たひお備忘録

とりとめのない趣味の、とりとめのない活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

『探訪!日本100名城』 21/100城目 松前城 【平成25年8月26日】

史蹟松前城の石碑

 このところ続く北海道・東北旅行の時の記事ですが、北海道に渡った2日目。前日は丸一日競馬場で過ごしましたが、この日は一日お城などを巡ろうかと。で、その最初は、日本100名城の1つである松前城です。


松前城について

 松前城は、北海道松前郡松前町にある平山城で、最後期の日本式城郭。現在は国の史跡に指定されています。

 北海道南端にある渡島半島には、鎌倉時代から室町時代中期にかけて和人の移住が始まり、現在は道南十二館と呼ばれる館を拠点に、各々がアイヌとの交易などを行っていたのですが、康正3年・長禄元年(1457年)に起こった和人とアイヌとの争いであるコシャマインの戦いの際、花沢館(道南十二館のひとつ)の蠣崎季繁の客将であった武田信広(後に蠣崎家に婿養子として入り蠣崎信広となった)の活躍により戦いを収め、それを機に蠣崎家は勢力を拡大。後の当主である蠣崎慶広の代には上洛し、豊臣秀吉に拝謁することで本領を安堵され、更に秀吉の死後は徳川家康に帰順して姓名を松前慶広に改め、蝦夷地の支配権を認められました。その後松前氏は交代寄合を経て、享保4年(1719年)に大名に昇格。正式に1万石格(当時の蝦夷地は米が取れなかったので、石高はあくまで格としてだそうです。)の松前藩藩主となりました。

 と、ここまでは松前城城主である松前氏の歴史なのですが、時代をちょっと遡って、松前氏は、慶長5年(1600年)から慶長11年(1606年)にかけて福山に陣屋を築き、それ以前に居館としていた大館より移りました。これが福山館と称されたのですが、今度は時代が下って19世紀。ロシア艦隊が日本に来航するようになると、江戸幕府は嘉永2年(1849年)、北方警備を目的に、当時の松前藩主であった松前崇広に城を築くよう命じました。

 その際、築城する場所を現在の函館山にするなどの案も出たのですが、財政上の問題含め色々とあって、結局は居館の福山館を拡張・改築する方向に。長沼流兵学者である市川一学の縄張りにより(ただし、市川一学は海防上無理があるので、福山ではなく箱館後方にある庄司山付近に築城しようと上申したが叶わなかったそうで。)、三の丸から本丸までを津軽海峡に向けて雛壇式に築城されました。でもって、3重の天守を戴く城が安政元年(1854年)に完成。付近の山で採れる緑色凝灰岩を用いノミで丹念に整形して積み上げた亀甲積みと呼ばれる(色的にも)珍しい石垣や、寒さで染み割れないようにと河原ではなく銅板でふかれた屋根。また海側からの艦砲射撃に備えて城壁には鉄板を仕込むなど防御力を高め、対抗するための台場(砲台)が築かれたりと、かなり特徴的な城となりました。ちなみに、この頃から福山城の他、松前城という呼び名も出てきたそうで。

 そんな松前城(福山城)だったのですが、ロシアではなく戊辰戦争によって戦争を経験することに。明治元年(1868年)、当初は奥羽越列藩同盟に属していた松前藩だったのですが、その年の7月に起きた政変により新政府側に帰順することに。そこに榎本武揚ら旧幕府軍の、元新撰組副長である土方歳三が率いる700名の軍勢により攻撃を受け、わずか数時間で落城。これは搦手方の防御力が低い(築城時、海側からの攻撃に対しての備えはありましたが、搦手方からの攻撃は想定されていなかったかららしいです。)のを見て取った土方が、それを衝いたことにより短時間での落城となったそうで。

 しかし、翌年。榎本らは降伏し、再び松前城は松前氏の領有に戻りました。ですが明治4年(1871年)の廃藩置県のにより城は明治政府の領有となり、明治8年(1875年)には天守など本丸の施設を除くほとんどの建築物が取り壊されました。そして昭和16年(1941年)に、天守、本丸御門、本丸御門東塀が国宝保存法に基づき旧国宝に指定されたのですが、昭和24年(1949年)、城内にあった松前町役場からの失火。それが飛び火して、天守と本丸御門東塀は焼失してしまいました。

 その後、天守は昭和34年(1959年)から昭和36年(1961年)にかけ、松前城資料館として鉄筋コンクリート造で再建。平成12年(2000年)には搦手二ノ門が、平成14年(2002年)には天神坂門が再建されました。

実際に行ってみた

【国道228号を行く】
国道228号を行く 
 函館市内の宿を出て、市内から追分ソーランラインこと国道228号で松前城のある松前町へ。それにしても、この国道228号は景色がとても良く、走ってて気持ちいいですね。

