たひお備忘録

とりとめのない趣味の、とりとめのない活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

何となく千葉と茨城へ。JR成田線と鹿島線・銚子電鉄・鹿島臨海鉄道乗車記~鉄印帳の旅(3) 【令和2年9月4日】 その1

銚子駅に入ってくる外川行き普通列車

 ここ2つばかりの記事のとおり、9月の初旬、千葉・茨城方面に乗り鉄旅をしてきたのですが、その一番の目的が、今年(令和2年)7月から始めた、全国の第三セクター鉄道を巡る「鉄印帳」の鉄印収集。今回は、茨城県にある鹿島臨海鉄道がお目当ての路線ですが、それだけじゃ勿体無いので、何となく、茨城県のお隣、千葉県内にある銚子電鉄、そしてJR成田線と鹿島線も一緒に乗ってこようかと。7月に買った青春18きっぷも、8月はいろいろ忙しくて使えないまま9月になってしまいましたしね。


プロローグ

【JR氏家駅の駅舎】
JR氏家駅の駅舎

 休暇を取った(令和2年)9月4日の金曜日の早朝。家人の運転で自宅最寄り駅からちょいとばかり南にある氏家駅まで。というのも今日の旅程を立てた際、列車の乗り継ぎを色々と調べた結果、今回の旅で乗ったみたかった路線、やってみたかったことをすべて満足させるためには、自宅最寄り駅の始発列車から1本早い氏家駅始発の列車に乗るしか無いとなったわけで。

【氏家駅に停車中の熱海行き普通列車】
氏家駅に停車中の熱海行き普通列車

 改札口で、青春18きっぷに日付を入れてもらってから入場。列車はに乗り込むと、定刻の5時21分に氏家駅を発車。せっかくグリーン車が付いているので、休日より少々お高いグリーン券を買って1階部分に乗ったのですが、昨今のコロナ禍の影響か、何時まで経っても私以外の乗客が増えないという。で、久喜駅まできてようやく私以外の乗客が3人程乗り込み、その後は駅ごとに2,3人づつという感じで、あっという間にほとんどの窓側が着席を示す緑ランプが点灯。その後程なくして、通路側も埋まりました。

【上野駅に入ってくる勝田行き普通列車】
上野駅に入ってくる勝田行き普通列車

 熱海行きの列車は、定刻の7時34部に上野駅へ到着。ここで7時39分発の、上野東京ライン常磐線直通勝田行き普通列車に乗り換えます。で、入ってきたのはE531系電車の15両編成。ロングシートの座席はほとんど埋まっていたので、ドア付近に立つことに。

【南千住駅-三河島駅間】
南千住駅-三河島駅間

 列車は日暮里駅から常磐線へと入り、南千住駅のあたりでは、つくばエクスプレス、東京メトロと並走します。常磐線のこの区間に昼間乗るこのはこれまで数回もなかったので、新鮮な気持ちで外の景色を眺めていたのですが、北千住駅で席が空いたので有り難く座らせていただくことに。で、そうすると今度は自然と車内が観察対象となり、他の乗客の動きなどを見ていたところ、平日朝の下り列車は駅ごとに乗客が入れ替わり、増えもせず減りもせずという感じで進んでいたものの、柏駅でやや増加しました。その後、車窓に農地が出てきたと思ったら、この列車を降りる我孫子駅に到着。列車を降りたところに立ち食いそばのスタンド「弥生軒6号店」があり、名物の唐揚そばでもいただきたくなったのですが、この後の予定あるのでここは我慢。

JR成田線我孫子支線

【我孫子駅の駅名標】
我孫子駅の駅名標

 ここからは、今日のお目当ての一つであるJR成田線を。で、この成田線、地図で見ると「X」の右側に「\」を付け足したような形になっていて、本線、我孫子支線、空港支線の3つに分かれています。

 そのうちまず本線は、「X」の左下の点が起点となる、総武本線との接続駅の佐倉駅で、そこから右上に向かって交点の成田駅を通り、右上の点が鹿島線を分岐する香取駅。そこから「\」の部分へと入り、右下が終点となる松岸駅へと至る75.4kmの路線で、本線全体では平仮名の「へ」のような形状になっています。そして我孫子支線は、「X」の左上の点が常磐線との接続駅となる我孫子駅で、そこから右下に向かって交点の成田駅までの32.9kmの区間。最後に空港支線は、「X」の交点である成田駅から左下の成田空港駅までの10.8kmの区間となりますが、うち成田線分岐点から終点の成田空港駅までの8.7kmは、JR東日本が列車の運行のみを行う第二種鉄道事業者となり、第3セクターの成田空港高速鉄道が施設を所有する第三種鉄道事業者となっています。

