たひお備忘録

惑い迷える40代の、食べ歩き、競馬の旅打ち、城巡りなんかの記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

『探訪!日本100名城』 22/100城目 五稜郭 【平成25年8月26日】

特別史跡五稜郭跡の石碑

 四稜郭を訪れた後は、同じ函館市内の五稜郭へ。実はこちらにお伺いするのって、個人的に二度目だったりします。


五稜郭について

 五稜郭は、北海道函館市にある西洋式城郭。現在は国の特別史跡に指定されています。

 嘉永6年(1853年)に、マシュー・ペリー率いるアメリカ合衆国艦隊が、「開国してくーださいよー。外人なめると後が怖いよ~。」(by 宮崎吐夢さんのネタ)と言いつつ日本に来た、いわゆる『黒船来航』によって幕府は開国を決定。翌年の嘉永7年(1854年)に締結された日米和親条約によって、翌年から箱館が条約港として薪や水、食料などの補給港として開港することになりました。その際、ペリーは函館にも立ち寄って測量などを行っていったらしいのですが、ペリーが函館を去って約一ヶ月後、幕府は箱館奉行所を置き、箱館周辺(その後一時蝦夷地全土)を直轄領して治めると共に、海岸線の防衛や開港に伴う外国との諸問題解決にあたらせることにしました。

 その箱館奉行所。当初は湊を見渡せる箱館山の麓に置かれていたのですが、湊を見渡せるということは、入港する外国船からも丸見え(=湊から大砲での直接攻撃が容易)で、しかも開港の際に外国人の立ち入り可能な土地(遊歩地)を港から5里四方としたので、そこに含まれる箱館山の山頂付近からは市中にある支配向役宅などが背後から見通せ、攻撃の際にはそれらが標的にされやすいという問題が。そこで箱館奉行所や役宅を移転することとなったのですが、その移転先として決まったのが、(当時は)箱館のお隣であった、亀田村の柳野というところ。湊から3kmと当時の大砲の射程外(でも、湊からもさほど遠くない)であったことや、亀田川から水を引きやすいことなどが決め手となったようで。で、実際に作るに当たって設計を任されたのが、箱館奉行支配の諸術調所教授役で蘭学者の武田斐三郎という人物。当初は四方を土塁で囲んだものを予定していたらしいのですが、安政2年(1855年)に箱館に来たフランス軍艦の軍神から、当時、大砲や小銃による戦闘が主流となっていたヨーロッパの築城術が書かれた書籍を箱館奉行に贈呈。外国船に搭載された大砲に対応させるべく武田もその本から西洋式築城術を学び、稜堡式城郭として築城されることとなりました。

 そんなわけで、安政4年(1857年)春から、『亀田御役所土塁(かめだおんやくしょどるい)』として築造開始。設計では星形の凹部分全てに設けられるはずだった半月堡が予算の関係で1箇所になってしまったものの、翌年には主郭を周る堀と土塁が完成しました。しかし、冬の(蝦夷地ならではの)厳しい寒さで凍った土塁が春の雪解けと共に崩壊してしまい、結局は石垣を積むことになるというアクシデントも。また、万延元年(1860年)頃から始まった役宅の工事では、亀田川を水利とする蝦夷地では初の上水道が作られました。と、そんなこんなで、元治元年(1864年)に御役所の工事が完了し、箱館奉行所が移転。その後も関連した工事は続き、全てが完成したのは慶応2年(1866年)の事だったのですが、その翌年の慶応3年(1867年)、15代将軍徳川慶喜は大政奉還を行い、江戸幕府は滅亡。その翌年である明治元年(ただしこの時点では慶応4年)の5月から、箱館奉行所も新政府による箱館裁判所(といっても現在の裁判所とは別物。後の箱館府。)となりました。

 その頃、戊辰戦争は結成されたばかりの奥羽越列藩同盟と新政府軍との戦いという局面になってきていたのですが、各地で新政府軍に押され降伏が相次ぎ、9月下旬には同盟が崩壊。一方で、旧幕府軍主力艦隊を率いて品川沖から脱走してきた榎本武揚が8月末に仙台に到着。列藩同盟崩壊によって行き場を失った大鳥圭介や土方歳三などの旧幕府脱走兵を艦隊に収容し、10月12日に蝦夷地に向け出航しました。その後、20日には鷲ノ木(現在の森町)に到着。戊辰戦争の最終局面である箱館戦争が始まりました。で、旧幕府軍は箱館に向け進軍を開始。緒戦で敗れた新政府側の箱館府知事が10月25日に青森へ退却したこともあり、翌26日には五稜郭を無血占拠。さらに松前、江差方面へと進軍し、蝦夷地全域を制圧しました。しかし翌明治2年(1869年)。春を待って津軽海峡を渡り進軍してきた新政府軍は、圧倒的戦力をもって各地で旧幕府軍を撤退に追い込み、4月末には箱館を除く道南各地をほぼ制圧。そして5月11日、新政府軍は箱館総攻撃を開始しました。五稜郭からは、土塁の上に配置したカノン砲を七重浜方面に向けて援護射撃を行ったのですが、射程が短く港まで砲弾は届かず。逆に5月12日、箱館港から新政府軍の新鋭艦『甲鉄』が、五稜郭に向かって艦砲射撃で攻撃。五稜郭を作った際、函館湾からの砲撃の射程外にした筈だったのですが、その後の技術の進歩により、いまや完全に射程距離内になっていました。またこの際、旧奉行所屋上の鐘楼が丁度良い目標になってしまい、旧幕府軍は慌てて鐘楼を取り壊したのですが、既に砲撃の際の射角は知れ渡った後でした。その後も五稜郭を拠点に戦闘は続いたものの、18日に五稜郭が降伏し、箱館戦争が終結しました。

