たひお備忘録

とりとめのない趣味の、とりとめのない活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

阪神電気鉄道・山陽電気鉄道・神戸電鉄など乗車記 【令和2年2月5日~6日】 その4 (神戸電鉄編 Part 2)

鈴蘭台駅に入ってくる三田行き準急列車

 正直なところ、前回の記事で終わらせるつもりだった、姫路競馬場を訪れたついでに阪神電気鉄道、山陽電気鉄道、神戸電鉄の旅客営業路線全線と、神戸高速鉄道、阪急電鉄の神戸本線に乗ってきた時の記録ですが、データ量が予想外に増えてしまったので、急遽もう1回延ばすことに。


目次
  1. 阪神電気鉄道・山陽電気鉄道編 Part1 ~ 阪神電気鉄道阪神なんば線・武庫川線、『阪神そば』
  2. 阪神電気鉄道・山陽電気鉄道編 Part2 ~ 阪神電気鉄道本線・神戸高速線、『山陽そば』、山陽電気鉄道網干線・本線
  3. 神戸電鉄編 Part 1 ~ 阪急電鉄神戸本線・神戸高速線、『高速そば』、神戸電鉄神戸高速線・有馬線(一部)・粟生線
  4. 神戸電鉄編 Part 2 ~ 神戸電鉄有馬線(続き)・都市公園線・三田線

神戸電鉄有馬線(の残り)

 鈴蘭台駅に到着したて粟生線を乗り終えたあと、次の目的は有馬線。それでこの有馬線ですが、有馬温泉この神鉄のルーツというべき路線で、湊川駅を起点に終点の有馬温泉駅との間、22.5kmを結び、起点終点駅を含めた駅数は16駅。全線電化されていて、終端部の有馬口駅-有馬温泉駅の間を除き複線区間となっています。

 その歴史ですが、古来より有名な温泉地であった有馬温泉への鉄道乗り入れについては、官営鉄道の三田駅より有馬駅を結ぶ有馬鉄道が大正4年(1915年)に開業しましたが、その有馬鉄道の経営を手放し(大正9年(1920年)に国有化したものの太平洋戦争中に不要不急路線として休止から後に廃止。)た山脇延吉らが、神戸からの鉄道敷設を計画。有馬鉄道株式会社の名前で大正12年(1923年)、神戸から有馬への鉄道免許状の下付を受け、その翌年、神戸有馬電気鉄道に名称が変更されたようなのですが、実際に会社が設立されたのは大正15年(1926年)になってからのようで。

 それで六甲山地への線路敷設はたいへんな難工事だったそうですが、昭和3年(1928年)11月、湊川駅と電鉄有馬駅(現在の有馬温泉駅)の間が開業。太平洋戦争後、昭和の後期から複線化が進められ、昭和43年(1968年)には神戸高速鉄道開業に伴う湊川駅の位置変更、また昭和63年(1988年)には北神急行電鉄開業に伴う谷上駅の移転により一部区間の路線変更や、先述の丸山ダム建設に伴う路線変更がありました。

【鈴蘭台駅に入ってくる三田行き準急列車】
鈴蘭台駅に入ってくる三田行き準急列車

 そんな有馬線を行くのが、9時10分発の三田(さんだ)行き準急列車。現在、有馬線を走る列車は、朝夕以外は途中の有馬口駅から三田線に直通運転されています。それでこの列車、本来は新開地駅始発なのですが、この鈴蘭台駅でイレギュラーな車両交換を行うとのこと。実質始発列車だと喜んで、通常は粟生線の列車が発着する4番線ホームで待っていると、入ってきたのは3000系という形式の車両の4両編成でした。

 それでこの3000系。昭和48年(1973年)から平成3年(1991年)にかけて(一時中断しながらも)導入された車両で、全長約18m、片側3箇所の両開き扉を持ち車内はロングシートという車体や、抵抗制御の主電動機といった機構は先に導入が開始された1000系と同様ながら、4両固定編成、アルミ合金製車体、新製時からの冷房装置搭載、多段制御、定速運転機能などの新基軸が盛り込まれました。それで現在は、製造された9編成のうち7編成が現存しているのですが、乗り込んだ先頭の3005(3000形)を含む編成は、昭和50年(1975年)に製造されたようで。

