たひお備忘録

とりとめのない趣味の、とりとめのない活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

阪神電気鉄道・山陽電気鉄道・神戸電鉄など乗車記 【令和2年2月5日~6日】 その1 (計画編、阪神電気鉄道・山陽電気鉄道編 Part 1)

武庫川団地前駅に停車中の武庫川行き普通列車

 先月というかつい2週間ほど前、岐阜県の笠松競馬場を訪れたついでに、岐阜県と愛知県に路線を持つ名古屋鉄道の全線に乗ってしまったのですが、今回も兵庫県の姫路競馬場を訪れたついでに、兵庫県と大阪府に路線を持つ阪神電気鉄道、山陽電気鉄道、神戸電鉄の旅客営業路線全線と、神戸高速鉄道、阪急電鉄の神戸本線に乗ってきました。

 それで今回は計画編と、阪神電気鉄道と山陽電気鉄道編のパート1ということで、阪神電気鉄道の一部に乗り、尼崎駅の「阪神そば」でいただいた時のことを。


計画編

 前回の笠松競馬場の時もそうだったのですが、この姫路競馬場に今回お伺いする目的は、全国の地方競馬場全15場を巡る『旅うまチャレンジスタンプラリー』(地方競馬全国協会主催)でした。

 それで行くことを計画している際、たまたま、何度か利用しているLCC「ジェットスター・ジャパン」の就航7周年記念セールというのをやっていたので、具体的な計画はまだ決まっていなかったのものの、とりあえず成田と関空の間の飛行機だけ予約したのが昨年(令和元年)7月のこと。往路は競馬場に行く前日の便、復路は競馬場に行った翌日朝の便にしました。(先にあげた文章に少々勘違いがあったので、そことこれ以降、事実に沿って修正しました。ボケたんかな、マジで。)

 その後、かねてより計画されていた北海道旅行(これも『旅うまチャレンジスタンプラリー』がらみ。)や、笠松競馬場に行く話とそれが台風19号のせいで日延べになったことなどがあり、またそれらに付属する諸々などに時間を取られたため、旅程については決めないまま越年。出発日がだんだんと近くなり、家人からも心配されるようになったところで、ようやく動き出したという。

 そんなグダグダな感じで計画を立て始まったものの、いざやるとなるとあれこれ詰め込みたくなり、最初は旅の2日目に姫路競馬場に行く際、阪神電気鉄道(以下、阪神)と山陽電気鉄道(以下、山陽)の「直通特急」に乗って、翌日は朝イチの便でかえって午後から仕事をと思っていたのが、最終的には帰りの便を午後に変更してまで、阪神と山陽の全線と、神戸市内で阪神や山陽などを接続させる神戸高速鉄道の全線(正確にはこの当時の全線ではないのですが、この時は勘違いしていました。)、また神戸高速鉄道つながりで神戸電鉄(以下、神鉄)の全線にも乗って、更には、阪神、山陽、神戸高速鉄道の立ち食いそば店にも立ち寄るという計画が出来てしまったという。

 ちなみに、今回乗る計画を立てた私鉄との個人的かかわりについてですが、阪神電鉄は実は過去2度ほどに乗ったことがあり、今から35年前の昭和60年(1985年)、当時の三宮駅(現在の神戸三宮駅)から当時の梅田駅(現在の大阪梅田駅)まで普通列車と特急か急行列車を乗り継いで乗ったこのと、3年前の平成29年(2017年)、大阪難波駅まで近鉄ビスタカーに乗って上本町駅に戻ってうどんを食べた後、快速急行と直通特急を乗り継いで神戸三宮駅まで乗ったことが。(ただ平成29年の時は、「ついで」に乗っただけなので、このブログで鉄道ネタとしては記事にしなかったんですよね。)そして山陽についてはこれまで一度も乗ったことがなく、旧国鉄そしてJR山陽本線を走る列車の車中から見たことがあるだけ。更に神戸高速鉄道や神鉄に至っては、多分一度も見たことがないかもしれません。(もっとも、神戸高速鉄道は車両は所有していませんが。)

