たひお備忘録

とりとめのない趣味の、とりとめのない活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

神宮(伊勢神宮) 【平成25年10月19日】

内宮入り口のところにある案内看板

 10月下旬に三重、滋賀、岐阜へとクルマで旅して来た時の記事その4は、前々記事の伊勢うどん前記事の赤福をいただいた後にお参りした、今回の旅の最初の目的地である伊勢神宮です。


神宮(伊勢神宮)について

 今年、第62回の式年遷宮が行われた伊勢神宮ですが、この記事のタイトルを神宮(伊勢神宮)としたのは訳がありまして。私は知らなかったのですが、これまで何気なく呼んでいたこちらの「伊勢神宮」という名称はあくまで通称で、正式には(何も付かない)「神宮」というのですね。しかも、天照皇大神(アマテラス)を祀る皇大神宮(内宮)と、豊受大神(トヨウケビメ)を祀る豊受大神宮(外宮)の正宮2社の他、伊勢市、松阪市、鳥羽市、度会郡、多気郡、志摩郡に鎮座する別宮14社、摂社43社、末社24社、所管社34社、別宮所管社8社の合計125社の総称とのこと。ですが、当記事の本文中は伊勢神宮という通称を使わせていただくことにします。

 それでその伊勢神宮。その歴史は大変に古いというか、日本書紀によると第11代垂仁天皇の皇女である倭姫命(やまとひめのみこと)が天照皇大神のご神慮を受け垂仁天皇26年に創建。ちなみ日本書紀や古事記の天皇在位年を無理矢理西暦に変換したものによれば、紀元前6年になるのでしょうか?もっとも、今の世の中、日本書紀は歴史書と見なされていないので、このあたりは伝説の範疇に入ってしまうということで。そしてその後、第21代雄略天皇22年(これも前述のとおり西暦変換すると478年)に天照皇大神のお告げによって豊受大御神を迎えて祀られるようになりました。また、飛鳥時代の天武天皇14年(685年)に式年遷宮が定められ、持統天皇4年(690年)に第1回の遷宮が行われました。

 その後は、時代を経るにつれ色々あったというか、例えば、平安時代までは祀られているのが皇祖神である天照皇大神ということで天皇以外の奉幣は禁止されたり、鎌倉末期には内宮より外宮の方が優位とする伊勢神道が起こったり、戦国時代に入ると神宮領の荒廃により経済的に苦しくなって遷宮も行えない程になったもののその後御師の台頭により全国に信者を増やし、また全国に講を組織させることによりお伊勢参りが始まり、それが江戸時代にはブームとなり「一生に一度はお伊勢参り」というふうになり、明治時代に入ると明治天皇が在位中の天皇としては初めて参拝し、大日本帝国政府によって全国神社の頂点の神社として位置付けられ、戦後は宗教法人神社本庁発足により全国神社の本宗とされたりしてきました。

実際に行ってみた

 もともと、今回の旅の発端が、このお伊勢参り。元々相方と「一生に一度は」などと話していたのですが、その後式年遷宮の事を知り、「どうせなら式年遷宮の直後にでも」ということになり、そして「せっかく行くからには近くの諸々を」などということになりました。それでこの日、栃木から高速で一路伊勢へ。東北道、首都高、東名高速、伊勢湾岸道、東名阪道、伊勢道と通って約7時間ほどで伊勢西ICから伊勢市内へ。生憎途中から降り出した雨は、ここに来てもまだ降り続いています。

【伊勢市内を走行中】
伊勢市内を走行中
 そこから伊勢市内を走って伊勢神宮を目指すのですが、道路の両側から絶え間ない赤福コールが。それにしても、さすがに式年遷宮年の土曜日。天気が悪いにもかかわらず市内の交通量はわりと多めで、それがさらに増えてくると伊勢神宮に近づいたことがわかります。

【駐車場から、いざ】
駐車場から、いざ
 駐車場に停めようと案内看板や交通誘導員の誘導に従って進むのですが、結局は五十鈴を渡ってその川沿いのB6駐車場というところへと停めることに。それにしても、まわりに停められたクルマのナンバーを見ると、東海、近畿地方のものが多いのは当然として、北は東北、南は九州地方からも来ているようですね。さすがは日本一の観光地の一大イベントの年というか。

【五十鈴川を渡って】
五十鈴川を渡って
 クルマを停めた所から川沿いに5、600mほどは歩いたでしょうか?新橋という橋を渡って参道を中心に広がるおはらい町という門前町と言うべきエリアへ。で、ここの一角がおかげ横町というふうになっているそうで。それにしても、橋を渡った途端にかなりの人混み。我が家は2人とも(特に相方は)人混みが苦手なので、正直テンションはかなり下がったのですが、せっかくここまで来たのだからということで、先に記事にしたとおりまずは伊勢うどんでお腹を満たし、その後に赤福をば。

【激混みの参道】
激混みの参道
 いただく物をいただいたら、あとはお参りするだけなのですが、内宮に至るまでの参道が、これまた激混み。おかげ横町から参道を抜けるのにたかだか2、300mの筈なのですが、やたらと時間がかかりました。で、その間、何度傘が顔や首筋に当たったことか!(個人的には、雨もだいぶ小降りなんだから、傘さすのやめれば良いのにと思うのですが…。)仕方がないとはいえ、別の意味でテンション上がってしまいます。せっかくお参りに来たのだから、心静かにいきたいんですがね。

【内宮入り口に到着】
内宮入り口に到着
 そしてようやく、内宮入り口に到着。ここからは鳥居をくぐって写真奥の宇治橋を渡って神苑へと進むのですが、その後も人波に流される感じで目指す本殿へ。その途中、参道脇の木々がものすごく立派なものばかりで、少しは神々しい雰囲気となってきたというか。そしてその流れている人の密度が濃くなってくると、そこはもう本殿。さすがにできたてのお社は白木がとても美しいですね。そしてそのままお参りを済ませ、また人波に流されつつ戻るのですが、その途中に遷宮前のお社も残っていて、こちらはさすがに20年の月日を感じる外観になっていました。

 その後は、来た道を引き返して駐車場へ。(正直、参道はもう通りたくなかったんですが、道に迷うのも嫌だったので、我慢してもう一度通りました。)実はは今日一日というか、午後一杯は伊勢神宮及びその近辺をみてまわる予定だったのですが、天気の悪さと、何より人混みにやられ、早々に切り上げることにしました。

感想とかまとめとか

 というわけで伊勢神宮だったのですが、事前の調査不足もあって、正直「行っただけ」という感じに。本来は外宮からお参りすべきものを、今回はこのとおり内宮にしかお参りしていませんし。っていうか、わりと急ぐ旅の最初の目的地にするなんて、後から思えばものすごく無理があったというか。また、思った以上に式年遷宮で盛り上がっていたというか、雨降りにもかかわらず想像以上の混雑具合にゆっくりとお参りする気もなくなってしまったというか。なのでこれは是非とももう一度、ちゃんとお参りするしかないのですが、次にお伺いする時は、内宮は平日の朝一番などの人気少なそうな時にお参りし、そして外宮はもちろんのこと、125社全ては無理としてもせめて別宮14社はまわってみたいですね。それにしても(自分の調査不足の所為とはいえ)勿体なかったなぁ…。

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