【鈴蘭台駅発車直後】
鈴蘭台駅発車直後
【鈴蘭台駅-北鈴蘭台駅間】
鈴蘭台駅-北鈴蘭台駅間
【北鈴蘭台駅-山の街駅間】
北鈴蘭台駅-山の街駅間
【山の街駅-箕谷駅間】
山の街駅-箕谷駅間

 車両交換の影響か、若干遅れて鈴蘭台駅を発車。実質始発列車で、乗車列の先頭付近に居たため席にはありつけたのですが、この列車も運転台直後に立って前方の景色を楽しむことに。それで鈴蘭台駅出るとすぐに上り坂を登って北鈴蘭台駅に停車。標高346mと、神鉄の中で3番めに高いところにあるそうで。ここからは下り坂、しかも結構な急勾配となり、山の街駅、箕谷駅と停車。箕谷駅の標高は244mで、北鈴蘭台駅から2.6kmで100m以上降るんですね。で、そんな坂道を登り降りしているにもかかわらず、線路の周りに開けたというか民家が建っている場所が多い印象。また深くはないものの掘割になっている箇所も多く、山肌を削って勾配をならしつつ建設した苦労が忍ばれます。

【箕谷駅-谷上駅間(谷上トンネル)】
箕谷駅-谷上駅間(谷上トンネル)
【谷上駅進入】
谷上駅進入

 箕谷駅を発車して暫くすると、列車は谷上トンネルに突入。このトンネルを含む箕谷駅-谷上駅間が、北神急行電鉄北神線開業によって新線に付け替えられた区間で、それを過ぎるとその北神急行電鉄との共同使用駅となる谷上駅に到着。その北神線と同一ホーム乗り換えのために、複線を左側通行していた列車が構内でポイントを渡って一番右側の線路まで移動して停車します。で、ここから新神戸駅へと向かう北神線も、今回の旅のついでに乗りたい候補に入っていたものの、神鉄を優先するとどうしても都合が付かなくなって断念した経緯があるのですが、この時、北神線が神戸市営地下鉄に譲渡されるなんて、実は全く知らなかったんですよね。今思うと、北神急行事態に乗っておきたかったと思うのですが。

【谷上駅-花山駅間】
谷上駅-花山駅間
【花山駅-大池駅間】
花山駅-大池駅間

 標高244mの谷上駅を出ると線路は再び上りに転じ、相変わらず沿線に建物は多いものの、小規模な農地も。このあたり、谷あいを進む感じとなり、それによる日陰や、住宅の屋根の日のあたらない面には、昨晩降ったと思われる雪が薄っすらと残っていますね。そして次の花山駅を出ると左右にカーブしつつ更に坂道を登ってサミットを過ぎたところで大池駅に到着。この付近が分水嶺だそうで、その標高は神鉄の駅で2番めに高い350m。谷上駅からの3.4kmで100m以上登ったことになります。

【唐櫃台駅-有馬口駅間】
唐櫃台駅-有馬口駅間

 大池駅からは再び下りつつ、神鉄六甲駅、唐櫃台駅と停車。このあたりから、沿線の建物が少なくなっていくような。そして鈴蘭台駅から約22分で、列車は有馬口駅の1番線ホームに到着。鈴蘭台駅出発時の遅れはもうなく、時刻は定刻の9時32分でした。

【有馬口駅に停車中の有馬温泉行き普通列車】
有馬口駅に停車中の有馬温泉行き普通列車

 有馬口駅で列車を降り、構内踏切を渡って9時34分発の有馬温泉行きが発車する4番線ホームへ。停車していたのは2000系という形式の3両編成で、平成3年(1991年)から平成5年(1993年)にかけて製造された車両。後述する都市公園線開業に合わせて新造され、全長約18m、片側3箇所の両開き扉を持ち車内はロングシートというアルミ製の車体や、抵抗制御の主電動機といった機構は先に導入が開始された3000系と同様ながら、製造当時の最新技術が用いられ、車体の外観デザインも従来の車両とは全く違う斬新なものが与えられています。(もっとも外観は今見ると、レトロフューチャーとまではいかないもののちょっと懐かしい感じも。)それで平成3年(1991年)の登場当初は都市公園線のワンマン運転に対応した3両編成が3本製造されましたが、翌年から旧型車の置き換え用に4両編成が2本製造されました。

