たひお備忘録

惑い迷える40代の、食べ歩き、競馬の旅打ち、城巡りなんかの記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

『探訪!日本100名城』 31/100城目 山中城 【平成26年3月8日】

史蹟 山中城阯の石碑

 このところ続く、3月はじめに伊豆方面、そして帰りに東京に寄った旅の記事なのですが、前の記事でも書いたとおり、その旅の最初の目的地にしたのが、静岡県三島市の旧東海道沿いにある日本100名城のひとつ、山中城です。で、この中山城。その存在を知った時から、是非ともお伺いしたいお城だったというか。


山中城について

 山中城は、静岡県三島市にある山城。

 戦国大名の嚆矢とも言われ、後北条氏を興した伊勢盛時、後の北条早雲が小田原城を奪取し、その子、氏綱より後北条氏の本拠としたのですが、氏綱の子である氏康、そして氏康の子である氏政あたりが権勢をふるっていた永禄年間(1558年~1570年)に、国境防備のため「箱根十城」といわれる小田原城の支城というか城砦を箱根山一帯に築いた(余談ですが、北条早雲の居城であった伊豆韮山城までその中に入っているみたいです。)うちの1つで、東海道に面したというか、東海道を城域に取り込むかたちで築城されました。(関所的な役割も果たしたとも。)

 その後、天下統一を進める豊臣秀吉との関係悪化が表面化してきた天正15年(1587)頃から、その進軍に備える為か大規模な改修を開始。そして天正17年(1589年)に、いわゆる沼田(領)問題からの名胡桃城事件で秀吉に攻める口実を与えてしまった氏政は、秀吉の来襲に備えて急遽、城の南西の岱崎を出丸として整備しようとしますが、それが未完成なまま翌天正18年(1590年)3月。とうとう秀吉の軍勢に攻められることに。その7万近くの大軍に対し、城主であった松田康長や、後北条家家臣の間宮康俊など4千の軍で抵抗しますが、兵力の差は如何ともしがたく、わずか半日で落城。その後は廃城となってしまいました。

 そして時代は一気に進んで昭和5年(1930年)。山中城の戦いで戦死した豊臣方武将、一柳直末の後裔で子爵の一柳貞吉により、城跡の史跡指定が計画され、昭和9年(1934年)、城郭の主要部分が国の史跡に指定。更にその後、昭和40年代半ばより平成5年度ま発掘調査と環境整備が実施されました。

実際に行ってみた

【山中城跡の信号】
山中城跡の信号
 小田原から、路肩に先日降った雪がまだ残る国道1号を走ること暫し。県境を越え峠道も下り坂になってからちょっと走ると案内看板があり、そのまま走ると山中城跡の看板が現れました。

【山中城跡案内所・売店】
山中城跡案内所・売店
 そこにあった山中城跡案内所・売店で、まずは日本100名城スタンプラリーのスタンプをゲット。そして前の記事で書いたそばと団子で遅めの昼食を。ちなみに、この案内所・売店の前には駐車スペースがあるのですが、台数的にはあまり停められないというか。(この時は丁度出て行くクルマがあったので停められましたが。)なので無理な場合は、後述の専用無料駐車場を利用するのが吉かと。

【専用無料駐車場】
専用無料駐車場
 その後、国道1号をちょっとだけ進んだところにある専用無料駐車場に車を移動。ここからお城探索を開始しますが、先程の案内所・売店に置いてあったパンフレットを片手に、いざ。(ちなみに、パンフレットは三島市のウェブサイトにもPDFファイルがあります。っていうか、一応プリントして持って行った。)で、そのパンフレットには所要約1時間の「障子堀・畝堀探訪コース」と所用約2時間の「戦国山城探訪コース」の2つのルートが書いてあるのですが、ここはひとまず後者に沿っていくことに。

【北条橋】
北条橋
【北条橋が掛かる空堀?】
北条橋が掛かる空堀?
 まず北条橋と名付けられた橋でわりと大きい堀っぽいところを渡りますが、これって空堀なんですかね?