【松前城入り口付近】
松前城入り口付近  
 宿から約2時間ほど走って松前町へ。で、国道からお城の方へと入っていいき、天守のある高台へと向かって坂を登るのですが、このあたりから城内へ。

阿吽寺

 で、天守のあたりをスルーしつつ城内をクルマで進み向かったのが、真言宗海渡山阿吽寺。元々は津軽にあったお寺で、嘉吉3年(1443年)に安藤盛季が南部氏の攻撃を受けた際、寺号を携われ本尊の不動明王や伝来の宝剣などと共に津軽海峡を渡り、現在の北斗市茂辺地付近に到着。(ちなみに、これが後の檜山安藤氏となるそうで。)そして大館に海渡山阿吽寺として再建したそうで。その後、色々あって(諸説有るらしいのですが)現在の位置に移り、松前家の祈祷所として周辺の真言宗寺院を支配したとのこと。

【堀上門(旧寺町御門)】
堀上門(旧寺町御門)
 なぜ、最初にこちらに向かったかというと、こちらの山門は、元々松前城の旧寺町御門だったそうで。(ちなみに門のそばには『堀上門』という看板がありました。)棟には城主松前氏(蠣崎氏)の丸に割菱の門があしらわれています。それにしても、ワイヤーで前後に引っ張られつつ立って(建って)いるその姿は、ちょっと痛々しいものがあったりして。

松前城

 阿吽寺に一礼した後、松前城へ。(っていうか、既に城内なんですがね。)ちなみに駐車場は無料でした。

【天神坂門】
天神坂門
 整備されている搦手口方面の一番下というか、三の丸入口に有るのが平成14年に再建された天神坂門。

【三の丸と五番台場】
三の丸と五番台場
 三の丸は外縁に土塁があり、その内側には台場が。ちなみに台場は(三の丸に置かれた復元模型によれば)7基(七番台場まで)あったらしいですが、そのうちのいくつかは写真のように整備復元されています。

【搦手二ノ門】
搦手二ノ門
 こちらは平成12年に復元された搦手二ノ門。

【城内に残る低い石垣】
城内に残る低い石垣
【石垣のアップ】
石垣のアップ
【城内に残る土塁】
城内に残る土塁
 城内には低い石垣や土塁が結構残っています。石垣は当時の物でしょうか。

【内堀と復元天守】
内堀と復元天守
 タイトルのまんま。それにしても、堀と天守の組み合わせは鉄板というか、良く見えますよね。

【天守(松前城資料館)入口】
天守(松前城資料館)入口
 復元天守は有料の松前城資料館となっています。で、その入口がここ。内容は、主に松前藩に関するものや、アイヌの有力者の肖像画も。そして、日本100名城スタンプラリーのスタンプもこちらに。

【本丸御門と復元天守】
本丸御門と復元天守
【本丸御門】
本丸御門
【天守石垣に残る戊申戦争時の弾痕】
天守石垣に残る戊申戦争時の弾痕
 松前城資料館になっている天守を出ると、国重文に指定されている本丸御門のところへ。その本丸御門は、なんていうか、重厚な造りでした。また、緑色凝灰岩を使った亀甲積みという特徴的な石垣も堪能できるのですが、天守基部の石垣には、戊辰戦争当時の弾痕が、今も生々しく残っています。

【本丸表御殿玄関】
本丸表御殿玄関
 本丸御門の隣には、移築された本丸表御殿の玄関が。最初は表御殿そのものが小学校として用いられ、明治33年に小学校の新校舎が出来た後もこの玄関だけは小学校の玄関として昭和57年まで使用されていたそうで。で、現在は北海道の指定有形文化財になっています。

 と、松前城をひととおり堪能した後は、城内にあるこちらへ。

松前藩屋敷

【松前藩屋敷入口付近】
松前藩屋敷入口付近
 藩政時代の松前に有ったであろう建物14棟を再現したテーマパークなんですが、これが思いの外素晴らしかったというか。それぞれの建物に、実際に上がってみられるというのは良いですね。

感想とかまとめとか

 というわけで松前城だったのですが、最後期の日本式城郭であり、また北海道というか松前という土地柄もあって、色々と特徴的な部分がとても興味深かったというか。また、北海道では珍しい和人の歴史的遺構が見られるという意味でも、なかなかに貴重な場所なのではないでしょうか。それにしても、幕末やら明治維新やらが絡むと個人的には生々しく感じるというか、そんなところが少々苦手だったりするんですよね。で、天守から津軽海峡を眺めた時、「ここを攻められた時、城主はここから海を見て何を思ったのだろうか。」とか、「攻めた方は、どんな思いを胸に秘めていたのだろうか。」なんて、柄にも無く物思いに耽ってしまいましたとさ。

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