【有馬口駅-有馬温泉駅間】
有馬口駅-有馬温泉駅間
【有馬口駅-有馬温泉駅間(新有馬駅跡付近)】
有馬口駅-有馬温泉駅間(新有馬駅跡付近)
【有馬温泉駅進入】
有馬温泉駅進入

 その先頭車の2003(2000形)に乗り込み程なくして発車。この列車でも、運転席直後に立つことにしたのですが、その運転席にはマスコットの「しんちゃん」が鎮座ましましていました。それで列車は、標高293mの有馬口駅から、神鉄で最も高いところにある標高357mの有馬温泉駅まで、ずっと上り坂を登る感じで。線路も単線となり、架線柱は木製や古レールを使ったと思われる古いタイプのものが。そして前方の消景色は山深く、場所によっては雪化粧が残っています。そして廃止となった新有馬駅の跡を過ぎるとトンネルに入り、抜けたところが有馬温泉駅で、有馬口駅から約4分、9時38分の到着。向かいのホームには、先発の有馬口行きとなる、1000系電車が停まっていました。

【有馬温泉駅の駅舎】
有馬温泉駅の駅舎
【有馬温泉駅の駅名標】
有馬温泉駅の駅名標

 有馬温泉駅では、これから旅館やホテルに出勤するのでしょうか?小奇麗なお姉さんたちと下車。それで先発の有馬口行きが発車するまで1分しかないので無理はせず、乗ってきた列車の折返しとなる9時54分発の列車で戻ることに。で、その発車までの約15分間で、有名な有馬温泉の、せめて駅周辺の散策だけでもしようと思っていたのですが、風が強く吹きつけ風花も舞っている、要はとっても寒いため、駅舎の写真だけ撮ってすぐに戻り、列車の中で発車を待つことに。

【有馬温泉駅に停車中の有馬口行き普通列車】
有馬温泉駅に停車中の有馬口行き普通列車

 帰りは、先ほどと反対側の先頭車となる2004(2000形)に乗車。その車両には発車までの間、温泉帰りらしい壮年の夫婦が乗ってきたくらいで、3両編成全体でも数えるほどの乗客を乗せて有馬口行きの列車は発車。相変わらず風花が舞う中を進み、9時58分の定刻に、有馬口駅へと到着。僅かな乗客の大半が、新開地方面行きの列車に乗換えるようでした。

神戸電鉄三田線・都市公園線

【有馬口駅の駅名標】
有馬口駅の駅名標

 有馬線を乗り終え、神鉄も残りは三田(さんだ)線と都市公園線に。それでまず三田線ですが、この有馬口駅を起点に、終点の三田駅の間12.0kmを結ぶ路線で、起点と終点を含む駅数は10駅。途中の岡場駅から田尾寺駅、横山駅から終点の三田駅にかけて複線化された電化路線です。

 その歴史ですが、神戸有馬電鉄によって、先に乗った有馬線から遅れること約一ヶ月の昭和3年(1928年)12月に、唐櫃駅(現在の有馬口駅)と三田駅間が全通。当時は有馬温泉へと向かう乗客が主だったらしいのですが、全線にわたり、先の有馬線のところで触れた国有鉄道の有馬線と並行しているものの、高頻度運転と、有馬温泉駅が温泉街に近い場所にあったことも幸いして、国有鉄道有馬線の乗客を奪ったそうで。

【有馬口駅に入ってくる三田行き準急列車】
有馬口駅に入ってくる三田行き準急列車

 その三田線を行くのが、有馬口駅10時3分発の三田行き準急列車。準急と言っても、先に有馬口駅まで乗った列車と同様、新開地駅始発で、鈴蘭台駅から先は各駅に停車します。で、先程の有馬線のホームから、未だ吹き付ける寒風と風花を浴びつつ構内踏切を渡って来たホームで待つこと少々でやって来たのが、ここまで乗ってきた2000系とそっくりな、5000系という形式の4両編成。というのもこの5000系。全長約18m、片側3箇所の両開き扉、車内はロングシートというアルミ製車体は、外観デザインや塗装まで含めて2000系と同じながら、走行装置は全く別で、主電動機の制御に神鉄では初めてVVVFインバータ制御方式を採用。その他、ブレーキ機構なども刷新して、平成6年(1994年)に登場した車両なんです。そしてその後平成10年(1998年)にかけて4両編成が10本製造されました。

