たひお備忘録

とりとめのない趣味の、とりとめのない活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

京浜急行電鉄乗車記 【令和2年3月22日】 後編(逗子線・久里浜線・本線)

三崎口駅に停車中の泉岳寺行き快特列車

 横浜シーサイドラインを挟んで、前編に続く再び京浜急行電鉄(京急)全線乗車の旅に戻ってきたのですが、この記事では、京急の駅そば『えきめんや』でちょっと腹ごしらえしてから、残りの逗子線と久里浜線、そして残る本線に乗っていきたいと思います。


えきめんや金沢文庫店

【金沢文庫駅を発車する羽田空港行きエアポート急行】
金沢文庫駅を発車する羽田空港行きエアポート急行

 横浜シーサイドラインで金沢文庫駅に到着したのが11時56分。ちょうどお昼時ということで、こちらのお腹も空いてきたのですが、京急全線乗車の旅に戻る前に、予め調べておいたお店で昼食をいただくべく、京急の金沢八景駅から泉岳寺方面に1駅戻ったところにある金沢文庫駅へ、12時ちょうど発のエアポート急行で移動。入ってきたのは今日3度めの1000形で、4両編成が2編成繋がった8両編成。乗り込んだ前から5両目は車番の1460(デハ1000形M2sc)から、平成21年(2009年)度に製造された9次車8編成のうち1つですね。

【えきめんや金沢文庫店】
えきめんや金沢文庫店

 金沢八景駅から約3分で到着後、改札口を出てそのお店へ。で、そのお店というのが、京急ロイヤルフーズが運営する、京急の駅そばたる「えきめんや」の金沢文庫店。せっかく京急に乗るのだから、合間の食事も京急の駅そばが良いということで、出発前に調べておいたのですが、このタイミングだと金沢八景駅の両隣、追浜駅か金沢文庫駅にお店があったのですが、この後、金沢八景駅から分岐する葉山線に乗る都合、金沢文庫駅のほうが都合が良いということで。

 それで店内に入ると、日曜日の昼時ですがそこそこのお客さんが。注文は、お店に入ったところに券売機で食券を買う方式で、数多いメニューの中から迷いつつ海鮮天玉そばのボタンをポチっと。

【いただいた海鮮天玉そば(550円)】
いただいた海鮮天玉そば(550円)

 程なく手渡されたのち、席に持ち帰ってまずはつゆを啜れば、出汁感はそれほど強くなく、濃口醤油の風味も当地にしては控えめに感じます。実は「えきめんや」自体、約10年ほど前に、現在は閉店してしまった京急蒲田駅のお店でいただいたことがあったのですが、その時の印象と比べると、味付けや味の濃さが相当上品になったような気がしますね。それは、蕎麦も具のかき揚げも同様で、茹で麺を使用している蕎麦はそれなりに歯応えのあるタイプで、タネがタマネギの他にイカ、海老、アサリという海鮮かき揚げは揚げ置きにもかかわらずサクサク感がありました。

逗子線

【金沢文庫駅に入ってくる逗子・葉山行きエアポート急行】
金沢文庫駅に入ってくる逗子・葉山行きエアポート急行

 腹ごしらえが済んだあとは、再び京急の旅へ。次の目標は前述のとおり、金沢八景駅から分岐する逗子線で、駅構内の案内表示を見たところ、一番早くそちら方面に向かうのが、金沢文庫駅12時17分発の逗子・葉山行きエアポート急行。2番線ホームで待っていると入ってきたのは、この日4度目となる1000系ですが、これまで乗った車両のように、車体の一部にステンレスの地色がむき出しになっていない新しい製造年次の車両。乗り込んだ8両編成の前から6両目の車番は1222(サハ1000形Ts)だったので、平成29年(2017年)度に製造された17次車になるのですが、この17次車から8両編成の車番が、京急の創業120周年を記念して12xx(1200番代)になったそうで。

【1222(サハ1000形Ts)のボックスシート】
1222(サハ1000形Ts)のボックスシート

 次の金沢八景駅で、車端部進行方向左側の固定クロスシート(ボックスシート)がまるっと空いたので移動。やはりロングシートよりも景色が格段に見やすいのが良いですね。それで列車は先程も来た金沢八景駅発車して、逗子線へと。それでこの逗子線ですが、金沢八景駅を起点に、終点の逗子駅までの間5.9kmを結ぶ路線。起点終点駅を含む駅数は4駅で、全線複線電化されています。

