たひお備忘録

惑い迷える40代の、食べ歩き、競馬の旅打ち、城巡りなんかの記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

探訪!日本100名城』 70/100城目 姫路城 【平成28年10月15日】

史蹟姫路城 の石碑

 旅の二日目。前日、園田競馬場でのナイター終了後、わざわざ姫路まで来て泊まったのは、日本100名城の1つである、姫路城にお伺いするため。数えてみると、これでようやく70城目。そして新発田城以来ちょうど5カ月ぶりの日本100名城訪問となりました。


姫路城について

 姫路城は、兵庫県姫路市にある、渦郭式の縄張りを持つ平山城で、現存12天守のうちのひとつ。大天守を初めとする建築物は国宝に、他も多数が重要文化財に指定されているほか、世界文化遺産にも登録されており、その城のある山「鷺(さぎ)山」から取られたとも、城漆喰の外壁を纏った優美な姿から取られたとも(ウィキペディアによると他にも2説紹介されていますが)言われる「白鷺城」(はくろじょう、しらさぎじょうとも)という別名があります。また、数々の時代劇のロケにも使われているのですが、個人的には、松平健さん主演の『暴れん坊将軍』シリーズで、その外観が江戸城として使われているのが一番馴染み深かったりして。(ほんとにどうでもいい話ですが、個人的には、第1シリーズと第2シリーズが好きですねぇ。)

 そんな姫路城ですが、その歴史はかなり古く、一説によれば1346年(南朝だと正平元年、北朝だと貞和2年)、元々は姫山と呼ばれていた当地に、北朝方に与していた赤松貞範が当地に築城したのが始まりとされています。(ただ、当時は砦程度で、後述の小寺氏や黒田氏が築城したという説もあるそうで。)その後、赤松氏は色々とあって勢力が弱まったのもあって、戦国時代に入ると赤松氏の傍系を先祖に持つ小寺氏や、その家臣であった黒田氏が城代となり、このあたりはちょっと前の大河ドラマ『軍師官兵衛』(面白かったですねぇ。)でも描かれていたと思うのですが、結局のところ天正8年(1580年)、豊臣秀吉の中国攻略に際して黒田孝高(黒田官兵衛)が秀吉に差し出しました。そして、秀吉によつて天下統一がなされた後は、秀吉の正妻、おね(北の政所)の実兄である木下定家が城主を務めます。

 そして慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いのあと、徳川家康は娘婿である池田輝政を、52万石というかなりの高禄で城主に据えますが、この輝政が、姫路城を要衝にふさわしい現代に残る巨大な城に改築しました。また、「姫路」という地名が文献に現れるのが、輝政が城主だった頃からだそうです。で、その後も城の拡張が続けられ、完成したのは本多忠正が城主を務めた元和3年(1617年)の頃だそう。あとは幕末まで、要衝にふさわしく譜代及び親藩が城主を務めました。

 やがて幕末から明治に掛けての戊辰戦争では、城を包囲されるも直接の戦火に晒されなかったこともあって天主以下の建物はほとんどが残ったそうなのですが、屋根は傾き石垣は崩れ、あまり良い状態ではなかったようですね。で、明治に入ると例によって陸軍が置かれることとなり、それに伴って取り壊される建物も出てくる中、各地に残る城を保存しようという動きや、駐屯地である城の修繕などを担当していた中村陸軍工兵大佐の働きかけなどもあって、国費での修繕が決定。これが明治の大修理で、以降、太平洋戦争を挟んだ昭和の大修理、そして平成21年(2009年)から27年(2015年)まで続いた平成の大修理と3どの大規模な修繕を経て、その姿を現在に伝えています。また昭和6年(1931年)に旧国宝に指定されたのですが、昭和26年(1951年)にも現行法下での国宝に指定。ちなみに現在までに、大天守、西小天守、乾小天守、東小天守、イ・ロ・ハ・ニの渡櫓と附台所1棟が国宝、そのほか櫓・渡櫓27棟、門15棟、土塀31棟・築地塀1棟の計74棟が国指定重要文化財、また城跡そのものは国の特別史跡に指定されています。そして平成5年(1993年)には、国内で(奈良県法隆寺地域の仏教建築物と共に)初めてユネスコの世界文化遺産に登録されました。

