趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】
今年(令和2年)7月10日の金曜日に、『鉄印帳』の発売と、その記帳が開始されました。
その鉄印帳。近年またブームになっている寺社仏閣の「御朱印帳」をモチーフに、第三セクター鉄道等協議会(三セク協)とそこに加盟する鉄道会社40社、そして日本旅行、読売旅行が協業で始めた事業で、三セク協加盟の各鉄道会社の特定の窓口において1冊2200円で発売される『鉄印帳』に、その鉄道会社の乗車券の提示と300円~500円の記帳料を支払うと各鉄道会社オリジナルの「鉄印」が貰えるというもの。
個人的にそのための旅を始めたので、これから、その記録をあげていこうかと。
この記事を読まれる方にとってはどうでも良いことかもしれないのですが、旅行記に入る前に、まずは何故、鉄印帳の旅を始めることにしたか、について。
旅好きの祖母に連れられて、物心付く前から鉄道であちこちに行っていた影響で、気が付いたら旅好き、しかも今で言う「乗り鉄」になっていたのですが、そんな中でいつしか国内の鉄道路線全線完乗を目指すようになり、それでまずはJR全線を早く乗り終えるために、私鉄や第三セクターへ転換された鉄道の大部分を後回しに。
今考えれば、当時走っていた古い車両を乗り逃したり、その後経営環境の悪化などを理由に地方部では私鉄や第三セクター鉄道の廃止が進むなど、ずいぶん勿体無いことをしたのですが、更には、JRの路線を九割九分方乗り終わったところで、個人的事情によって一人で鉄道の旅どころではなくなってしまい、20年近くが経過してしまいました。
その間、出かけたついでにちょいちょいとは乗り鉄には励んでいたものの、近年になって、久方ぶりに一人で遠くに出かけることができるようになったため、乗り鉄熱が本格的に再燃。同時に、かつて乗らなかった私鉄や第三セクターの鉄道にも目が向くようになってきたタイミングで鉄印帳の発売が開始になることを知り、乗ったことがない路線に多く乗ることになるこの企画に、すぐに食いついた次第でして。
それてもう一つ、これまで数年間、旅の口実にしていた、全国の地方競馬の競馬場を巡る『たび馬チャレンジスタンプラリー』をこの2月に達成してしまい、新たな口実が欲しかったというのもあったんですよね……。
と、そんなわけでやる気を漲らせ、7月10日の開始日を迎えたのですが、その週末はちょっとだけ予定が入っていたこともあって、翌週あたりからその旅を始めようと思っていました。
しかし、7月12日の日曜日の午前中。何気なくツイッターのタイムラインを眺めていたところ、真岡鐵道公式アカウントさんから「鉄印帳完売」のツイートが。他の鉄道会社もそのような事態になれば鉄印帳の旅どころではなくなると思い、慌てて家人に「ちょっと日光市の北の方に行ってくる」と告げ、小雨が降る中をクルマで走ること小一時間、野岩鉄道での鉄印帳販売と記帳を行っているという新藤原駅まで。途中、東武鉄道鬼怒川線に並走する国道121号を走っていると、SL大樹とすれ違いました。
実は野岩鉄道が開通するだいぶ前、当時は東武鉄道鬼怒川線の終着駅だった新藤原駅に来たことがあったのですが、今もその時と同じく駅周辺には駐車場はなく、やむを得ずクルマを路肩に停めて駅舎の中へ。窓口で鉄印帳が欲しい旨を告げたところ、鉄印だけではなく鉄印帳も乗車券との同時購入ではないと販売できないとのこと。
正直なところ、この日は鉄印帳だけ欲しかったところなのですが、無理なお願いをして職員さんを困らせてもアレなので、最低区間の乗車券と共に鉄印帳を購入し、その場で記帳してもらうことに。ちなみに鉄印は大変立派で、そこには野岩鉄道の社章と、マスコット「やがぴぃ」があしらわれており、また台紙との間に割り印も押してありました。
実はこの旅を始める前、鉄印をもらうにあたっては、その鉄道会社全線に乗ろうと決めていたため、ちょっとスッキリしないスタートとなってしまったのですが、野岩鉄道には時間が作れ次第、可及的速やかに乗りに来ることを決意して、また雨の中を運転して自宅まで。ちなみにその後、鉄印帳は売り切れが続出して、急遽増刷が決定。そして増刷分が販売されるまでは、鉄印帳がなくても記帳料だけで鉄印が貰えるようになったようで。