 それでこれら3つの路線を合わせた全長は119.1kmにもなり、起点駅と終点駅を含む駅数は27駅。全線直流1500Vで電化されており、佐倉駅-成田駅成田空港分岐点までの15.2kmが複線化されています。

 ついでにその歴史も、路線形状のように複雑で、路線の免許取得の段階からいろいろとあったのですが、まずは明治30年(1897年)1月、成田鉄道によって現在の本線にあたる佐倉駅-成田駅間が開業。同年12月に滑河駅まで、翌明治31年(1898年)2月には佐原駅まで延伸しました。一方現在の我孫子支線は、明治34年(1901年)2月に成田駅-安食駅間が、4月に安食円-我孫子駅間が開業。翌明治35年(1902年)には、日本鉄道の上野駅から常磐線を経由し成田駅までの直通列車が運転を開始しましたが、一等車と食堂車の合造車という豪華な車両を連結していたそう。また明治37年(1904年)には、本所駅(現在の錦糸町駅)からも成田行きの直通列車の運転が開始されました。

 その後の大正9年(1920年)9月、成田鉄道は国有化され、成田線になりました。ですが今と違って佐倉駅-成田駅-我孫子駅間が本線で、成田駅-佐原駅は支線という扱いになったそうで。そして昭和8年(1933年)に、佐原駅-松岸駅間が延伸開業。戦後になって昭和40年代以降には全線が順次電化された他、信号設備の近代化、そして一部区間(佐倉駅-成田駅間)の複線化が行われました。

 そして昭和62年(1987年)4月からの国鉄分割民営化後、平成3年(1991年)3月、成田駅-成田空港間の空港支線が開業。これは一部着工したもののその後建設が中止となった成田新幹線の遺構を一部利用したものでした。それともう一つ、成田線で忘れてはならないのが、平成4年(1992年)9月に発生した「大菅踏切事故」。久住駅-滑河駅間の大菅踏切に過積載のため手前で停まりきれなかったダンプカーが侵入し列車と衝突。列車の運転手が殉職し、乗客65名が負傷した事故で、この事故を契機に、従来型車両の先頭部分に補強工事がなされたり、その後登場する車両の運転席を拡大して事故の際の生存空間を確保するなどの取り組みがなされました。

 現在では横須賀線、総武本線から本線を経由して成田空港駅までの直通快速列車や成田エクスプレスなどが多数運転され、また我孫子支線は従来からの常磐線直通列車に加え、上野東京ラインの開業により東海道本線からの直通列車が一部で運行されるようになりました。

【我孫子駅に停車中の成田行き普通列車】
我孫子駅に停車中の成田行き普通列車

 そんな成田線にこれから乗っていくわけなのですが、まずは我孫子支線から。最初の列車は、8時24分発の成田行き普通列車です。車両は我孫子支線で現在全列車に使われているE231系電車で、この列車は10両編成。全車両ロングシートなので、ここは(景色を眺めるべく)覚悟を決めて、先頭車(クハE231-60)の運転室直後に立つことに。ちなみに平成12年(2000年)から登場したE231系は、首都圏で使われる通勤型から、東海道本線、高崎線、東北本線で使われる近郊形まで色々なバリエーションがありますが、常磐快速線及び成田線向けの車両は平成13年(2001年)から順次落成し、翌平成14年(2002年)から運用を開始しています。(乗車したクハE231-60は、平成14年2月に落成。)

【我孫子駅発車直後】
我孫子駅発車直後
【我孫子駅-東我孫子駅間(常磐緩行線跨線橋)】
我孫子駅-東我孫子駅間(常磐緩行線跨線橋)
【我孫子駅-東我孫子駅間】
我孫子駅-東我孫子駅間

 やがて定刻となり、先頭車は私を含む3人の乗客を乗せて発車。夏の名残の強い日差しが、前面の窓から飛び込んできます。列車は我孫子駅の構内から幅は複線分あるけど線路は単線の跨線橋で常磐緩行線を跨ぎ、我孫子支線へと。ちなみにここから先、この列車の終点の成田駅までの区間、途中駅を除いてすべて単線に。それで最初は住宅地を行く感じですが、線路脇のちょっとした段差や空き地などに、雑草が繁茂。このあたりも夏の名残を感じますね。

【東我孫子駅】
東我孫子駅

 最初の停車駅である東我孫子駅は、元々は列車行き違いのための信号場として開設されたそう。そのせいかはわからないのですが、2面(ホーム数)2線(線路数)という配線なれど、一般的な相対式ホームと違って、単式ホーム並列させたような配置になってました。

