たひお備忘録

とりとめのない趣味の、とりとめのない活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

三陸鉄道とIGRいわて銀河鉄道と、東北地方太平洋側のJRローカル線 ~鉄印帳の旅(2) 【令和2年7月23日~25日】 その5

八戸駅に入ってる停車中の盛岡行き普通列車

 三陸鉄道とIGRいわて銀河鉄道の鉄印をもらいつつ、東北地方太平洋側のJRローカル線にのってしまおうという旅の記録第五弾は、旅の3日目の前半について。


令和2年7月25日(土)

 旅の三日目にして最終日。この日は八戸駅から、青い森鉄、IGRいわて銀河鉄道、JR東北本線で一ノ関駅へと向かい、そこからJR大船渡線に乗り換えて旅の初日にも少しだけ立ち寄った気仙沼駅へ。そこから路線バスで一ノ関駅に戻り、再びJR東北本線で小牛田(こごた)駅に向かい、初日に乗り残した石巻線の一部に乗りつつこれまた初日にちょっとだけ立ち寄った石巻駅に出て、仙石線に乗り換えて仙台駅まで。あとは、東北新幹線、東北本線を乗り継いで自宅に帰ります。

 それで昨日に続いてこの日も5時起きして身支度を整え、今度はチェックイン時にお願いしておいたからか無事に宿泊証明を貰って出発。起きた時にカーテンを開けると、空はどんより曇っていたのですが、天気予報を見ても、今日の道中、昨日、一昨日と違い晴れ間は出ず、終日雨模様のようです。

【八戸駅の駅舎】
八戸駅の駅舎

 チェックアウト後、列車の時間まで余裕があったので、昨晩缶チューハイを買った駅前のコンビニで、朝食用のおにぎり買ってから駅へ。

IGRいわて銀河鉄道いわて銀河鉄道線

 今日最初に乗るのは6時9分の、八戸駅始発、青い森鉄道、IGRいわて銀河鉄道直通の、盛岡行き普通列車。かつて、JRの東北本線であった盛岡駅-青森駅間ですが、平成14年(2002年)の東北新幹線盛岡開業の際に盛岡駅-八戸駅間が、平成22年(2010年)の東北新幹線新青森駅開業の際に八戸駅-青森駅間がJRから経営分離されることになり、うち岩手県内がIGR岩手銀河鉄道、青森県内が青い森鉄道という第3セクターに移管されました。

 それでまず、ここ八戸駅から乗る青い森鉄道ですが、第3セクターの鉄道にもかかわらず鉄印がありません。というのも、青い森鉄道が加入しているのが、この鉄印とか鉄印帳の関わっている第三セクター鉄道等協議会ではなく、日本民営鉄道協議会なんですよね。

【八戸駅の駅名標(1番線ホーム)】
八戸駅の駅名標(1番線ホーム)

 駅構内の列車案内を見たところ、6時9分発の盛岡行きは、昨日八戸線の列車から降りた1番線ホームから発車するとのこと。で、この1番線ホームは通常八戸線で使用しているらしく、駅名標もJRのものになっていました。

【八戸駅に停車中の盛岡行き普通列車】
八戸駅に停車中の盛岡行き普通列車

 その1番線ホームで待っていると青森方から入ってきたのが、乗り入れ先であるIGRいわて銀河鉄道所属のIGR7000系電車。JRで言うところの701系電車で、オリジナルは平成5年(1993年)に登場。2両・3両・4両編成の交流電車で、それらを組み合わせて最大8両編成まで対応可。全長20m級の車体は正面に貫通扉を持ち、側面片側に幅広の両開き扉を3か所設置、車内はオールロングシートという通勤に適した仕様になっていて、それまで東北地区の普通列車で使用されていた客車列車(12系2000番台客車や50系客車)、455・475系急行形電車、元は寝台特急用だった715系電車1000番台といった、ドアが狭くて枚数が少ないため通勤時の輸送に向かなかった車両たちを次々に置き換えていきました。で、この車両。先述のとおり当初はオールロングシートだったため、東北地方を旅行する、主に青春18きっぷ利用者などには蛇蝎のごとく嫌われたのですが、後に登場した秋田地区向けや第3セクター向けの車両では、ロングシートの他にボックスシートを配置したセミクロスシートとなりました。

