たひお備忘録

とりとめのない趣味の、とりとめのない活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

三陸鉄道とIGRいわて銀河鉄道と、東北地方太平洋側のJRローカル線 ~鉄印帳の旅(2) 【令和2年7月23日~25日】 その2

柳津駅に入ってくる気仙沼行き気仙沼線BRTバス

 三陸鉄道とIGRいわて銀河鉄道の鉄印をもらいつつ、東北地方太平洋側のJRローカル線にのってしまおうという旅の記録第二弾は、旅の初日の後半について。


JR気仙沼線、JR気仙沼線BRT

【前谷地駅の駅名標】
前谷地駅の駅名標

 この前谷地駅から乗る気仙沼線。現在は、鉄道路線とBRTの路線があるのですが、まず鉄道路線としての気仙沼線は、前谷地駅を起点に終点の柳津駅までの間、17.5kmを結んでいます。起点駅と終点駅を含む駅数は6駅で、全線非電化単線の路線となっています。それでこの気仙沼線。現在に至るまで、波瀾万丈の歴史をたどってきました。

 気仙沼など三陸海岸沿岸部への鉄道路線は、明治三陸地震(明治29年(1896年)に発生。)の復興のための建設構想や、地元有志による建設運動がありました。それがようやく大正11年(1922年)になって、国が建設を進めるべき路線を定めた当時の鉄道敷設法に記載されることになりました。そしていざ建設に入ろうとするもルート選定で揉め(当時は、我が街に鉄道を通すことが悲願だったんですよね。)、そのルートも決まって昭和11年(1936年)にようやく着工したにもかかわらず、日中戦争、続けて太平洋戦争の影響を受けて工事が中断してしまいました。

 戦後は、被災した既成路線の復興が優先されたため建設再開が遅れ、昭和31年(1956年)4月、既に大船渡線の駅として開業していた気仙沼駅から、気仙沼港駅までの5.8kmが、貨物支線として開業。そしてその翌年の昭和32年(1957年)2月、新規開業区間17.1kmと大船渡線からの路線編入4.5kmを加え、気仙沼駅-南気仙沼駅-本吉駅間の21.6kmが気仙沼線となり、貨物支線は南気仙沼駅-気仙沼港駅1.3km(昭和54年(1979年)廃止)となりました。

 一方、本吉駅-前谷地駅の区間については、昭和37年(1962年)に前谷地駅で杭打式が行われ、本吉駅へ向かって工事が進められましたが、その建設工事中の昭和43年(1968年)6月、当時の国鉄諮問委員会が、(鉄道の)使命を終えた路線として廃止すべき「赤字83線」を選定して意見書を国鉄に提出。その中の「即時廃止路線」に気仙沼線が含まれていました。ですがそんな状況にもかかわらず、その約4ヶ月後の10月、前谷地駅-柳津駅間17.5kmが柳津線として開業。ちなみに「赤字83線」は、選定された路線のごく一部や、選定されなかったものの廃止された路線があったものの、その後いろいろあって赤字路線の廃止は国鉄末期まで沙汰止みとなりました。

 そして柳津線の開業後も、残った区間の建設が進められ、昭和52年(1977年)に柳津駅-本吉駅間34.0kmが開業して全通。同時に柳津線が気仙沼線に編入され、前谷地駅-気仙沼駅間72.8kmが気仙沼線となりました。その後、国鉄末期に国鉄再建法によって進められた赤字路線の廃止の際、1日の利用者数4000人未満という一般的な廃止対象路線指定の基準は満たしていたものの、利用者の平均乗車距離が30kmを超えかつ1日の利用者数1000人以上という廃止対象から除外する特殊な条件も満たしていたため廃止は免れ、昭和62年(1987年)4月の国鉄のJR化後も、路線はJR東日本に継承されました。

