たひお備忘録

とりとめのない趣味の、とりとめのない活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

豊田城 【平成29年5月6日】

史跡豊田城跡の石碑

 昼食を挟んで、まだまだ続く茨城の城跡巡り。今度は、国道294号からも見える巨大なお城風建築物が有名な豊田城です。


豊田城について

 豊田城は、茨城県常総市(旧石下町)あった平城。

 天喜2年(1054年)、平政幹は前九年の役(永承6年(1051年)~康平5年(1062年))の功績によって豊田郡を与えられたことにより豊田氏と称し、以降、当地を支配してきたのですが、その11代(12代という話も)豊田善幹(善基とも)が、正平元年(1346年)に築城したのが始まりとのこと。ちなみに、築城当時は小貝川沿いに築かれた、その水を防御に使った砦のようなものだったそうで。

 その後、豊田氏の拠点として整備され、支城も数多く作られたとのことですが、戦国時代に入り、さほど大きくなかった豊田氏は、自身より遙かに大きな佐竹氏・結城氏同盟に攻められ勢力を縮小。豊田氏も小田氏治(!)と同盟を組んで抵抗したのですが、天正3年(1575年)、当時の当主、豊田治親が家臣の謀反により毒殺されてしまいました。で、その謀反を唆したという多賀谷氏の城となったのですが、多賀谷氏は関ヶ原の戦いの後で改易となり(関ヶ原の戦いの直前、会津攻めする徳川家康が陣を置いた小山を襲撃しようとしたことが露見したとも。)、慶長6年(1601年)に廃城となりました。

実際に行ってみた

 そんな豊田城ですが、同時の遺構は全て無くなってしまったとの由。なのでとりあえず、あの建物に行ってみることに。

【地域交流センター(豊田城)】
地域交流センター(豊田城)
【展望台からの風景】
展望台からの風景 
 それがこの、常総市地域交流センター。実際の豊田城跡からはかなり離れたところに、平成の大合併前、旧石下町だった頃の平成4年(1992年)にオープンした施設で、今年(平成29年)4月29日にリニューアルしたばかり。石下の郷土資料館的なものと、ホールや図書館も兼ねた施設で、また当地出身の歌人・小説家である長塚節に関する展示もなされています。で、お勉強方々見学させていただこうとしたのですが、なんと今年の9月30日までは入館無料(通常は大人400円)でした。あと、展望台からの眺めはとても良かったですね。

【豊田城跡の石碑など】
豊田城跡の石碑など
【案内板 ※クリックで拡大】
案内板
 その後、小貝川の堤防上にある石碑を見に。近くには駐車場付きの小さな公園があったので、そこにクルマを停めることができました。で、河川改修とほ場整備事業によって遺構は完全に無くなってしまったとのことですが、石碑の横には、豊田城の詳細な歴史を記した案内板が、何とか頑張っているといった感じで建てられていました。

感想とか

 というわけで豊田城だったのですが、こちらの前に訪れた海老ヶ島城とはまた違った難易度の高さでした。遺構が全く残っておらず、地形的にも川沿いということもあって当時を偲ぶものが何一つ残っていないという。もっとも、地域交流センターの展示内容は結構興味を引くものが多かったし、長年気になっていた建物だったので、訪れることが出来て良かったんですが。

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