【東我孫子駅-湖北駅間】
東我孫子駅-湖北駅間

 東我孫子駅を出ると、相変わらず住宅地を進むような感じなのですが、線路敷は複線用の用地を確保してあるところもあるんですね。で、次の湖北駅は、手賀沼の北側に位置するのでそう名付けられた駅とのこと。この我孫子支線が通るところを含む広い一帯は、かつてというか大昔、利根川などの河川と無数の湖沼が点在したところで、地形にはその名残が今でもかすかにあるような気がします。

【新木駅-布佐駅間】
新木駅-布佐駅間
【布佐駅-木下駅間】
布佐駅-木下駅間

 列車は、湖北駅で反対方向の列車と交換してから発車。車窓の景色は相変わらず住宅地は続きますが、途中、家並みが途切れることが増えてきて、新木駅、布佐駅と停車。利根川に合流する直前の手賀川を渡ると、木下駅に到着。ここで2度目の列車交換を行います。

【木下駅-小林駅間】
木下駅-小林駅間
【小林駅-安食駅】
小林駅-安食駅

 木下駅を出て程なくすると、線路脇には水田が広がるように。まだ暑い中、速くも一部の田んぼでは稲刈りが始まっていたよう。それと時に現れる住宅も、先程までの一般的なものに加えて、敷地の広い農家住宅が目につくようになってきました。そして次の小林駅は、私のような競馬ファンにとってちょっとは馴染みのある駅。というのも、大井競馬のトレーニングセンターと小林分厩舎のある小林牧場の最寄り駅。といってもここから徒歩で30分程かかるそうですが。その小林駅を出ると、沿線にはまた水田が広がり、印旛沼と利根川をつなぐ長門川を渡って安食駅に到着。

【安食駅-下総松崎駅間】
安食駅-下総松崎駅間
【下総松崎駅】
下総松崎駅

 安食駅から先も、駅間は沿線に水田が広がりますが、このあたりの水田は印旛沼を埋め立てたものでしょうか。そして次の下総松崎駅は、「松崎」と書いて「まんざき」と読むプチ難読駅。我孫子支線最後の中間駅ですが、ここで最後の列車交換を行います。

【下総松崎駅-成田駅間】
下総松崎駅-成田駅間
【成田駅進入】
成田駅進入

 下総松崎駅を出た列車は、程なくして丘陵にわけ入る感じとなり、それを超えたところで成田線の本線や空港支線と合流。特急成田エクスプレスと一緒に進入して、9時5分の定刻に、成田駅へと到着。他の車両はわからないのですが、少なくとも私の乗った先頭車は、我孫子駅からここまで、終始ガラガラに空いていました。

【成田駅の駅名標(我孫子支線)】
成田駅の駅名標(我孫子支線)

JR成田線空港支線

【成田駅そば 入口付近外観】
成田駅そば 入口付近外観
【いただいた鴨せいろ(560円)】
いただいた鴨せいろ(560円)

 成田駅に到着後、まずは朝食をいただくべく一度改札口を出て、改札外にある「成田駅そば」というお店へ。そこで、この手お店にしては珍しい鴨せいろをいただいたところ、ソバは茹で置きを冷水で洗う感じでしたが、茹で麺好きには悪くない香りと味わいで、ツユからはちゃんと鴨の風味がして、鴨肉も柔らかいのがわりと入っていました。そりゃ、値段が値段なので専門店の味と比べるのは野暮というものですが、かつては一部に蛇蝎のごとく嫌われた旧NRE系のお店(現在はJR東日本フーズ)にもかかわらず、味の面で言えばここしばらく前から改善著しく、普通に美味しくいただけてしまうんですよね。

【成田駅の駅舎】
成田駅の駅舎
【成田駅の駅名標(空港支線・本線)】
成田駅の駅名標(空港支線・本線)

 その後、駅舎の写真を撮ってから再び青春18きっぷで入場。トイレを借りてから、次に乗る空港支線の列車が発車するホームに下りたところ、ちょうど乗る予定の9時31分発、横須賀線・総武線からの直通の、成田空港行き快速列車が入ってきた(お陰で入ってくるところの写真撮り逃したという。)ので、駅名標の写真を撮ってから乗り込みました。

【成田駅-空港第2ビル駅間(成田線分岐点付近(1)】
成田駅-空港第2ビル駅間(成田線分岐点付近(1)
【成田駅-空港第2ビル駅間(成田線分岐点付近(2)】
成田駅-空港第2ビル駅間(成田線分岐点付近(2)