新藤原駅に行った週の金曜日、色々あって一日時間を作れることになり、早速、野岩鉄道と、ついでに真岡鐵道、会津鉄道に乗ることに。このあたり、いつでも行けるように、事前に時刻表を調べておいたんですよね。
というわけで7月17日午前5時過ぎ、JR東北本線(宇都宮線)の蒲須坂駅-黒磯駅間では上り始発電車となる、上野行き普通列車に乗車。まずは、JR水戸線の下館駅から分岐する、真岡鐵道から乗っていこうかと。
車両は、岡本駅以北ではわりと珍しいE231系の5両編成。(宇都宮駅-黒磯駅間は205系ばかりなので。)まだ梅雨の最中ということで、空模様はいまいちスッキリせず、雨が降ったり止んだりする中を列車は進んで6時54分の定刻、小山駅に到着。
小山駅からは、7時7分発の水戸線水戸行き普通列車に乗り換えるのですが、13分の乗り換え時間の間に、JR東北本線(宇都宮線)上り線ホームにあるスタンドで、今や小山駅名物ともなっている立ち食いそばを。ここで食事を逃すと、次にいつ食べられるかわからなかったもので。
【きそば(10号そば)】
【いただいた天ぷらそ(390円)と生卵(60円)】
しかしこの時、運悪く財布には一万円札しか入っていなかったので、大急ぎでコンコースに登りSuicaにチャージして千円札を作ったあと、改めてホームにあるスタンドにて食券を購入。運良く待たずに調理してもらえました。(っていうか、混んでいたら諦めるつもりではあったので。)で、早速いただけば、甘さ控えめで醤油っ気と味付けが濃いつゆに、茹で麺。そこに香ばしいかき揚げと、更には生卵を追加していただけば、これが、もう。実は昔というかまだ子供だった頃、小山駅の立ち食いそばは正直好きではなかったのですが、大人になってから改めていただくと、駅そばの王道的味わいで美味いですね。
5分少々でそばを食べ終えた後、跨線橋を渡って水戸線のホームへ。E531系の5両編成が既に停車していたので、急いで写真を撮って乗車。運良く先頭車のボックスシートが空いていたので、有り難く着席。
程なく定刻となり、列車は小山駅を後に。この時、車内はさほど混んではいなかったのですが、2つ目の結城駅で、かなりの乗車が。その際、私の隣に座った若いお姉さんの香水(個人的には苦手な匂い。)が強く匂います。その匂いと格闘している中、鬼怒川を渡ったところにある川島駅でもかなりの乗車が。またかつてこの川島駅から北西方向に、セメントを運ぶ専用線が通っていたのですが、廃止されて20年以上経った今でも、その痕跡がはっきりと残っていました。
乗客をだいぶ増やしつつつ小山駅を出てから20分少々。列車は定刻の7時28分に、真岡鐵道と関東鉄道の乗換駅である下館駅へと到着。降りた2番線ホームは高校生で混雑しています。そんな中、その混雑するホームを小山方に向かってき、真岡鐵道の乗り場へ。
【真岡鐵道乗り場へ】
【真岡鐵道乗り場(下館駅1番線ホーム)と下館駅に停車中の茂木行き普通列車】
【購入した茂木駅までの乗車券】
ホームを小山方に歩くと程なく、真岡鐵道の乗り場が見えてきました。そこに置かれた簡易Suica改札機で自宅最寄り駅からの運賃を精算。また真岡鐵道のきっぷ類は、簡易Suica改札機の反対側に置かれた小屋で販売していたらしいのですが、この日はホームに置かれた机に職員さんが座って販売中。終点の茂木駅までの乗車券を購入し、停車中の列車に乗車しました。
それでこれから乗る真岡鐵道の真岡線ですが、下館駅を起点に終点の真岡駅まで、41.9kmを結ぶ路線。起点終点駅を含む駅数は17駅で、全線非電化単線となっています。
元々は国有鉄道の真岡軽便線として明治45年(1912年)に下館駅-真岡駅間が開業。徐々に路線を延伸させ、大正9年(1920年)に茂木駅までの42.0kmが全通。大正11年(1922年)に路線名称が真岡線と改称されました。なお、同年に施行された鉄道敷設法によって、真岡駅からは、現在の栃木県那須烏山市までと、現在の茨城県東茨城郡城里町阿野沢を経由して水戸市へと至る路線の建設が予定されていたのですが、後者は一部区間の建設が進んでいたものの、太平洋戦争によって中断し、戦後も建設が再開することはなかったそうで。