阪神電気鉄道・山陽電気鉄道編 Part 1 (令和2年2月5日(水) ~阪神電気鉄道阪神なんば線・武庫川線)

 この日は、姫路競馬場に行くついでに、阪神と山陽の全線に乗り、その途中、阪神の「阪神そば」と山陽の「山陽そば」をいただく予定。

阪神電気鉄道阪神なんば線

【未明の御堂筋】
未明の御堂筋

 昨日、南海のなんば駅に近い宿に到着したのが夜中の11時過ぎで、今朝の出発が4時半過ぎと、明らかな寝不足ではあるのですが、今日、予定している路線と列車に乗るためにはこの時間に宿を出る必要が。(って、自分で計画したのですが。)それで眠い目をこすりつつ、近鉄と阪神が乗り入れる大阪難波駅へと向かいます。ちなみに難波は、数々の鉄道会社が乗り入れ、よって難波(なんば)と付く駅も複数あり、宿に近い南海のなんば駅から大阪難波駅までは、地下街が閉まっているこの時間、地上を行く必要が。その時歩くことになった御堂筋は、未明にもかかわらずタクシーが走り、歩道にも人影が。

【未明のなんば駅入口】
未明のなんば駅入口
【大阪なんば駅へのエスカレーター付近】
大阪なんば駅へのエスカレーター付近

 宿を出て10分とかからずに、大阪難波駅に繋がると思われる大阪メトロなんば駅の入口があったので、そこから地下へ。この時、寝ぼけた頭で適当に入ってしまい、一瞬「ここはどこ?」となったのですが、程なくして、大阪なんば駅へと降りるエスカレーターを無事発見。そこにあった近畿大学の広告が、寝ぼけた頭でもいかにも当地らしいなと思いました。

【大阪難波駅改札口付近】
大阪難波駅改札口付近

 エスカレーターを降りても頭の方はあいかわらず寝ぼけていて、大事なことを忘れたままというか頭にないまま、手持ちのICカード(Suica)で改札口を通過。というのも先述のとおり、この日は阪神と山陽の全線に乗るはずだったのですが、その阪神山陽全線乗り放題の『阪神・山陽シーサイド1dayチケット』という切符の存在を、この時点ですっかりと失念していたことなんですよね。後から考えると不思議でしょうがないのですが、ほんと、この時は、すっかりとその存在が頭から消えていたとしか……。

 それで大阪難波駅から列車に乗る前に、これから乗る阪神なんば線について少々。尼崎駅を起点に終点の大阪難波駅の間、10.1kmを結ぶ路線で、後述する理由により、尼崎駅-西九条駅間6.3kmは阪神が施設保有と列車運行の両方を行う第一種鉄道事業者、西九条駅-大阪難波駅間3.8kmは第三種鉄道事業者として第三セクターの西大阪高速鉄道が施設を保有し、阪神が列車の運行を行う第二種鉄道事業者となっています。また起点終点駅を含む駅数は11駅で、全線複線電化。ちなみに阪神電鉄は全線において、左右のレールの間隔、いわゆる軌間は1435mmの標準軌(JRの新幹線と同じ。なおJRの在来線は1067mm。)を採用しています。

 全通は平成21年(2009年)と最近ながら、ルーツを辿るとかなり古く、大正時代、阪神の後に開業した阪神急行電鉄(現在の阪急電気鉄道)に対抗するために計画した高速線「第二阪神線」の一部。大正13年(1924年)1月に大物駅-伝法駅間が、同年8月に伝法駅-千鳥橋駅間が、昭和3年(1928年)に尼崎駅-大物駅間が開業し、当時は伝法線という名称でした。

 その後、第二阪神線の計画はなくなりましたが、太平洋戦争後に当初は近畿日本鉄道飲(以下、近鉄)の鶴橋駅、後に近鉄難波駅(現在の大阪難波駅)までの延伸が計画され、昭和39年(1964年)に西大阪線と改称のうえ、その第1期工事区間として千鳥橋駅-西九条駅間が開業。昭和42年(1967年)から西九条駅以東の第2期工事区間を着工したものの、地元住民の強い反対に遭い頓挫する事態に。

