たひお備忘録

惑い迷える40代の、食べ歩き、競馬の旅打ち、城巡りなんかの記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

『探訪!日本100名城』 58/100城目 名古屋城 【平成27年3月14日】

※せっかく見てくれて申し訳ないのですが、この記事は、後日写真を増やすなどして手を入れる予定です。

「恩賜元離宮名古屋城」の石碑

 岡崎城からうどん屋さんを経由して向かった本日最後の目的地が、「尾張名古屋は城でもつ」と歌われる名古屋の繁栄のシンボルにして、個人的には某暴れん坊将軍での悪役、尾張大納言宗春の居城である、名古屋城です。


名古屋城について

 元々は16世紀前半に、当時、尾張国東部を支配していた駿河国守護の今川氏が、その最前線に築いた城で柳ノ丸と称したそうなのですが、織田信長の父である織田信秀が今川氏から奪った際、那古野城と改称。その後一時は家督を継いだ信長も居城しますが、後に本拠を清洲城に移し、天正10年(1582年)頃に廃城となってしまったとのこと。ちなみに、織田信長は、この那古野城で生まれたという説があるそうで。

 で、関ヶ原の戦いの後、大阪城の豊臣秀頼に備えて、徳川家康が各地の要衝に天下普請で城を築いていくのですが、その際に目を付けたのが那古野。当時の尾張国の拠点で、家康の9男にして清洲藩主である徳川義直の居城でもあった清洲城は、手狭だったことや度々水害に見舞われていることなどから、新しく城を築くことを決めたのですが、いくつかの候補の中から当地に築城が決定。慶長14年(1609年)にそのお触れが出されました。で、天下普請により、関ヶ原の戦いの後は西国に飛ばされていた豊臣恩顧の大名が多数動員され、慶長15年(1610年)に築城が開始。わずか1年足らずで巨大な規模の石垣が完成したのですが、その際、「駿府や江戸ならともかく、何で妾の子の城まで。」と文句を言う福島正則を「滅多なことを言うものではない。嫌ならさっさと帰国して謀反の支度でもしろ。それが出来ないならキリキリ働け。」とたしなめたエピソードは有名ですね。また築城と併せて城下町の整備も行われ、元々清洲城下に住んでいた家臣や町人、城下の寺社仏閣、はては清洲城小天守まで移す「清洲越し」と称された大規模な引っ越しが行われました。それで、義直自身は元和2年(1616年)に名古屋城に移り、以降、尾張徳川家の居城として幕末を迎えました。

 そして明治に入り、明治維新の明治3年(1870年)、第17第尾張徳川家当主にして最後の尾張藩主である徳川慶勝は、新政府に名古屋城の破却と金鯱の献上を申し出ましたが、山縣有朋が名古屋城と姫路城の城郭の保存を決定。この時、天守は本丸御殿とともに保存されたのですが、明治24年(1891年)起きた濃尾大地震にも耐えた天守と本丸御殿は、昭和5年(1930年)に城内の建築物と共に旧国宝に指定されたのですが、太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)に受けた名古屋空襲により、本丸御殿、大天守、小天守、東北隅櫓、正門、金鯱などが焼夷弾の直撃を受けて焼失してしまいました。

    戦後、焼け残った櫓と門、二之丸庭園の一部は保存され、また焼失した天守は、地元商店街の尽力や全国からの寄付により昭和34年(1959年)に鉄筋コンクリート造で再建。平成20年(2008年)からは本丸御殿の復元工事が開始され、平成22年(2010年)から復元工事の模様と併せ一部が公開されています。更には、天守を木造に建て替える計画も進められているようです。

実際に行ってみた

【東門付近の堀】
東門付近の堀
 今回、二の丸東有料駐車場にクルマを停め、東門から入ったのですが、その堀の広さにいきなり驚いたというか。しかも、場内にはここよりももっと広い堀もあるそうで、初っ端から「さすが」という感じです。

【西南隅櫓(未申櫓)】
西南隅櫓(未申櫓)
 城内には戦火を免れ、現在は国重文に指定されている櫓がいくつかあるのですが、これはそのうちの1つで、本丸西南にある隅櫓。

【天守】
天守
 前述のとおり、天守は昭和34年(1959年)に再建されたもの。こちらのように、昭和の中~後期にかけてコンクリート造で復元された天守って結構あるのですが、外見が良い感じくたびれてきて石垣と馴染んでいるように見えるというか。で、内部のいかにも昭和的つくりと相まって、個人的には嫌いじゃないというか。

【内堀に並べられた石垣】
内堀に並べられた石垣
 現在名古屋城では、本丸御殿復元工事の他、本丸搦手馬出周辺の石垣修復工事も行われているのですが、その際、一度バラされてた石垣の石が、本丸の内堀にずらっと並べてありました。

【清正石】
清正石
 本丸搦手枡形にあるのが、清正石と呼ばれる巨石。このあたりは黒田長政が石垣普請を担当したのですが、石のあまりの巨大さに、加藤清正が積み上げたと伝えられているそうで。でも、本当は長政さんが積んだとしたら、ちょっと可哀想というか。

【本丸御殿復元工事現場(1)】
本丸御殿復元工事現場(1)
【本丸御殿復元工事現場(2)】
本丸御殿復元工事現場(2)
 これが今回一番感激というか感動したのが、この、本丸御殿復元工事現場。木造のこれほどまでに巨大な建築物ができあがる様を間近で見られるというのは、宮大工でもない限り、なかなか出来ない体験です。ですが、こちらにたどり着いたのが見学可能な時間ギリギリだったので、見学が駆け足になってしまったのは、本当に勿体なかったというか。

感想とかまとめとか

 というわけで名古屋城だったのですが。さすがは東海道の要衝、そして尾張徳川家のお城だけあって、その規模の大きさに素直に感動しました。また、現在復元工事が進む本丸御殿の建築現場は、ものすごく興味深く、時間が許せばもっともっと見ていたかったというか。あと、復元された御殿を、早く見たいっ!

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