たひお備忘録

とりとめのない趣味の、とりとめのない活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

長野県伊那市 中央自動車道 小黒川PA(下り線) スナックコーナー 白樺亭

 ここ小黒川PAって、以前、車中泊をした所なのですが、食事時に通るのは初めて。なので、お決まりの天玉そばを。

天玉そば 490円
天玉そば 490円
 つゆは、まだ関東というか東日本ライクな黒っぽいもの。塩気は丁度良く感じました。また、そばは冷凍っぽい食感のもの。そして 天ぷらは標準的オイリーさ加減で、つゆに溶けるというより歯応えを残しつつボロボロと柔らかくなる感じ。それと、キノコと山菜の水煮が入っているのが珍しいですね。

 そんなわけでごちそうさまなのですが、これをいただいた3月も半ばにさしかかろうという頃、このあたりの中央道沿線には、まだ冬が残っているよう。食べ終わって外に出ると、結構な量の雪が舞っていました。

平成23年3月訪問



 実は、こちらのそばをいただいたのって、平成23年3月11日(金)のことなんです。この時、当時ハマっていた趣味活動のため、金曜日だったこの日は休暇を取り、土、日曜日の2泊3日で佐賀、そして帰りに京都を回る予定になっていました。ですがこの日発生した東日本大震災とも東北関東大震災とも呼ばれる巨大地震のため途中で引き返すことになったのですが、その時のことを少々。


 この日は、朝8時頃に自宅を出発。最寄りのICから東北道に乗り、佐野藤岡ICから国道50号へ。そして、太田桐生ICから北関東道に乗り、上信越道~中央道~名神高速などというルートで、最終的には関門道壇之浦PAにあるファミリーロッジ旅籠屋という宿に向かう予定でした。

中央自動車道にて 前の日に痛飲したお陰で予定より出発が少々遅れたものの、走り出してからは(上信越道某PA で注文したそばに具が入っていなかった事を除けば)おおむね順調に進み、中央道から小牧JCT・小牧ICを経て名神高速に入り、尾張一宮PAで小休止ののち午後2時32分過ぎに出発。残り少なくなった燃料計の針を見ながら「次の養老SAかその次の多賀SAで給油しなくちゃなぁ」なんて考えつつ走っていた時、確か大垣ICを通過したあたりで、あの地震が起こりました。

 その第一報を聞いたのは、いつものNHK第1は国会中継だからということでたまたま付けていた岐阜のAM局。パーソナリティーの女性があまり現実感なく伝えたところによると「東北地方を震源とする・・・震度7・・・」。それほど真剣に耳を傾けていなかったので詳しくは覚えていないのですが、確か、震度7と言ったような気が。あまりに現実離れした数字に言っている事の理解が出来ず、暫く経ってから半信半疑でラジオのチャンネルをNHKに切り替えると、国会中継ではなくテレビと同時放送とおぼしきアナウンサーのが「東京お台場地区のカメラからの映像ですが、ビルの屋上から煙が上がっています」と緊迫した声が。これでさらに混乱したというか、東北の地震と東京の火災が頭の中で結びつかず、そのままラジオを聞きながら走るうちに養老SAを通過。とりあえず、次に給油できる多賀SAまで行く事にして関ヶ原を超えました。

 そして、到着した多賀SAでいろいろと情報を得るうちに、とてもシャレにならない事態だと言うことを認識。中でもNHKのテレビで放映していた、大津波が押し寄せ走行中のクルマが押し流されるライブ映像には大変にショックを受けました。そんな中、しばらくかかってやっと繋がった電話で、実家やアパートが無事らしいことは確認できたのですが、ついったーのタイムラインからは栃木でも相当の被害が出ていることがわかり、また、阪神・淡路大震災だと地震そのものに加えその後電気が一時的に復旧した時に出た火災で相当の被害が出たことを思い出し、とても不安になって、午後4時過ぎに帰ることを決断。予約してあった今日と明日の宿にキャンセルの電話を入れ(その時、「こんな時ですからキャンセル料はけっこうです」と言ってくださったファミリーロッジ旅籠屋さん、ありがとうございました。)、一番近い八日市ICで一度高速を降りました。

 その後は、八日市ICから再び高速に乗り、来た道と同じルートを、途中のSAやPAで情報を集めつつひたすら引き返し、地震の影響でここより東京方面が通行止めとなった上信越道佐久ICからは一般道に降り、国道18号~17号~50号~新4号~4号というルートを通って、午前3時前に帰宅。思いのほか時間がかからなかったのは、佐久ICで一般道に降りた後、軽井沢のあたりまで渋滞したもののそれ以降は停電の影響で大部分の信号が消えていたためあまり停まらずに走れたお陰かと。(信号で停まったのが高崎市内と佐野市内、小山市内と、新4号から4号に出る平出工業団地入口交差点くらいだったかと。)それにしても、街路灯や沿道の24時間営業店舗の照明が全て消えた真っ暗な幹線国道は、一種異様な雰囲気でした。また、さくら市で国道4号バイパスではなく旧道に入った後、沿道の家屋の大谷石塀が軒並み倒れていた事に栃木でも相当な揺れがあったことを実感しました。

 というわけで、例によってまとまりのない文章であの日の事を書いてみたのですが、ものすごい不安に駆られつつ必死に運転し続けたあの帰り道の記憶は、一生頭から離れないんだろうなぁ、なんて。でもまぁ、幸いなことに我が家のアパートは無事で、家の中の被害もほとんどなかった(でもさすがに、水道は復旧まで数日かかりましたが。)のは、不幸中の幸いでした。


 そして、その翌日からのことも少しだけ。

 地震の翌日の土曜日は、臨時出勤し一日中炊きだしを手伝ったのですが、お陰で薪でご飯が炊けるようになりました。そのまた翌日の日曜日は、職場付近のライフラインが復旧したお陰で炊きだしは程々で切り上げ、片付けなどを。月曜日からも通常業務に戻れず、また、その後消防団の招集がかかって土嚢を作ったり被害調査を行ったり。そんな中、地震と津波で被害を受けた福島第一原発は深刻な状況になり、そのおかげで栃木にも(人体に影響のないレベルながら)放射性物質が降り注いでいます。でもいつか、地震を含めたそれらのことが、ネタというか、「あの時は」なんて話せる日が来ればいいな、と、本当に思います。

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