 しかし、社会情勢や沿線環境の変化によって再び難波延伸が計画され、上下分離方式での整備が決定。平成13年(2001年)に施設の建設・保有のための第三セクター(大阪府、大阪市、阪神、近鉄などが出資)「西大阪高速鉄道」が設立され平成15年(2003年)に着工。この延伸区間を含む路線名を「阪神なんば線」とすることも決定し、平成21年(2009年)に開業し、近鉄との相互乗り入れおよび直通運転が開始されました。

【大阪難波駅に停車中の尼崎行き普通列車】
大阪難波駅に停車中の尼崎行き普通列車

 その阪神なんば線をこれから走るのが、大阪難波駅5時3分発の尼崎行き普通列車で、この路線の一番列車。この列車、始発が大阪難波駅で終点が尼崎駅と、阪神なんば線内で完結する列車なのですが、それに使われている車両は阪神のではなく、6両編成の近鉄9820系電車。乗り込んだ2両目は平成17年(2005年)に製造された2825(モ2820形)で、さすがに早朝すぎる時間帯のせいか、各車両数人程度の乗車率でしょうか。

 やがて定刻となり、大阪難波駅を発車。モーターを制御するインバータの音がカッコイイですね。加えて3年前に一度乗っているとはいえ、改めて乗るとなるとその心持ちも違ってくるようで、ちょっとだけワクワクしてきました。そして約2分で到着した、最初の停車駅である桜川駅では、約6分の停車。というのも、近鉄と阪神の境目は、路線上は大阪難波駅なのですが、乗務員が交替するのはこの桜川駅とのことで、停車中に阪神の乗務員に替わった筈です。

 乗客は僅かに乗せて桜川駅を出た列車は、程なくしてドーム前駅に停車。そういえば、今走っている区間の施設を保有する西大阪高速鉄道に、戦後、阪神の伝法線延伸に対して強硬に反対した大阪市が資本参入しているのは、開業以来赤字続きの大阪ドームで、集客が見込める阪神タイガースの主催試合数を増やして欲しい思惑があるなどと、どこかで聞いた覚えが。

 列車はこのドーム前駅や、次の九条駅でも僅かずつ乗客を増やしつつ進み、やがて地上へ出ると、3年前に乗った時にちょっと驚いた防音のためのシールド区間(ただし今回は夜明け前なので見た目だけならトンネルとあまり区別がつかない)から、架橋に特殊な工法を用いた安治川橋梁を過ぎ、再びシールド区間をちょっとだけ走って5時16分の定刻、かつての終着駅である西九条駅に停車。作られた当時から難波延伸計画があり、そのため元々高架駅だったJR大阪環状線の西九条駅を跨げるよう結構な高さに作られていました。で、大昔、大阪にちょっとだけ住んでいた時は、そんな事情は知らなかったので、大阪環状線に乗った時、駅の存在よりも駅末端にそびえ立つ架線柱の存在感というか違和感に驚いた覚えが。

 西九条駅以降も高架線を進みつつ、さすがは「水の都」大阪だけあって時々川も。伝法駅を出て渡る長い橋は淀川ですね。そんな中列車は、約2分おきに停車し、その度にパラパラと乗客を拾いながら進みます。未だ車窓から見える景色は真っ暗ながら、目に入る灯火の具合から、沿線には、かなり背の高いマンションが多いようですね。

 そして大阪難波駅を出てから23分で大物(だいもつ)駅に到着。なかなかの難読駅名ですが、ここで梅田方面への乗換案内が。というのもこの駅と隣の尼崎駅の間は、阪神本線と二重戸籍区間(阪神なんば線と阪神本線双方の区間に含まれている区間)になっていて、その阪神本線との線路と併走しつつ、進行方向左手には阪神の尼崎車庫が。最後は阪神本線の下を潜って定刻の5時28分、終点の尼崎駅4番線ホームに到着しました。

【尼崎駅に入ってくる高速神戸行き普通列車】
尼崎駅に入ってくる高速神戸行き普通列車

 阪神なんば線を乗り終え、次に乗るのは武庫川線。そのために尼崎駅から、降りたホームの反対側の5番線にて、先程の並走する阪神本線の線路を1分後に走ってきた5時29分発の高速神戸行きの普通列車に乗り換えます。で、話はちょっと逸れるのですが、阪神の普通列車用車両について、ここて少しだけ。