実際に行ってみた

 と、長々と前置きしてしまったのですが、そんな姫路城にお伺いするのは、個人的に2回目。ちなみに前回は平成の大修理前の平成18年(2006年)にお伺いして、西御屋敷跡庭園の好古園ので含めてかなりじっくりと見学したのですが、今回は日本100名城スタンプラリーのスタンプを貰うついでに、サラっとという感じで。(旅程の関係で、時間もあまりありませんので…。)

【鵰(くまたか)門筋】
鵰(くまたか)門筋
 今回泊まった宿は、現在の姫路駅付近まで広がっていた総構えの一番外側にあたる外曲輪内部にあったのですが、その宿に面した道が、お城の内側へと続く道の一つである「鵰(くまたか)門筋」だったので、朝、宿を出てその道をそのままお城へ向かってGO。ちなみにこの通り、写真のとおり繁華街というか歓楽街を貫いています。(どおりで、昨夜、宿に着いたとき、この通りにはやたらとタクシーやら酔客やらがいたわけだ。)

【鵰(くまたか)門跡】
鵰(くまたか)門跡
 鵰(くまたか)門筋を北上すること暫し。坂元町という交差点に突き当たりますが、ここが昔、鵰(くまたか)門と呼ばれた門のあった跡で、石垣が往時の姿をとどめていました。ちなみに、東西に走る広い通りは国道2号なのですが、かつては外曲輪と中曲輪を隔てていた水堀(中堀)跡で、そこに土橋が掛かっていたそうで。

【白鷺中学校東側の通り】
白鷺中学校東側の通り
 鵰(くまたか)門跡から中曲輪に入ったら、今度は進路を東、そして北に取り、姫路市立白鷺中学校に沿うようなカタチでお城の中心部方向へ。ちなみに中学校の東側は家老屋敷跡だそう。そして奥には大天守など複合天守の建造物群が。それにしても、ここからでもお城の偉容がわかるというか、ほんと、美しくもグレートな天守ですね。

【桜門橋と大手門】
桜門橋と大手門
【内堀】
内堀
【裏側から見た大手門】
裏側から見た大手門
 中学校東側を北上すると、内堀に突き当たります。で、そこからちょっとだけ東方向に進むと、内堀に掛かり大手門へと続く桜門橋。

【大手門付近にいらっしゃった猫さん】
大手門付近にいらっしゃった猫さん
 大手門を入ったところでは、結構な人通りが有るにもかかわらず、お城に居着いている?猫さん達が日向ぼっこをしていました。それにしても、お城で猫を見かけたのって、久しぶりだなぁ。

【三の丸広場越しに見る天守や化粧櫓など】
三の丸広場越しに見る天守や化粧櫓など
 大手門から中曲輪入り、右手の姫路市立動物絵にも大変心惹かれるものがあるのですが今回は涙を呑んでスルーして、中心部のエリアを目指します。で、このあたりから三の丸広場越しに見るお城の偉容に改めて「すごいな」と。ほんと、よくぞこの規模で残してくださいました。

【入場口で開場を待つ人々】
入場口で開場を待つ人々
 有料エリアの入り口である入場口に到着したのが、午前8時50分過ぎ。この日は土曜日だったのですが、既にこれだけの人たちが午前9時の開場を待っていました。それにしても、流石は世界遺産というか、待っている人達も西洋の方やアジアの方ので様々。そして時間になり、券売機で入場券を購入してから入場(入城)。ちなみに、日本100名城スタンプラリーのスタンプは、この入場口券売所に置いてありました。

【入場口付近から見た天守など】
入場口付近から見た天守など
【菱の門】
菱の門
 平成の大修理として天守の修繕は終わったものの、また一部建造物にシートが掛けられている状態でした。そして入場口を入ってまず現れる立派な門が菱の門。