【IGR7000系0番台(IGR7001-4)の車内】
IGR7000系0番台(IGR7001-4)の車内

 ですが、入線した時に見えた車内に正直がっかり。というのもIGRいわて銀河鉄道のIGR7000系電車は、自社発注した100番台とJR東日本から譲渡された0番台とがあり、その車内は100番台がセミクロスシート、0番台がロングシートなんですよね。で、この列車は見事に0番台。しかもここで100番台に当たらないと、今日、クロスシート(ボックスシート)に座るチャンスが大幅に減ってしまうという。もっとも、ロングシートだろうと何だろうと今更どうにもならないので、諦めて2両編成の後部、IGR7001-4に乗車。私を含め編成全体で3名の乗客を乗せ、ワンマン運転の列車は定刻を迎え発車しました。

【八戸駅-北高岩駅間】
八戸駅-北高岩駅間

 せっかくなので、上半身を90度回転させて車窓からの景色をようとしたものの、窓が少々汚れていて、窓越しの写真はちょっともやっと写るほど。それでもめげずに眺めていると、この区間、昼間に乗るのは約四半世紀ぶり(ひょっとしたらそれ以上かも)にもかかわらず、駅と駅の間などに広がる、荒涼みがある山がちな景色はどこか記憶があるというか。実は今回乗る八戸駅から盛岡駅の間は、昼間に限っても何度か乗ったことがあるんですよね。ただ、以前乗った時と比べてはっきり違うのが、時折り現れる東北新幹線の立派な構造物。個人的に東北新幹線は盛岡駅までしか乗ったことがないので、いつか北海道新幹線の新函館北斗駅まで乗ってみたいですね。

【目時駅発車直後(最後部の窓から)】
目時駅発車直後(最後部の窓から)

 八戸駅の次の北高岩駅こそ乗降がありませんでしたが、その次の苫米地駅からは駅ごとにちょこちょこと乗客を乗せつつ列車は進み、6時35分に青森県内最後の駅である目時駅に到着。これ以降は、IGRいわて銀河鉄道の線路を進むことになりますが、ここでこのIGRいわて銀河鉄道と、移管前のJR東北本線について少々。

 IGRいわて銀河鉄道(社名)のいわて銀河鉄道線(路線名)は、盛岡駅を起点に終点の目時駅の間、82.0kmを結ぶ全線複線電化された路線。起点駅と終点駅を含む駅数は18駅ですが、目時駅はIGRいわて銀河鉄道ではなく(青い森鉄道の施設を管理する)青森県の管理となっています。

 昨日乗った八戸線のところでも少し触れましたが、元々の東北本線については、日本初の民営鉄道である日本鉄道によって、明治16年(1883年)の上野駅-大宮駅-熊谷駅を皮切りに線路を伸ばし、明治24年(1891年)9月に、盛岡駅-青森駅間が開業し全通を迎えました。

 これにより首都圏とと東北地方のみならず、明治41年(1908年)3月に運行を開始した青函連絡船を介して本州と北海道を結ぶ大動脈となったのですが、明治39年(1906年)には国有化され、明治42年(1909年)10月、路線名称が東北本線。更に昭和24年(1949年)の日本国有鉄道発足後も、昭和43年(1968年)8月5日に(貨物線を除き)全線複線化、同年同月22日に(支線以外は)全線電化が完成しました。それと余談ですが、昭和57年(1982年)6月、東北新幹線が大宮駅-盛岡駅間で開通しています。(その後、東京方は昭和60年(1985年)に上野駅まで、平成3年(1991年)に東京駅まで延伸。)

 昭和62年(1987年)4月の国鉄分割民営化後は、首都圏の貨物線の一部を除いてJR東日本が継承。昭和63年(1988年)3月に青函トンネルが開通しましたが、この頃になると、貨物輸送はともかくとして本州と北海道を結ぶ旅客輸送は航空機などにすっかりシェアを奪われた状態に。そして平成14年(2002年)、東北新幹線が八戸駅まで延伸した際、並行在来線となる盛岡駅-目時駅間がIGRいわて銀河鉄道に、目時駅-八戸駅間が青い森鉄道に移管。それまでは盛岡駅発着の青森・函館行き特急はつかりも運転されていましたが、移管後は全列車普通列車での運転となり、ローカル輸送が主目的となりました。