 大阪と神戸を結ぶ鉄道路線については、開業順に官営鉄道(後の国有鉄道、国鉄を経て現在のJR東海道本線)、阪神電気鉄道、阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄神戸本線)と3つの路線が競合していたのですが、そのうち阪神は、集客を重視した駅数の多さ(三宮までの駅数は、国鉄が11駅、阪急が15駅に対して阪神は何と32駅。)によって駅間距離が平均約1キロメートルと大変短く、また線形もカーブが多かったためスピード面で不利を被ることに。そこでノンストップの特急列車の運転や「待たずに乗れる阪神電車」というキャッチフレーズで知られる高頻度運転で対抗していたのですが、太平洋戦争後、旧型の車両が使われていた普通列車の置き換えに際して画期的な車両が導入されました。

 それが、昭和33年(1958年)に登場した、当時の国内では類のない加減速性能を持つ『ジェットカー』。駅間距離が短いなか、特急・急行など優等列車の間を縫って走るため、ごく短時間でトップスピードまで加速し後続の優等列車に追いつかれる前に待避線のある駅に到着できるための性能として、現在も国内最高となる起動加速度4.5km/h/s、常用減速度5.0km/h/sを達成しました。(ただし減速度は並ぶものが近年になって出現。)後継車両では起動加速度4.0km/h/s、常用減速度4.5km/h/sと若干スペックが落とされたものの、JRを含む他社の車両と比べると大幅に良い性能なんです。

 それで入ってきた普通列車の車両は「ジェットカー」のうち、平成7年(1995年)から登場した5500系という形式。阪神で初めてVVVFインバータ制御を導入した車両で、全車電動車の4両編成。乗り込んだ先頭車の車両番号は5510(5501形)だったので、平成9年(1997年)に製造された編成のようです。ちなみに、現在の阪神の車両は、全てが全長19m級の3扉車。で、特急・急行など優等列車用の車両はかつて、上部がクリーム色、下部が赤色のツートンカラー塗装だったことから「赤胴車」(登場当時流行していたテレビドラマ「赤胴鈴之助」から取られた由。)と呼ばれ、普通列車用「ジェットカー」は上部がクリーム色、下部が紺色のツートンカラー塗装だったことから「青胴車」とも呼ばれていたのですが、近年は優等列車用は暖色系、普通列車用は寒色系の区分けはあるも、必ずしも胴体の色がそうなっているわけではないんですよね。

 少々話が逸れましたが、この列車、まだ朝の5時半前にもかかわらず、この尼崎駅で結構な乗車があり、席にあぶれることに。ですが、立っていた方が「ジェットカー」の真価が味わえるというか、従来のジェットカーの4.5km/h/sから0.5km/h/s下げられているとはいえ、他社の車両よりは断然速い4.0km/h/sの起動加速度は結構なもの。「そうそう、これが味わいたかったんだ!」と思わず叫びたかったのですが、途中2駅、約5分の道中では十分に堪能することが出来ず、5時24分、武庫川駅に到着しました。

阪神電気鉄道武庫川線

 武庫川線が接続する武庫川駅は面白い構造で、阪神本線のプラットホームは武庫川の橋梁上にあり、武庫川線のプラットホームは武庫川の右岸(下流に向かって右側)にあります。そのため、阪神本線からの乗り換えの際には下車したあと、連絡通路を元町方向に向かって歩くのですが、このときは3月のダイヤ改正に向けて、ホームを延長する工事が行われていました。で、終端部はスロープ様になっていた連絡通路が終わると直角ターン。階段を降りて、武庫川線のホームへと入る手前に中間改札がありますが、これは武庫川線内の中間駅には自動券売機や精算機が無いため。よってこの中間改札口の他、武庫川線ホーム側に中間駅から乗ってきた時用の券売機が設置されています。

