たひお備忘録

とりとめのない趣味の、とりとめのない活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

『探訪!日本100名城』 40/100城目 佐倉城 【平成26年10月31日】

佐倉城址公園の看板

 前のお城を訪問してから約2ヶ月程開いてしまったのですが、『探訪!日本100名城』シリーズの第40城目は、千葉県で唯一日本100名城に認定されている、佐倉城です。


佐倉城について

 佐倉城は、千葉県佐倉市にある連郭式平山城。

 戦国時代中期の天文年間(1532~1552年)。下総の戦国大名である千葉氏の第26代当主、千葉親胤(ちかたね)の命によって、鹿島幹胤(もとたね)が築城したものの、家臣による親胤の暗殺(これには後北条氏が関わっているとのこと。)により築城途中で頓挫したとも。(城は出来なかったけど鹿島さんの名前は残り、その後この城を築こうとした台地は鹿島台と呼ばれるようになったそう。)またその後、千葉氏第26代当主、千葉親胤(くにたね)が本拠であった本佐倉城からこちらに居城を移そうとして改修しようとするも、親胤もまた家臣に暗殺(こちらの理由は、ちょっと…。)されてしまいそのままになってしまったとも言われています。

 それで佐倉城が完成というか、現在残るかたちになったのが江戸時代に入ってから。慶長15年(1610年)に佐倉藩主として入封した徳川幕府の重臣(家老)、土井利勝(としかつ)が、徳川家康の命によって慶長16年(1611年)から元和2年(1616年)にかけて改修(っていうか築城?)。佐倉は江戸の東を守る要衝だったので、当地に城が築かれることになったそうなのですが、北の印旛沼へと続く低湿地帯(干拓前で広大なものだったそう)、南の鹿島川とそれに合流する西の高崎川に囲まれた台地の先端部分という地形を利用し、そこに水堀、空堀、土塁を配した、石垣を用いない造りになっています。それでその後は幕末まで佐倉藩主の居城となりました。

 ちなみにその佐倉藩主というか城主ですが、寛永10年(1633年)に利勝が下総国古河藩へ移封となってから、延享3年(1746年)に堀田正亮(まさすけ)が出羽国山形藩から入封するのでの間は徳川譜代の大名でめまぐるしく変わったというか。当時の江戸幕府では、要職に就くと佐倉藩主になるというお約束でもあったのでしょうか。(参考までに、その間の佐倉藩主を列挙すると、石川忠総、松平家信、松平康信、堀田正盛、堀田正信、松平乗久、大久保忠朝、戸田忠昌、戸田忠真、稲葉正往、稲葉正知、松平乗邑、松平乗佑となります。)で、堀田正亮の後は幕末まで堀田家が代々(正順、正時、正愛、正睦、正倫)城主を務めることになるのですが、中でも正睦(まさよし)は幕末に日本の開国に尽力したとして知られています。

 やがて明治に入り、いわゆる廃城令が公布されますが、佐倉城は存城とされたものの、大日本帝国陸軍の駐屯地にするため建物は全て払い下げられるか取り壊されてしまいました。そして戦後は、昭和37年(1962年)に市の史跡に指定され、昭和54年(1979年)から公園として整備を開始。昭和58年(1983年)には国立歴史民俗博物館が開館し、現在に至ります。

実際に行ってみた

【東関東自動車道四街道IC】
東関東自動車道四街道IC
 自宅から佐倉城までは、カーナビ代わりのスマホアプリのに従って東北道~首都高~東関東道というルートで行ったのですが、佐倉ICではなく1つて前の四街道ICで降りろという指示。で、その後も指示通り走っていたのですが、国道264号で佐倉城がある台地の先端部分をぐるっと回るようなルートを指定され、途中で水堀などを車窓から眺められたのは良かったというか。

【歴博(国立歴史民俗博物館)入口交差点】
歴博(国立歴史民俗博物館)入口交差点
 それでここから、佐倉城のある台地にぐいっと登っていくことに。で、歴博のほうの駐車場にクルマを止め、いざ。ちなみに自宅からは午前7時に出発し午前10時前の到着の、約200kmの道程。自宅を出る時は晴れていたのですが、途中から雲行きが怪しくなり、この辺りは何時降り出してもおかしくないような曇り空となっていました。

【姥が池】
姥が池
【空堀(ピンボケ申し訳ない)】
空堀(ピンボケ申し訳ない)
 それでまず、日本100名城スタンプラリーのスタンプが置いてある佐倉城址公園センターへと向かったのですが、その途中にあったのが「姥が池」と呼ばれる池。その名の由来は、天保年間には、家老の娘を子守していた姥が誤って娘を助に落として死なせてしまい、困り果てた姥も自ら池に身を投げたという悲惨なもの。そしてその後、三の丸外周にいくつかある空堀が現れたのですが、その堀の配置が案内図で見ると、ちょっと面白いというか。