【箱根旧街道の石畳】
箱根旧街道の石畳
 そして階段を登ると箱根旧街道の石畳を復元した箇所に。雰囲気は良いのですが、石畳って、わりと歩きづらくないですか?

【広場入口】
広場入口
 先程そばをいただいた案内所・売店の裏手を通って、パンフレットでは右手の岱崎出丸へ行くルートとなっているのですが、それは後回しにして「山中城跡」の信号付き横断歩道で国道1号を横断し、パンフレットでは「広場」となっているところに。ここが城跡の玄関口というべきところですかね?ちなみに、奥に写っている建物はトイレです。

【工事看板】
工事看板
 広場を過ぎると、いよいよ城跡のメインゾーンに突入するのですが、そこにはこんな看板が。山中城では現在、再整備工事をやっているところだったようですね。

【三ノ丸堀】
三ノ丸堀
【堀の反対側の土塁?】
堀の反対側の土塁?
 まず最初に現れるのが三ノ丸堀。ちなみにこの三ノ丸堀は、自然の谷を利用しその中央に畝を設けて二重の堀としたそうで。そしてその反対側には、意味ありげな土塁っぽい構造物もありました。

【田尻の池】
田尻の池
 そのまま三ノ丸堀に沿って進むと、田尻の池が現れます。元々この池や隣の箱井戸(後述)のある辺りは湿地帯で、築城時に土塁で囲って城の水利としたようなのですが、水の湧く一段高いところに設けた箱井戸からの排水を落とし、洗い場や馬の水飲み場として利用していたと考えられています。また、この池からの排水は、三ノ丸堀(の二重堀の東側)に流して水路にしてたそうで。

【右手に二ノ丸を見ながら】
右手に二ノ丸を見ながら
【高いところに築かれた堀切?】
高いところに築かれた堀切?
 田尻の池の後、パンフレットでは二ノ丸へ向かうルートになっているのですが、そこは帰りにも通ることになっているので、その西側のルートを選択。なので右手に二ノ丸を見ながら登っていく感じになるのですが、高いところに築かれた堀切?など目を惹くものも。

【見上げる元西櫓】
見上げる元西櫓
 二ノ丸を過ぎると元西櫓が。それにしても、この山中城の保存は好感が持てるというか、こういう低木が植えてあれば人の立入はある程度防げるし、高木と違って地形が良く判って良いですね。

【畝堀】
畝堀
 元西櫓を過ぎると西ノ丸となるのですが、西ノ丸のまわりを取り囲む特徴的な堀が、この畝堀。これが山中城で是非見たかったものパート1というか。で、保護のため表面は芝生で覆い、そこも多少は埋められているようですが、本来は堀の底から畝の天辺までは約2mで、しか土は粘土質でたいへん滑りやすく、乗り越えるのは非常に困難だと思われます。

【西ノ丸】
西ノ丸
 西ノ丸は前述の再整備工事の真っ最中でした。

【障子堀】
障子堀
 西ノ丸と西櫓の間にあるのが、この障子堀。これが山中城で是非見たかったものパート2で、個人的にはこの存在を知って、是非とも山中城に行ってみたくなったというか。で、この障子堀ですが、先程の畝堀と並び、後北条築城術の代表的なものなのですが、攻め手にしてみれば中央の狭い畝に集まらざるを得ないので、守り手はそこをを一網打尽というか、結構えげつない仕掛けですね。しかも前述のとおり粘土質で滑りやすいときているし。また、中央の区画は底部に水が湧いていて、水堀と水利を兼ねていたそうで、これは後北条氏の城の中でも珍しい構造だとか。それと、写真には上手く写っていないのですが、この障子堀越しに富士山が見えました。いやぁ、絶景ですね。

【西櫓】
西櫓
 こちらが西ノ丸の更に西にある西櫓跡。西ノ丸とは木橋で結ばれた角馬出で、攻撃の拠点だったと考えられています。それにしても、西ノ丸を中心に畝堀や障子堀を巡らし、更には角馬出を設けるということは、この山中城が、西方に対しての備えだったことがえかがえるようで。