 車両は平成6年(1994年)から平成11年(1999年)まで製造れた、横須賀線・総武快速線用のE217系電車の15両編成で、クロスシートも空いていたのですが、乗車時間も短いことだし先頭車(クハE217-31。平成10年(1998年)4月に落成。)の運転室直後で前方を眺めることに。それで定刻に成田駅を発車した列車は、まずは本線との共用区間を走り、成田駅から2.1km行ったところにある成田線分岐点へ。確か、ここにある両渡り線(シーサースクロッシング)までが成田駅の構内で、その両渡り分岐器を渡って空港支線に入るとすぐに高架線に登ります。

【成田駅-空港第2ビル駅間(単線並列区間)】
成田駅-空港第2ビル駅間(単線並列区間)

 その後は、終点の成田空港駅まで京成電鉄成田空港線との単線並列区間に。ここは近年、京成電鉄のスカイライナーで何度か乗ったところですが、約20年ぶりにJR線に乗ると、ちょっと違った感覚があるようなないような。

【成田駅-空港第2ビル駅間(堀之内信号場)】
成田駅-空港第2ビル駅間(堀之内信号場)
【空港第2ビル駅進入】
空港第2ビル駅進入
【成田空港駅到着】
成田空港駅到着

 途中、トンネルを抜けつつ、お隣の京成線にある根古屋信号場の脇や、こちらにある堀之内信号場を通過して、空港地下のトンネルへ。そして空港第2ビル駅に停車するのですが、ここって1面1線の棒線駅がJR、京成と2つ並んでいる構造だったと改めて。(空港の駅ということで立派な構造だと勝手に思い込んでいたんです。)その空港第2ビル駅を発車すると、程なくして終点の成田空港駅。列車を降りた後、一度改札口から出た時、空港の方に行きたくなったのですが、やっぱりこの駅には、鉄道に乗るためじゃなくて、飛行機に乗るために来たいなぁ、と。

【成田空港駅に到着した快速列車】
成田空港駅に到着した快速列車
【成田空港駅の駅名標】
成田空港駅の駅名標
【成田空港駅改札口付近】
成田空港駅改札口付近

JR成田線本線

 成田線も、我孫子支線、空港支線と乗って、残るは本線のみ。ただ、全線乗るにはまた成田駅を超えて一度起点の佐倉駅まで行く必要があるのですが、乗ってきた列車の折返しとなる、9時59分発の、逗子行き快速列車に乗ればそのまま行けてしまいます。

【成田空港駅に停車中の逗子行き快速列車】
成田空港駅に停車中の逗子行き快速列車
【空港第2ビル駅発車直後の車内】
空港第2ビル駅発車直後の車内

 今度は、後ろから3両めとなる9号車(モハE217-31。先程の車両と同じ時期に落成。)の、進行方向右側のクロスシートに。空港第2ビル駅を出ても大きな荷物を持った人を殆ど見かけないのは、このご時世だからでしょうか。

【空港第2ビル駅-成田駅間】
空港第2ビル駅-成田駅間

 空港第2ビル駅をあとにして地上へと出た列車は、その後はトンネルをいくつかくぐりつつ、成田線分岐点を過ぎて成田駅まで。先程、先頭車で景色を観た時と比べると、水田が多く目に入りました。

【酒々井駅停車】
酒々井駅停車

 成田駅で約2分停車した列車は、複線となっている本線を走行。車窓は成田駅周辺の市街地から、一気に農地と宅地が混在したローカルな景色へと変わります。それがまた住宅に変わると、「酒々井」と書いて「しすい」と読む、これまたプチ難読駅に到着。我孫子支線の下総松崎駅といい、成田駅の隣がどちらも読みづらい駅名というのは、偶然でしょうが面白く感じますね。そして酒々井駅を出ると程なくして再び水田が車窓に広がり、それがまた住宅地に変わると佐倉駅に到着。

【佐倉駅の駅名標】
佐倉駅の駅名標
【佐倉駅を発車する逗子行き快速列車】
佐倉駅を発車する逗子行き快速列車
【佐倉駅の駅舎】
佐倉駅の駅舎

 列車を降りたあと、長いホームを歩いて階段を登り、橋上駅の駅舎を出て駅舎の写真を撮影。この佐倉駅は、明治27年(1894年)の開業時には田んぼの中に駅があったそうですが、今や駅の周りには建物ばかり。ですが、その建物に歴史を感じないのは、駅周辺の市街化が、ここ50年程のことだからでしょうか。

 先程の列車を降りてから次に乗る列車まで25分程あったので、気分転換がてら駅の周りを歩いてもとも思ったものの、真夏並みの日差しにやられて、早々に再び駅に。冷房の効いた待合室で涼みたかったですが、ホームのそれは先客がいたので結局ホームに立って待つことになりました。実は先程の成田空港駅で一度改札外に出た際、(持参するのを忘れた)汗拭き用のタオルを買ったのですが、早くもそれがぐっしょりとしてきたという。