 しかし平成23年(2011年)、東日本大震災の際に三陸海岸を襲った津波によって9つの駅と1つの鉄橋、そして多数の築堤や路盤が流失するなど甚大な被害を受け運行を停止。同年4月に前谷地駅-柳津駅で運転を再開したものの、柳津駅-気仙沼駅間については鉄道復旧の見通しは立たず、JR東日本はBRTによる仮復旧を沿線自治体に提案。このBRTとは、「バス・ラピッド・トランジット」の頭文字を取ったもので、日本語だと「バス高速輸送システム」と訳され、国土交通省によると、公共車両優先システムや専用道路などを組み合わせて従来の路線バスよりも速達性・定時制に優れ、大量輸送が可能なバスシステムと定義されています。

 それで自治体の同意を得て、平成24年(2012)年8月から(当初は代行バス扱いの暫定運行で、国土交通省の認可を受けたバス路線としての正式運行は12月から。)運行を開始。それに先立ち、バス停の設置や残っていた鉄道敷地をBRTのバス専用道とするなどの工事が着工しました。そしてその後、鉄道不通区間の本復旧もBRT方式でなされることになり、一方、柳津駅-気仙沼駅間の鉄道路線については令和元年(2019年)11月、JR東日本が国土交通大臣宛に廃止を届出。今年(令和2年)4月1日に廃止となりました。

【前谷地駅の駅舎】
前谷地駅の駅舎
【前谷地駅BRTバス停】
前谷地駅BRTバス停

 うまく端折れずに長くなって(って、この説明のくだり毎回そうだよなぁ。)しまったのですが、そんなわけで現在は、鉄道事業法に基づく鉄道路線としての気仙沼線と、道路運送法に基づくBRTのバス路線としての気仙沼線がある状態。しかもバス路線については、前谷地駅-柳津駅間もその路線に含まれ、1日5往復が前谷地駅から発着しています。で、丁度というか都合よく、前に乗っていた列車から乗り継げる前谷地駅12時40分発のBRTがあるのですが、今回の第一の目的は鉄道路線に乗ることなので、13時1分発の柳津行き普通列車に乗車すべく駅舎やバス停の写真を撮っただけで再び駅構内へ。ちなみに先程の列車からこのバスへは、4,5人程度が乗り継いだようでした。

【前谷地駅を通過する貨物列車】
前谷地駅を通過する貨物列車
【前谷地駅に停車中の柳津行き普通列車】
前谷地駅に停車中の柳津行き普通列車

 前谷地駅は、2面(単式ホーム1、島式ホーム1)3線の典型的な旧国鉄的作りの駅で、その駅舎とくっついている1番線ホームから跨線橋を渡ったところにある3番線ホームに、柳津行きの列車は既に停車中。少し待った12時25分頃には乗車可能になったので、冷房が効いている車内で待たせてもらうことに。そんな時、ディーゼル機関車牽引の貨物列車が小牛田方面に向かって通過。個人的に、この路線に貨物列車が走っていることに少々驚きました。

 発車までにほとんど乗客は増えず、更に小牛田駅で折り返してきた先ほどの列車からの乗り継ぎ客も数名。同一ホームの乗り換えで、さらには席にも余裕があったので、小牛田駅まで往復しても良かったかもしれません。(どうせ青春18きっぷ使っているし。)で、程なく定刻の13時1分となり、列車は前谷地駅を発車。進行方向右側の座席に座ったのですが、すぐに左にカーブして石巻線と別れる様子が見えました。

【和渕駅-のの岳駅間】
和渕駅-のの岳駅間
【のの岳駅-陸前豊里駅間】
のの岳駅-陸前豊里駅間

 最初の停車駅の和渕駅を過ぎると、旧北上川へと注ぐ江合川を渡ります。車窓の風景は、先程の石巻線同様、駅周辺以外は田園風景が。次ののの岳駅は、駅西方にある箟岳(ののだけ)山にちなむ駅名ですが、この駅を知った子供の頃、平仮名を使った駅名を珍しく感じたものです。そののの岳駅を乗降なしで発車すると、これも旧北上川へと注ぐ旧迫川、迫川と立て続けに渡ることに。このあたり、これら、旧北上川とその支流が作った肥沃な平野=水田が広がっていて、相当な米どころのようですね。