 その歴史ですが、昭和5年(1930年)4月、湘南電気鉄道の路線として、黄金町駅-浦賀駅間と同時に金沢八景駅-湘南逗子駅間が開業。ちなみに湘南電気鉄道というのは、横浜から三浦半島への鉄道敷設を目的に設立されたものの、大正12年(1923年)の関東大震災によって資金繰りが悪化し、京急の前身である京浜電気鉄道の資金援助を得て開業に至ったという経緯があるそうで。そして開業翌年の昭和6年(1931年)、0.4km延伸して湘南逗子駅葉山口乗降場を開設し、従来の湘南逗子駅は湘南逗子駅沼間口乗降場とされました。

 その湘南電気鉄道は昭和16年(1941年)に京浜電気鉄道に合併され、その翌年にはいわゆる大東急に合併された同年、湘南逗子駅葉山口乗降場が閉鎖となり路線短縮。同時に湘南逗子駅沼間口乗降場が従来の湘南逗子駅へと改称。更に太平洋戦争後の昭和23年(1948年)6月、大東急から京浜急行電鉄(京急)が分離独立した約1ヶ月後に湘南逗子駅葉山口乗降場が逗子海岸駅として復活。同年には横浜から、翌年には品川からの直通列車が走ることに。その後昭和60年(1985年)、京浜逗子駅と逗子海岸駅の間に、新たに新逗子駅を設けて2駅を統合。その新逗子駅は、今年(令和2年)3月14日のダイヤ改正に合わせ、逗子・葉山駅と改称されました。

 また、現在その逗子線を走るのは、日中以降の大半が空港線直通の急行エアポートで、その他、平日朝の時間帯に特急列車など優等列車が設定、それ以外は車庫のある金沢文庫駅やごく一部に品川駅直通の普通列車が設定されていますが、線内は全て各駅停車となっています。

 それと逗子線は、金沢八景駅(正確には、京急本線の金沢文庫駅-金沢八景駅間)から途中の神武寺駅手前にかけて、線路のレールが3本敷いてある三線軌条となっているのも特徴的。これはJRの車両を制作する総合車両製作所(J-TREC)横浜事業所が金沢文庫駅近くにあり、そこからJR横須賀線の逗子駅まで、車両搬入のための専用線6.4kmのうち一部区間が逗子線を経由しているためで、軌間(レールの間隔)が京急の1435mm(標準軌)に対してJRが1067mm(狭軌)と異なるので、この区間を三線軌条として対応させている由。また、兵庫県の川崎重工業車輌カンパニーで制作された京急の車輌や、愛知県にある日本車輌製造で制作された都営地下鉄浅草線や京成電鉄の車輌は、狭軌の仮台車を履かされたうえ機関車に牽引でJR逗子駅まで来た後、この専用線を通って総合車両製作所横浜事業所に搬入され、本来の台車に履き替えるそうで。

【六浦駅停車】
六浦駅停車

 また路線の説明が長くなってしまいましたが、金沢八景駅を発車した列車は、三浦半島の基部を東から西へ横断していきます。逗子線に入って最初の駅である六浦駅のあたりまではコチャコチャと住宅地が続く感じですが、六浦駅を出ると山越えっぽい景色となり、トンネルを2つばかり通過。進行方向左側の景色は再び住宅地になると、神武寺駅に停車します。で、この神武寺駅、在日米海軍の池子弾薬庫の跡地に建設された池子住宅地区及び海軍補助施設の最寄り駅で、駅には米海軍専用の出入口も設けられているとのこと。私のようなオッサンには、今よりも社会に関心があった10代の頃、連日返還や弾薬庫跡地への住宅建設の是非についてニュースでやっていたような覚えが。

【神武寺駅-逗子・葉山駅間】
神武寺駅-逗子・葉山駅間

 神武寺駅を発車しても住宅地は続き、そんな中、築堤に登ってJR横須賀線をオーバーパス。多少でも高さが上がると視界が開けるというか、視界を塞ぐ住宅の向こうには、半島らしい高低差のある地形が広がっていたんですね。で、田越川が左から寄り添えば、定刻の12時27分、終点の逗子・葉山駅に到着です。

【逗子・葉山駅の駅名標】
逗子・葉山駅の駅名標
【逗子・葉山駅南口付近】
逗子・葉山駅南口付近
【逗子・葉山駅に停車中の羽田空港第1・第2ターミナル行きエアポート急行】
逗子・葉山駅に停車中の羽田空港第1・第2ターミナル行きエアポート急行

