たひお備忘録

とりとめのない趣味の、とりとめのない活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

『探訪!日本100名城』 19/100城目 久保田城 【平成25年8月24日】

久保田城跡の石碑

 前の記事の稲庭うどんをいただいた後に向かったのが、今回秋田に立ち寄った元々の目的である久保田城。実はこの久保田城がある千秋公園の前はこれまで何度か通ったりしているのですが、お城に訪れるのは初めてだったりして。



久保田城について

 久保田城は、秋田県秋田市にある平山城。

 築城は、慶長9年(1604年)。その2年ほど前の慶長7年(1602年)、関ヶ原の戦いの際、中立を保ったというか、結果的にどっちつかずな態度となってしまった(これは家中で意見がまとまらなかったという話もあるようで)常陸国の佐竹義宣が秋田へと減転封(ただし、この時点では石高未定)となり、当初はそれまで秋田を領していた安東氏の居城である土崎湊城に入城したのですが、安東氏の領地は5万石程度。しかし転封前の佐竹氏はその約10倍、54万石の大名であったため、湊城はかなり手狭で(それでも、家臣の生活を考え、連れてくる数をだいぶ減らしたらしいですが。)拡張の余地も少く、また平城で防御面に不安があったこともあり、雄物川の支流の仁別川左岸にある神明山(しんめいやま)に、新たな城とその城下町を築くことになりました。それで、慶長8年(1603年)に築城が開始され、翌年に窪田城として本丸が完成。(ちなみに、久保田城と改名というか表記が変わったのは寛永10年(1633年)から正保2年(1645年)にかけてのことらしいです。)こちらを本城とし、湊城は破却されることとなりました。

 で、この久保田(窪田)城。その造りは、水堀や円郭式城郭など西国の様式を取り入れつつも、石垣は築かれず替わりに土塁が用いられました。また、天守は築かれず、替わりに8基の櫓と、「出し御書院」と呼ばれる櫓座敷が築かれました。これら石垣と天守については、幕府に遠慮した為という話もあるそうなのですが、国替えや大坂の陣への軍役奉仕による財政事情も影響したとの話もあるそうで。それでこちらが本城となった後も城普請は続けられ、城が完成したのは寛永八年(1631年)頃といわれています。その後、藩主が二代義隆となった寛永10年(1633年)に本丸が全焼。2年余を掛けて御殿などが修築されました。 また、城が完成した後も町割は続けられ、城下町が完成したというか最終形になったのが元禄12年(1699年)のこと。その後は立て続けに大火に見舞われたりしたものの、幕末まで佐竹氏が治める城とその城下町というのは変わりませんでした。(余談ですが、久保田城は江戸のはじめから幕末まで、藩主である佐竹家が城主を務めたのですが、その佐竹氏は、新羅三郎義光(源義光)に端を発する平安時代からの名門で、それが幕末まで大名として続いたことになるので、これって結構レアケースなんじゃないでしょうか。)

 そして時代が変わって明治2年(1869年)、版籍奉還により国へ返上され、陸軍省の所管に。で、廃城令での廃城も免れた(存城とされた)のですが、明治13年(1880年)の大火で城内の建造物はほぼ焼失してしまいました。その後の明治23年(1890年)、不用存城の払下により城跡が陸軍省から佐竹氏に払い下げられ、そのうち本丸と二の丸を秋田市が借り受け市民に開放。更に明治29年(1896年)、秋田市から秋田県へ移管されたのを機に公園として整備され、千秋園と名付けられました。やがて昭和に入り、戦後の昭和28年(1953年)に再び秋田市に移管され、昭和59年(1984年)、前年に没した佐竹宗家第十五代佐竹義榮の遺志に従って、公園用地が佐竹氏から秋田市へ寄贈されました。そして平成に入り、平成元年(1989年)に御隅櫓が、平成13年(2001年)に本丸表門が復元されました。

実際に行ってみた

 実は、前の記事の稲庭うどんをいただいたお店がある西武百貨店(秋田西武)からこちらは目と鼻の先というか、デパートから広小路に出て左を向くと、大手門の堀が目に入ってきます。

【大手門の堀と蓮】
大手門の堀と蓮
 ちなみに大手門は現在跡形も亡く、案内標識のみが立っていました。で、お堀には蓮がたくさん。丁度きれいな花が咲き、風に乗って良い香りも漂ってくるのですが、個人的には花が終わって種が出来ている部分が大の苦手というか…。なのであまり見ないようにしつつ入口の方へ。

【中土橋門跡付近から城内方向】
中土橋門跡付近から城内方向
 今回はこちらから城内へと。ちなみに冒頭の久保田城跡の石碑はこちらにあります。で、この辺りは現在、美術館やら図書館やら県民会館が立ち並んでいますが、昔は下中城町といって家臣の屋敷があったようで。