【青山駅に停車中の盛岡行き普通列車】
青山駅に停車中の盛岡行き普通列車

 一方、いわて銀河鉄道線内に入った車内は、二戸駅で初めて降りる客が。一戸駅でも何人か降りましたが、他は駅ごとに微増という感じで進みます。で、乗客が増えてきたことによって上半身を90度回して景色を見るのがはばかられるようになったのもあり、次の小鳥谷駅あたりからウトウトしだして、奥中山高原駅、いわて沼宮内駅あたりは停車時のショックで目が覚めましたが、あとは勿体なくも寝て過ごしてしまったという。で、車内の騒がしさで目が冷めたのが、目時駅を出てから1時間弱の好摩駅。部活の高校生がまとまって乗り、ドア付近には立っている人も。このあたり、既に盛岡の生活圏に入っているようで、この後も乗り降りはありつつもトータルでは乗客を増やして7時52分、盛岡駅の1つ手前である青山駅に到着。ここで列車を降ります。

【青山駅の駅名標】
青山駅の駅名標

 青山駅のホームに降り立つと、細かい雨が降っていました。で、何故ここで降りたかというと、この青山駅はIGRいわて銀河鉄道本社最寄り駅であり、そのためか、IGRいわて銀河鉄道の鉄印はここでいただくことになっています。青山駅は北口と南口があり、跨線橋を渡った後、間違えて最初は北口に向かってしまったのですが、鉄印が貰えるのは南口。ホーム末端から結構長く感じた連絡通路を歩くと、その南口に到着。

【青山駅南口(IGRいわて銀河鉄道本社)】
青山駅南口(IGRいわて銀河鉄道本社)
【IGRいわて銀河鉄道の鉄印】
IGRいわて銀河鉄道の鉄印

 とりあえず改札口を通って待合室を出て駅舎の写真を撮ろうと思ったら、IGRいわて銀河鉄道本社ビルの1階が青山駅南口になっているんですね。で、写真を撮った後は駅に戻り、待合室で暫し待機。というのも鉄印は駅窓口で貰うことになっており、窓口の営業時間は午前8時30分から。あと30分以上あります。ですが、歳のせいかあっという間に時が経ち、鉄印をいただくことが。ちなみに私の他にもう1人、鉄員を貰っている人がいました。

【青山駅に入ってくる盛岡行き普通列車】
青山駅に入ってくる盛岡行き普通列車
【盛岡駅到着】
盛岡駅到着

 鉄印を貰った後は、8時45分発の盛岡行き普通列車に乗車。入ってきたIGR7000系は、今度もロングシートの0番台(番号メモ忘れ)でした。

 盛岡駅に到着したら、今度は約8分の接続時間で8時58分発の一ノ関行き普通列車に乗り換え。1階にあるIGRいわて銀河鉄道の改札口から出て、2階にあるJRの改札口から入ります。

大船渡線 快速ポケモントレイン気仙沼号

【盛岡駅に停車中の一ノ関行き普通列車】
盛岡駅に停車中の一ノ関行き普通列車

 そして当然のごとくホームに停車していたのが、若干赤みがった青色の帯を巻いた盛岡地区用の701系1000番台2両編成です。その写真を撮ってから後部のクモハ701-1021に乗り込めば、車内は当然ロングシート。その席は半分以上埋まり、立つ人が若干出るくらいの乗車率で発車。それにしても、さすがは今日(令和2年7月25日)現在で新型コロナウイルス感染者ゼロの岩手県。車内には、若い女性や年かさの男性など、マスクを付けていない人もちらほらと。

【石鳥谷駅-花巻空港駅間】
石鳥谷駅-花巻空港駅間

 車窓の景色は盛岡駅までよりも開けた感じが増し、水田が広がることも珍しくなくなりました。そんな景色の中、列車は水沢駅、平泉駅で乗客を入れ替えつつ走行。やはり景色が見づらいせいか、つい目を瞑りがちになってしまい、あまり記憶が無いまま結構な時間が経って、確か10時32分の定刻、何となく小雨降る一ノ関駅に到着していたという。

