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

名古屋鉄道完全乗車記 【令和2年1月23~25日】 その14(瀬戸線)

尾張瀬戸駅に停車中の栄町市普通列車

 愛知高速交通東部丘陵線(リニモ)に乗った時の記事を挟んで戻る、14回目の名古屋鉄道乗車記ですが、今回は旅の最終日に瀬戸線に乗った時のことを。



目次

【3日目の乗車区間】
3日目の乗車区間
※クリックで拡大(この絵に限らず当ブログの画像はクリックでだいたい拡大しますので。)

3日目 令和2年1月25日(土) ~瀬戸線、小牧線、広見線、犬山線、常滑線、空港線

瀬戸線

【テレビ塔】
テレビ塔

 昨晩いただいた台湾ラーメンと辛い手羽先は、食べてる時は良かったものの、齢五十を目前とした身体にダメージを与え、明け方、下腹部を断続的に襲うビッグウェーブで苦しみました。実はこの日、早起き出来た場合、ちょっと余計に乗るところを決めてあったのですが、無理はせず諦め、ただ、目は覚めてしまったものだから、予定よりは30分程早い列車に乗って出発することに。

【栄駅に入ってくる藤が丘行き普通列車】
栄駅に入ってくる藤が丘行き普通列車

 この日最初に乗る名鉄の路線は瀬戸線なので、宿のある栄から地下街を通って名鉄の栄町駅まで行けば済むところ、その前に、(前の記事であげた)個人的にぜひとも一度乗ってみたいと思っていた愛知高速交通東部丘陵線(愛称:リニモ)に乗るため名古屋市営地下鉄の栄駅から、東山線の8時2分発藤が丘行きに乗車。

【杁ヶ池公園駅進入】
杁ヶ池公園駅進入

 藤が丘駅からは、リニモの8時43分発八草行き普通列車に乗換。記事中にも書きましたが、未体験の乗り心地が、とても良かったです。

【八草駅に入ってくる高蔵寺行き普通列車】
八草駅に入ってくる高蔵寺行き普通列車

 八草駅では、愛知環状鉄道の9時5分発高蔵寺行き普通列車に乗換。やって来たのはJR東海の313系電車をベースにした2000系という形式の2両編成。先頭車の2202という車両に乗り込むと、車内は313系と同じ形状の固定クロスシート、ロングシートが並ぶ3扉のセミクロスシート車で、丁度空いていたクロスシートに座り、先程リニモで東進してきた尾張丘陵東部を、今度は瀬戸市駅までちょっとだけ北上。

【新瀬戸駅】
新瀬戸駅

 愛知環状鉄道の瀬戸市駅は名鉄の新瀬戸駅と隣接しており、比較的簡単に乗り換えることが。昨日から使っている『名鉄電車全線2DAYフリーきっぷ』で入場。というわけで、この日最初の名古屋鉄道路線である瀬戸線に乗っていきます。それでこの瀬戸線ですが、栄町駅を起点に、終点の尾張瀬戸駅の間20.6kmを結ぶ路線。名鉄の定めた路線記号は「ST」。起点終点駅を含む駅数は20駅で、全線複線電化されています。

 その歴史は名鉄の中でもかなり古く、明治38年(1905年)、「瀬戸自動鉄道」によって矢田駅と瀬戸駅(現在の尾張瀬戸駅)の間14.6kmが開業。ちなみにその際に用いられたのがセルポレー式蒸気動車という、現在のような内燃機関ではなく蒸気機関を使用した気動車で、これが日本で最初に営業運転した気動車ということになるようです。そして翌年の明治39年(1906年)、大曽根駅まで開業。元々は瀬戸の陶器を、鉄道省中央線(国鉄を経て現在のJR中央本線)に新設する大曽根駅を通して輸送する目的もあって敷設された本路線ですが、大曽根駅の設置は瀬戸自動鉄道の大曽根駅開業から遅れた明治43年(1910年)、更に両線を繋ぐ貨物連絡線が出来たのは更に遅れた明治45年(1912年)のことでした。

 話を戻して、明治39年に大曽根駅まで開業した瀬戸自動鉄道ですが、蒸気動車にトラブルが頻発したため電化を決意。同年12月に社名を「瀬戸電気鉄道」に変更すると、翌年の明治40年(1907年)に全線で電車の運行が開始されました。また、中央線の大曽根駅がなかなか開業しないために独自に名古屋市中心部への乗り入れを画策。なんと、名古屋城の外濠に線路を通し、明治44年(1911年)9月に御園駅まで開業し、その後大正4年(1915年)に堀川駅まで全通。(その後、御園駅は廃止に。)この区間は「お濠電車」と呼ばれたそうですが、当時は先述の大曽根駅から中央線へ、御園駅や堀川駅からは堀川の水運へ貨物連絡輸送が盛況だったそうで。