【佐倉駅に入ってくる成田行き普通列車】
佐倉駅に入ってくる成田行き普通列車

 そんな中やってきたのが、10時54分発の成田行き普通列車。元々は京浜東北線用の車両として登場し、現在は短編成化(6両編成もしくは4両編成)されて房総地区のローカル輸送を担っている209系電車の6両編成ですが、生憎数少ないボックスシートには先客が。もっとも、冷房に当たれれば何でも良いので、先頭車(クハ209-2125。当初はクハ209-65として平成9年(1997年)6月に落成し、平成22年(2010年)に改造。)のロングシートに座って、涼みながら外の景色をボーっと眺めているうちに、列車は成田駅に到着しました。

【成田駅の駅名標(本線・我孫子支線)】
成田駅の駅名標(本線・我孫子支線)

 成田駅に到着後、相変わらずの日差しが照りつける暑いホームで待つこと暫し。次に乗る11時41分発の成田線経由(案内板には(佐原方面)と表記)銚子行き普通列車は、5番線に11時30分頃入ってきました。で、その車両の、正面の帯色のかすれ具合に何処かで見たことがあるなと思ったら、ここ成田駅まで先程乗ってきた、209系の6両編成じゃないですか。

【成田駅に停車中の銚子行き普通列車】
成田駅に停車中の銚子行き普通列車
【クハ209-2125のボックスシート(小見川駅-笹川駅間で撮影)】
クハ209-2125のボックスシート(小見川駅-笹川駅間で撮影)
【成田駅-久住駅間】
成田駅-久住駅間

 先程と同じ先頭車(クハ209-2125)の、進行方向左側のボックスシートに席を確保。やがて定刻となり、列車は成田駅を発車しました。それでまずは左に我孫子市線が左手に分岐し、更に成田線分岐点手前では左手から京成電鉄空港線が交差。その後、低い丘とその間にある水田をいくつか抜けると、列車は利根川の傍へと至り、滑河駅に停車します。

【滑河駅-下総神崎駅間】
滑河駅-下総神崎駅間

 ここから先、成田線の本線は、終点の松岸駅まで利根川に沿って行くことに。もっとも、坂東太郎とも呼ばれる大河の、しかも河口に近いところですから、川のすぐ近くを進むというよりも、利根川がもたらした水田越しに堤防を遠くに望みながら進むという感じで。で、その水田は、9月初旬にもかかわらず、稲刈りの真っ最中。なかなかに見事な光景ですが、今朝早起きしたゆえの寝不足と相まって、気がつくと意識が飛びかけているという。

 一方車内に目を転じると、各ボックスシートやロングシートに誰かしか座っているという状態なのですが、うち近くに座っている、このご時世にもかかわらずマスクを付けないご老人(男性)が、詳しく描写するのは差し控えますが、少々ヤバい挙動を。それに気を取られていると、列車は下総神崎駅に到着。この区間、成田線は単線となっており、反対方向の列車と行き違い。相手は209系電車の4両編成でした。

【香取駅停車】
香取駅停車

 下総神崎駅を出た列車は、成田駅から約31分で佐原駅に到着。成田線はこれまで概ね、利根川がもたらした元々は低湿地帯だったところを走ってきたのですが、ここは「水郷(すいごう)」の街並みが今でも残ることで有名。また、鹿島線鹿島神宮方面への列車が分岐するのは次の香取駅ですが、そこに乗り入れる列車は大部分がこの佐原駅が始発になっています。で、市名を冠した次の香取駅よりもこの佐原駅の方が栄えているのか、乗客がだいぶ下車しました。(挙動不審の爺様も下車した模様。)そして次の香取駅は、やはり先程の佐原駅よりは駅周辺がちんまりしていて、駅に隣接する変電所がとても目立つ駅。で、ここから保線係と思しき2名が、運転席へと乗り込んで来ました。

【小見川駅-笹川駅間】
小見川駅-笹川駅間

 香取市の市街地は少しの間続き、それを抜けると、車窓にまた水田が。そしてその向こう側には利根川なのですが、そこに小見川駅を過ぎてからは、利根川の支流で現在は貯水池のようになっている黒部川が間に挟まります。もっとも先程来、成田線と利根川までの高低差が全くないので、パっと見は、なんか平らな景色が広がっているだけなのですが。

【下総松里駅-椎柴駅間】
下総松里駅-椎柴駅間

 再び反対方向の列車と交換した笹川駅を過ぎると、先程まで見られた一面の水田のような景色はなくなり、農地と住宅が混在する、よくある地方部の景色に。よくよく見れば、建物や植生など地方ごとに違いがあるのでしょうが。そして椎柴駅を過ぎると進行方向左側に貝塚が。後で調べると、椎柴駅の近くには余山貝塚というのがあるものの、地図で見ると進行方向右側なんですよね。(見たのは別の貝塚?)