【閉店中のホーム売店】
閉店中のホーム売店
【菜の花 店舗外観】
菜の花 店舗外観

 一ノ関駅では、11時1分発の大船渡線の列車に乗り換えるのですが、腹具合は先程来かなりの空腹だったので、その前に早めの昼食を。本当は1番線ホームにある立ち食いスタンドでいただきたかったところ、残念ながら「臨時休業」の張り紙がしてあったので、一度改札口を出てから待合室に。というのも待合室内には、駅弁のお店と「菜の花」という立ち食いスタンドがあり、迷った結果、じつは以前一度いただいたことがある立ち食い店を選びました。

【いただいたえび天そば630円+単品たまご60円】
いただいたえび天そば630円+単品たまご60円

 そこでせめて前回と違う品をということで、えび天そばに生卵を追加したものを注文。いただこうと顔を近づけたところ、ちょっと煮込んだ感じの風味のあるツユが、以前いただいた時もそうだったなぁ、と。で、その匂いを一味で殺しつつ、丁度よい濃さのツユを啜り、ツルッとした口当たりで柔らかい食感のソバを啜り、載せる前に電子レンジで温めてくれた海老天を齧り、途中から生卵を崩して味変しつつ完食。

 お腹が落ち着いたので、大船渡線に乗るべく改札口から改めて入場。というわけで、これから乗るその大船渡線について、ここで少々。

 大船渡線は、一ノ関駅を起点に。終点の気仙沼駅までの62.0km、起点駅と終点駅を含む駅数は14駅で結ぶ、全線単線非電化の路線。元々は、一昨日乗ったBRT区間を含む一ノ関駅-盛駅間105.7kmを25駅で結んでいましたが、平成23年(2011年)3月の東日本大震災により、気仙沼駅-盛駅間がBRTに転換されたのは、一昨日その区間に乗った時に書いたとおりです。

 その歴史ですが、元々は大正7年(1918年)に一ノ関駅-気仙沼駅を結ぶ軽便鉄道として計画され、翌年に終端が気仙沼駅ではなく大船渡駅間に変更。最初の開業区間である一ノ関駅-摺沢駅間が大正14年(1925年)7月に開業した時、既に大船渡線という名称でした。

 その後は、昭和2年(1927年)7月に摺沢駅まで、昭和3年(1928年)9月に折壁駅まで、昭和4年(1929年)7月に気仙沼駅まで、昭和7年(1932年)3月に上鹿折駅まで、昭和8年(1933年)2月に陸前矢作駅まで、同年12月に細浦駅まで、昭和9年(1934年)9月に大船渡駅まで延伸して全通。更に、この旅行がらみの記事にも度々登場する改正鉄道敷設法に基づいて昭和10年(1935年)9月に開通した大船渡駅-盛駅間も、大船渡線とされました。

 そして全通後は、東北本線沿線の主要都市から気仙沼など三陸沿岸南部への直通ルートとなり、昭和の中頃は仙台駅や盛岡駅始発の準急列車、後に格上げされて急行列車が運転された時期も。ですが昭和57年(1982年)の東北新幹線開業に伴って線内運転(ただし三陸鉄道開業後の一時期、下り列車のみ釜石駅まで乗り入れ。)の快速列車に格下げになり、その後の平成25年(2013年)3月に普通列車格下げ廃止となったことで、主にローカル輸送を担うことに。更に先述のとおり、平成23年(2011年)の東日本大震災によって、三陸海岸沿岸の気仙沼駅-盛駅間に甚大な被害を受け、その区間はBRT方式によって復旧されたので、令和2年(2020年)4月1日付けで鉄道路線として廃止となりました。

 それとこの大船渡線は、建設時の政治的原因によって、線路が大きく蛇行しているのが特徴的。

 一ノ関駅を出てから(地形による蛇行はあるものの)概ね東に進んでき路線は、陸中門崎(りくちゅうかんざき)駅から北に進路を変え、猊鼻渓駅を過ぎると再び東へ。そして摺沢駅で南へ進路を変えると千厩(せんまや)駅で三度東に進路を変えて気仙沼駅を目指します。この北-東-南に進む区間を「鍋鉉(なべづる)」に例えて「鍋鉉線」と呼ばれたりしましたが、今や「鍋鉉」と言っても通じないですよね。(余談ですが、この記事を書いている時点で、某グー○ルにて「鍋鉉」と画像検索すると、トップに表示されるのは大船渡線の列車だったりします。)またこの区間を含めて蛇行した線形を(東洋の)龍に見立てた「ドラゴンレール大船渡線」という愛称が、平成4年(1992年)に付けられました。(ただ、この愛称を受けて列車に貼られたステッカーに描かれているのは、西洋の竜だったりするのですが。)

