たひお備忘録

惑い迷える40代の、食べ歩き、競馬の旅打ち、城巡りなんかの記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

『探訪!日本100名城』 38/100城目 中城城 【平成26年8月27日】

史跡 中城城跡 の石碑

 8月末の沖縄に到着した初日。途中で沖縄そばをいただきつつ首里城の次に向かったのは、首里城同様に日本100名城のひとつにもなっている中城城(なかぐすくじょう)。それにしても、中城城って個人的には「頭痛が痛い」みたいな言い方に聞こえるのですが。


中城城について

 中城城は、沖縄県中頭郡北中城村及び中城村にあるグスク。それで中城城といえば、切っても切れないのが護佐丸という人なのですが、それを含めてざっと以下に。

  • 築城開始は、グスク時代のうち三山時代に入った頃の14世紀中頃で、その後按司の一族が数世代をかけ、南の郭、西の郭、一の郭、二の郭を築造ていったと考えられているそう。ただし、発掘調査では出土した遺物が14世紀後半の物であるので、グスクとして使用されたのはその頃からとみられています。
  • 1422年頃に尚巴志が琉球を統一し、第一次尚王統が開始されるのですが、その少し前の1416年。尚巴志が北山征伐の軍を興すと、読谷山の有力按司の1人として合流したのが護佐丸。海路を通った尚巴志の本軍と共に、陸路を通って今帰仁城に攻め入り、北山王国を滅ぼしました。
  • 北山王国滅亡後、護佐丸は北山守護職に任じられたのですが、程なくして出身地読谷山に近い座喜味に築城を命じられ、尚巴志が琉球を統一する頃の1422年に完成させました。そして完成後は護佐丸自身も王命によって座喜味城に移封されたのですが、城喜味城に居た18年の間に、中国や東南アジアとの海外交易を手がけ、第一尚氏王統を経済的に支えたそうで。
  • 1440年、護佐丸が王命により座喜味城から移封。この当時、本島中部にある勝連を本拠とする茂知附(もちづき)按司が台頭してきているのですが、その対応のの為とのこと。それで護佐丸は、勝連の攻撃に備えて、三の郭と北の郭を増築したそうで。そしてその後勝連は、麒麟児と称された阿麻和利がクーデターにより奪取し、東アジアとの海外貿易によってますます力をつけました。また当時、尚氏王家は、1453年に起きた後継争いである志魯・布里の乱の後、第六代国王に尚泰久が即位しましたが、その際の内乱によってその権威は失墜していたらしいです。
  • そんな中、1458年に「護佐丸・阿麻和利の乱」が勃発。これには諸説有って、尚泰久王が脅威に感じていた護佐丸と阿麻和利を滅ぼす為に一計を案じたという説もあるのですが、有名なのは、阿麻和利に対抗するため護佐丸が兵馬を整えていたところ、逆に阿麻和利が、護佐丸に謀反の動きがあると尚泰久王に讒言。それを聞いた王は阿麻和利に護佐丸討伐を命じ、阿麻和利は王府軍を率いて、旧暦の8月15日、月見の宴の最中であった中城を包囲したのですが、護佐丸は身の潔白を訴える為に反撃せず、妻子とともに自害したという話ではないかと。
  • これによって結果的に主の居ないグスクとなった中城城ですが、王府の直轄地となって王族又は代理の者が1469年まで管理した後、1470年からは第二尚氏王の(皇太子にあたる)世子が中城王子と称し、当地を領したそう。その後、1609年の薩摩藩による琉球侵攻後は番所が置かれたらしいのですが、中国からの冊封使節団が来琉した際、薩摩の役人は自らの存在を中国に知られないためにここに隠れていたという伝承もあるそうで。そして1729年に、一の郭に造られた中城間切番所は1879年(明治12年)の琉球処分後も残り、1897年(明治30年)中城間切役場に改称後、1908年(明治41年)には町村制の実施によって中城村役場となったのですが、1945年(昭和20年)の沖縄戦により焼失してしまいました。
  • また1853年には、マシュー・ペリー提督率いる一行が開国を求めて来日した際に当地にも立ち寄って、城跡の調査測量等を行ったそうで。で、その時、石積みのレベルの高さに驚嘆した、なんて話も。
  • 沖縄戦での被害は(番所は燃えたけど)比較的少なかったそうで、戦後は、中城城公園として整備されることに。で、1955年(昭和30年)には琉球政府文化財保護委員会によって史跡名勝重要文化財(建造物)に指定されたのですが、同年、城の一の郭にホテルを建設する計画が立てられ問題に。結局、そのホテルは城壁外の高台に建設場所を変更することになり、1975年の沖縄海洋博に合わせて開業するよう建設工事が進められたのですが、その企業が倒産したり何だりで建設が中断し、以後、廃墟として現在に至っています。(その筋では有名な物件だそうで。)
  • 1972年(昭和47年)、沖縄の本土復帰に合わせて国の史跡に指定。その後、2000年(平成12年)にはユネスコの世界文化遺産にも登録されました。