 逗子・葉山駅では一度改札口を通ってICカードで運賃を精算した後、乗ってきた列車の折返しとなる12時33分発の羽田空港第1・第2ターミナル行きエアポート急行に乗車。車端部のクロスシートのうち、さっきと反対側が見られるよう、今度も進行方向左側に着席できる椅子を探していたら、8両編成のうち後ろから3両目となる1219(サハ1000形Tu)に落ち着きました。

【逗子・葉山駅-神武寺駅間(一番右側の木立に入っていく単線が専用線)】
逗子・葉山駅-神武寺駅間(一番右側の木立に入っていく単線が専用線)
【逗子・葉山駅-神武寺駅間(神武寺駅手前で並走する専用線)】
逗子・葉山駅-神武寺駅間(神武寺駅手前で並走する専用線)

 定刻に逗子・葉山駅を発車した列車は、進行方向左側の建物が切れるとJR逗子駅の留置線を見つつ横須賀線と交差し。その際、総合車両製作所横浜事業所へと続く専用線が向かって右端にチラと見え、その後、専用線は神武寺駅構内まで並走します。

 今ではわりと珍しい存在となった構内踏切があった神武寺駅を発車すると、左手に並走する総合車両製作所横浜事業所専用線が、今走っている上り線の線路と合流して三線軌条となるはずですが、その上を走っている列車に乗っている分には特に変わらずという感じで、山の中を抜けて六浦駅に停車した後、住宅地を抜けて12時40分、金沢八景駅へと戻ってきました。

久里浜線・本線

【金沢八景駅に入ってくる久里浜行き快特列車】
金沢八景駅に入ってくる久里浜行き快特列車

 金沢八景駅から次に目指すは、本線(京急本線)の終着駅である浦賀駅。ただし、7分で接続する12時47分発の浦賀行きの普通列車ではなく、12時45分発の久里浜行き快特列車で、久里浜線と本線の分岐点である堀ノ内駅まで行ってしまうことに。それで入ってきたのが、この日3度めとなる1500形電車。といっても前2回の大師線普通列車とは違って、堂々の8両編成です。

 その先頭車の1719(デハ1500形M1c)に乗車。車番からすると平成4年(1992年)度に製造された最終増備型(製造は平成5年(1993年)2月)で、新製時からアルミ製車体にVVVFインバータ制御の主電動機を装備。大師線で最初に乗ったのが最初期の車両だったので、それとは見た目は同じだけど中身は別物という感じですね。

 車内は席に余裕があるけど、運転席がある乗務員室直後の特等席は空いていなかったので、適当にロングシートに着席。その車内で目立っていたのが、恰幅のいい外国人のママ2人に連れられ、いかにも外国のといった大きめのベビーカー3台に分譲した子どもたち。もっとも、騒がしい感じではなく、ママにあやされて「あぁばぁぁ」(を英語で言った感じ)と。

【横須賀中央駅-県立大学駅間】
横須賀中央駅-県立大学駅間

 横須賀中央駅で結構な降車があり特等席も空いたので、堀ノ内駅まで僅かな時間だったけど移動。そこから先頭部の窓越しに外を眺めると、半島らしい隆起した地形の上の方まで住宅が見え、何ていうか、このあたりの景色だな、と。

【堀ノ内駅に停車中の浦賀行き普通列車】
堀ノ内駅に停車中の浦賀行き普通列車

 快特は金沢八景駅から約10分で堀ノ内駅に到着。停車していた12時58分発の浦賀行き普通列車に乗り換えます。それでその車両は、この日6度目の1000形。6両編成の前から2両目の1638(デハ1000形M1u)に乗り込んだところクロスシートが空いてたので、有り難く着席。ちなみにこの車両、平成30年(2018年)度に製造された18次車でした。

【馬堀海岸駅-浦賀駅間】
馬堀海岸駅-浦賀駅間

 列車は堀ノ内駅を発車すると、左に緩くカーブして久里浜線と分岐。築堤からは、先程来続く、いかにも半島な高低差のある地形のいたるところに住宅がという景色が続いて、そんな中、京急大津駅、馬堀海岸駅と停車。最後にトンネル抜けると、斜面に咲く桜が良い頃合でした。そして堀ノ内駅から約5分間、あっという間と言う間という感じで終点の浦賀駅に到着です。

【浦賀駅の駅名標】
浦賀駅の駅名標
【浦賀奉行所開設300周年の顔出し看板】
浦賀奉行所開設300周年の顔出し看板
【浦賀駅の駅舎】
浦賀駅の駅舎

 浦賀駅は築堤上にあるためか、改札口から駅出口まで高低差及びちょっとばかり距離があって、駅の外に出るのに多少時間がかかるんですね。で、その途中、横須賀市のキャラクター「スカリン」と京急のキャラクター「けいきゅん」があしらわれた浦賀奉行所開設300周年の顔出し看板がありました。