【松岸駅停車】
松岸駅停車

 そして線路の周りがだんだん街になってきたら、成田線の終点である松岸駅に到着。ここで保線係の方たちが下車していきました。松岸駅を出た列車は市街地の中を走り、定刻の12時58分、列車の終点である銚子駅へと到着。

【銚子駅に到着した普通列車と銚子電気鉄道待合室(銚子電鉄側から)】
銚子駅に到着した普通列車と銚子電気鉄道待合室(銚子電鉄側から)

銚子電気鉄道銚子電気鉄道線

【銚子駅の銚子電気鉄道待合室(JR側から)】
銚子駅の銚子電気鉄道待合室(JR側から)

 成田線の列車を降りるとすぐ近くに銚子電気鉄道の待合室があり、その待合室には、通常は列車が閑散とする平日の昼過ぎにもかかわず、10人以上の人が、列車が来るのを待っていました。それが逆に、この路線の性格を表しているように感じたのですが、ここでこれから乗る銚子電気鉄道と、その列車が走る銚子電気鉄道線について少々。

 銚子電気鉄道線線は、銚子駅を起点に終点の外川(とがわ)駅までの6.4kmを結ぶ路線で、線路の軌間はJR在来線と同じ1067mm。全線単線ですが、直流600V(ちなみに、JRの直流電化区間は1500V)で電化されています。また、起点駅と終点駅を含む駅数は10駅となっています。

 その歴史ですが、大正12年(1923年)7月、銚子鉄道によって、銚子駅-外川駅間6.4kmが開業。実はその約10年前の大正2年(1913年)12月、地元有志が設立した「銚子遊覧鉄道」によって、銚子駅-犬吠駅(現在の犬吠駅よりも約400m外川駅寄りにあった)間5.9kmが開業したものの、開業以来赤字が嵩み、わずか4年後の大正6年(1917年)11月に廃止となってしまいました。それでレールは折しも第一次世界大戦の需要増によって鉄材が値上がりしていたため売却し、道床は、翌年から犬吠崎にある旅館の送迎バス専用道に転用されたそうです。で、銚子遊覧鉄道の関係者が、路線の復活させるべく大正11年(1922年)に銚子鉄道を設立したそうですね。

 その後大正14年(1925年)に前線を直流600Vで電化。その際、増資分を引き受けて筆頭株主になったのが、後に国鉄(現JR)飯田線の前身となった私鉄の一つである伊那電気鉄道というのが面白いのですが、変電所や車庫は太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)7月、米軍による銚子空襲を受け焼失。戦争終結後の同年12月に国鉄から蒸気機関車を借り受けてようやく運行を再開し、翌昭和21年(1946年)6月、電車の運行を再開。それより前、新潟県にあった蒲原鉄道より変電設備の余剰品を購入して変電所の復旧を果たしたそうです。そして昭和23年(1948年)、戦時保証債務がらみで施行された企業再建整備法によって「銚子電気鉄道」が設立され、銚子鉄道はそこに資産を譲渡して解散となりました。

 そして銚子電気鉄道になって以降ですが、当初の銚子遊覧鉄道が利用客の低迷によって廃止になったように、あとの時代になっても経営は厳しかったようで、昭和44年(1969年)には銚子市が助成を開始。昭和50年には国による「欠損補助対象地方鉄道」に認定され、銚子市に加えて国、千葉県による助成も開始されました。更に、鉄道事業以外の収入源として食品製造販売事業を開始し、昭和51年(1986年)から観音駅に直営売店を設けてたい焼きの販売を開始(現在は閉店)した他、平成7年(1995年)からは、後にマスコミなどに取り上げられて有名になった「銚電のぬれ煎餅」の販売を開始。平成30年(2018年)にはスナック菓子の「まずい棒」(経営状態が「まずい」ことにちなんだ命名で、「うまい棒」の会社とは事前に「お互い感知せず」と合意済みとのこと。)も発売を開始。ちなみに現在、これらを含めた食品製造販売による収入は銚子電気鉄道の収入の過半を占めているそうです。