【唐金橋跡付近から城内方向】
唐金橋跡付近から城内方向
【穴門の柳】
穴門の柳
 そのまま進んで東海林太郎顕彰碑を過ぎると、唐金橋跡へ。この辺りからぐっとお城っぽくなってきます。また左手には池があり、その畔には立派な柳の木が。『穴門の柳』との案内看板が立っていました。

【松下門跡】
松下門跡
 唐金橋跡から右に折れつつ更にそのまま道なりに進んでいくと、松下門跡。よく見ると道路には礎石っぽい石が埋まっていました。

【城内駐車場】
城内駐車場
 久保田城跡には駐車場がほとんどないと聞いていたので、広小路沿いにあるコインパーキングにクルマを止めて来たのですが、ご覧のとおり場内の駐車場はガラガラでした。

【二の丸跡】
二の丸跡
 松下門跡のある坂を登り切ると二の丸跡へ。

【秋田市立佐竹史料館】
秋田市立佐竹史料館
 二の丸跡にあるのが、秋田市立佐竹史料館。日本100名城スタンプラリーのスタンプも置いてあります。で、館内は名前のとおり佐竹氏関連の資料が豊富。中でも「前進あるのみ」という意味の毛虫の前立ての付いた(他にも魔除けや「けむし」という読みから源氏の末裔であるという意味もあったらしいです。)初代藩主佐竹義宣公の兜は格好良かったというか。

【長坂門跡】
長坂門跡
 史料館を見学した跡は、御隅櫓を目指して本丸の対角線上を移動。で、その入口にあるのが長坂門(二ノ門)跡。喰違虎口の両側は土塁ですが、基底部だけ石垣があるので、これが腰巻土塁ってやつですかね?

【御物頭御番所】
御物頭御番所
【御物頭御番所の内部】
御物頭御番所の内部
 長坂門を登ったところにあるのが御物頭御番所。長坂門の開閉の管理と城下の警備、火災の消火等を担当していた物頭(足軽組頭)の詰所で、久保田城内に唯一残っている藩政時代の建物とのこと。ちなみに建物に上がることもできます。

【表門】
表門
 御物頭御番所前を左に折れると表門(一ノ門)が。復元とはいえだいぶ馴染んで良い感じに見えました。

【本丸跡】
本丸跡
 表門をくぐればそこは本丸跡。広いですね。

【佐竹義堯公銅像】
佐竹義堯公銅像
 本丸には、久保田藩最後の藩主である12代佐竹義堯公の銅像が。ちなみに建立は大正4年で、その後第二次世界大戦の際に金属類回収令によって供出させられたのですが、平成元年に復元されたそうです。

【埋門跡】
埋門跡
 本丸西側にはひっそりと埋門跡が。かつては土塁をくり抜いて門が造られていたんですかね?でも、この写真だと、どう見てもトイレを撮ったものとしか見えないよなぁ。

【多聞長屋跡】
多聞長屋跡
 理門のあたりから御隅櫓まではスロープ状の土塁となっているのですが、かつてそこには御隅櫓まで続く多聞長屋があったそうで。

【御隅櫓】
御隅櫓
【御隅櫓展望台からの眺め】
御隅櫓展望台からの眺め
 こちらにも、日本100名城スタンプラリーのスタンプも置いてある御隅櫓。平成元年の復元なのですが、復元にあたって、元々あった二層の上に展望台を付け足した三層構造にしたそうで。でもそのおかげで、日本海まで視界に入る眺めは良かったというか。

【本丸下西側の通路】
本丸下西側の通路
 帰りは、本丸内を戻るのではなく、御隅櫓の近くから西側へ降りて、本丸に沿った通路を戻りました。で、これがなかなか雰囲気あったというか、本丸を見上げながら進めば、山を巧みに利用した造りの一端が見えたというか。

感想とかまとめとか

 今回は時間の関係で、前述のとおり佐竹史料館から御隅櫓まで対角線上を移動しただけで終わってしまったのですが、それでも、地形を巧みに利用した縄張りなどを感じることが出来ましたし、名門だけどもこれまでイマイチよくわからなかった佐竹氏についても興味を持つことが出来ました。ですが、ハッキリ言ってかなり勿体なかったというか。見逃した建物や門跡も沢山あり、そして何より、もっともっと土塁を堪能したかったところです。旅の途中の限られた時間(特に今回は、秋田城を予想以上に堪能してしまったので…。)での訪問だったので仕方がなかったのですが、旅程と滞在時間とのバランス、もっと考えないとなぁ。(もっとも、一カ所を心ゆくまで堪能するには、時間がいくらあっても足らないと思うし、逆にこのくらいが丁度良いというか、もう一度来たくなるくらいでやめておくのもテかなぁ、なんて。)なので何時か、季節を変えて、ゆっくりと再訪したいと思います。

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