【西櫓北側の堀】
西櫓北側の堀
【西櫓と西ノ丸との間の堀】
西櫓と西ノ丸との間の堀
 あとは、西櫓・西ノ丸の外側の帯曲輪を、畝堀、障子堀を眺めつつぐるりと。それにしても、見れば見る程面白い構造というか。また、それと合わせて西ノ丸と西櫓(角馬出)の形状もよくわかり、ものすごく興味深いです。

【溜池】
溜池
 帯曲輪も西ノ丸を過ぎると現れるのが溜池の跡。ここまで流れ込んでいた川の支流をせき止め、溜池としたそうで。それにしても山中城って、山城のわりに水源に恵まれているという印象です。

【二ノ丸北側の帯曲輪】
二ノ丸北側の帯曲輪
 溜池を過ぎると、これまでと変わって歩いている帯曲輪というか城跡全体が木々の中入っていくという感じに。

【本丸堀(帯曲輪側)】
本丸堀(帯曲輪側)
 写真だと伝わりにくいのですが、こちらが本丸を囲む本丸堀。今では木々が鬱蒼と生い茂っていますが、ここもかつては畝堀になっていたようで。

【北ノ丸】
北ノ丸
【北ノ丸の土塁】
北ノ丸の土塁
【本丸北橋】
本丸北橋
 帯曲輪をひたすら進むと現れるのが、この北ノ丸。本丸天守台よりやや低い高さの長方形の曲輪で、南側の本丸に面した1辺を除いて土塁に囲まれ、更にその外側には深い堀が。また、本丸との間には木製の岸が掛けられていたと考えられ、それが復元されています。

【天守櫓跡】
天守櫓跡
【天守櫓跡から見た本丸】
天守櫓跡から見た本丸
 本丸北橋を渡ると本丸に入るのですが、この本丸が、入ってすぐのところにある天守台を頂点にして、南西に向かって階段状に低くなっていく形状というか。またこの天守台には、高櫓や井楼の類が建てられていた立てられていたと考えられています。

【矢立の杉】
矢立の杉
 本丸天守台に接して生えているのが、矢立の杉と言われる、推定樹齢500年の古木。出陣の際に杉に矢を射立てて勝敗を占ったとの伝承があります。

【兵糧庫・弾薬庫跡】
兵糧庫・弾薬庫跡
【兵糧庫・弾薬庫跡から本丸方向】
兵糧庫・弾薬庫跡から本丸方向
 本丸南端の、本丸で一番低いところにあるのが兵糧庫・弾薬庫跡と伝承されていたところ。山中城は戦後の開墾によって建物跡が3箇所しか確認されていないのですが、そのうちの1つだそうで、4間×4間の建物の礎石などが見つかったとのこと。また、この東側は駒形諏訪神社になっているので、とりあえずご挨拶。ちなみに、その境内には県の天然記念物に指定された樫の巨木がありました。

【本丸堀(二ノ丸側)】
本丸堀(二ノ丸側)
 本丸とその西側の二ノ丸の間にも畝堀が。

【二ノ丸】
二ノ丸
【二ノ丸櫓台(本丸側)】
二ノ丸櫓台(本丸側)
 山中城最大の曲輪がこの二ノ丸。手狭な本丸の機能の一部をこちらで担っていたと考えられています。また、本丸側の端には櫓台が復元されています。

【二ノ丸北東端から元西櫓・西ノ丸方向】
二ノ丸北東端から元西櫓・西ノ丸方向
 二ノ丸北東端は一段高くなっている(櫓台?)のですが、そこから元西櫓・西の丸方向を眺めると、これがまた。山城の曲輪の配置が手に取るようにわかってものすごく興味深いのですが、加えて今回は再整備工事の様子もよくわかりました。

【二ノ丸虎口】
二ノ丸虎口
【三ノ丸への長い坂道】
三ノ丸への長い坂道
 二ノ丸の西側入口にというか、三の丸から来る場合は長い坂を登り切ったところに、直角に曲がるカタチの虎口が設けられています。で、その三ノ丸との間の坂道ですが、両側に土塁が設けられたなかなかに厳つい道ですね。