 その後の昭和14年(1939年)、瀬戸電気鉄道はに名古屋鉄道に合併され、名鉄瀬戸線となったのですが、太平洋戦争後の昭和23年(1948年)、大森駅(現在の大森・金城学園前駅)付近で多数の死者を出す脱線転覆事故が発生。それを機に線形などの近代化が進められたものの、その際、お濠電車区間の特殊性や名古屋市中心部への乗り入れが課題となり、その後紆余曲折あって、昨日乗った豊田線のところでも書いたとおり、名鉄が持っていた八事駅-赤池駅の免許を名古屋市に譲渡する替わりに、東大手駅-栄町駅間の免許を名古屋市から譲り受け、昭和51年(1976年)に工事を開始。昭和53年(1978年)8月に開業を迎えた一方、それに先立つ同年2月に貨物営業が廃止となりました。

【新瀬戸駅に入ってくる尾張瀬戸行き急行列車】
新瀬戸駅に入ってくる尾張瀬戸行き急行列車

 そんな瀬戸線でまず乗るのが、新瀬戸駅9時22分発の尾張瀬戸行き急行列車。ちなみに急行列車といっても、ここから終点の瀬戸駅まで通過する駅はありませんが。で、ホームに入ってきたのが、初日に竹鼻線と羽島線に乗った時以来の3300系電車。この瀬戸線では1編成のみ運用されている、ここではレアな存在の車両。で、乗り込んだ先頭車の3306(ク3300形)を含む4両編成は、瀬戸線高架化事業の一環として平成27年(2015年)に製造された車両のため、製造当初の車籍(人で言う戸籍みたいなもの)は名鉄ではなく、運用開始後の翌年に名鉄に編入されたという経緯があるそうで。

 そんな珍しい存在の車両でも、乗ってしまえばただの通勤型車両ということで、ロングシートの車内は、人は多めだけどスペースには余裕があるくらいの乗車率。椅子が空いていないわけではなかったのですが、何となく立ったまま、2つ先の終点、尾張瀬戸駅まで。

【尾張瀬戸駅】
尾張瀬戸駅

 尾張瀬戸駅に到着後は、例によって一度出札口から出てから改めて名鉄電車全線2DAYフリーきっぷで入場。改めて、瀬戸線の旅を始めます。それで乗ってきた列車の折返しに乗っても良かったのですが、それより先発する9時29分発の栄町行き普通列車列車に乗ってしまうことに。最後尾の写真だけ撮って(そして駅名標は撮り忘れ)、手近な乗車口から乗り込みました。

【尾張瀬戸駅に停車中の栄町市普通列車】
尾張瀬戸駅に停車中の栄町市普通列車
【尾張瀬戸駅停車中】
尾張瀬戸駅停車中

 乗り込んだ列車に使われている車両は、この瀬戸線専用形式とも言える4両編成の4000系という電車。瀬戸線でこれまで走っていた車両の老朽置換え用として平成20年(2008年)にデビューした新しい形式の車両で、車体長19mで両開き3扉という名鉄の一般車としては標準的エクステリア、車内は全てロングシートになっています。それで車内を前方に向けて進むと、改札口から遠いためか、先頭車最前部乗務員室直後右側の特等席と言える座席、もっとも、ロングシートなので前方の景色を見るためには首を90度曲げる必要がありますが、は幸いにも空いていたのでそこに腰を落ち着けて程なくすると発車。ちなみに、座った車両の車番は4116(ク4100形)でしたが、4000系の中でも最も新しい平成26年(2014年)に製造されたグループのようですね。

【新瀬戸駅-水野駅間】
新瀬戸駅-水野駅間

 尾張瀬戸駅を出発した列車は、瀬戸市の市街地を走行。個人的に瀬戸市=陶器の代名詞でもある瀬戸物(せともの)という何十年か前の認識だったのですが、車窓の景色はマンションが点在するなど結構都会的でモダンな印象。それは、三郷駅から尾張旭市に入っても続きます。

【三郷駅進入】
三郷駅進入

 ただ街や走っている車両は新しくなっているものの、鉄道施設は、古くからのものが多いという印象も。何故かと考えてみると、まず線路が高架線になっていないというのもあるのですが、それ以外にも踏切が結構残っていたり、駅も橋上駅ではなく昔ながらの相対式ホームに跨線橋というスタイルが多かったりというのが大きいのかな、と。また具体的にどこがと言われると明確には答えられないのですが、プラットホームにも長年の間に染み付いた、街の鉄道というか、大都市近郊路線特有の雰囲気があるのではないかな、と。

【尾張旭駅-旭前駅間(尾張旭検車支区付近)】
尾張旭駅-旭前駅間(尾張旭検車支区付近)

