たひお備忘録

惑い迷える40代の、食べ歩き、競馬の旅打ち、城巡りなんかの記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

探訪!日本100名城』 67/100城目 丸岡城 【平成28年4月30日】

國寶 霞ヶ城 の石碑

 金沢城を後にして、途中で昼食を取りつつ向かった次の目的地が、福井県の坂井市という所にある日本100名城の1つで、霞ヶ城という別名を持つ丸岡城です。


丸岡城について

 丸岡城は、福井県坂井市にある連郭式の平山城で、合戦時に大蛇が現れて霞を吹き、城を隠したという伝説から霞ヶ城とも呼ばれます。北陸地方唯一の現存天守を持つ城として知られていますが、その天守は国の重要文化財に指定されています。

 その築城は、天正4年(1576)。戦国時代、一向一揆への備えとして織田信長の命により、当地を支配していた柴田勝家が、甥の柴田勝豊に築かせました。で、現在残る天守が築城当時のものかは諸説あるらしいのですが、建築様式自体は野面積みの石垣に望楼形の独立天守と古いため、現存12天守の中でも愛知県の犬山城と並んで相当に古いものと考えられているようです。(一説には現存で最古とも。)

 その後、賤ヶ岳の戦いでの柴田勝家の敗死や、関ヶ原の戦いなどを経て城主は変わりますが、江戸時代に入った慶長18年(1613年)、幕府より附家老として福井藩に附せられた本多成重が新たな城主に。で、この成重が、日本一短い手紙として有名な「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな馬肥やせ」に出てくるお仙で、現代では町おこしの題材として「日本一短い手紙コンクール」なども行われています。と、話がそれましたが、その後の寛永元年(1624年)、成重は4万6300石に加増され、福井藩から独立した大名なって丸岡藩が立藩。以降4代にわたって城主を務めます。更にその後の元禄8年(1695年)、越後糸魚川から有馬清純が5万石で入城し、以降幕末に至るまで8代にわたって城主を務めました。

 明治に入ると丸岡城は廃城処分となり、お城の敷地と建物は払い下げられてしまったので、天守以外の建物が全て取り壊されてしまったのですが、その後、当時の丸岡町により買い戻され、天守は何とか解体を免れました。また城跡は公園となったものの、本丸の周りの堀は昭和にかけて埋め立てられてしまったそうで。そして昭和9年(1934年)、天守が旧国宝国宝に指定され、太平洋戦争でも失われなかったのですが、昭和23年(1948年)の福井地震によって倒壊。それでも現行法による国の重要文化財に指定され、昭和30年(1955年)には倒壊した際の部材を使って元のとおりに組み直して修復されました。

実際に行ってみた

【北陸道丸岡IC出口】
北陸道丸岡IC出口
【坂井市内走行中】
坂井市内走行中
 そんな丸岡城ですが、先に訪れた金沢城から北陸道経由で一気に丸岡ICまで。で、坂井市内というか、旧丸岡町内を走って、約65kmの道程でした。

【丸岡城他の駐車場】
丸岡城他の駐車場
【一筆啓上 日本一短い手紙の館】
一筆啓上 日本一短い手紙の館
 それでお城の前の駐車場は満車だったので、一筆啓上 日本一短い手紙の館の隣にある丸岡城、霞ヶ城公園、一筆啓上 日本一短い手紙の館の共用駐車場に駐車。

【丸岡城ほぼ全景】
丸岡城ほぼ全景
【丸岡町イメージキャラクターの城丸くん】
丸岡町イメージキャラクターの城丸くん
 それでいよいよお城へと向かうのですが、その第一印象は、とってもコンパクト!これでほぼ全景となっています。で、お城の手前にある一筆啓上茶屋という売店兼飲食店の前には、旧丸岡町のイメージキャラクターである城丸くんがお出迎え。それにしても、何とも味があって良いキャラですね。

【歴史民俗資料館】
歴史民俗資料館
 本丸に入る前に、歴史民俗資料館で歴史のお勉強。ちなみに、日本100名城スタンプラリーのスタンプはこちらではなく、写真右手奥の券売所だったかと。

【いざ本丸へ】
いざ本丸へ
【丸岡城本丸と天守】
丸岡城本丸と天守
 お勉強の後、券売所で日本100名城スタンプラリーのスタンプゲット、そして入場券を購入して入場。坂になっている通路をほんのちょっとだけ歩くと、天守の目の前に到着!いやはや、なんというアクセスの良さでしょうか。

【石製のしゃち】
石製のしゃち
 天守の登り口に置いてあったのが、この石製のしゃち。お城の天守と言えばシャチホコですが、丸岡城のは元々木彫銅板張りだったものを、戦前の修繕の際、瓦と同じ材質の石製のものに載せ替えたそう。ですが福井地震の際に落下し、その修復に際して木彫銅板張りのものに戻されたとのこと。で、どうでも良い話ですが、後ろに写り込んでしまったお姉さんの格好が、これから天守に登ろうとする服装じゃ…。(丸岡城天守内の階段は、現存の中でもかなり急角度なんです)

【天守からの景色(北側)】
天守からの景色(北側)
 補助用の縄がぶら下がっている急な階段で天守最上階まで。それにしても、天守がコンパクト故中はかなりの人口密度でした。で、写真はその最上段からの景色なのですが、この北方向、現在坂井市立平章小学校が建っているあたりはかつて二の丸だったところ。ちなみに、この平章小学校自体も、元々は文化元年(1804年)にお城の三の丸に建てられた藩校である平章館という由緒正しき学校だそうで。

【天守の石垣】
天守の石垣
【天守下の石垣】
天守下の石垣
 天守に登った後は、天守の石垣を堪能。野面積みの古風な感じが、何とも良いですね。また、天守下の石垣は、角の部分の算木積みがしっかりしていたので、後年積まれたものでしょうか?

【天守】
天守
 最後に天守を一瞥して終了。

感想とかまとめとか

 というわけで丸岡城だったのですが、城域は本丸部分しか明確に残っていないこともあって、とってもコンパクト。また、北陸地方唯一の現存天守も、二重三階とあってとってもコンパクト。ですが、それだけでもよくぞ残してくれたというか、お陰で、現存最古とも言われる板張りに石瓦葺きの、特徴的な天守の姿を今も見ることが出来るわけで。なので小さいながらも満足いたしました。ちなみにこちらはさくらの名所として有名なのですが、個人的には、雪国の城の風情を楽しむべく、今度は是非とも、雪の時期に訪れてみたいですね。

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