たひお備忘録

惑い迷える40代の、食べ歩き、競馬の旅打ち、城巡りなんかの記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

『探訪!日本100名城』 27/100城目 彦根城 【平成25年10月20日】

彦根城の日立立て看板

 明けましておめでとうございます。

 旧年中は当ブログ、たいして見所もないというか、管理人の趣味の記録にもかかわらずご覧いただき、まことに有り難うございました。今年も同じような内容でボチボチと更新させていただきますので、もしよろしければ引き続きお付き合いくださいませ。

 で、年明けの更新一発目は、昨年からずっと引っ張り続けている10月下旬に三重、滋賀、岐阜へとクルマで旅して来た時の記事その10。前の記事の近江ちゃんぽんをいただいてから向かったのは、犬山城と同じ国宝指定のお城の1つ、彦根城です。


彦根城について

 彦根城は、滋賀県彦根市にある連郭式平山城で、別名は城が築かれた山の名前(金亀山)からとられた金亀(こんき)城。国の特別史跡に指定(昭和26年に国史跡指定、昭和31年に特別史跡指定)されています。また現存天守12城のうちの1つにして4つある国宝指定のお城のうちの1つ(昭和27年に天守と付櫓及び多聞櫓を指定)で、他にも国重要文化財指定された現存建築物も多数あります。

 その築城の経緯なのですがか、徳川四天王の1人に数えられ、関ヶ原の戦いやその戦後処理などで活躍した井伊直政は、戦後、石田三成の居城であった佐和山城と18万石を与えられ佐和山藩を立藩します。しかし、慶長7年(1602年)に急死。子の直継が後を継ぐことになり、その後の慶長8年(1603年)もしくは9年(1604年)に彦根城の築城が天下普請で開始されます。で、その理由としては、佐和山城が中世の言ってみれば古くさい縄張りの城郭で、しかも石田三成の居城ということもあって直政が嫌い、存命中から近くに新しい城を築く計画があったとも、直政が急死した原因は三成の呪い(実際は関ヶ原で受けた鉄砲傷が原因らしいのですが)で、佐和山には三成の亡霊が漂っているという話を聞いた徳川家康が、佐和山城をはじめ寺院まで、三成に関係する物の全てのものを廃するよう命じたためとも言われるのですが、天下普請で築城したことから考えても、家康は当地をかなり重要視していた事がうかがえます。また家康は、彦根藩の後継者問題にも口を出していて、一度は家督を継いだはずの直継を病弱を理由に無かったことにして、直継の異母弟である直孝を彦根藩2代藩主とし、大坂の役の活躍により加増することにより徳川譜代としては最大となる35万石を与え、また直継には上野国安中藩3万石を分知させました。その後、明治維新までの間に大老を5名も輩出する譜代筆頭の井伊家の居城としてあり続けましたが、幕末に井伊直弼が暗殺された後、幕政に混乱を招いたとして10万石を取り上げられ、そのことが明治維新の際に新政府側に付いた理由にもなったそうで。

 そして明治時代。ご多分に漏れず彦根城も廃城令によって廃城処分となりかけたのですが、明治11年に北陸巡幸の帰途に立ち寄られた明治天皇が、彦根城の保存を命ぜられたおかげでそれを免れました。また、先の大戦の際には彦根市に対する夜間爆撃が計画されていましたが、爆撃予定の昼に終戦の詔勅があったためすんでの所で免れたということもあったそうで。その後は、冒頭に書いたとおり国の特別史跡や重文、国宝に指定されたり、昭和62年(1987年)には御殿が復元されたり、そして平成に入ると平成19年(2007年)には国宝・彦根城築城400年祭が開催されそのイメージキャラクターの『ひこにゃん』がゆるキャラブームの先魁となったりしました。

実際に行ってみた

 彦根城については、実は、平成19年の国宝・彦根城築城400年祭が開催され他時に一度お伺いして、復元された御殿(彦根城博物館)を含め一通り観たことがあったりして。それでその後、日本100名城巡りのスタンプラリーを始めたものだから、とりあえずスタンプだけでも貰いに行きたいと思っていたところでした。それで今回、先に立ち寄った犬山城の記事でも書いたのですが、いろいろあってこの日は時間的に余裕が出来、また、犬山城を観終わってもまだ午前11時前だったという状態。で、天気は相変わらず悪いけど、だからこそ「ちょこっとスタンプだけ貰ってくっぺ」という感じ行ってみることにしました。