 そんなどうでも良いことを考えつつ列車に揺られていると、尾張瀬戸駅を出て約9分で尾張旭駅に停車。発車すると進行方向左手に、平成19年(2007年)に供用開始された、この瀬戸線の車両基地である尾張旭検車支区が。今乗っている4000系が無塗装のステンレス製車体となっているのは、この基地で揮発性の塗料が使えないための言うのが理由の一つになっているそうで。

【喜多山駅進入】
喜多山駅進入

 車窓からの景色は、先述の尾張旭検車支区付近でちょっとだけ農地が見えた以外は、高い建物は減ったものの相変わらず住宅街というか街の中を進み、駅ごとに乗客を増やしていきます。そんな中、列車は尾張瀬戸駅を出て約17分で喜多山駅に到着。見るからに仮設というホームに停車します。この駅を含め、隣の小幡駅までの間、現在高架化工事が進められていました。で、喜多山駅で、これまで空いていた私の隣にも、ダウンで着膨れた若いお兄さんが着席。列車に乗っていると、たまに隣の人に平気で密着してくる人がいるのですが、このお兄さんはまさしくそんな感じで、太腿が密着するのもお構い無しで、グイグイ足を広げてきます。(個人的には気持ち悪いので勘弁して欲しいなぁ、と。)

【守山自衛隊前駅-矢田駅間(矢田川橋梁)】
守山自衛隊前駅-矢田駅間(矢田川橋梁)
【守山自衛隊前駅-矢田駅間(矢田橋梁)】
守山自衛隊前駅-矢田駅間(矢田橋梁)

 列車は、尾張瀬戸駅から約23分で、守山自衛隊前駅に到着。この駅は、瀬戸線の前身である瀬戸自動鉄道開業時からある駅で、当時は大日本帝国陸軍第三十三聯隊(連隊)の駐屯地があったことから聯隊前という駅名だったそう。その守山自衛隊前駅を出てちょっと行くと、左にカーブして矢田川を渡り、渡り終わると右にカーブしてから瀬戸街道を跨ぐ、瀬戸線唯一のトラス橋である矢田橋梁を通過。昨日、三河線に乗っていた時に気がついた橋梁前後の白い古タイヤですが、川を渡る橋梁にも、道を跨ぐ橋梁にも、もれなく設置されているんですね。

【矢田駅-大曽根駅間】
矢田駅-大曽根駅間

 谷田川と瀬戸街道を跨いだ列車は瀬戸線開業当初のターミナル駅だった矢田駅に停車。当時、瀬戸駅から蒸気動車で1時間半近くかかったそうですが、現在は各駅に停まる普通列車でも、約25分で着いてしまいました。そして矢田駅を発車した列車は高架線へと登り、矢田駅の後にターミナルとなった大曽根駅に停車。当時と違って現在は高架駅化されています。また瀬戸線の栄町駅延伸以前は、ここで名古屋市営地下鉄名城線へ多数の乗客が乗換たそうで。そして大曽根駅を出た列車は、森下駅、尼ヶ坂駅と停車しつつその後も高架線を走行。線路の周囲には高い建物が増えてきました。で、次の清水駅との間は、瀬戸瀬で最も駅間距離が短く0.5kmしかないため、あっという間に次の駅という感じで。

【清水駅-東大手駅間】
清水駅-東大手駅間
【東大手駅進入】
東大手駅進入

 清水駅を出た列車は、程なくして高架から地下へ。停車する東大手駅は、現在は地下駅となっているのですが、お濠電車の頃は地上駅で、更には、初日に乗った竹鼻線・羽島線の江吉良駅同様、太平洋戦争に伴って昭和19年(1944年)に休止となった駅の一つだったのですが、瀬戸線の栄町駅延伸に伴って、昭和53年(1978年)に移転の上復活したという駅。

【栄町駅進入】
栄町駅進入
【栄町駅停車】
栄町駅停車

 東大手駅を出た列車は久屋大通公園の外縁部地下を走って10時5分の定刻、終点の栄町駅に到着しました。で、この列車に乗る前、尾張瀬戸駅で駅名標の写真を撮るのを忘れてしまったのですが、ここ栄町駅でも、列車を降りたら慌てて出札口から出てしまったという。

【鶏三和サカエチカ店の三和の純鶏名古屋コーチン親子丼しょうゆ麹唐揚げセット(1120円+税)】
鶏三和サカエチカ店の三和の純鶏名古屋コーチン親子丼しょうゆ麹唐揚げセット(1120円+税)

 なぜ、駅名標の写真を撮るのも忘れて慌てて出札口から出てしまったのかといえば、この栄町駅に隣接する地下街「サカエチカ」で、朝兼昼食を摂ろうと思っていたから。この食い意地には自分でも呆れるほどだったのですが、前もって調べておいたお店で、当地名物である名古屋コーチンを使った親子丼をいただき、満足しました。


つづく

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