 駅舎の写真を撮ってから駅に戻ると、先程の列車の折返しとなる13時8分発の普通列車は出たあとだったので、次の18分発の金沢文庫行き普通列車で行くことに。それでこの浦賀駅ですが、本線(京急本線)の終点であるにもかかわらず、発着するのは(朝の時間帯を除けば)普通列車ばかり。っていうか、泉岳寺方面から、もしくは泉岳寺方面への優等列車の大半は、堀ノ内駅から先、久里浜線に直通してしまうんですよね。

【浦賀駅に停車中の金沢文庫行き普通列車】
浦賀駅に停車中の金沢文庫行き普通列車

 ホームに上がってあまり待つことなく、13分着の普通列車が到着。車両は先程、金沢八景駅で既に一度見ていた1000形の4両編成で、乗り込んだ先頭車の1812(デハ1000形M2sc)から、平成28年(2016年)度に製造された16次車。で、4両編成はこの前年度に製造された15次車から、先頭部の貫通扉がそれまでの非常時脱出用というべきオフセットされたものから、一般的な貫通扉に変更されているのですが、これは地下鉄乗り入れ時には編成全体が通り抜けできるようになっていないと駄目な決まりがあるからで、これ以降の4両編成は、8両編成が不足した際、2本繋げた8両編成で地下鉄乗り入れが可能となりました。それと15次車と16次車は4両編成に限らず、ステンレス製の車体にカラーフィルムが貼り付けられ、一見塗装されたようになっています。

 そんな本日7度目の1000系に乗ること5分で堀ノ内駅に着く間に、手持ちのスマートフォンから京急のウェブサイト『KQuick』にアクセスして、この日の京急で最後に乗る、三崎口発泉岳寺行き快特のウイング・シート(指定席)を確保。京急はこれまで、JRのホームライナー的な「京急ウイング号」(現在のイブニング・ウイング号)や朝の通勤ライナー的「モーニング・ウイング号」などの座席指定列車を運行してきたのですが、昨年(令和元年)10月から土日の快特の一部列車の2号車を、座席指定車「ウイング・シート」として販売するようになったので、この機会に試してみようかと。

 丁度席を確保し終わる頃に堀ノ内駅に到着し、入ってきた列車の写真を取る暇もない2分の接続時間で、13時25分発の三崎口行き快特列車に乗り換え。入ってきた列車は本日2度めの2100形です。

 最初に乗った時に説明を省いたのでここで改めてこの2100形電車についてなのですが、昭和57年(1982年)に登場した快速特急(現在の快特に相当)用の車両、2000形の後継車として、平成9年(1997年)度(実際の製造は平成10年(1998年)2月)から平成12年度(2000年)にかけて4回に渡って8両編成×10本の合計80両を製造。2000系と比べると、車体は片側両開き2扉という部分は共通なれど、普通鋼製からアルミ製となり、先頭部は先に登場した600形をベースとした貫通扉付きになりました。また車内も車端部はボックス、扉間は集団見合い式の固定クロスシートから、扉間は転換クロスシートに。ただし、乗客が任意に向きを変えることは出来ず、始発駅で車掌が操作するスイッチによって一斉に前方を向くように固定されています。また主電動機の制御方式も、2000形の抵抗制御からVVVFインバータ制御に。それとこの2100形は、ドイツ・シーメンス製のGTOサイリスタを使用したVVVFインバータ制御装置など、海外製の部品を多数使用したことも特徴でしたが、その後の更新作業にVVVFインバータ制御装置は日本製のものと交換されました。

【堀ノ内駅-新大津駅間】
堀ノ内駅-新大津駅間

 それで乗る車両を選ぶ間もなく眼の前のドアから乗り込んだのは、前から3両目の2114(サハ2100形T)。車番から、平成9年(1997年)度製造(ただし実際の製造は平成10年(1998年)3月)の1次車で、進行方向右側のシートが空いていたのでそこに落ち着くとすぐに発車。ゆるく右にカーブして久里浜線へと入っていきます。

 で、この久里浜線。堀ノ内駅の起点に終点の三崎口駅まで13.4kmを結ぶ路線。起点終点駅を含む駅数は9駅で、堀ノ内駅-京急久里浜駅間と京急長澤-三浦海岸駅のみ複線となっています。