【雨の名神高速】
雨の名神高速
 というわけで、名神高速で関ヶ原を超えて彦根IC。そしてIC近くで前の記事の近江ちゃんぽんをいただきました。

【米惣騒動百姓一揆の碑】
米惣騒動百姓一揆の碑
 あとは何度か来たことがある彦根市内をお城に向けて走るのですが、その途中、とある石碑を発見。っていうか、いつも来る度に見つけて「後で調べてみよう」となるのですが、結局今回が初めて調べたというか。で、その結果、米惣騒動百姓一揆というのは、明治3年(1870年)、悪天候に見舞われ米が不作and米不足で価格が高騰している最中、9月に台風によってって犬上川の堤防が決壊。家が押し流されるなどの被害が。そんな中、「台風に襲われたのは、霊仙山の池の龍が怒ったからだ。小川町の米惣(米屋惣七)が、米の値をつり上げて金儲けするために、池に汚物を投げ込んで龍を怒らせた。」みたいな噂が広がって、それを信じた数百人によって米惣の家財が打ち壊されたという事件のことのようで。その後、首謀者は処刑されたのですが、その背景には、幕末から明治維新にかけての世の中に不安や苛立ちを感じていた庶民の心情があったらしいです。

【臨時駐車場】
臨時駐車場
【雨の中混雑する会場の夢京橋キャッスルロード】
雨の中混雑する会場の夢京橋キャッスルロード
【ちっちゃいおっさんとの嫁のみづえのステージ】
ちっちゃいおっさんとの嫁のみづえのステージ
【しまねっこととび太くんのブース】
しまねっこととび太くんのブース
 彦根城に近づいたところ、沿線に『ご当地キャラ博in彦根2013』というポスターが貼ってあるのを発見。で、そこに書かれた日付を見ると、何と(昨日と)今日ではありませんか!それで、そういうイベントが開かれているとあってはお城の駐車場に停められるかどうか心配だったのですが、近江高校跡地の臨時駐車場に停めることが。それで折角なのでちょっとだけイベントを見学したのですが、雨にもかかわらず凄い人出。あと、滋賀県に入ると道路脇にやたらとある「とびたし注意」の看板が「とび太くん」というキャラクターになっていたのには驚きました。

【京橋付近】
京橋付近
【大手門橋付近】
大手門橋付近
【大手門跡付近】
大手門跡付近
【大手門券売所】
大手門券売所
 イベント見学後は、京橋を渡ってお城へと戻り、それで前回は表門から入ったのと、クルマを停めた臨時駐車場が大手門橋の目の前だったので、今回は大手門から城内へに入ることにしたのですが…。

【大手山道】
大手山道
【大手山道から見上げる天秤櫓】
大手山道から見上げる天秤櫓
【天秤櫓とごぼう積みの石垣】
天秤櫓とごぼう積みの石垣
【中から見た表門付近】
中から見た表門付近
【表門山道】
表門山道
【鐘ノ丸と太鼓丸にかかる橋】
鐘ノ丸と太鼓丸にかかる橋
【鐘の丸の登り口付近】
鐘の丸の登り口付近
 それで入ってから気が付いたのですが、日本100名城スタンプラリーのスタンプって、表門の入場券売場に置いてあるんですね。なので入城後、大手山道を登ってから表門山道を降り、お目当てのスタンプを貰ってから今度は表門山道を登るという、何とも効率の悪い移動に。こんなことならさっきイベントを見た後に、京橋を渡ったら表門に行けば良かったなぁ、と。どうせ大手門は駐車場の関係上帰りに必ず通らさるわけだし…。と、ぶーたれてても仕方が無いので、粛々と、登って降りてまた登ると。

【鐘の丸】
鐘の丸
【石垣修復中】
石垣修復中
 鐘の丸には売店があり、そこでちょっと一休み。(登ったり降りたりで結構疲れたというか…。)ちなみに郭内には一面桜が植えられています。また、一部の石垣は修復中でした。

【天秤櫓】 
天秤櫓
 鐘の丸と太鼓丸に架かる橋の向こうには国重文の天秤櫓が。安政元年(1854年)の大修理の際、石垣の半分が積み直され、向かって右手が築城当初からのごぼう積み、左手が新たに積み直された落し積みになっているとのこと。(写真がアレでわかりづらいですが。)