【自由広場】
自由広場
【佐倉城址公園センター】
佐倉城址公園センター
 で、空堀を過ぎると現れるのが、だだっ広い自由広場兼駐車場。このあたりは以前、城の東側の武家屋敷だったあたりでしょうか?で、この一角にあるのが佐倉城址公園センター。ここで日本100名城スタンプラリーのスタンプと共にお城のパンフレットをゲット。ちなみに、小さい建物ですが、中には城の資料が展示してありました。

【三の丸の空堀(1)】
三の丸の空堀(1)
【三の丸の土塁(1)】
三の丸の土塁(1)
【三の丸の空堀(2)】
三の丸の空堀(2)
【三の丸の土塁(2】
三の丸の土塁(2) 
【三の丸】
三の丸
 スタンプ等をゲット後、外周の空堀を渡って城内(三の丸)へ。お城に向かって左手の空堀はかなりの広さですね。そしてその反対側は狭いけどかなりの深さ。で、三の丸外周には土塁が残っていたのですが、個人的に土塁好きなのでテンション上がってきたのですが、降り出した雨によって相殺されてしまったというか…。

【二の丸の空堀】
二の丸の空堀
【堀田正睦公像】
堀田正睦公像
【タウンゼント・ハリス像】
タウンゼント・ハリス像
【二の門跡】
二の門跡
【二の丸の土塁】
二の丸の土塁
【二の丸】
二の丸
 三の丸の次は二の丸となるのですが、ここも外周の空堀の一部が残って井下。で、二の丸の入口には、前出の堀田正睦公と、日米修好通商条約を締結させたタウンゼント・ハリスの銅像が建っていました。で、その像の間を通って二の門跡、そして二の丸へ。ここも三の丸同様、外周部には土塁が残っていました。

【帯曲輪】
帯曲輪
 で、このまま本丸へと行ってしまっても良かったのですが、ここでちょっと戻って、本丸の外周を囲む帯曲輪へと降りてみることにしたのですが、斜面の途中た設けられた小径をだひたすら進むという感じで。

【水堀と門】
水堀と門
【門】
門
【水堀】
水堀
 長い帯曲輪を抜けると、左手に水堀が。それに向かって降りていくと古い門があるのですが、これが佐倉城唯一の建築物遺構で、一度城外に移築されたものを、再びこの地に移築したものです。もっとも、城内にあった時は門じゃなかったという話もあるようですが。で、来る時に国道264号からみたのはこの辺りの景色だったのですね。

【出丸】
出丸
 門から再び城内に入って左手にあるのが、土塁に囲まれた出丸。実は先程その真横を通っていたのですが、水堀と門に曳かれてとりあえず後回しにしたもので。

【へび坂の登り口】
へび坂の登り口
【へび坂の途中】
へび坂の途中
 ここから本丸方向に行くには、再び坂道を登らなくてはならないのですが、その坂には「へび坂」と名前が付いています。で、この坂道、途中に「荒天時通行注意」の看板が立てられていたのですが、確かに、雨降りだったこの日も足下は滑りやすかったです。

【再びの三の丸】
再びの三の丸
【角馬出し空壕(1)】
角馬出し空壕(1)
【椎木門跡】
椎木門跡
 へび坂を登り切ると再びの三の丸。ここから二の丸、そして本丸方向にむかうのですが、途中、この佐倉城址で一番有名な遺構だと思われる角馬出しの空壕が目に入るのですが、それはあとでじっくり見るとして、椎木門跡から再び二の丸に入り本丸方向へ。

【本丸の空堀】
本丸の空堀
【一の門跡】
一の門跡
【本丸の土塁】
 本丸の土塁
【本丸】
本丸
【天守址】
天守址
 かなり大きなものが残る空堀を過ぎ、一の門跡を通って本丸へ。本丸も二の丸、三の丸同様、周囲の土塁が残っています。それで本丸で興味を惹かれたのが、階段状になった天守跡。元からこういうカタチだったのか、天守台の有無を含めてちょっと謎だったというか。

【礎石】
礎石
 あとは、先程最後に回した角馬出しを見るだけとなったのですが、その途中の二の丸にあったのが、かつて城の建物に使われていた礎石。陸軍駐屯地にする際、これらの礎石を新たに建築する軍施設の礎石として流用したそうで。

【角馬出し空壕(2)】
角馬出し空壕(2)
【角馬出し空壕(3)】
角馬出し空壕(3)
 前述のとおり、最後はコレ。見て回ると思った以上に大きいです。

【国立歴史民俗博物館】
国立歴史民俗博物館
 佐倉城のあとは、こちらも見学。時間的な都合などによりサラっと流した程度になってしまったのですが、しっかり見ようと思ったら、一日がかりになりそう、という感じ。っていうか、ここは観光で来る場所ではなく、勉強しに来る場所ですね。で、いつか時間を取って、また来たいと思います。

感想とかまとめとか

 というわけで佐倉城だったのですが、東国らしい土のお城で、前述のとおり城のある台地から一度降りて再び登ったりしたお陰で、城域の地形も堪能できました。っていうか、個人的には事前に調べた時に抱いた印象と、実際に行ってみた時に感じた印象が違ったというか、「まさかこれほどまでにダイナミックだったとは!」という感じでした。それにしても、天気が良い時に来たかったなぁ…。

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