実際に行ってみた

【沖縄道北中城IC】
沖縄道北中城IC
 首里城を後にし、那覇ICから沖縄自動車道に。で、10分程走ると、もう最寄りICである北中城へ到着。

【駐車場】
駐車場
【駐車場から見た中城城】
駐車場から見た中城城
 その後、前述の沖縄そば屋さんで昼食の後、いざ、中城城へ。ちなみに時刻は正午の少し前ということで、この時点で、かなり厳しい暑さになっています。で、駐車場から見える山の上にはお目当ての中城城と、その奥には前述の廃墟(中城高原ホテル)が見えました。

【顔出し看板】
顔出し看板
【案内図】
案内図
【料金所】
料金所
 駐車場から坂をちょっと登って料金所へと向かえば、ご当地ゆるキャラ『護佐丸』の顔出し看板や案内図があるのですが、その案内図を見ると、このグスクが山の稜線に沿って築かれていたことが何となくわかるような。で、それらの向かいにある料金所で、日本100名城スタンプラリーのスタンプをいただき、入場料を払って、いざ。

【坂を登ると】
坂を登ると
【要注意外来生物】
要注意外来生物
 料金所からの坂道を登ると、目に飛び込んでくるのがこの光景。青い空と緑の芝生の間に城壁の石垣という、なかなかに素晴しい光景ですね。でも、城壁に近づこうと芝生を歩いていると、そこに見慣れない物体が。よく見ると、これ、要注意外来生物指定(沖縄県では駆除対象)でヤバイ寄生虫である広東住血線虫の宿主(もっとも、素手で触らない限り大丈夫ですが。)のアフリカマイマイでは。いやぁ、噂には聞いていましたが、実物は結構グロイですね。

【三の郭の城壁】
三の郭の城壁
【三の郭の内部】
三の郭の内部
 それでまずは聳え立つ三の郭の城壁を堪能。ちなみに三の郭はこのグスクで最後の方に増築されたので新城(みーぐすく)とも呼ばれるそうで、その城壁の石積はこのグスクで最も進んだ積み方である相方(あいかた)積み(亀甲乱積み)によってなされています。それにしても、石積が真っ直ぐではなく正面が凹んだようになっているのは、どのような意味があるのでしょうか。また、内部は城壁の立派さに較べると意外とコンパクトな印象でした。

【裏門】
裏門
【裏門付近の石積み】
裏門付近の石積み
 三の郭の北側が中城城の裏門になっているのですが、門のところのアーチ状の石積みが見事ですね。で、ここから内部にお邪魔します。

【北の郭と大井戸(ウフガー)】
北の郭と大井戸(ウフガー)
【大井戸(ウフガー)】
大井戸(ウフガー)
 裏門から入ったところが、護佐丸の時代に増築されたという北の郭。で、ここには大井戸(ウフガー)と呼ばれる井戸が有り(っていうか、井戸を取り込むように増築したとも。)、現在でも水を湛えていました。