【箱井戸】
箱井戸
 二ノ丸からの長い坂を下りると、箱井戸と、最初の方で見た田尻の池との間に出てきます。で、この箱井戸は湧水量が多く、こちらを城兵の飲用水とし、一段低いところに作った田尻の池に排水を落とすことで水の腐敗を防いでいたそうで。

【宗閑寺入口の山中城趾記念之碑】
宗閑寺入口の山中城趾記念之碑
 箱井戸からは隣接する宗閑寺に抜けられるのですが、この辺りは元々山中城の三ノ丸だったところ。それでこの宗閑寺には、山中城で討ち死にした城主の松田康長や、岱崎出丸で戦死を遂げた間宮康俊など北条方の武将に加え、豊臣方の一柳直末のお墓が並んでいました。

【岱崎出丸入口付近】
岱崎出丸入口付近
 その後、始めにすっ飛ばした岱崎出丸へ。秀吉の来襲に備え築き始めたものの、間に合わず未完成なまま攻められることに。それでその際、ここを守ったのが援軍として来た間宮康俊で、その最後はかなり壮絶なものだったようで。

【御馬場曲輪】
御馬場曲輪
 岱崎出丸の中程にある出丸最大の曲輪が、この御馬場曲輪と呼ばれるところ。写真がアレなので良く見えませんが、本丸の様に、平らな面を階段状に設けています。

【出丸御馬場堀】
出丸御馬場堀
 御馬場曲輪の西側には、大きな堀切が。ちなみに、底から曲輪までは高さ9mもあるとのこと。土が崩れて痛々しい見た目になっていますが、堀の底には畝が設けられていたようですね。

【構築途中の曲輪跡】
構築途中の曲輪跡
 出丸御馬場堀から西のあたりは、尾根を削って曲輪にしている途中で、間に合わず戦闘に突入してしまったとのこと。ちなみに、写真奥の一段高くなっている所は、西端にあるすり鉢曲輪の見張り台。また、右奥で光るのが駿河湾です。

【すり鉢曲輪】
すり鉢曲輪
【武者溜まり】
武者溜まり
 岱崎出丸の最西端に位置するのが、すり鉢というかお椀の様に凹んだ特異な形状から、すり鉢曲輪と称される場所。曲輪南(写真奥)が虎口になっていて、またその更に南には武者溜まりと考えられている小さな長方形の曲輪があります。

【岱崎出丸一ノ堀】
岱崎出丸一ノ堀
 岱崎出丸西端のすり鉢曲輪から中程で接する箱根旧街道の間には堀が築かれていたようで。で、この堀も、こちらてではお馴染みとなった畝堀。出丸自体が結構な高いので、堀の底から天辺までは相当な高さがありますね。

【岱崎出丸から見た富士山】
岱崎出丸から見た富士山
 最後は、岱崎出丸から見た富士山で〆。山中城に来た当初は多少曇っていたのですが、途中から雲もすっかりと無くなり、その見事な姿をずっと見せていてくれました。

感想とかまとめとか

 というわけで山中城だったのですが、個人的には、とっても素晴らしいっ!!という感じで。その存在を知ってから見てみたかった障子堀や畝堀も、実際に生で見るとものすごく迫ってくるものがありましたし、また、城跡の保存の仕方も良かったというか、お陰で後北条式築城術による山城の曲輪の構造や配置が良く判って、それも素晴らしかったというか。どうでも良い話なのですが、この日本100名城巡りを始めてわかったのが、私って、土塁とか堀切とか、土で出来た構造物に妙に惹かれるというか、大好物みたいで。なのでこの山中城も超テンション上がりまくりで堪能させてもらいました。(パンフレットの所要2時間コースを大幅にオーバーしてしまいました。)個人的には、これまで回ったお城の中でも、一二を争うというか、個人的にこれまでの中で一番気に入っている箕輪城に並ぶお気に入りが出来たかもしれません。なので是非ともまたもう一度、お伺いしたいですね。

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