【武庫川駅武庫川線ホーム】
武庫川駅武庫川線ホーム
【武庫川駅の駅名標】
武庫川駅の駅名標

 それでこれから乗る武庫川線についてですが、武庫川駅を起点に終点の武庫川団地前駅を結ぶ全長1.7kmの盲腸線。起点終点を含む駅数は4駅で、全線単線電化の路線です。

 その歴史は、太平洋戦争中、現在の武庫川団地付近にあった川西飛行機鳴尾製作所への軍需輸送を目的として、軍部からの要請により建設を開始。学生の勤労奉仕隊を動員するなど突貫工事で進められ、昭和18年(1943年)11月に武庫川駅-洲先駅(現在の武庫川団地駅付近に存在。)の区間が、翌昭和19年(1944年)8月には現在は廃止となっている武庫大橋駅-武庫川駅の区間が開通しました。また、軌間(レールとレールの間隔)が違う(阪神1435mm、国有鉄道1067mm)国有鉄道路線から貨車を入線させるため、国有鉄道の三宮駅から分岐した貨物線が武庫大橋駅で接続し、そこから先の洲先駅までの区間は、レールが3本ある三線軌条化されていたそうで。

 しかし昭和20年(1945年)6月に空襲を受け、洲先駅が被災。8月に太平洋戦争が終結してすぐに全線の運行が休止されたものの、昭和23年(1948年)に武庫川駅-洲先駅間で旅客列車の運行を再開。その際洲先駅は、当初の位置よりも約600m北方に移転されました。そしてその後、昭和54年(1979年)より入居が開始された武庫川団地まで路線が延伸されることとなり、昭和59年(1984年)武庫川団地前駅が開業しました。

【武庫川駅に入ってくる折返し武庫川団地前行き普通列車】
武庫川駅に入ってくる折返し武庫川団地前行き普通列車

【武庫川駅に停車中の武庫川団地前行き普通列車】
武庫川団地前駅に停車中の武庫川行き普通列車

 立春を過ぎたとはいえまだまだ寒い2月上旬の早朝だったので、ロクに写真も撮らずにホームの待合室へ。それでそろそろ折返としなる列車が入ってくる様子だったので外へ出ると、程なくして、武庫川団地前駅からの列車が入線。まだ朝の6時前にもかかわらず、武庫川駅に着くと結構な人数が下車しました。

 その折返しとなる、5時48分発の武庫川団地前行き普通列車に乗車。その車両は7861・7961形といって、阪神では唯一となってしまったオリジナルの「赤胴車」カラーを纏うクラシカルな2両編成。乗り込んだ先頭の車両は7861形の7866という車両で、昭和43年(1968年)製造と、齢五十を超えています。もっとも、ヘッドライトは高輝度LED化されているなど、色々とアップデートされているようですが。それで赤胴車だけあって、当初は本線の特急・急行といった優等列車の他、阪神なんば線の前身である西大阪線で運用。この武庫川線では、昭和59年(1984年)の武庫川団地前駅延伸時から使用が開始され、その後、本線や西大阪線での運用が終了すると、この武庫川線用の2両編成3本が残るのみに。ちなみに平成12年(2000年)には、同年から始まる武庫川線のワンマン運転に備えて、全車ワンマン化改造がなされています。

 やがて定刻となり、列車は武庫川駅を発車。ロングシートに座って車内を見回すと、私以外、車内には数人という乗車率ですが、中には今が帰りという感じの、疲れた表情をした若い男性や女性も。床下からは、懐かしい抵抗制御のモーターの音が聞こえてくるのが嬉しいのですが、駅間距離が短いためかそんなに回っている感はなく、スピードは出さずにゆらゆらと走ります。

 そして発車して約1分で、東鳴尾駅に到着。個人的に「鳴尾」という地名を聞くと、明治40年(1907年)に竣工した関西の競馬場の祖、「鳴尾競馬場」を連想します。ですが位置的には、この東鳴尾駅の西側というよりも、終点の武庫川団地前駅から北西、直線距離で1kmちょっとのところにあったようで、現在も競馬場が現役当時の建物が残っているそうなのですが、女子中学校の敷地内にあるとのことで、おいそれと見ることは出来ませんね。

