たひお備忘録

とりとめのない趣味の、とりとめのない活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

『探訪!日本100名城』 14/100城目 多賀城 【平成25年2月10日】

史跡多賀城跡碑

 山形市内に一泊した後、国道13号で北上し、天童市内から国道48号で仙台へ。分水嶺を越えると沿線の雪が少なくなっていき、太平洋が近づくと空が明るくなってきました。そして仙台市内を抜けて向かったのは、日本100名城の中では珍しい古代の史跡である多賀城です。

多賀城について

 多賀城は、宮城県多賀城市にある古代の政庁・軍事拠点。国の特別史跡に指定されています。

 奈良時代である神亀元年(724年)。按察使である大野東人によって創建された陸奥国の国府であり鎮守府。当時というかそれ以前より本州東北部には、大和朝廷への従属・同化を拒み、また文化的にも異なる、朝廷側からエミシ(漢字は「蝦夷」と書きますが、同じ漢字をあてる「エゾ」とは意味合いが違います。)と呼ばれる民がいたのですが、その征討の拠点として築かれたそうで。(ちなみに、発掘調査の結果などにより、現在、多賀城は大きく改修された時期によってI~IVに分けられるのですが、この時は~当たり前ですが~第I期とされています。)

 その後、天平宝字6年(762年)に、藤原朝狩によって大改修がなされ、この時の記録が日本三古碑の一つである多賀城碑に残されたのですが、宝亀11年(780)、伊治公呰麻呂の乱によって焼き討ちにあってしまいました。(この間が第II期とされています。)

 焼き討ち後は再建され、再びエミシ征討の拠点として使われたのですが、延暦20年(801年)、陸奥出羽按察使兼陸奥守兼鎮守将軍で、征夷大将軍である坂上田村麻呂がエミシへの征討を行い、有力な指導者であったアテルイを捕らえることに成功。その翌年、征討の北進と共に鎮守府は新たに造営された胆沢城(現在の岩手県奥州市)へと移されました。その後も政庁として(鎮守府は移ったものの軍事拠点としても?)使用されていたようなのですが、貞観11年(869年)に起きた貞観地震により、多大なる被害を受けたらしいです。(この間が第III期とされています。)

 で、そこからまた復興されたのですが、10世紀後半頃には維持、管理されなくなり、多賀城は次第に荒廃していったそうで。これは、10世紀末までに実態が無くなってしまったという(でも、一部の律令法はその後も残ったのですが)律令制の終焉と一致しているんですよね。そして、11世紀中頃には、多賀城は政庁としての役目を終えていたと考えられているそうです。(この間が第IV期とされています。)

 その後時が経ち、建武新政期と南北朝時代初期である元弘3年(1333年)、鎮守府将軍・陸奥守に任命された北畠顕家が義良親王(後の後村上天皇)を奉じて陸奥国へ派遣されて陸奥将軍府が成立。多賀城には陸奥将軍府が置かれたのですが、延元2年(1337年)、足利方の攻勢により国府を霊山(福島県相馬市および伊達市)に移転。以後は歴史の表舞台から姿を消してしまいました。やがて時代は下って江戸時代に入り、多賀城碑が発見されたのですが、松尾芭蕉が元禄2年(1689年)に、奥の細道の途中で訪れたり、水戸光圀が仙台藩第4代当主である伊達綱村に石碑を覆う覆屋の建設を依頼したりしたそうです。

実際に行ってみた

【多賀城碑】
多賀城碑
 まず最初に向かったのは、日本三古碑の一つである多賀城碑。多賀城の南端付近にあります。

【南から政庁方面を望む】
南から政庁方面を望む
 政庁は小高い丘の上に建てられていて、そこからは仙台湾などが一望できたとのこと。ちなみに立ち入りは自由なようでしたので、ここから政庁跡まで登っていきました。

【政庁跡】
政庁跡
 現地には、建物の基礎部分がコンクリートで復元されていて、どのような建物が建っていたか想像する助けとなっています。

【東北歴史博物館】
東北歴史博物館
 多賀城跡からクルマだとほど近い場所あるのが、この東北歴史博物館。こちらでは発掘調査の際の出土資料と共に、多賀城を含めた東北地方の歴史が勉強できます。(なので、多賀城跡の前に訪れれば良かったかなぁ。)

【多賀城市文化センター】
多賀城市文化センター
 こちらも多賀城跡からクルマだとほど近い場所にある、多賀城市文化センター。日本100名城スタンプラリーのスタンプは、こちらの中に入っている多賀城市埋蔵文化財調査センターに置いてあります。またこちらでも、出土資料の展示や多賀城のことについて知ることが出来ます。

感想とかまとめとか

 古代の事となると、正直言って、自分の興味の範囲からは外れてしまうのですが、逆にこちらを訪れる事が無ければ、エミシの事について知ろうともしなかった訳で。その切っ掛けを与えてくれたことに感謝すると共に、今後はそちらについても興味が出てきました。それにしても日本人として、知るべき事は、まだまだ沢山有るなぁ。(坂上田村麻呂の名前だけ覚えていても駄目なんですよね。)

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