【二の郭】
二の郭
【二の郭の城壁】
二の郭の城壁
 北の郭から西の郭をちょっとだけ通って急な階段を登ると二の郭へ。三の郭よりは広い印象です。で、ここには太平洋を一望できるビューポイントがあり、いかにもなカップルの彼女さんが「うわぁ、きれい!!」と言っているのを聞いて、何故かわからないけどこっちが妙に気恥ずかしくなってしまったりして。と、そんなことはさておき、美しいカーブを描くこちらの城壁は四角く整形した石を積み上げた、いわゆる布積みになっています。

【一の郭の城壁】
一の郭の城壁
【入口の石積みのところにあった門の跡】
入口の石積みのところにあった門の跡
【一の郭】
一の郭
【正殿跡】
正殿跡
 二の郭から一段高くなって城壁で区切られているのが、中城城の主郭であった一の郭。正殿などがあっただけあってとても広いです。で、ここに置いてあったテント下のベンチで一休みしたのですが、日差しさえ遮れば何とも快適だったというか、とっても気持ち良い風が吹いていました。ちなみに、前述の中城村役場もここにあったらしいのですが、役場に用事のある人はここまで登ってくるの大変だったよなぁ、なんて思ったりして。

【南の郭】
南の郭
 一の郭から(二の郭とは正反対の方向に)一段下がったところにあるのが南の郭。発掘調査中で一部立入が制限されていました。で、この郭ですが、拝所が多くて写真を撮るのがちょっとはばかられるような感じで。

【南の郭の出口から一の郭の城壁を望む】
南の郭の出口から一の郭の城壁を望む
 写真がアレなのですが、野面積みと布積みの石積が混在しているのがわかりますでしょうか。

【正門】
正門
 現在の順路だと裏口みたいな感じになっていますが、南の郭から西の郭に降りたところ付近にあるのが、中城城の正門。裏門のようにアーチ場の石積はありませんが、それは元々こちらが櫓門だった為だそうです。

【南の郭の城壁とカンジャーガマ(鍛冶屋跡)】
南の郭の城壁とカンジャーガマ(鍛冶屋跡) 
 正門から南に進むと広場みたいなところに出るのですが、そこから南の郭方面を見ると、中城城が岩山の上に築かれている様子がわかります。で、写真の中央右あたりにある窪みがカンジャーガマ(鍛冶屋跡)と呼ばれるところで、一説によれば護佐丸が阿麻和利に備えるために武具を造っていたそうで。

【中城高原ホテル跡】
中城高原ホテル跡
 グスクの突き当たりというか更に奥にあるのが、その筋では有名な廃墟物件である中城高原ホテル。何ていうか、諸行無常という感じですなぁ…。

【護佐丸の墓入口の石碑】
護佐丸の墓入口の石碑
 そして最後は、ちょっと離れたところにある護佐丸のお墓にご挨拶。ちなみにここ、駐車場は無く、入口のある道路も幅員が狭いので、結構歩くことにはなりますが、クルマは中城城に置いたままの方が良いかもしれません。

感想とかまとめとか

 というわけで、中城城だったのですが、どちらかというと宮殿というイメージの首里城と較べると、こちらは「The グスク」という感じがしました。それでどちらが良いというのは無いのですが、こちらはこちらで、何かこう、グっと来るものが。特に3種類の積み方で積まれた石積の見事さにはやられましたし、他にも大井戸(ウフガー)や南の郭の神秘的な雰囲気も印象深かったです。もっとも、個人的に一番思い出に残ったのは、一の郭のベンチで、その風に当たりながら休んでいたときに感じた、なんとも心地良い感覚なのですが、これは丁度お昼時で他に人が居なかったのも大きいですし、再現不可能なのが残念だなぁ、と。ともあれ、首里城以外のグスク初体験は、とても興味深く、良いものでした。

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