【陸前豊里駅-御岳堂駅間】
陸前豊里駅-御岳堂駅間
【御岳堂駅-柳津駅間(北上川)】
御岳堂駅-柳津駅間(北上川)

 これまで水田の中を走ってきた列車が久しぶりに「街」に入ると、陸前豊里駅に停車。数名の乗客が降りていきました。そこを発車すると車窓には再び水田が広がりますが、スマートフォンの地図アプリで見てみると、先程までの広い平野ではなくなっていて、山が迫っているようです。そして旧北上川と近づいて、御岳堂駅に停車。乗降なしで発車すると、現在の気仙沼線(鉄道区間)唯一のトンネルに。ここを抜けると再び水田と、今度は民家、それも広い敷地の農家住宅が。そしてそれらが終わると、北上川をトラス式の立派な長い鉄橋で渡って、定刻の13時23分、柳津駅へと到着しました。

【柳津駅と停車中の前谷地行き普通列車】
柳津駅と停車中の前谷地行き普通列車
【柳津駅の駅舎】
柳津駅の駅舎
【柳津駅の駅名標】
柳津駅の駅名標

 柳津駅はBRTとの乗換が考慮された作りになっていて、運転手さんに切符を見せつつ列車を降り、跨線橋を渡らずにホームの端に向かってそこから通路を進むと、階段など乗り降りせずにBRTバス停に行けるようになっていました。で、列車を降りた5,6名の乗客のうち、そのほとんどがBRTに乗り換えるよう。私もその人達と一緒にぞろぞろとBRTの乗り場に向かったものの、BRTの発車まで20分以上あったので、ちょっと歩いて鉄道駅の駅舎まで行き写真を撮ったりトイレを借りたり。

【柳津駅BRTバス停】
柳津駅BRTバス停
【柳津駅BRTバス停から気仙沼方面を望む】
柳津駅BRTバス停から気仙沼方面を望む
【柳津駅に入ってくる気仙沼行きのバス】
柳津駅に入ってくる気仙沼行きのバス

 バス停に帰ってくると、乗車口のところには既に2つばかり荷物が置かれていました。それにしてもこのバス停。気仙沼方向を見ると、いかにも元鉄道敷地といった道路が続いていく光景が、普通のバス停との違いを感じさせてくれますね。で、荷物の後ろで暑い中待つこと少々。車体に気仙沼市の観光PRキャラクター「ホヤぼーや」がラッピングされた気仙沼行きのバスが。先に荷物を置いていたのは、どちらとも少々年齢が高そうな親子連れで、その人たちは乗り込むと車両後部の座席に。なので喜び勇んで最前列に座ろうとしたところ、一番前の席は両側とも、コロナウイルス感染拡大防止のため使用停止中になっていて残念……。

【柳津駅-陸前横山駅間】
柳津駅-陸前横山駅間
【陸前横山駅停車中】
陸前横山駅停車中

 それでも前方の席に落ち着くと程なくして定刻の13時44分となり、バスは5人程の乗客を乗せて発車。元は気仙沼線の線路敷だった専用道路を快走するのですが、これがまた独特の感覚ですね。トンネルをいくつか抜け、最初の停留所である陸前横山駅に停車。乗降客はありませんが、反対方向のBRTと交換のため本来の停車時間よりも少々停まっていたようです。その交換中、お互いの運転手さん同士で何か話をしていて、それが済むと発車。谷あいの地形から全長3508mの横山トンネルで峠を超え、陸前戸倉駅へと到着しました。

【陸前戸倉駅-志津川駅間】
陸前戸倉駅-志津川駅間

 陸前戸倉駅で乗客を1人加えたバスは、発車するとトンネルを抜け、いよいよ海沿いに。同時に、そこかしこに9年前の東日本大震災の爪痕が目に入ります。ですがそれよりも、幸い今は天気が良いことだし、三陸の青い海と空、そして復興へと向かって力強なされている工事の様子を見るべきでしょう。

