趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】
豊田城は、茨城県常総市(旧石下町)あった平城。
天喜2年(1054年)、平政幹は前九年の役(永承6年(1051年)~康平5年(1062年))の功績によって豊田郡を与えられたことにより豊田氏と称し、以降、当地を支配してきたのですが、その11代(12代という話も)豊田善幹(善基とも)が、正平元年(1346年)に築城したのが始まりとのこと。ちなみに、築城当時は小貝川沿いに築かれた、その水を防御に使った砦のようなものだったそうで。
その後、豊田氏の拠点として整備され、支城も数多く作られたとのことですが、戦国時代に入り、さほど大きくなかった豊田氏は、自身より遙かに大きな佐竹氏・結城氏同盟に攻められ勢力を縮小。豊田氏も小田氏治(!)と同盟を組んで抵抗したのですが、天正3年(1575年)、当時の当主、豊田治親が家臣の謀反により毒殺されてしまいました。で、その謀反を唆したという多賀谷氏の城となったのですが、多賀谷氏は関ヶ原の戦いの後で改易となり(関ヶ原の戦いの直前、会津攻めする徳川家康が陣を置いた小山を襲撃しようとしたことが露見したとも。)、慶長6年(1601年)に廃城となりました。
そんな豊田城ですが、同時の遺構は全て無くなってしまったとの由。なのでとりあえず、あの建物に行ってみることに。
【地域交流センター(豊田城)】
【展望台からの風景】
それがこの、常総市地域交流センター。
【豊田城跡の石碑など】
【案内板 ※クリックで拡大】
その後、小貝川の堤防上にある石碑を見に。近くには駐車場付きの小さな公園があったので、そこにクルマを停めることができました。で、河川改修とほ場整備事業によって遺構は完全に無くなってしまったとのことですが、石碑の横には、豊田城の詳細な歴史を記した案内板が、何とか頑張っているといった感じで建てられていました。
というわけで豊田城だったのですが、こちらの前に訪れた海老ヶ島城とはまた違った難易度の高さでした。遺構が全く残っておらず、地形的にも川沿いということもあって当時を偲ぶものが何一つ残っていないという。もっとも、地域交流センターの展示内容は結構興味を引くものが多かったし、長年気になっていた建物だったので、訪れることが出来て良かったんですが。
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