 その後の五稜郭ですが、明治4年(1871年)までには五稜郭内の建物の大半が解体され、材木などは開拓使官舎に使われたそうで。その後、要塞兼練兵場として陸軍省の管轄下に置かれていたのですが、大正3年(1914年)に公園として一般市民に開放。大正11年(1922年)には国の史跡に指定され、昭和27年(1952)には国の特別史跡となりました。そして昭和60年(1985年)からは奉行所跡等の発掘調査を開始。平成18年(2006年)から箱館奉行所の復元工事が着工し、平成22年(2010)に完成しました。

実際に行ってみた

【堀の外側の遊歩道と五稜郭タワー】
堀の外側の遊歩道と五稜郭タワー
 冒頭に書いたとおり、五稜郭にお伺いするのは個人的に二回目。で、前回と同じく観光駐車場にクルマを停め、堀の外側にある遊歩道を通って表門に当たる一の橋・二の橋方面へ。ちなみに、今回は背後にそびえる五稜郭タワーは前回登ったこともありスルーさせていただきました。

【半月堡の上から二の橋方向】
半月堡の上から二の橋方向
 一の橋を渡って、予算の関係で1つしか作られなかった半月堡へ。ここって、確か前回も登った覚えが。

【本塁石垣と内堀】
本塁石垣と内堀
 五稜郭は基本的に土塁で囲まれているのですが、橋が架かる3箇所(うち1箇所は現在橋なし。)は外側に低塁を構え、その内側の本塁には石垣が積まれています。で、正面に当たる二の橋を渡ったところの石垣は、城内で一番高く、そして天辺には武者返しの刎ね出しが。ちなみに石垣の石は、函館にある立待岬の石などが使われているそうで。

【土方歳三埋葬地?】
土方歳三埋葬地?
 新撰組副長であつた土方歳三は、5月11日の箱館総攻撃の際、一本木関門で戦死したとされているのですが、その後埋葬されたところは特定されていないそうで。で、そう言われている場所のうちの一つが、五稜郭内にあるこちら。西を向いた稜堡(星型の突き出たところ)内にある、松の木の生えた土饅頭とのこと。もっとも、五稜郭内に埋葬された遺体は、明治11年の土塁修復の際、市内にある願乗寺に改葬されたそうですが。

【箱館奉行所】箱館奉行所

 こちらは復元された箱館奉行所。こちらも五稜郭タワー同様、前回お伺いしたので今回はスルー。ちなみに、日本100名城スタンプラリーのスタンプは、この近くにある休憩所の中と、五稜郭タワー内にあります。

【弾薬庫跡】
弾薬庫跡
 こちらは、北西側の稜堡部分にある弾薬庫跡。ちなみに五稜郭の稜堡部分には、土塁をくり抜いて作った弾薬庫が6箇所あったそうたで。

【裏門橋付近】
裏門橋付近
【裏門橋から入ったところの石垣と内堀】
裏門橋から入ったところの石垣
 こちらは前回お伺いした時、確か工事中で入れなかった裏門橋付近。たしかに二の橋付近と較べると、石垣が低く、武者返しも付いていませんね。

【仮牢跡】
仮牢跡
【板倉】
板倉
 五稜郭内の各所には建物跡が案内板と共に判るようになっているのですが、板倉については跡では無く建物が復元されていました。

【大砲を運んだ坂】
大砲を運んだ坂
 五稜郭の5つの稜堡には、箱館戦争の際、土塁の上に大砲を運んだ坂が旧幕府軍によって築かれたのですが、他の4箇所が土塁に沿って築かれたのに対して、この北東の稜堡は頂点に向かって築かれています。

感想とかまとめとか

 というわけで、二度目ということもありわりとさらっと見てまわったつもりなのですが、それでも、各所に整備された案内看板のお陰も多分にあって、例えば場所による石垣の違いなど、前回気付かなかったことにも今回は気付くことができ、なかなかに興味深かったというか。幕末から明治維新にかけての流れは、個人的にキツイというか、知れば知る程生々しく感じられてしまうのですが、それでも機会があれば、また来てみたいと思います。

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