 その歴史ですが、明治維新後の久里浜は、首都防衛の要として他の横須賀市内同様、久里浜には軍施設が多く、昭和14年(1939年)には海軍通信学校が移転開設されたそう。で、その久里浜にはもともと、浦賀駅から路線を伸ばして到達する予定だったのですが、太平洋戦争中、久里浜までの鉄道建設が急がれた際、トンネル掘削に時間を要する浦賀駅からの延伸は諦め、それより早くできる、堀ノ内駅から久里浜へと向かう路線が建設されることとなりました。

 それでまずは昭和17年(1942年)12月、当時の東京急行電鉄、いわゆる大東急が、横須賀堀内駅(現在の堀ノ内駅)-久里浜駅(仮駅)を開業させ、その翌年の昭和18年(1943年)9月に久里浜駅の本設駅(現在の京急久里浜駅)まで延伸させました。そして戦後の昭和23年(1948年)、大東急から京急の分離発足に伴い京急に継承されました。

 その後は小刻みに延伸を繰り返し、昭和38年(1963年)に野比駅(現在のYRP野比駅)まで、昭和41年(1966年)3月に津久井浜駅まで、同年7月に三浦海岸駅まで延伸されました。しかしその後、三崎港付近まで延伸する計画はあったものの、その付近は市街地であり用地買収の困難なため、その手前の油壺までの延伸に変更。更に、計画路線と交差する国道134号から先の用地買収が難航したことと、計画路線が通る地区が風致地区に指定されてしまい建設が困難となったため、国道134号との交点付近に三崎口駅を設け暫定的な終点とすることとし、昭和50年(1975年)に開業。その後も油壺延伸については予定されたままでしたが、環境保護団体の反対などによって建設が遅れるうちに沿線人口が減少し、延伸と共に行われる予定だった宅地開発も凍結されたため、平成28年(2016年)に延伸計画は史実上白紙に戻されました。

 また、現在の久里浜線を走る列車は、平日朝の一部区間に普通列車が設定されている以外は、快特、特急といった優等列車のみ。もっとも、平日朝に三浦海岸駅始発で運転される全車座席指定のモーニング・ウイング号以外は、全列車各駅に停車しての運転となります。

【北久里浜駅-京急久里浜駅間】
北久里浜駅-京急久里浜駅間その1北久里浜駅-京急久里浜駅間その1

 そんな久里浜線ですが、景色は先程までとほぼ同様の、住宅が高密度に建つ半島アップダウンのある地形をところどころ築堤で進むという感じで、新大津駅、北久里浜駅と停車。そして北久里浜駅を出ると、線路の両側に、京急の車両整備などを手がける元の京急久里浜工場、現在は京急ファインテック久里浜事業所が。座っている右側の窓から見える留置線には、今乗っている2100形のうち1編成だけ特別に青色に塗られた「KEIKYU BLUE SKY TRAIN」が停まっていました。

【京急久里浜駅-YRP野比駅間】
京急久里浜駅-YRP野比駅間
【津久井浜駅停車】
津久井浜駅停車
【三浦海岸駅-三崎口駅間】
三浦海岸駅-三崎口駅間

 京急久里浜駅から先、線路は単線となり、景色も山がちになったと思ったらトンネルへと。それを抜けるとYRP野比駅。YRPって何だろうとしらべたところ、駅からそんなに近くないところに出来た「横須賀リサーチパーク」の略だったんですね。で、YRP野比駅を発車するとまた短いトンネルを抜けて京急長浜駅。ここからまた複線区間となって、津久井浜駅、三浦海岸駅と停車。津久井浜駅周辺で、今日京急に乗り始めてから初めて、車窓から農地を見たような気がします。

【三崎口駅の駅名標】
三崎口駅の駅名標

 最後の停車駅である三浦海岸駅を出ると再び単線区間となり、定刻の13時43分、堀ノ内駅から約18分で、終点の三崎口駅に到着。以前乗った事がある区間と合わせ、これで京急の全線乗車が完了。個人的に鉄道に乗ることが趣味で、暇とお金さえあれば、〇〇鉄道全線乗車などとやっているのですが、この達成した時に毎回のように感じる、嬉しいような勿体無いような切ないような微妙な心持ちって、一体何なんですかね。と、列車を降りてそんな妙な感傷に襲われそうになったときに目に入ったのが、三崎口駅の駅名標。そこには「三崎口」ではなく、「三崎マグロ」と書かれていました。

【三崎口の駅舎】
三崎口の駅舎

 本当は三崎港近くまで行って、名物の三崎マグロでも味わうなどしたいところなのですが、次の予定もあるので、駅舎の写真だけ撮って引き返します。で、駅近くにある土産物屋で何か買おうかとも思ったものの、これから用足しする場所に、海産物を持ち込むのもどうかということで。