【有馬口駅発車直後】
有馬口駅発車直後
【五社駅停車中】
五社駅停車中
【五社駅-岡場駅間】
五社駅-岡場駅間

 乗り込んだ先頭車の5017(5000形)は平成9年(1997年)製。ここも空いていた運転席直後に立つことにして、GTOサイリスタ素子っぽいちょっと懐かし目のVVVFインバータ制御音を発しつつ定刻に有馬口駅を発車した列車は左にカーブし有馬線と別れ、山の中へ。ですが次の五社駅を出てすぐに短いトンネルを抜けると、一気に視界が開ける感じが。ここから三田市のある三田盆地に入ったということでしょうか。ちなみに標高も、有馬口駅の293mから終点の三田駅の146mと、下がる一方になっています。

【岡場駅進入】
岡場駅進入
【岡場駅-田尾寺駅間】
岡場駅-田尾寺駅間

 先程までと一転して、農地と宅地が混在するところを走って岡場駅に到着。(ホーム)2面(線路)4線を持つ立派な高架駅ですね。それでここから次の田尾寺駅までは、部分的に複線となっている区間。それに合わせたわけではないでしょうが、沿線にはイマドキの住宅や(高さが)高めのマンションが立ち並び、いきなりの都市っぽさというか。

【田尾寺駅-二郎駅間】
田尾寺駅-二郎駅間

 しかし田尾寺駅を出て単線に戻ると、架線柱は古いタイプのものが残り、沿線の風景も一気に鄙びるというか、農地や竹林があり、住宅もある程度築年数を経た感じのものが。そんな中停車する二郎駅は某有名ラーメン店の読み方ではなく「にろう」と読む駅。(更に昭和54年までは「にろ」でした。)その二郎駅の次の道場南口駅は、交換可能駅。運転士さんが何かの確認のためか、停車中に最後尾の車両まで走って戻ってきました。

【道場南口駅-神鉄道場駅間】
道場南口駅-神鉄道場駅間

 道場南口駅を過ぎるとまた建物が増え、真新しい建物がポツポツと出だします。それでその次の神鉄道場駅付近では、丘を削るように宅地開発でもしていたのかと思ったのですが、調べてみると松原城、別名蒲公英(たんぽぽ)城の発掘調査をしていたのですね。またこのあたりが神鉄の創業者である山脇延吉の出身地で、駅横に顕彰碑がある他、これも山脇延吉らが開通させた旧国有鉄道有馬線の廃線跡も残っているそうです。

【神鉄道場駅-横山駅間】
神鉄道場駅-横山駅間

 神鉄道場駅を出た列車は、暫くまたのんびりした景色の中を走ったあと、掘割を右にカーブ。すると、有馬口駅から約18分、10時21分の定刻に、掘割の中にある横山駅に到着。ここで都市公園線に乗換えるため、列車を下車します。

【横山駅の駅名標】
横山駅の駅名標

 横山駅から分岐する都市公園線は、横山駅を起点に終点のウッディタウン中央駅を結ぶ全長5.5kmの電化路線。起点終点駅を含む駅数は4駅で、現在は全線単線となっています。

 兵庫県と都市再生機構が開発した神戸三田国際公園都市のうち、三田市域にある北摂三田ニュータウンは昭和50年台に開発が開始され、昭和60年台から分譲を開始。(余談ですが、そのお陰で昭和の後期から平成初期にかけて、三田市は10年連続で人口増加率日本一だったそう。)で、そのニュータウンの足とすべく、都市公園線の建設が昭和60年台に開始され、第一期工事区間として、横山駅とフラワータウン駅の間が平成3年(1991年)10月に開業しました。そしてその後、延伸工事に着手し、第二期工事区間のフラワータウン駅とウッディタウン中央駅の間が、平成8年(1996年)に開通しました。