【太鼓門櫓】
太鼓門櫓
 次に表れるはこれまた国重文の太鼓門櫓。

【本丸と天守】
本丸と天守
【天守からの眺め】
天守からの眺め(1)
天守からの眺め(2)
天守からの眺め(3)
天守からの眺め(4)
 太鼓門櫓を抜けると本丸へ。で、近くにいたボランティア?ガイドさんの話が耳に入ったのですが、今日は雨だから天守入城待ちの人がいなくてラッキーですよ、と。約6年前に来た時は、国宝・彦根城築城400年祭の最中の週末(しかも好天でした)にもかかわらず全く待った記憶が無いので、その間にすっかりと人気スポットになったんだなぁ、と。また、天守からは城下町や琵琶湖が見渡せるのですが、この日は雨だったので…。(まぁ、雨に煙る景色も味わい深いっちゃ深いんですが。)

【西の丸から見た天守】
西の丸から見た天守
【西の丸】
西の丸
 前回来た時は天守登った後で引き返してしまったので、西の丸へは今回初めて足を踏み入れました。それにしても、ここも桜が沢山植えてあります。

【西の丸三重櫓】
西の丸三重櫓
【西の丸三重櫓からの眺め】
西の丸三重櫓からの眺め
 西の丸の更に西端にある、西の丸三重櫓。江戸時代、彦根藩の筆頭家老を務めた木俣家が執務を行っていたそうで。ちなみにこちらも国重文で、この日は内部が公開中でした。櫓からは堀の向こうに琵琶湖が広がる光景が見られるのですが、この日は雨だったので…。(まぁ、以下略…。)

【出曲輪付近】
出曲輪付近
【西の丸の高石垣と三重櫓】
西の丸の高石垣と三重櫓
【山崎山道から見た出曲輪と西の丸三重櫓】
山崎山道から見た出曲輪と西の丸三重櫓
 西の丸を後にして隣接する出曲輪へ。ここは尾根を削って曲輪にしたところの北端で、西の丸との間には大堀切があります。で、西の丸三重櫓ですが、こちらから見た方がフォトジェニックというか。それにしても、大堀切のお陰で、櫓が載った石垣が高いですね。そして出曲輪から山崎山道を降りて内堀沿いの小径へ。

【お城の北端部付近の山崎門?】
お城の北端部付近の山崎門?
 山崎山道を降り、内堀に沿った小径を北へ向かうと、丁度クリッピングポイントを過ぎたあたりに、内堀に向かって門のような石積みが。特に案内看板とか無かったと思うのですが、山崎門という門で間違いないですかね?で、この右手方向が山崎曲輪で、そこには先述の木俣家の屋敷があったそうで。

【登り石垣の端あたり】
登り石垣の端あたり
【登り石垣】
登り石垣 
 山崎門?を過ぎると、小径は内堀に沿って南下するのですが、内堀との間には石垣ではなく土塁になっています。そして山崎門?から暫く歩くと登り石垣が登場。城の防御施設のひとつで、天下普請の際に築かれたとのこと。で、石垣はここから西の丸北端まで続いています。

【梅林(米倉跡)】
梅林(米倉跡)
【埋門跡?】
埋門跡?
 登り石垣を過ぎると、今度は小径の左右に梅林が。ここは元々公儀米5万石を納める米倉があったところで、琵琶湖から水運で運ばれた米は、埋門から陸揚げされたそうで。で、内堀に面した土塁の丁度良い感じのところが切れていたのですが、ここが埋門跡で良いんですかね?

 それで梅林を過ぎると、今回お城に入った大手門券売所に到着します。

感想とかまとめとか

 というわけで彦根城だったのですが、今回は日本100名城スタンプラリーのスタンプを貰うだけの訳が、気が付くとガッツリと堪能してしまったという。特に今回初めて訪れた西の丸から梅林までの間は、三重櫓や門跡、そして珍しい登り石垣と、彦根城には興味深いものがまだまだ沢山あったことを教えてくれました。こんな彦根城を残してくださった明治天皇と地元の方々には、本当に感謝ですね。で、これだけ堪能しても実はまだ観ていないところ(玄宮園とか井戸曲輪とか)もあるので、また何時か訪れたいと思います。(その時は是非とも晴れて欲しいというか…。)

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