 と、また話が逸れましたが、東鳴尾駅を発車してすぐ、昭和59年(1984年)まで終着駅だった洲先駅に。この駅間、わずか400mしかなく、阪神で最も短い駅間距離だそう。それにしても、いかにも海沿いといった駅名ですね。そして洲先駅の次が、終点の武庫川団地前駅。武庫川駅からわずか5分で到着です。で、下車した僅かな乗客は、まだ夜明けが遠そうな暗闇の中、いつの間にか駅前広場から消えていきました。

【武庫川団地】
武庫川団地
【武庫川団地前駅】
武庫川団地前駅

 予定では、ここで1本列車を遅らせ、次の列車の折返しで武庫川駅まで戻ろうと思っていたのですが、駅の隣は開店準備中のスーパーマーケット、そして遠目に巨大な団地というロケーションが、ここにいても仕方ないと思わせたので、駅舎の写真を撮った後、すぐに引き返してしまうことに。

 というわけで足早に駅に戻り、先程乗ってきた列車の折返しとなる、5時56分発の列車に。先頭の7966(7961形)という車両に乗り込むとすぐに発車時刻に。この時点で、この車両に乗っているのは、私を除いて4,5人というところです。

 それで帰り道は、先頭部右側で前方を眺めつつ行くことに。本当は、夜が明けてから乗りたいところなのですが、こればっかりは自分で立てた旅程の都合なので仕方がないです。で、武庫川団地前駅を出た列車は右にゆるくカーブすると、終点の武庫川駅まで武庫川の堤防に沿って走行。堤防の反対の左側は住宅地が続き、そのせいか駅ごとに乗客が乗ってきて、先程と同様、武庫川駅では結構な数の乗客が下車して中間改札を通っていきました。

【武庫川駅武庫川線ホームから北方向を望む】
武庫川駅武庫川線ホームから北方向を望む
【武庫川駅阪神本線上りホーム連絡通路から北方向(左が武庫川連絡線)を望む】
武庫川駅阪神本線上りホーム連絡通路から北方向(左が武庫川連絡線)を望む

 武庫川駅で列車を降りた後は、まず、先程はスルーしてしまった、武庫川線ホーム北側に伸びる線路をチェック。というのも一見するとただの引き揚げ線に見える線路ですが、これが廃止となった武庫大橋駅へと向かう区間のごく一部であると共に、車両の出入りに使用される阪神本線武庫川信号所へ向かうための大事な線路であるからでして。それでこの配線、アラビア数字の4の字ようになっていて、縦の線が武庫川線、横の線が阪神本線、そして斜めの線がそれらを繋ぐ武庫川連絡線で、横線と斜め線が交わる頂点にあるのが武庫川信号場、という感じで。で、阪神本線の列車に乗り換えがてら、今度は縦線と斜め線が交わる頂点部分をチェック。ここも明るければ、廃止前の面影がもっと偲べたかもしれないのですが。

【武庫川駅に入ってくる大阪梅田行き普通列車】
武庫川駅に入ってくる大阪梅田行き普通列車

 武庫川線を乗り終えた後は、次の目的のために先程乗り換えた尼崎駅まで。そのために、6時8分発の大阪梅田行き普通列車に乗車。やって来たのは「ジェットカー」の中でも、平成27年(2015年)から導入が開始された最新型で「ジェット・シルバー5700」の愛称を持つ5700系電車。乗り込んだ先頭車の車番が5709(5701形)ということは、昨年(2019年)製造の(この時点で)最も新しい車両じゃないですか。

 それでこの5700系。ジェットカーでは先に乗った5500系以来続く新製時からの4両固定編成で、全車電動車ながら、両端の先頭車は、台車2つのうち片方だけにモーターを装備する0.5M方式を採用。これによって編成全体のモーター数は少なくなるものの、モーターの高出力化などによって、5500系と同じ起動加速度4.0km/h/s、減速度4.5km/h/sを達成しているそう。また、乗り心地や回生ブレーキ使用時の電力回生率向上の効果があるそうです。

