たひお備忘録

惑い迷える40代の、食べ歩き、競馬の旅打ち、城巡りなんかの記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

下館城 【平成29年5月6日】

「下館城址」の石碑

 前々の記事でも書いたとおり、今年のゴールデンウイークは、遠出するような予定は特になかったのですが、だからといってダラダラ過ごすのも勿体なく思い、この日は日帰りで茨城方面へと向かう事に。で、その途中に立ち寄ったのが、筑西市にあるこちらの城跡です。


下館城について

 下館城は、茨城県筑西市にあった平山城(平城?)で、現在は筑西市の指定文化財となっています。

 で、ウィキペディアなどによると、元々は天慶年間(938~948年)に、藤原秀郷が平将門追討のために築いた上館、中館、下館のうち下館にあたるという伝承があるそうなのですが、筑西市のウェブサイトによれば、現在残る城跡の元となったのは、文明10年(1478年)、結城氏の家臣である水谷勝氏が、結城氏広から下館領を与えられ築城したものだそう。その際、三重に巡らせた濠により「螺城」「法螺貝城」とも呼ばれたそう。その後も水谷氏が代々城主を務めますが、そのうちの水谷正村(弟に家督を譲った後の法号である「蟠龍斎(はんりゅうさい)」が有名ですが。)は「結城四天王最強」「負け知らずの猛将」として知られ、下野国の宇都宮氏と激しい争いを繰り広げました。

 その正村の弟である次代当主、勝俊は、豊臣秀吉の小田原征伐後、結城氏から独立。の戦い関ヶ原の戦いの功績により城主大名として下館藩を立藩しました。しかし、寛永16年(1639年)に勝俊の嫡子である当時の藩主、水谷勝隆は備中国に国替えとなり(その後備中松山城主となり現在に残る城を築いた由。)、その後は城主が目まぐるしく替わりましたが、享保17年(1732年)に石川総茂が2万石で入り、以後9代100年以上に渡り、石川氏代々が城主を務め明治時代を迎えました。ですが明治2年(1869年)頃に廃城となり、城跡は市街地になってしまいました。

実際に行ってみた

【本丸跡にある八幡神社】
本丸跡にある八幡神社
【八幡神社の境内】
八幡神社の境内
 そんな下館城ですが、ゴールデンウイークも残り少なくなったこの日、相方が何年も前からやっている携帯の位置ゲーム「発見!ニッポン城めぐり」の関係でお伺いしてみることに。で、自宅から国道4号や408号、294号などを通って茨城県に突入。その後、カーナビの関係でもの凄くマニアックな道も通ったりしましたが、気が付くと国道50号との交差を過ぎて、城跡にある八幡神社に到着したのですが、境内では地元の方と筑西市の職員さんと思しき方が何やらなさっておられるようで。で、その方達に下館城を見に来たことを告げ、境内にクルマを止めて良いか尋ねたところ、快く了解していただけました。

【慶応3年下館城下町絵図】
慶応3年下館城下町絵図
【もう1枚の絵図】
もう1枚の絵図
 更には、「折角見に来てくれたのだから」ということで、境内の建物から「慶応3年下館城下町絵図」を出して見せてくれました。ちなみに、この絵図を元にしたと思われる案内板が境内に立っています。それにしても、慶応3年は明治に入る前年。明治のごく初期に廃城となった下館城ですが、その末期の姿を伝える大変貴重なものですね。また更に、もう1枚の絵図も出して、それらを元に色々と説明してくださり、とても有り難かったです。

【西城跡の下館公園】
西城跡の下館公園
【台地の下から上水道配水池を望む】
台地の下から上水道配水池を望む
 八幡神社の道路を挟んだ向かい側は、現在、下館公園と上水道の配水施設となっているのですが、その辺りが、西城と呼ばれた出丸跡。公園の北側には公園のある高台から下に下りる細い道があったので降りてみると、台地の上にある曲輪の姿を、何となくイメージできました。

【空堀跡の一部?】
空堀跡の一部?
 八幡神社の南側、かつての二の丸、三の丸跡には下館小学校があります。で、その間にある東側に向かう小径は、かつて空堀があった名残ですかね。

【五行川】
五行川
【五行川沿いから八幡神社方向を望む】
五行川沿いから八幡神社方向を望む
 その小径を降りると、水堀替わりに城の東側を守っていた五行(ごぎょう)川に突き当たります。ちなみにこの五行川。私の生まれ故郷というか栃木県内では五行川と呼ばれることが多い気がするのですが、茨城県内では勤行(ごんぎょう)川と呼ばれることもあるそうで、確かに、前述の「慶応3年下館城下町絵図」にもそう書かれていました。

感想とか

 というわけで下館城だったのですが、私のような素人に毛が生えたレベルの人間からすると、かなり難易度が高かったというか。それでも、地形などから城跡っぽい雰囲気は感じ取ることが出来たのに加え、地元の方お陰で、何とか堪能することは出来ました。また、今回の探訪をきっかけに、藤原秀郷が平将門追討のために築いた3つの館や蟠龍斎こと水谷正村公の事も知ることが出来たので、次の当地を訪れる際は、それらに関連のある史跡も回ってみたくなりました。

コメント

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

このブログの管理人

HN:
馬 たひお (@uma_tahio)
性別:
男性
趣味:
このブログのとおり
自己紹介:
栃木県のちょいと北の方に住んでいます。
競馬が好き。食べること飲むこと全般が好き。なので、競馬場で飲み食いしている時が、一番幸せです。

【ご注意】 このブログに記載された情報は訪問当時のもので、現在のものとは異なる場合があります。あしからずご了承ください。

ツイッター

ブログ内検索

カレンダー

08 2019/09 10
S M T W T F S
3 5 7
9 11 13
15 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30

アーカイブ

忍者アナライズ