【三国堀越しに天守を望む】
三国堀越しに天守を望む
【いの門】
いの門
【ろの門】
ろの門
 菱の門入ったところにあるのが三国堀と呼ばれる空堀(だけど水が張ってありました)で、前回お伺いした時はここから左手前に折れて西の丸方面へと向かったのですが、今回は時間もあまりないのでとりあえず本丸と天守を目指しズンズンと進み、いの門、ろの門と通過。

【はの門手前の坂】
はの門手前の坂
【はの門】
はの門
 ろの門を過ぎ、次のはの門に向かう途中の坂道は、『暴れん坊将軍』でお馴染みとなったので「将軍坂」なんていう異名もあるそうです。

【にの門】
にの門
【ほの門】
 ほの門
【水一門】
水一門
【水二門】
水二門
【水三門】
水三門
【天守閣入口の案内がある水四門】
天守閣入口の案内がある水四門
 これだけの門をくぐってようやく「天守閣入口」の案内がある水四門へと到達。途中、写真はスッ飛ばしてますけど、各所に設けられた塀と石垣、そして櫓はどれも見所が満載です。また、姫路城に来て以来ここまでに通った門の数も多いのですが、そのバリエーションも豊かですね。

【大天守から姫路駅方向を望む】
大天守から姫路駅方向を望む
【大天守から西の丸を望む】
大天守から西の丸を望む
 天守の中も梁や柱など見所がたっぷりなのですが、混雑時(この日はそうでもありませんでしたが)にはよく見ていられないかもしれません。で、それらもサラっと流し見しつつ大天守の最上部へ。で、ここから南側の姫路駅方面を見ると、駅という丁度良い目標物のお陰でそこまで城域が広がっていた「広大さ」を実感できるかと。あと、西の丸にある百間廊下や化粧櫓などの形状もよくわかります。

【備前丸から見た天守】
備前丸から見た天守
【備前門】
備前門
【石垣に使われている石棺】
石垣に使われている石棺
 天守から脱出し、備前丸で一休みしてから、出口へ向かってGO。で、備前丸の出入り口に当たる備前門付近の石垣には、石棺が使われている箇所があります。

【太鼓櫓とりの門】
太鼓櫓とりの門
【お菊井戸】
お菊井戸
【歴代の鯱】
歴代の鯱
 順路に沿って太鼓櫓にくっついたりの門をくぐって上山里という曲輪へ。ここには、播州皿屋敷でお菊さんが責め殺されて投げこまれたという井戸があります。また、外周部の渡櫓には、姫路城の歴代鯱の展示も。

【をの門跡】
をの門跡
【西の丸南門跡】
西の丸南門跡
 上山里から二の丸へと戻り、ここまで早足で回ったお陰で時間に余裕も出来ていたので、先に飛ばした二の丸へ。で、いくら急いでいたとはいえ、途中にある姫路城の見所の一つであるところのるの門(孔門)の写真を撮っていないことに後で気付いたという…。

【西の丸】
西の丸
【カの櫓】
カの櫓
【ワの櫓】
ワの櫓
【渡り櫓内部】
渡り櫓内部
【化粧櫓内部】
化粧櫓内部
【カルタで遊ぶ千姫】
カルタで遊ぶ千姫
 そして、ワの櫓から渡櫓、そして百間廊下を通って化粧櫓へと。で、初めて来た時はここから巡ったのですが、天守に入る前なのにこの長さ、そして途中の部屋の多さで、姫路城の大きさを実感したっけなぁ。そして化粧櫓の内部では、カルタで遊ぶ千姫がいらっしゃいました。

【西の丸から天守を望む】
西の丸から天守を望む
 最後に、西の丸から見た天守を。見る角度によって表情を大きく変える姫路城の複合天守ですが、どの角度から見た時が、一番美しく見えるんですかね。

 というわけで姫路城だったのですが、最初に来た時にその大きさを実感して以来、その後、わりと沢山のお城を見て回ったにもかかわらず、それでもやっぱり、その規模、特に見て回れる現存建造物の多さでは日本一かと。ほんと、いくら賛辞を並べても足らないくらいです!!

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