【横山駅に入ってくるウッディタウン中央行き普通列車】
横山駅に入ってくるウッディタウン中央行き普通列車

 その都市公園線をこれから走るのが、横山駅10時24分発の、ウッディタウン中央行き普通列車。列車を舞っていると入ってきたのは1000系の3両編成。先頭車の先頭部分に付けられたナンバーを見ると「1502」となっていたので、1500形・1600形や1500系と呼ばれる、平成3年(1991年)に2編成だけ製造されたグループのよう。それにしても、先に乗った2000系の検査時予備用として製造されたとウィキペディアには書いてあるのですが、なぜ新しい2000系や3000系ではなく1000系が製造されたかについては、私自身、神戸電鉄に詳しくないのでちょっと謎というか。ちなみに、製造当初より公園都市線への入線が予定されていたため、1000系では唯一、製造当初よりワンマン運転対応となっています。

 その先頭車の1502(1500形)に乗り込んで程なく、列車は定刻に横山駅を後に。行きはロングシートに座って一休みすることにします。それで発車してすぐにトンネルに入り、もう1つ抜けると掘割の中を走ってフラワータウン駅に到着。その後、いかにもニュータウンという景色が続き、横山駅から約9分、定刻の10時33分に、終点のウッディタウン中央駅に到着しました。

【ウッディタウン中央駅改札口付近】
ウッディタウン中央駅改札口付近
【ウッディタウン中央駅の駅名標】
ウッディタウン中央駅の駅名標

 ウッディタウン中央駅は、発着する列車の編成両数よりもだいぶ大く感じる駅。改札口を出て駅の写真を撮ろうと思ったのですが、全貌を撮すのは諦めて、改札口付近の写真を撮ってお茶を濁しました。

【ウッディタウン中央駅に停車中の三田行き普通列車】
ウッディタウン中央駅に停車中の三田行き普通列車
【1501(1500形)の車内】
1501(1500形)の車内

 ウッディタウン中央駅から引き返すのは、今回の旅で神戸電鉄に乗る最後の列車となる、乗ってきた列車の折返しの10時45分発三田行き普通列車。ちなみに都市公園線の列車は、乗客の流動上、神戸というよりも三田を向いているらしく、全列車が三田線の終点である三田駅まで乗り入れています。で、最後の列車だからというわけではないのですが、ここは先頭車の運転台後ろに立つことにして、1501(1500形)に乗車。

【ウッディタウン中央駅-南ウッディタウン駅間】
ウッディタウン中央駅-南ウッディタウン駅間
【南ウッディタウン駅進入】
南ウッディタウン駅進入

 僅かな乗客を乗せて定刻にウッディタウン中央駅を発車した列車は、両側を道路に挟まれた敷地の中を走行するのですが、そんなところがいかにも都市計画的に作られた路線という感じで、それらを跨ぐ歩道橋の形状もおしゃれ。また敷かれている線路は単線ですが、敷地は複線分確保されているんですね。なので複線用のものが用いられている架線柱も、形状が凝っています。時折、風花を舞う中を列車は走り、列車は南ウッディタウン駅に到着。駅構内の架線柱が、また面白い形になっています。

【南ウッディタウン駅-フラワータウン駅間】
南ウッディタウン駅-フラワータウン駅間
【フラワータウン駅進入】
フラワータウン駅進入

 南ウッディタウン駅を発車して少し行くと、ウッディタウンからフラワータウンへと入るのですが、その境目は、結構アップダウンが。で、それを過ぎると周囲に高い建物が多く見えるフラワータウン駅に到着。

【フラワータウン駅-横山駅間(1つめのトンネル進入)】
フラワータウン駅-横山駅間(1つめのトンネル進入)
【フラワータウン駅-横山駅間(トンネルとトンネルの間)】
フラワータウン駅-横山駅間(トンネルとトンネルの間)

 フラワータウン駅を出た列車はまず、1つ目のトンネルに突入。入り口は複線分あったようですが、出た先の構造物は単線分に見えました。で、出ると橋様の路線で池や林を突っ切ってもう2つ目のトンネルへ。そこを抜けると右側から三田線の線路が合流し、横山駅へと到着しました。

