たひお備忘録

とりとめのない趣味の、とりとめのない活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

日中線記念館 【平成25年2月9日】

熱塩駅の駅名票

 前、前々エントリのとおり、先日の三連休で東北の日本100名城を回って来たのですが、その途中、会津若松から米沢に抜ける国道を走っていた時のこと。喜多方市内を抜け、熱塩温泉の案内看板が見えた頃だったと思うのですが、カーナビの画面に『日中線記念館』の文字が。日中線とは今から30年近く前に廃止となった国鉄の路線で、そんな記念館があるとは知らなかったのですが、知ったからにはお伺いしてみたくなったというか。

日中線について

 もともと日中線は、山形県の米沢市と喜多方市を結ぶ路線として計画されていたもので、更には、磐越西線、会津線、野岩線、日光線を通り、栃木県鹿沼市からは栃木市を通って茨城県古河市を結んで奥羽本線と東北本線とを短絡する野岩羽線構想の一部となっていたそうで。その計画は明治の頃からあったのですが、昭和13年(1938年)、福島県側の喜多方(福島県喜多方市)-熱塩(福島県熱塩加納村)間11.6kmが開業。しかしその後は日中戦争、そして太平洋戦争の影響により工事は中断されてしまいました。それでも、当初は熱塩や会津加納にあった鉱山からの戦時物資輸送にも使われたようなのですが、戦後はそれらを含めた貨物の減少(戦後しばらく残っていたの会津加納駅近くの鉱山も、昭和47年に閉鉱。)に加え、バス路線の開通による旅客の減少も重なり、開通当初は1日6本あった(それでもかなりの閑散線区っぷりですが)旅客列車も戦後程なくして朝1往復夕方以降2往復の1日3往復(「日中に列車の走らぬ日中線」というネタは鉄道少年だった頃の私も見聞きした覚えがあります。)となり、それが廃線まで続きました。

 ちなみに、旅客列車は全て機関車牽引の客車列車(昭和58年の貨物営業廃止までは一部混合列車)で、初期はC12形蒸気機関車、途中からC11形蒸気機関車を使用していたのですが、本州では一番最後まで蒸気機関車牽引の定期旅客列車が走っていたそう。しかしそれも昭和49年(1974年)10月をもって廃止(臨時列車では11月10日まで運行)となり、以後はDE10形ディーゼル機関車が廃止まで旧型客車を牽引していました。

 そんな状態(晩年の営業係数~100 円の売上にかかる経費の額は、1,500から1,800だったそう。)だったというかそんな状態だからこそ、昭和43年(1968年)に国鉄諮問委員会が提出した意見書に「使命を終えた」として廃止すべきという『赤字83線』の一つに認定され、その後昭和47年(1972年)田中角栄の総理就任により赤字83線の廃止が途中で打ち切られたお陰で一時は廃止を免れたものの、結局は昭和55年(1980年)に成立した国鉄再建法によって早期(予定では昭和57年度末まで)に廃止することとした第1次廃止対象路線に認定され、昭和59年(1984年)3月31日の運行をもって廃止。バス転換となってしまいました。

 で、その日中線なのですが、個人的には、廃止直前の昭和59年2月に乗りに来た事が。夕方(午後4時くらい)の列車に乗って喜多方駅から往復したのですが、乗車した列車や終点の熱塩駅が鉄道マニアでもの凄く混雑していたことと、荒れ果てた状態で放置されていた(熱塩駅を始めとする)駅舎が日暮れ時と相まってもの凄く悲しく、そして恐ろしげに見えたことを、今でもハッキリ覚えています。

日中線記念館

【旧熱塩駅舎外観1】
旧熱塩駅舎外観1
【旧熱塩駅舎外観2】
旧熱塩駅舎外観2
【旧熱塩駅舎外観3】
旧熱塩駅舎外観3
 そんな日中線の終着駅であった熱塩駅が『日中線記念館』として整備されたのは、現地に経っている案内板によると廃止の翌年である昭和60年(1985年)1月19日の事。それから28年も経つのですが、廃止時にボロボロだった駅舎(元々のカタチが瀟洒だったので、当時はことさらもの悲しく見えたんです。)は、今はピカピカとまではいかないもののしっかりと維持管理がなされているようでした。ちなみに、こちらの駅舎ですが、日本では珍しいメーター単位の間取りで設計・施工されているとのことです。

【改札口付近】
改札口付近
【改札口付近から窓口(向かって右が切符売り場で左が手荷物預かり所)方向】
改札口付近から窓口(向かって右が切符売り場で左が手荷物預かり所)方向
【待合室内部】
待合室内部
 ほぼ当時のままで残してあり、昭和の頃の駅の姿を今に残しているのですが、個人的にはとても懐かしいですね。

【昔の切符売り場にあった棚というか切符入れ】
昔の切符売り場にあった棚というか切符入れ
【切符に日付を入れる機械(残念ながら故障中)】
切符に日付を入れる機械(残念ながら故障中)
【来訪記念切符】
来訪記念切符
 この日は(たまたま?)管理されている方がいらっしゃっていて、駅舎の中に自由に入れるようになっていたのですが、そこにはとても凄く懐かしい物が。子供の頃地元の駅で切符を買う時、駅員さんがここからスッと切符を取り出し、機械で日付を入れていましたっけ。ちなみに、来訪記念切符は1枚100円です。

【さよなら列車のヘッドマーク】
さよなら列車のヘッドマーク
【展示資料の一部】
展示資料の一部
 他にも駅舎内には、昭和の頃の鉄道関連の様々な品が展示してありました。(個人的には涙モノばかりです。)

【静態保存されたラッセル車(キ287)】
静態保存されたラッセル車(キ287)
【静態保存された旧型客車(オハフ61 2752)】
静態保存された旧型客車(オハフ61 2752)
【旧型客車の車内】
旧型客車の車内
 駅舎からちょっと離れたところには、当地で使用されていたと思われる、ラッセル車(キ100形)と旧型客車(オハフ61形)が静態保存されています。どちらも車内に自由に入れる様になっていました。(駅舎の伝言板に「客車の中に入れます」と書いてありました。)立派な屋根があるのに加え、塗装などの補修もされているのか良い状態で残されており、旧型客車のニス塗りの車内でボックスシートに座っていると、昔この(形式の)車輌に乗って旅をした時の事を思い出したのですが、車内のプレート類や一部備品が持ち去られていたのは非常に残念です。

 というわけで、懐かしい様々なモノたちとの再会に、暫し時を忘れ、感傷に浸ることが出来たのですが、願わくば、これらのモノたちが、何時までも当地に日中線があったことを語り続けて欲しいと、切に思いました。(その為にも、大事にしたいですね。)あとは、雪の無い季節に見もう一度来て、今回雪に隠れていた遺構もじっくりと見てみたいです。

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