 と、そんな能書きを垂れている間に列車は進み、また乗り足りない思いで尼崎へと戻ってきました。

阪神そば

 尼崎駅に戻ってきた理由というのが、「阪神」の屋号を冠した駅そば「阪神そば」で朝食をいただくため。かつて鉄道と立ち食いそば店は切っても切れない関係があり、国鉄、私鉄問わず、駅構内にお店を構えていることも多かったのですが、全体的に減少傾向にあるのは間違いないところ。それでこの阪神の「阪神そば」は、この尼崎のみにしかないという貴重な存在です。

【阪神そば 店舗外観】
阪神そば 店舗外観

 それで列車を降りた時に近かった東出口への階段を何となく降りてしまい、そこにはお目当てのお店が無いことに気付いて改めて西出口へ。この時、東出口と西出口を繋ぐ通路の存在に気付かずに一度ホームに登ってしまったのですが、改めて西出口への階段を降りると、その途端に出汁の良い香りが階下から漂ってきました。ただ、6時30分の開店時間までまだ多少時間があったので、その出汁の香りを嗅ぎつつ待機。開店すると、常連さんとおぼしき人達に続いて食券を購入してからお店の中へ。

【きつねうどん 350円】
きつねうどん 350円
【卵かけご飯 200円】
卵かけご飯 200円

 それで今回は、ベタですが関西と言うことできつねうどんをいただくことに。早速つゆを一口啜れば、昆布にかつお節、さば節にうるめ節を使ったという出汁は、先程嗅ぎ続けた筈なのですがそれ以上に香り高く感じ、甘さ控えめな味付けも丁度良く。茹で麺のうどんは、太さは箸よりやや細めで、プリっとしつつ柔らかさのある食感が良く、そこに甘目の味付けが染みた大ぶりでふっくらとしたお揚げが載って、これが、もう。一緒にいただいた卵かけご飯も、フライドオニオンが面白いアクセントになっていました。

 で、両方美味しかったのですが、特にうどんは、個人的にこれまでいただいたことがある、駅そば(うどん)店では、トップクラスだったのは間違いが無いところで。

【尼崎駅に入ってくる大阪梅田行き急行列車】
尼崎駅に入ってくる大阪梅田行き急行列車

 美味しい朝食で満足した後は、とある理由のために大阪梅田駅まで。食べ終わったあと直ちにホームに上がって最初に入ってきた列車が、6時45分発の大阪梅田行き急行列車で、その車両は9300系でした。それでこの9300系。平成13年(2001年)に登場した特急・急行など優等列車用の車両。阪神では47年ぶりに登場したクロスシート車で、6両固定編成のうち両端を除く4両にクロスシートを装備しています。で、たまたま乗り込んだのは、前から3両めのクロスシート車。車番の9401(9400形)から、トップンバー編成だとわかったのですが、この9300系自体3編成しかなかったりします。

【姫島駅-淀川駅間】
姫島駅-淀川駅間

 ラッキーにも窓際のクロスシートに座ることが出来たので、大阪梅田駅に到着する(正確にはその前に地下に潜る)まで、ようやく明るくなってきて見えるようになった車窓からの景色を。コンクリートの建物が多い都会の、淀川を渡ると大都会の景色ですが、それでも、馴染みのない景色なので興味深く眺めることが出来ます。で、このあたりで先程摂った朝食が効いたのかようやく頭が正常に動くようになってきて、ようやく『阪神・山陽シーサイド1dayチケット』のことを思い出したという。

【阪神・山陽シーサイド1dayチケット】
阪神・山陽シーサイド1dayチケット

 なので6時54分に大阪梅田駅に到着後、一度改札口を出てからその近くの駅長室に向かい、『阪神・山陽シーサイド1dayチケット』を購入。もっとも、お値段2000円(ちなみに令和2年度から2200円に変更。)と、今買っても、これから乗ることになる阪神の本線と山陽の全線の正規運賃よりはだいぶ安く済むのですが。

【(阪神)大阪梅田駅改札口付近】
(阪神)大阪梅田駅改札口付近

 それにしてもこの大阪梅田駅。以前少なくとも一度は来たことがあるものの、それがだいぶ昔のことに加えて、現在は改良工事の真っ最中とのことで、なんか初めて来たような感覚がありました。


つづく

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栃木県のちょいと北の方に住んでいるアラフィフのオッサン。
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