【一ノ関駅1番線ホームの列車を模したディスプレイ】
一ノ関駅1番線ホームの列車を模したディスプレイ
【一ノ関駅1番線ホームのピカチュウ】
一ノ関駅1番線ホームのピカチュウ
【一ノ関駅跨線橋の案内看板】
一ノ関駅跨線橋の案内看板
【一ノ関駅の駅名標】
一ノ関駅の駅名標

 それで先程改札口を入って以来、1番線ホームに鎮座している他、跨線橋、そして大船渡線の列車が発着するホームの駅名標と、駅構内のいろいろな場所にあしらわれた「ポケットモンスター」の「ピカチュウ」が次々と目に入るのですが、この数々のピカチュウの原因たる列車に、これから乗ることに。それが、快速ポケモントレイン気仙沼号。JR東日本が保有するジョイフルトレイン(JR東日本的には「のってたのしい列車」)「POKÉMON with YOU トレイン」を使用して、一ノ関駅-気仙沼駅間に運転される臨時列車です。

 まずPOKÉMON with YOU トレインですが、株式会社ポケモンのデザインにより、キハ100形気動車(16m級の片開き2扉の車体に、トイレ付きセミクロスシートの室内の両運転台車両の気動車)のキハ100-1、キハ100-3をベースに改造され、キハ100-1は「コミュニケーションシート車両」として全席クロスシート(ボックスシート)に、キハ100-3は「プレイルーム車両」としてシートを撤去して高床式のプレイルームを設置しました。で、平成24年(2012年)12月からポケモントレイン気仙沼号として運転を開始し、当初は「ポケモンはいつもキミといっしょ」をテーマとした内外装になっていましたが、運転開始後5年を経過した平成29年(2017年)7月に「親子でピカチュウと楽しむ列車」としてリニューアル。内外装ともピカチュウの黄色をベースに、赤、茶色で塗り分けられた他、沢山のピカチュウがそこかしこにあしらわれたデザインになりました。

 それで乗る前に言い訳させてもらうと、すみません。知らなかったんです。私のようなオッサンが、一人で乗って良い列車じゃないってことを。下調べが足らずに「親子でピカチュウと楽しむ列車」というコンセプトすら知らず、計画を立てる際、「あ、ちょうどいい時間に臨時列車が走ってる。」くらいにしか考えていなかったというのが正直なところなんです。

【一ノ関駅に停車中の快速ポケモントレイン気仙沼号】
一ノ関駅に停車中の快速ポケモントレイン気仙沼号

 跨線橋からホームに降りると、ちょうど列車のドアが開くところ。ホームには親子連れが沢山いて既にアウェイ感があったものの、他に、鉄道マニアっぽい見た目の人もちらほら。しかし、家族連れのみなさんがひと通りの列車の前での記念撮影を終えた頃、私も列車の写真を撮ってから乗り込んだところ、各ボックスシートには家族連れが座り、私以外のお一人様は、年かさの男性が1人という。(さっきホームにいた鉄道マニアっぽい人どこいった?!)で、ボックスシートが1つ空いていたので「空席あるんだ」と罪悪感が少し軽くなったのもつかの間、(私じゃない)お客さんと3名乗っていたJRの乗務員さん達との会話から、その空いている席は、子供が座席を汚したりした場合の予備の席とのこと。やっぱり、私が乗ってしまったお陰で、今日の乗車を諦めた家族もいるんですかね。