【折返し前に最後尾洗浄中】
折返し前に最後尾洗浄中
【国道134号を超えてわずかに伸びる線路】
国道134号を超えてわずかに伸びる線路

 駅に戻ると、先程乗ってきてこれから乗ることになる快特の2100形電車が、折り返し時間を利用して先程先頭だったところの洗浄中でした。またそこから反対側に目を向けると、油壺まで延ばす予定だったけど延ばすことが出来なかった線路の末端部分を見ることが。国道134号をアンダーパスするトンネルまで出来ていて、その開口部上部には「初聲(初声)隧道」という扁額が埋め込まれていました。

【三崎口駅に停車中の泉岳寺行き快特列車】
三崎口駅に停車中の泉岳寺行き快特列車

 トンネルや列車の写真を撮った後は、この京急の旅の〆となる、13時56分発の快特列車に乗車。ここから終点の泉岳寺駅まで66.9kmを、68分で結びます。で、先程乗ってき快特の折返しなので、車両は2100形ですが、それにしても、この2100形のような片側2扉車というのは、スペシャル感があって大変良いというか、心躍りますね。(理由は長くなるので省きますが、個人的に、両開き扉の片側2扉車が大好きなんです。)

【ウイング・シート車の2号車】
ウイング・シート車の2号車
【ウイング・シート車2110(サハ2100形T)の車内】
ウイング・シート車2110(サハ2100形T)の車内
【ウイング・シート車2110(サハ2100形T)のシート】
ウイング・シート車2110(サハ2100形T)のシート

 先程書いたように、この列車の指定席「ウイング・シート」は入手済みで、その車両は8両編成の前から7両目(後ろから2両目)となる2号車。車番は片側2扉のうち、前方(泉岳寺方)の扉は乗車できないようになっていて、後方(三崎口方)の扉には男性のウイング・アテンダントさんがチケットのチェックのために経っていました。そのウイング・アテンダントさんにスマートフォンの画面を見せて乗車。自席は前側の直後で、眼前の衝立が膝にタイトに迫ってくる感じ。(ちょっとハズレかも。)

【京急久里浜駅-北久里浜駅間】
京急久里浜駅-北久里浜駅間

 やがて定刻となり、この車両には私1人を乗せ、三崎口駅を発車。序盤は、この列車も進行方向右側と先程までと反対方向ながら、ここ数時間で見慣れた三浦半島の景色が続きます。それを眺めつつ、堀ノ内駅までは各駅に停車。

【堀ノ内駅-県立大学駅間】
堀ノ内駅-県立大学駅間

 堀ノ内駅からは、これまでの久里浜線から本線(京急本線)へと。それでこのこの京急本線、品川駅を起点に、終点の浦賀駅までの55.5kmと、後に延長された泉岳寺駅までの1.2km、合計56.7kmの路線。起点終点駅を含む駅数は50駅で、全線複線化、更に子安駅-神奈川新町駅間は3線、金沢文庫駅-金沢八景駅間は複々線化されています。

 その歴史ですが、もともと川崎と川崎大師を結ぶために設立された大師電気鉄道が、京浜間(東京と横浜の間)の路線建設を目指し社名を「京浜電気鉄道」改名したのが明治32年(1899年)。そし明治34年(1901年)2月、大森停車場前駅(後に廃止)-八幡駅(現在の大森海岸駅)-川崎駅(後に六郷橋駅となりその後廃止)が開業。この時、京急の最初の記事でもちょっとだけ書いたとおり、全区間軌道条例に基づく軌道路線で、軌間(2本のレールの間隔)は1435mmでした。

 その後、翌年の明治35年(1902年)9月、川崎駅を六郷橋駅に改名し、新たな川崎駅(現在の京急川崎駅)まで延伸。明治37年(1904年)3月に、軌間を全区間1372mmに改軌しますが、これは東京市電への乗り入れを意図したもの。同年5月に品川駅(現在の北品川駅)-八幡駅間が開業。また遅くともこの頃から、開業当時は併用軌道だった路線を、徐々に専用軌道に付け替えているようで。そして明治38年(1905年)に川崎駅-神奈川停車場前駅(後の京浜神奈川駅でその後廃止)間が開業。明治39年(1906年)に雑色駅-川崎駅間が新線に付け替えられ、六郷橋駅-川崎駅間は大師線に移管となりました。更にその後、品川駅-高輪駅(後に廃止)間が開業し、品川駅は北品川駅に改名。同時に、高輪駅で接続する東京市電品川線が北品川駅まで乗り入れる事となりました。もっとも、川崎方面からの乗客は、高輪駅ではなく北品川駅で東京市電に乗り換えてしまい、京浜電気鉄道に旨味はあまりなかったそうなのですが。そして昭和に入って昭和4年(1929年)、京浜神奈川駅-横浜間が開業。ただしこの時の横浜駅は仮駅で、翌年2月に、現在の横浜駅に乗り入れを果たしました。