【志津川駅BRTバス停】
志津川駅BRTバス停
【南三陸町役場・病院前駅-志津川中央団地駅間】
南三陸町役場・病院前駅-志津川中央団地駅間

 やがてこれまで走っていた専用道路から国道45号へと入って少しだけ行くと、志津川駅へと到着。かつての志津川駅があった場所からは、600mほど東南東に移転しているそうで。乗降客無しで発車したバスは、海に背を向けて、高台移転で作られた新しい市街地へと向かい、南三陸町役場・病院前駅へ停車。陸前戸倉駅からの乗客が下車ました。そして相変わらず真新しい市街地を走って志津川中央団地駅へ。乗り降りなく発車した後、南三陸町学校給食センターのところから再び専用道へと入ったのですが、入ったばかりのところで反対方向のバスと交換しました。

【清水浜駅-歌津駅間】
清水浜駅-歌津駅間
【蔵内駅-陸前小泉駅間(1)】
蔵内駅-陸前小泉駅間(1)
【蔵内駅-陸前小泉駅間(2)】
蔵内駅-陸前小泉駅間(2)

 ここから先は暫くの間、全長2136mの志津川トンネルや全長1744mの歌津トンネルなど、いくつものトンネルで、リアス式海岸基部のアップダウンのある地形を直線的に超えるようになり、その合間合間に海があって集落があって駅もあるという具合。それらの駅ではこのバスに限ってのことかどうかはわかりませんが、あまり乗り降りがなかったような。また海沿いの箇所では、道路や防潮堤などの土木工事が盛んに行われ、中には完成した真新しいものも。

【本吉駅-小金沢駅間】
本吉駅-小金沢駅間

 空模様が徐々に怪しくなってきた中、定刻の14時51分よりも若干遅れて本吉駅を発車したバスは、専用道内で反対方向のバスと交換してから再び国道45号へ。小金沢駅を通過し、大谷海岸駅では柳津駅から乗ってきた乗客を1人降ろしましたが、このあたりから、とうとう雨が降り出したようで、フロントガラスに水滴がポツポツと。

【大谷海岸駅-陸前階上駅間】
 大谷海岸駅-陸前階上駅間
【赤岩港駅進入】
赤岩港駅進入

 雨が降ったり止んだりする中、バスは国道45号からまた専用道へと入って陸前階上(りくぜんはしかみ)駅に停車。ここでは珍しく降車、乗車ともにありました。その後も専用道を進み、BRT化後に新設された岩月駅では2人程降車客が。次の松岩駅を過ぎると、BRTのルートはどちらもBRT化後に新設された赤岩港駅もしくは気仙沼市民病院駅を通る2つに別れるのですが、このバスが経由する赤岩港駅では乗り降りなし。そういえばこのあたりも専用道路を走る筈なのですが、元の気仙沼線とは別のルートを通るんですかね。

【不動の沢駅-気仙沼駅間】
不動の沢駅-気仙沼駅間

 この後、気が付くと旧気仙沼線の専用道路に入っていて、南気仙沼駅に停車。このあたり、既に気仙沼の市街地なのでしょうか、ここで2人程降ろして発車。次の不動の沢駅を通過すると、左側から大船渡線の線路が寄り添います。そしてそのせいか、バスで鉄道駅のホーム側に乗り入れる妙な感覚を味わいつつ、定刻より1分少々早い15時27分頃、柳津駅から100分ちょっとかかって気仙沼駅へと到着。降りたのは私の他、柳津駅で先に荷物を置いていた親子連れ2人の、合計3人でした。

【気仙沼駅に到着した気仙沼線BRTバス】
気仙沼駅に到着した気仙沼線BRTバス

JR大船渡線BRT

【気仙沼駅の駅舎】
気仙沼駅の駅舎
【入り口のところに置かれたピカチュウ】
入り口のところに置かれたピカチュウ
【気仙沼駅の発車案内】
気仙沼駅の発車案内
【購入したさめジャーキーといかせんべい】
購入したさめジャーキーといかせんべい