【アテンドさんから配られた乗車記念証などのグッズ類】
アテンドさんから配られた乗車記念証などのグッズ類

 ここからはそんな罪悪感に動揺してちゃんとメモを取っていなかったため時系列があやふやなのですが、車内放送はお姉さんとピカチュウのスペシャルなものだったり、アテンドさんから乗車記念のグッズ類やスタンプ帳を配られたり(年かさの男性は断っていたもよう)、プレイルームは三密を避けるため座席番号による2部制となる案内がアテンドさんからあったりといったことが、定刻での発車と前後してあったような。それにしても、私のような者にも、ピカチュウの被り物配ったりプレイルームの案内したりしてもらったりして、ほんと申し訳ないですが、お陰で良いお土産が出来ました。

【POKÉMON with YOU トレイン「コミュニケーションシート」(キハ100-1)の車内】
POKÉMON with YOU トレイン「コミュニケーションシート」(キハ100-1)の車内
【POKÉMON with YOU トレイン「コミュニケーションシート」(キハ100-1)のシート】
POKÉMON with YOU トレイン「コミュニケーションシート」(キハ100-1)のシート

 やがて11時15分となり、プレイルームの第1部に割り当てられた乗客が利用開始に。私も割り当てられていたのですが、行ってカメラなんぞ構えるものなら即座に事案発生となってしまうので、謹んで辞退させていただきました。ただ、乗務員さんに、第2部が終わった後にプレイルーム内の写真撮らせて貰えないかお伺いしたところ快諾してくたざったので、今は、乗客が家族揃ってプレイルームに行ったことで空いた車内の写真を少々。

【岩ノ下駅-陸中松川駅間】
岩ノ下駅-陸中松川駅間
【陸中松川駅の駅名標】
陸中松川駅の駅名標
【陸中松川駅に停車中の快速ポケモントレイン気仙沼号】
陸中松川駅に停車中の快速ポケモントレイン気仙沼号

 そうこうしているうち、列車は北上川を渡って東から北に進路を変えて鍋鉉線へと入り、車窓には北上川の支流である砂鉄川が。その景色を眺めていると車内放送が流れ、列車は最初の停車駅である陸中松川駅に到着。この駅では特にイベントはなかったのですが、列車交換のため約12分間停車します。で、せっかくなのでその間に小雨が降るホームに降りて写真を撮ってから戻ると、アテンドさんがお弁当を販売していました。車内を一巡した後に聞くと誰でも購入できるようだったので、申し訳無さよりも好奇心が勝り購入。先ほどそばをいただいたばかりですが、小ぶりの弁当ひとつくらいなら問題なくいけるので。

【猊鼻渓駅の駅名標】
猊鼻渓駅の駅名標
【猊鼻渓駅のホーム】
猊鼻渓駅のホーム

 お弁当には手を付けないまま発車すると、次の猊鼻渓駅までは約4分で到着。猊鼻渓は、砂鉄川の浸食によってできた渓谷で、渓谷出口近くにある岩が獅子(猊=獅子のこと)の鼻のようだということで名付けられた沿線随一、東北地方でも屈指の観光地ですが、この列車からの下車はなし。で、浸蝕しやすい地形というのは石灰岩が多いものですが、先程の陸中松川駅の手前から砂鉄川越しに見える山の山肌や山頂部に採掘施設の様なものが見え、またこの猊鼻渓駅の手前にも、石灰の工場らしきものが見えました。

【ポケモン弁当(1150円)外観】
ポケモン弁当(1150円)外観
【ポケモン弁当(1150円)の中身】
ポケモン弁当(1150円)の中身

 約4分の停車時間で猊鼻渓駅を発車した頃から、先程購入したお弁当で2度めの昼食タイム。かわいい巾着袋に入ったそれを紐解けば、上段左から、クルミ、カボチャ、サツマイモの甘いサラダと、ピカチュウ型に切り抜かれた海苔が載った白米。2段目は左から、エビのフリッター、ゆで卵とブロッコリーの下にピリ辛でトロミのあるひき肉、そしてグラタン。3段目は左から、タマゴとグリーンピースが乗ったケチャップライスと、揚げたポテトの下にズッキーニという、子供が喜びそうな構成。大人でも、こういういろいろな品がちょこちょこと入っているお弁当は、酒のつまみに良いものですが、この列車に乗っている時は、ビールすら飲むのがはばかられるよう。