 他にも、平成27年(2015年)には駅愛称の命名権を売却したり、令和元年(2019年)には「売るものが無くなってきた」ということで、電車の走行音や踏切の音を着信音「着銚電音」として販売を開始。更には同年に制作した「電車を止めるな!」という映画の上映会を令和2年(2020年)から各地で開催するなど、生き残りをかけて数々のユニークな取り組みを行っていることでも知られています。

【銚子駅に入ってくる外川行き普通列車】
銚子駅に入ってくる外川行き普通列車

 個人的に銚子電鉄は、平成元年(1989年)の3月か4月に乗って以来の訪問となるのですが、当時は千葉県にあるにもかかわらず、利用者のとても少ないかなりローカルな私鉄という印象くらいしか記憶がない状態。とりあえず銚子駅の待合室を見ても、懐かしい感じはありませんでした。それは、程なくして入ってきた、2枚窓を持つ正面をクラシカルな「金太郎塗り」で塗り分けられた2両編成の列車を見ても同様。実はこの列車に使われている2000形という車両、銚子電気鉄道に来る前は愛媛県の伊予鉄道で走っていた元京王帝都電鉄の車両で、私もこの車両そのものではありませんが同形式の車両に伊予鉄道で乗っていたりするという、懐かしく思っても不思議ではない車両なんですが。

 列車は、先頭車(外川駅寄り)がクハ2502、後部車(銚子駅寄り)がデハ2002で、遡ればどちらも昭和37年(1962年)に製造されたもよう。その後、昭和60年(1985年)に伊予鉄道に譲渡され、平成21年(2009年)の廃車後、平成22年(2010年)から銚子電気鉄道で運行されています。

 そんなクラシカルな2両編成には、流石に満員とはいきませんが、平日のお昼過ぎというオフピーク時にもかかわらず20人以上の乗客乗り込みました。もっとも、見た限りほとんどすべてが観光客や鉄道マニアといった風体ですが。それで私も後部車両に乗車。車内には、運転席近くや他の乗客が写るような写真撮影が禁止との貼り紙がしてあったので、とりあえずはおとなしくロングシートに座って、反対側の窓越しに、(進行方向右側の)景色を眺めることにしました。

 乗務していた女性車掌から、犬吠駅までの片道乗車券を購入後、程なくして発車時刻の定刻の13時12分となり、列車は銚子駅を後に。車内に流れるアナウンスの声が、妙に素人っぽいなと思ったのですが、手持ちのスマートフォンで調べたところ、銚子電気鉄道とavexグループとのコラボ案件で、声の主は千葉県出身のガールズバンド「stella」のメンバーさんだったんですね。

 銚子駅を出た列車は、まずは醤油工場をわきを通りつつ(愛称)「パールショップともえ」仲ノ町駅に停車。全長6.4kmの中に(起点の銚子駅を除いて)9つもの駅があるので、その間隔はかなり短く感じます。その後、住宅地を走行しつつ「金太郎ホーム」観音駅に停車。「観音」という駅名の由来は、神亀元年(724年)、当地で漁師によって海から引き上げられ、その後、当地を訪れた空海上人(弘法大師)が開眼したと伝えられる十一面観世音菩薩を祀っていた飯沼観音(圓福寺)ですが、銚子という街は漁港や醤油の生産地の他、門前町でもあったんですね。

 観音駅を出ると列車は林の中を進みますが、この中に、江戸時代から明治時代にかけて醤油の醸造に用いられた地下水を組み上げた「竜の井」別名「玄蕃井戸」があるそうで。で、そんな林の中で、「上り調子 本調子 京葉東和薬品」本銚子(もとちょうし)駅に停車。ここからはまた家並みが車窓に戻ると共に、その間には農地が広がるようになりますが、水田ではなく、海近くの砂っぽい土壌というか、赤茶けた、水はけの良さそうな畑になっています。そんな中列車は、途中駅で唯一の交換可能駅となっている「髪毛(かみのけ)黒生」笠上黒生(かさがみくろはえ)駅に停車。ここで列車交換は行わないものの、時間調整のため少々停車しました。

 笠上黒生駅を出た後も、住宅と赤茶けた畑とのモザイクを進みますが、先程までよりも農地の割合が増えているような気も。そんな中、「見えないことで、未来を拓く アジサワ・ファインテック株式会社」西海鹿島駅、「関東最東端より銚子港直送 千葉石下魚類」海鹿島駅、更に「ロズウェル」君ケ浜駅と停車して、13時32分の定刻、「O(ワン)T(ツー)S(スマイル)」犬吠駅に到着しました。