 気仙沼駅からは、大船渡線BRTに乗り換えることになっているのですが、次のバスまで40分以上もあるため、その間に少々やっておくことが。で、まずは、気仙沼駅前にある岩手交通のバス停の確認。というのも明後日、ここから一ノ関駅行きのバスに乗るためでして。ちなみに、駅前の観光案内所にバス停の地図が掲げてあったので、場所がすぐにわかりました。そして次に駅でトイレを借りた後、お腹が空いてきたので食料の調達。駅舎内にニューデイズがあったので期待したのですが、時間帯が悪いせいか食事になりそうなものはカップ麺くらいしか残っておらず、しからばと「さめジャーキー」と「いかせんべい」を購入。とりあえずいかせんべいをいただいたところ、イカ味の南部煎餅という感じの品で、イカの風味がかなり主張するところ、燻製金ゴマと南部せんべいの香ばしさがそれを受け止めて美味しく食べさせ、何ていうか、ゴマとせんべいの包容力がすごいな、と。(後日さめジャーキーもいただきましたが、相当乾いていて味付けはちょい辛の醤油ベース、そして何より「鮫っ!!」という味がしました。)

【気仙沼駅のBRT乗り場】
気仙沼駅のBRT乗り場
【気仙沼駅に入ってくる盛行き大船渡線BRTのバス】
気仙沼駅に入ってくる盛行き大船渡線BRTのバス

 待合室でせんべいを食べているといい時間になったので、改札口を通って大船渡線BRTの乗り場に。先程バスを降りたときにはあまり気にしなかったのですが、この気仙沼駅って、駅のホーム側にBRTのバスが乗り入れているため、独特な雰囲気になっていますね。で、そこで待つこと暫し。16時5分頃、盛行きのバスが入ってきました。

 それでこれから乗る大船渡線BRTですが、元々の大船渡線は、大正14年(1924年)から昭和9年(1934年)にかけて全通した、一ノ関駅を起点に大船渡駅を経由して終点の盛駅までの間105.7kmを結ぶ路線でした。

 ですが、平成23年(2011年)3月の東日本大震災によって被災。一ノ関駅-気仙沼駅間62.0kmについては翌月に運転を再開したものの、三陸海岸沿岸を走る気仙沼駅-盛駅間43.7kmの被害が甚大で、JR東日本は沿線自治体にBRT方式での仮復旧を提案。自治体の同意を得て、平成25年(2013)年3月から運行を開始しました。

 その後本復旧もBRTでなされることとなり、気仙沼駅-盛駅間の鉄道路線については令和元年(2019年)11月、JR東日本が国土交通大臣宛に廃止を届出。今年(令和2年)4月1日に廃止となりました。

【気仙沼駅-鹿折唐桑駅間】
気仙沼駅-鹿折唐桑駅間

 時間帯の所為か方向の所為か、先程の気仙沼行きよりもかなり多い乗客を乗せ、定刻の16時11分、バスは気仙沼駅を発車。まず元は大船度線だった専用道路を走って鹿折唐桑駅に到着。この先、もともと大船渡線の駅としてあった上鹿折駅まで行く系統もあるのですが、このバスはそこへは向かわず(っていうか、上鹿折経由の盛行きは無いので)、鹿折唐桑駅を発車したバスは、直後に一般道へと。夕方とあってか、気仙沼市内は特に国道45号に入るまでは混んでいました。

【八幡大橋駅-唐桑大沢駅間】
八幡大橋駅-唐桑大沢駅間

 国道45号に入ってしまえば、交通量は多いものの快調に走り出し、八幡大橋駅に到着。この時点で先程の混雑の影響か、2,3分程遅れるようになりました。そして県境の山の中に入って宮城県側最後の駅である唐桑大沢駅に。この辺りから、先程まで降ったり止んだりしていた雨が、とうとう本降りに。