【柴宿駅-摺沢駅間】
柴宿駅-摺沢駅間

 というわけで、お弁当のお供はビールではなく車窓からの風景。ですが、雨はだんだん強くなってきているようで、車窓に付く水滴の量が増えてきました。そんな中列車は、鍋鉉線を北から東へと進路を変え走ります。この大船渡線も、昨日乗った釜石線や山田線同様に、北上山地を超えていく路線ではあるのですが、沿線の印象は、山田線よりも開けているけど、釜石線の遠野駅以西よりは山の中という感じで。

【摺沢駅の駅名標】
摺沢駅の駅名標
【摺沢駅に停車中の快速ポケモントレイン気仙沼号】
摺沢駅に停車中の快速ポケモントレイン気仙沼号
【摺沢駅待合室のピカチュウ】
摺沢駅待合室のピカチュウ

 そんな車窓の景色を眺めつつお弁当をいただいていると、久しぶりに?お姉さんとピカチュウの車内放送が流れ、摺沢駅に停車。というのもこの摺沢駅では、ちょっとしたイベントというか、待合室のピカチュウと記念撮影が出来、また先程アテンドさんからいただいた「おもいでノート」に捺すスタンプが置いてあるそう。なので、約7分間の停車時間の間に、約家族連れの後について、私もそれらを。居心地の微妙さはあるものの、せっかく「のってたのしい列車」に乗ったんだから楽しまないとね。

【千厩駅の駅名標】
千厩駅の駅名標
【千厩駅に停車中の快速ポケモントレイン気仙沼号】
千厩駅に停車中の快速ポケモントレイン気仙沼号
【千厩駅待合室のピカチュウ】
千厩駅待合室のピカチュウ

 摺沢駅を出た列車は、進路を変えて鍋鉉線を南下。沿線は先程までと同様ですが、この区間は山がより迫っていたような。それで次の停車駅である千厩駅でも、摺沢駅同様の記念撮影・スタンプタイムが設けられていました。そして千厩駅で鍋鉉線は終わり、列車は進路を変えて気仙沼街道(国道284号)と共に東進。進行方向右側は山が迫る景色ですが、左側は街道沿いとあって開けてきたというか。

【折壁駅の駅名標】
折壁駅の駅名標
【折壁駅ホームの植木で作られたポケモン】
折壁駅ホームの植木で作られたポケモン
【折壁駅に停車中の快速ポケモントレイン気仙沼号】
折壁駅に停車中の快速ポケモントレイン気仙沼号
【折壁駅に入ってくる一ノ関行き普通列車】
折壁駅に入ってくる一ノ関行き普通列車

 一ノ関駅を出てから約90分後の12時31分、最後の停車駅である折壁駅に到着。ここはホームに植木できたポケモンがありました。もっとも、程なくして反対方向の列車が入ってくるので、線路を渡らずに眺めることに。(その旨の案内放送もありました。)またここで初めての途中下車客がありました。

【POKÉMON with YOU トレイン「プレイルーム」(キハ100-3)の車内】
POKÉMON with YOU トレイン「プレイルーム」(キハ100-3)の車内
【新月駅-気仙沼駅間】
新月駅-気仙沼駅間

 折壁駅を出た列車は、先程までの気仙沼街道に加え、大川と一緒に気仙沼を目指します。進行方向右側は相変わらず山がちですが、左側の開け具合は、低い山越えの一部区間を除いてますますという感じに。で、このあたりでプレイルームの利用時間が終了となったので、乗務員さんにお伺いしてプレイルーム内の写真を少々。その際、乗務員さんたちの会話の中で「取材」という言葉が聞こえたのですが、すみません、何かの取材じゃなくて、ただの旅の記録なんです。

【気仙沼駅進入】
気仙沼駅進入
【気仙沼駅に到着した快速ポケモントレイン気仙沼号】
気仙沼駅に到着した快速ポケモントレイン気仙沼号
【気仙沼駅駅舎外のピカチュウ】
気仙沼駅駅舎外のピカチュウ

 やがて列車は気仙沼の市街地に差し掛かり、BRTのバス専用道が線路と並行すると、一ノ関駅から約1時間50分となる12時51分、気仙沼駅へと到着。駅舎内で最後のスタンプを貰い、駅舎の外に置いてあるピカチュウに、一昨日以来の再会を果たしました。

(つづく)

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