【横山駅-三田本町駅間】
横山駅-三田本町駅間
【三田本町駅-三田駅間】
三田本町駅-三田駅間
【三田駅進入】
三田駅進入

 横山駅を出た列車は、複線区間を軽快に走行。線路のまわりは、先程のニュータウンとは違う、大きくはないけれど、時間をかけてそれぞれの営みの結果かたち作られた感のある街並みがぼやっと広がり、三田本町駅に停車。そこを出ると、目に入る建物が、その向う側にある山並みよりも高くなっていき、ウッディタウン中央駅を出てから12分、定刻の10時57分に、列車は終点の三田駅に到着。

 【(神戸電鉄)三田駅】
(神戸電鉄)三田駅

 今日はここまで、列車が1本でも遅れると予定が完遂できなかったので、乗り終わった嬉しさや達成感よりも、この時は、ホっと一安心した気持ちが大きかったなぁと。それで道中、駅ごとに乗客は増えていたようで、そんな人達に混ざって改札口を出て、JR福知山線の三田駅へと。

【三田駅に入ってくる大阪行き丹波路快速列車】
三田駅に入ってくる大阪行き丹波路快速列車
【梅田駅に入ってくるなかもず行き普通列車】
梅田駅に入ってくるなかもず行き普通列車

 三田駅からは、JR福知山線の丹波路快速で大阪駅に出て、大阪メトロ御堂筋線に乗り換えてなんば駅まで。ここでコインロッカーに朝預けたキャリーバッグを取り出すと、旅の終わりを感じ始まったというか、あとは栃木に帰るだけという気持ちになってしまいました。

 と、きのうから駆け足で、阪神電気鉄道、山陽電気鉄道、(阪急電鉄神戸本線、神戸高速鉄道、)神戸電鉄と乗り歩いたのですが、計画を立て始まった時のグタグタさ加減を考えれば、この結果は上出来とは言えるものの、駆け足ゆえ、昨日の阪神ではジェットカーのうち一番乗りたかった5000系に乗れなかったし、山陽では古いタイプの3000系という車両に乗れなかったし、そして今日の神戸電鉄では、有馬線の急勾配区間をもっと堪能したかったしと、心残りの多い旅になってしまいました。なのでいつか、そう遠くない未来に、再びこの地を訪れたいと思います。

この日の行程など

行程

な ん ば
 05:11
  |大阪メトロ御堂筋線
  |4
  |普通
 05:19
梅田/大阪梅田(阪急)
 05:40
  |阪急神戸本線
  |K525
  |普通
 06:27
新 開 地 ※高速そば6:00~
 06:45
  |神鉄有馬線・粟生線
  |6407
  |普通
 08:04
粟  生
 08:09
  |神鉄粟生線
  |8400
  |普通
 09:01
鈴 蘭 台
 09:10
  |神鉄有馬線
  |8027
  |準急
 09:32
有 馬 口
 09:34
  |神鉄有馬線
  |9205
  |普通
 09:38
有馬温泉
 09:54
  |神鉄有馬線
  |9206
  |普通
 09:58
有 馬 口
 10:03
  |神鉄三田線
  |9023
  |準急
 10:21
横  山
 10:24
  |神鉄都市公園線
  |10802
  |普通
 10:33
ウッディタウン中央
 10:45
  |神鉄都市公園線・三田線
  |10807
  |普通
 10:57
三  田
 11:13
  |JR福知山線
  |2742M
  |丹波路快速
 11:51
大阪/梅田
 12:06
  |大阪メトロ御堂筋線
  |4
  |普通
 12:15
な ん ば

運賃等

大阪メトロ 運賃 なんば-梅田 230円
阪急 運賃 大阪梅田-新開地 450円
神鉄 運賃 新開地-粟生 810円
神鉄 運賃 粟生-有馬温泉 730円
神鉄 運賃 有馬温泉-ウッディタウン中央 530円
神鉄 運賃 ウッディタウン中央-三田 350円
JR 運賃 三田-大阪 770円
大阪メトロ 運賃 梅田-なんば 230円
(合計 4100円)

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栃木県のちょいと北の方に住んでいるアラフィフのオッサン。
ラーメン・そば・うどんなどの食べ歩き、乗り鉄、競馬の旅打ち、モータースポーツ観戦、PC自作など嗜んでいます。

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