【唐桑大沢駅-長部駅間】
唐桑大沢駅-長部駅間
【奇跡の一本松駅進入】
奇跡の一本松駅進入

 岩手県に入って、決して一本道ではない(国道45号の旧道とバイパスを行き来?)路線バスっぽいルートを走りつつ、また所々工事箇所を通過しつつ、岩手県最初の駅(っていうか、一般道に入って以来、駅と言いつつもは見た目はバス停ですが)の長部駅に停車。ここで1人降ろし、次の陸前今泉駅でも1人降ろしなから走ってきたバスは、元々臨時乗降場だったという奇跡の一本松駅に。今では、ものすごく立派な「東日本大震災津波伝承館」に隣接したところに駅というかバス停があり、観光客でしょうか、数名の乗車がありました。

【陸前高田駅BRTバス停】
陸前高田駅BRTバス停

 奇跡の一本松駅を4分遅れで発車したバスは、相変わらず路線バスっぽいルートを走行。次の陸前高田駅では、ここから分岐する陸前矢作行方面BRTへの乗り換え客が1名下車。ちなみにこの陸前高田駅はの駅舎は震災前の鉄道駅を模して作られ、更には駅員が配置されているとのことで。そして陸前高田駅を発車すると、高田高校前、高田病院と続けて駅というかBRT後の新設停留所を通過。ちなみにこの2つの停留所を通らないルートもあるそうで。それにしても先程の陸前高田駅あたりから路線沿線建物が全て真新しく、震災後に高台移転で作った街ということがわかります。

【高田病院駅-脇ノ沢駅間】
高田病院駅-脇ノ沢駅間

 次の脇ノ沢駅では、部活帰りっぽい女子高校生が5人ほど乗ってきましたが、まとまって座れるところはなさそうな状態。次の西下駅で、うち2人は降りたものの、残った3人は私の横に立つことに。これまで、車内があまり混んでないことをいいことに、座席から通路にスマートフォンを出して写真を撮っていましたが、これからは先は無理ですね。

【大船渡丸森駅-下船渡駅間】
大船渡丸森駅-下船渡駅間

 バスはその後、農地のど真ん中の、「まさかここから?」と思った場所からしばらくぶりに専用道に。この後、程なくして海の見えるルートとなりますが、ほとんどの駅ごとに乗車があり、立つ人も増えてきました。そしていつの間にか10分まで遅れが広がって、大船渡駅に到着。ここでまとまった数の降車がありました。

【田茂山駅-盛駅間】
田茂山駅-盛駅間

 大船渡駅を発車したバスは、約10分の遅れを維持したまま、17時47分頃、盛駅へと到着。この頃、先ほどまで降っていた雨はほぼ上がっていました。

三陸鉄道リアス線(1)

【盛駅の駅舎】
盛駅の駅舎
【購入した三鉄クロジカせんべい】
購入した三鉄クロジカせんべい

 盛駅からは、三陸鉄道のリアス線に乗り換え。それで予定では乗り換え時間が40分程あったので、それを利用して駅近くで早めの夕食でもと思っていたのですが、バスが遅れたため予定を変更して、今夜の宿泊地である釜石でいただくことに。ただ、空腹なのは間違いなかったので、三陸鉄道の駅舎内で乗車券を購入後、窓口で売られていた「三鉄クロジカせんべい」なるものを購入。この後ホームに入って乗るべき列車が入線してくるまでにいただいたところ、香ばしいパフを固めたような食感で、味付けが濃くないのが良かったです。

【盛駅構内に留め置かれている岩手開発鉄道の貨車】
盛駅構内に留め置かれている岩手開発鉄道の貨車(1)盛駅構内に留め置かれている岩手開発鉄道の貨車(2)