 一方、先程の逗子線のところでも書いたように、昭和5年(1930年)4月、京浜電気鉄道が資本参加した湘南電気鉄道が、現在の逗子線の一部とともに黄金町駅-浦賀駅間を、軌間1435mmで開業。翌昭和6年(1931年)には京浜電気鉄道が横浜駅-日ノ出町駅間を、湘南電気鉄道が黄金町駅-日ノ出町駅間をそれぞれ軌間1435mmで開業させ、横浜駅-浦賀駅間で両鉄道の相互乗り入れが始まりました。そして昭和8年(1933年)4月、これまで東京市電と相互乗り入れを行って高輪駅をターミナルとしていた京浜電気鉄道ですが、東京市電乗り入れを廃止して現在の品川駅に乗り入れると共に、北品川駅-横浜駅間の軌道を1435mmに改軌。品川駅-浦賀駅間での直通運転が開始に。更に昭和16年(1941年)に湘南電気鉄道は京浜電気鉄道に合併され、翌昭和17年(1942年)年、戦時体制下による陸上交通事業調整法によって、京浜電気鉄道は東京急行電鉄、いわゆる大東急に合併されました。で、この大東急に合併後、法的に軌道区間として残っていた品川駅-横浜駅間を地方鉄道法による鉄道路線に変更(ただし実際には昭和31年(1956年)まで併用軌道区間が残置)したり、旧京浜電気鉄道と旧湘南電気鉄道で異なっていた架線電圧を1500Vに統一したりしています。

 そして昭和23年(1948年)6月、大東急から京浜急行電鉄(京急)が分離独立。翌月には品川駅-浦賀駅間の直通運転が復活。その後は主に、特急など優等列車の増発とスピートアップ、そして路線の高架化などの改良が主となったものの、昭和43年(1968年)に品川駅-泉岳寺駅間が開業し、都営地下鉄1号線(現在の浅草線)と相互乗り入れが開始されました。

 それと現在、本線を走る列車は、自社線内で完結するモーニング・ウイング、イブニング・ウイング、快特、特急、エアポート急行、普通列車のほか、京成線や成田スカイアクセス線と直通するエアポート特快、快特、エアポート急行など、多種多様なものとなっています。

【金沢八景駅-金沢文庫駅間】
金沢八景駅-金沢文庫駅間

 と、さすがは本線だけあって重厚長大な説明文となってしまったのですが、そんな本線を、途中駅を通過しつつ列車は快走。横須賀中央駅、金沢八景駅と停車していくにつれ、地形は半島の起伏の多いところから横浜市の郊外にもかかわらずわりと平らなところへと変わっていきます。もっとも、地形は変われど、建物が建てられそうなところにはびっちりと住宅などが立ち並んでいるのには変わらないのですが。そして京急の車両基地の一つである金沢検車区の横を通って金沢文庫駅へと。

【杉田駅-屏風浦駅間】
杉田駅-屏風浦駅間
【上大岡駅-弘明寺駅間】
上大岡駅-弘明寺駅間
【横浜駅停車】
横浜駅停車

 金沢文庫駅から途中の上大岡駅を経て横浜駅までの区間は、今日、まだ乗っていなかったところ。もっとも、たまに高架線になって視界が広がっても、果てしなく広がる建物が目に入ってくるだけ。ただ、最初は戸建住宅が目立っていたのが、大都市横浜市の中心部に近づくにつれ、高いマンションが増え、商業ビルも混ざってくるという感じでの変化はありますが。それと、JR線で横浜以西の区間に乗った時って、横浜郊外らしい丘陵地帯がやたらと目に入った記憶があるのですが、この京急本線の泉岳寺行きに乗って進行方向右側、ようは海側を見ている限り、わりとフラットな地形しか目に入らない印象です。(山側の景色はまた違うんでしょうけど。)