【犬吠駅を発車して外川駅へと向かう普通列車】
犬吠駅を発車して外川駅へと向かう普通列車

 ここで列車を降り、次の外川行き列車が来るまでの50分少々の間に、このあたりでいくつかやることが。

【島武水産 店舗外観】
島武水産 店舗外観
【いただいた寿司等の一部(220円~330円)】
いただいた寿司等 220円~330円

 まずは昼食がまだだったので、腹ごしらえから。今回の旅の計画を立てる際、この犬吠駅の近くに回転寿司がいただける「島武水産」という食堂があるのを見つけていたんですよね。で、そこで金目鯛を始めとする近海ものの魚を堪能したのですが、気の向くまま好き勝手に注文していたら、結構なお値段になってしまったという。(支払いにカードが使えないのも痛かった……。)

【遠くから見た犬吠埼と犬吠埼灯台】
遠くから見た犬吠埼と犬吠埼灯台

 次に、急いで犬吠埼の灯台が見えるあたりまで移動。実はこの犬吠埼、今を去ること40数年前に初めて来た時のことが、私の旅行の記憶の中でもっとも古い部類のうちの一つだったりするんですよね。で、その思い出の場所を、20年ぶり(最後に来たのは平成12年。その時は、仕事がらみで辛かった思い出が……。)に一瞥。

【犬吠駅】
犬吠駅
【購入したぬれ煎餅】
購入したぬれ煎餅

 そして最後は大急ぎで犬吠駅へと戻り、駅構内の売店でお土産用のぬれ煎餅を購入してミッション終了。気温は朝から変わらず高く、そんな中、食後の運動で大汗をかいたので、駅の自販機で勝った飲み物で水分補給を。

【犬吠駅で購入した硬券の乗車券】
犬吠駅で購入した硬券の乗車券
【犬吠駅に入ってきた外川行き普通列車】
犬吠駅に入ってきた外川行き普通列車

 窓口で外川駅までの乗車券(何と硬券でした)を購入してホームで待つことしばし。やってきた14時25分発の外川行き普通列車は、先程乗った列車と同じ車両で、乗り込んだところ同じ車掌さんでした。

【外川駅の駅名標】
外川駅の駅名標

 犬吠駅を出た列車は、先程同様、農地と住宅の間を進み、約2分で外川(とかわ)駅に到着。ちなみに外川駅のネーミングライツで付けられた愛称は、スポンサー名やスポンサーのキャッチコピーではなく、「ありがとう」。とても粋な計らいですね。

【外川駅の駅舎】
外川駅の駅舎
【外川駅に展示中のデハ801(800形電車)】
外川駅に展示中のデハ801(800形電車)
【外川駅に停車中の銚子行き普通列車】
外川駅に停車中の銚子行き普通列車

 外川駅に到着した列車は約7分後の14時34分に折り返しの銚子行きとなりますが、その折り返し時間を利用して、駅舎や駅構内に展示してあるデハ801の写真を撮って、再び乗車。車掌さんから、銚子駅までの片道乗車券を購入します。

【君ケ浜駅-海鹿島駅間】
君ケ浜駅-海鹿島駅間
【西海鹿島駅-笠上黒生駅間】
西海鹿島駅-笠上黒生駅間

 そこそこの乗客を乗せ定刻に外川駅を出た列車は、先程も見た風景のなかを走行。車内から窓の外にカメラを向けての撮影はOKっぽかったので、進行方向右側のロングシートに座り、体を捻ってカメラを構えたり景色を見たり。それで先程同様、沿線には赤茶けた畑が目立ち、その向こうにはいかにも海沿いっぽい松林が広がっています。それにしても、この畑は何を作っているんですかね。(秋蒔きの大根?)

【本銚子駅の駅名標】
本銚子駅の駅名標

 笠上黒生駅あたりから民家が増え、本銚子駅を過ぎると木々越しに圓福寺を眺め(どうしてもお墓が写ってしまうので写真は撮れなかった)観音駅に。ここからは銚子の市街地を進みますが、途中駅では、少ないながらも地元の方の思しきお客さんが乗車してきます。そして醤油工場の脇を過ぎれば、外川駅から約19分で、終点の銚子駅に到着。そういえば、銚子駅の愛称は「絶対にあきらめない」。コロナ禍で銚子電気鉄道目当ての観光客や訪問する鉄道ファンが減り、これまでよりも厳しい経営状況になっていることは想像に難くありませんが、関係者の皆さんの、路線存続に向けて絶対諦めない思いが伝わってくる6.4kmでした。

【銚子駅の駅名標(銚子電気鉄道)】
銚子駅の駅名標(銚子電気鉄道)


 以上、成田線と銚子電気鉄道を乗っただけで結構なボリュームになってしまったので、ここで一度記事を切らせていただきたいと思います。(つづく)

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