 その後は、構内に留め置かれている岩手開発鉄道の貨車群を眺めながら、列車の入線を待つことに。実はこの岩手開発鉄道、平成4年(1992年)まで盛駅-岩手石橋駅の間9.5kmの旅客営業も行っていたのですが、現在は貨物営業だけの路線になっています。

【盛駅の駅名標】
盛駅の駅名標
【盛駅に入ってくる釜石行き普通列車】
盛駅に入ってくる釜石行き普通列車

 そうこうしている18時5分過ぎ、駅構内に停車していたディーゼルカーが動き出し、ホームに入ってきました。それでこれから乗る三陸鉄道とそのリアス線について少々書こうと思うのですが、今日はこれから乗る盛駅-釜石駅間についての歴史などを主に。

 三陸鉄道はもともと、昭和55年(1980年)に制定された国鉄再建法によって廃止が決定した三陸海岸沿いの盛線(盛駅-吉浜駅間21.6km)、宮古線(宮古駅-田老駅間12.8km)、久慈線(普代駅-久慈駅間26.0km)と、また開業に向けて工事が進んでいたものの国鉄末期の財政難によって工事が凍結された吉浜駅-釜石駅間15.2km、田老駅-普代駅間32.2kmを引き継ぐべく昭和56年(1981年)に、廃止対象路線の沿線自治体と岩手県によって設立された第3セクター鉄道で、昭和59年(1984年)4月に運行を開始しました。

 そのうち、盛駅-釜石駅の区間については、大正11年(1922年)4月に制定された改正鉄道敷設法において規定された、「岩手県山田より釜石を経て大船渡に至る鉄道」の一部で、国鉄時代の昭和45年(1970年)3月、盛線として盛駅-綾里駅間9.1kmが開業。昭和48年(1973年)7月に、綾里駅-吉浜駅間12.5kmが延伸開業し、吉浜駅-釜石駅間15.2kmも開業に向け鉄道建設公団によって建設工事が進められていました。

 それが前述のとおり昭和59年(1984年)4月、三陸鉄道に転換。その際、盛駅-釜石駅間36.6kmは、「南リアス線」という名称が付けられることになりました。

 そして平成23年(2011年)3月11日、東日本大震災によって甚大な被害を受けたものの、平成26年(2014年)に全線復旧。ですが釜石駅で接続するJRの山田線が、BRT方式で復旧をしたいJRと鉄道で復旧したい沿線自治体の間で対立。結果的に釜石駅-宮古駅間はJRが復旧費用の約2/3を負担して復旧工事を行うと共に、復旧後の赤字補てん費用分などの資金を拠出し、三陸鉄道に移管されることになりました。

 それにより、平成31年(2019年)3月の復旧と同時に三陸鉄道に移管され、宮古駅-久慈駅間「北リアス線」と共に、盛駅-久慈駅間が「リアス線」として一体的に運行されることとなりました。

【盛駅に停車中の釜石行き普通列車】
盛駅に停車中の釜石行き普通列車
【36-700形(36-713)の車内】
36-700形(36-713)の車内

 例によってまた長くなってしまった説明(これ、自分用に書いておかないとすぐに忘れちゃうのよ。書いても忘れるけど……。)をしている間に、18時20分発の三陸鉄道リアス線、釜石行き普通列車は1両で盛駅の3番線ホームに入線。ちなみに三陸鉄道の車両は全て36形と書いて「さんりくがた」という型式ですが、車体構造、車内設備等によって-100、-200などとサフィックスを付けて分類しており、この36-700形は元々震災後の平成25年(2013年)2月に、震災で被災した3両の車両の代替としてクウェート国の支援を受けて701~703の3両を製造。その後、平成27年(2015年)~平成31年(2019年)にかけて合計14両が製造されたグループで、全長18.5mの鋼製車体に、客用扉は車両両端に寄せた片開きのものが片側2箇所。車内はトイレ付近がロングシート、それ以外は固定式のクロスシート(ボックスシート)を装備しています。