【八丁畷-京急川崎駅間】
八丁畷-京急川崎駅間
【京急川崎駅-六郷土手駅間】
京急川崎駅-六郷土手駅間

 横浜駅を発車した列車は、先程よりもスピードを上げ、まさしく「疾走」という感じで走行。というのもここから品川駅まで特快列車は、関東地方の私鉄では成田スカイアクセス線の160km/hに次ぐ、最高速度120km/hで走れる区間となっているからでして。更に駅間距離も短く、気がつくと駅をいくつも通過していたり。その高速で後ろに流れる景色を眺めているうちに、京急川崎駅、京急蒲田駅と停車。

【平和島駅通過】
平和島駅通過
【北品川駅-品川駅間(踏切)】
北品川駅-品川駅間(踏切)
【北品川駅-品川駅間(JR線跨線橋)】
北品川駅-品川駅間(JR線跨線橋)

 京急蒲田駅を出ると、いよいよ都心に近づくという感じで、高い建物が視界を遮ることが多くなるような。そして、北品川駅を通過した直後に踏切を渡って、続けてJR線をオーバーパス。ちょっとターミナル感がある、品川駅へと到着します。ここまで三崎口駅から約65分、横浜駅から約17分と正直もう少し乗っていたい気持ちなのですが、品川駅を出た列車は地下に潜って、定刻の15時4分、終点の泉岳寺駅に到着。ウイング・シート車両から降りたのは、私一人でした。

 そんなわけで、今朝の9時過ぎにここを出発してから約6時間で戻ってきたのですが、これで今回の、用足しで上京したついでの京急の旅を終えたいと思います。

【泉岳寺駅に到着した特快列車】
泉岳寺駅に到着した特快列車

蛇足

【新宿駅に入ってくる東京行き快速列車】
新宿駅に入ってくる東京行き快速列車
【東京駅に入ってくる折返し最終の東北新幹線なすの281号】
東京駅に入ってくる折返し最終の東北新幹線なすの281号
【新幹線の車中でいただいた「村上牛しぐれ」】
新幹線の車中でいただいた「村上牛しぐれ」のパッケージ新幹線の車中でいただいた「村上牛しぐれ」の中身

 泉岳寺駅に到着後、都内で用足しを済ませ、帰りは、東北新幹線の那須塩原行き最終列車、なすの281号で那須塩原駅まで。その車中、東京駅で買った新潟の駅弁「村上牛しぐれ」でビールを。昼の「えきめんや」以来の食事が空きっ腹と、このところのコロナ騒動に疲れた心に染み渡りました。

この日の行程など

行程

泉 岳 寺
 09:10
  |京急本線・空港線
  |870H
  |エアポート急行
 09:35
羽田空港第1・第2ターミナル
 09:43
  |京急空港線
  |941T
  |エアポート急行
 09:55
京急蒲田
 10:01
  |京急本線
  |902
  |普通
 10:05
京急川崎
 10:14
  |京急大師線
  |1080
  |普通
 10:23
小島新田
 10:36
  |京急大師線
  |1085
  |普通
 10:46
京急川崎
 10:48
  |京急本線
  |1000A
  |快速特急
 10:55
横  浜
 11:04
  |JR根岸線
  |909A
  |普通
 11:22
新 杉 田
 11:30
  |横浜シーサイドライン
  |1109
  |普通
 11:56
金沢八景
 12:00
  |京急本線
  |1115D
  |エアポート急行
 12:03
金沢文庫
 12:17
  |京急本線・逗子線
  |1123D
  |エアポート急行
 12:27
逗子・葉山
 12:33
  |京急逗子線
  |1223D
  |エアポート急行
 12:40
金沢八景
 12:45
  |京急本線
  |1160SH
  |快特
 12:55
堀 ノ 内
 12:58
  |京急本線
  |1016
  |普通
 13:03
浦  賀
 13:18
  |京急本線
  |1351
  |普通
 13:23
堀 ノ 内
 13:25
  |京急久里浜線
  |1212A
  |快特
 13:43
三 崎 口
 13:56
  |京急久里浜線・本線
  |1313A
  |快特 ウィング・シート59号
 15:04
泉 岳 寺

運賃等(運賃は全てICカード)

京急 運賃 泉岳寺-羽田空港第1・第2ターミナル 333円
京急 運賃 羽田空港第1・第2ターミナル-小島新田 292円
京急 運賃 小島新田-横浜 242円
JR 運賃 横浜-新杉田 220円
シーサイドライン 運賃 新杉田-金沢八景 316円
京急 運賃 金沢八景-金沢文庫 136円
京急 運賃 金沢文庫-逗子・葉山 199円
京急 運賃 逗子・葉山-浦賀 314円
京急 運賃 浦賀-三崎口 283円
京急 運賃 三崎口-泉岳寺 650円
京急 ウイング・シート59号 300円
(合計 3285円)

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