 それでこの36-713は、平成30年(2018年)11月に製造、同月に導入された車両のよう。どおりで、乗り込んだ時にまだ新車的雰囲気を感じました。そこに10人ちょっとの乗客を乗せ、定刻に盛駅を発車。ちなみに車内は地元の人の他、柳津駅から一緒だった親子や、気仙沼駅のホームで乗車前にカメラを持ってチョロチョロと動いていた白髪頭の壮年男性など、(他人の顔が覚えられないことにかけては定評がある私をもってしても)今日どこかで見かけた顔がいくつかありました。

【恋し浜駅-甫嶺駅間】
恋し浜駅-甫嶺駅間
【三陸駅停車】
三陸駅停車

 ワンマン運転の列車は、発車して約4分で、陸前赤崎駅に停車。早くも降車する人が。そしてここから先が、三陸のリアス式海岸に沿ってというか、その基部を直線的に進むことになり、まずは長めのトンネルを抜けると綾里駅に停車。発車後、また短いトンネル、そして長めのトンネルを抜けると恋し浜駅という具合に、n箇所のトンネルと駅とが繰り返して続いていくという感じに。そんな中、三陸駅で反対方向の列車と交換しました。

【吉浜駅-唐丹駅間】
吉浜駅-唐丹駅間

 その後もトンネルを抜ける度、窓の外がどんどん暗くなっていき、この日の最後に印象に残ったのは、吉浜駅を発車した後の、吉浜湾の景色でしょうか。暗い水面に、漁火がちらちらと浮かんでいました。

【釜石駅の駅名標】
釜石駅の駅名標

 その後は暗い中を走って、定刻の19時7分、列車は終点の釜石駅へと到着。降車多重客はあまり多くなかったようです。そして私も切符を運転手さんに渡して列車を降り、無人の改札口を通ってとりあえずこの日の行程は終了。駅を出たら甲子川を渡り、街の中心部に向かう途中にあるホテルへと。実は釜石に泊まるのは二度目だったりするのですが、今から20年以上前とはいえ、前回泊まったホテルを覚えていなかったりするんですよね。

【大連 店舗外観】
大連 店舗外観
【いただいたラーメン(550円+税)】
いただいたラーメン(550円+税)

 ホテルにチェックインしたあとは、非常に空腹だったのですぐに夕食をいただくため外出。先程の気仙沼と同様、予めいくつかのお店を調べておいたのですが、最初に向かった海鮮料理を出すお店には、入り口脇に「満席」という札がかけてありました。しからばと、ここのご当地ラーメンという「釜石ラーメン」が食べられる大連というお店に向かい、ここで無事夕食をいただくことが。これが結果的に大正解で、まずは餃子をつまみにビールを飲んでからいただいたラーメンは、あっさりした優しい味わいのスープと、極細の縮れ麺がとても美味しかったです。

この日の旅程

黒  磯
 06:13
  |JR東北本線
  |4123M
  |普通
 06:36
新 白 河
 06:46
  |JR東北本線
  |2123M
  |
 08:25
福  島
 08:38
  |JR東北本線
  |203B
  |やまびこ203号
 08:59
仙  台
 09:25
  |JR東北本線・仙石東北ライン・仙石線
  |5527D
  |特別快速
 10:14
石  巻
 10:36
  |JR石巻線
  |1631D
  |普通
 11:01
女  川
 11:09
  |JR石巻線
  |1632D
  |普通
 12:14
前 谷 地
 13:01
  |JR気仙沼線
  |929D
  |普通
 13:23
柳  津
 13:44
  |JR気仙沼線BRT
  |
  |
 15:29
気 仙 沼
 16:11
  |JR大船渡線BRT
  |
  |
 17:37
  盛
 18:20
  |三陸鉄道リアス線
  |217D
  |普通
 19:07
釜  石

(つづく)

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栃木県のちょいと北の方に住んでいるアラフィフのオッサン。
ラーメン・そば・うどんなどの食べ歩き、乗り鉄、競馬の旅打ち、モータースポーツ観戦、PC自作など嗜んでいます。

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