その後、昭和30年台後半から昭和40年代始めにかけて、上野駅から直通の準急列車が走っていた時期もあったのですが、昭和55年(1980年)に制定された日本国有鉄道経営再建促進特別措置法、いわゆる国鉄再建法に基づく、廃止を前提とした特定地方交通線として選定され、昭和59年(1984年)に第2次廃止対象路線として国が承認。その後JR東日本を経て、昭和63年(1988年)4月11日、前年に設立された第三セクターの真岡鐵道に転換。その際、延長が0.1km短くなり41.9kmとなりました。
転換後は、列車本数の増発に加え、平成6年(1994年)からSL列車『SLもおか』号の運転を開始。真岡駅の駅舎をSLをかたどったものに建て替えたり、平成25年(2013年)には真岡駅に隣接してSLキューロク館(展示してある国鉄9600形蒸気機関車より命名)が開館するなど、地域の交通機関としての役割の他、鉄道を活かした観光資源ともなっています。
ちなみに、これら真岡鐵道真岡線の歴史については、真岡鐵道のウェブサイト内に「真岡線のあしあと」という大変詳しく書かれたページがありますので、ぜひともご覧になっていただければ。
その真岡鐵道真岡線をこれから走る列車は、モオカ14形気動車の1両編成。型式名のとおり、平成14年(2002年)から導入が開始された車両で、乗車したモオカ14-4は、平成15年(2003年)に製造された車両。公募で選ばれたというカラーリングが特徴的ですね。
で、その車内は、朝の下り方面の列車にもかかわらず、ロングシートの車内は座席がさらっと埋まるくらいの乗車率。ラッキーなことに、運転席横のスペースが空いていたので、終点まで1時間少々ということもあり、その特等席立って前方の景色を眺めることにしました。
列車は定刻の7時31分、コツンと軽いショックの後、ディーゼルエンジンをふかして下館駅を発車。自動で流れる案内放送は、中国語も入っているんですね。それで列車は右にカーブして進路を北に取り、下館市の街中を走行。線路の周りは戸建ての住宅が多い感じです。そして発車して3分で、真岡鐵道転換後に設置された下館二高前駅に停車。高校生たちが下車していきました。
下館二高駅を出ると、沿線の民家がまばらになっていくよう。そのうち国道50号をアンダーパスし、左手には田んぼを隔てて国道294号が並走。実はこの国道294号は、かつて仕事で一時期毎日のように走っていた道なので、近いところを走る真岡線の風景も覚えのあるように感じます。で、その国道294号が近づくと、折本駅に停車。ここで反対方向の列車と交換します。
列車は折本駅を出て暫くすると国道294号と別れ、程なく現れるひぐち駅は、真岡鐵道転換後に設置された茨城県内最後の駅。ひらがな表記が珍しいのですが、これは秩父鉄道にある樋口駅との混同を避けるためとのことで。そしてその次の久下田駅が栃木県内最初の駅。この県境のあたり、国道294号もそうなのですが、県境越える感じが微妙(あるような、ないような)なんですね。
久下田駅、そして次の寺内駅でパラパラと乗客を乗せつつ進み、下館駅を発車してから約24分、列車は真岡線でもっとも乗車客の多い真岡駅に到着。駅進入の際、特徴的な駅舎や、これまた特徴的な、隣接するSLキューロク館の姿が見えました。
【北真岡駅-西田井駅間(桜・菜の花街道)】
【北真岡駅-西田井駅間(五行川橋梁)】
真岡駅で乗客が減るかと思っていたのですが、2分停車の間に降りた人数と同程度の数を乗せて発車。大きく右にカーブすると次の北真岡駅ですが、そこを発車すると続けざまに見どころが。まず駅のところから、春ならば沿線に桜並木と菜の花畑が続く「桜・菜の花街道」があり、その末端部分の進行方向左手に「真岡りす村ふれあいの里」が現れ、それが終わると土木遺産に認定された歴史的建造物の五行川橋梁を渡ります。
五行川を渡った後は、車窓の景色は先程までよりも、より田園地帯という感じに。次の西田井駅で反対方向の列車と2度目の交換を行い、その次の北山駅は真岡鐵道転換後に設置された駅ですが、設置から30年以上経過していて、1面1線の単式ホームには、すっかりと箔が付いていました。
北山駅を発車した列車は、すぐに真岡市から、益子焼で有名な益子町へと。程なくすると小貝川を渡るのですが、この小貝川橋梁量も、土木遺産に認定された歴史的建造物だそうですね。そして小貝川を渡ると線路は左に大きくカーブして益子町の市街地に入り、かつては交換可能駅であった益子駅に到着。街の規模的に乗客の動きがあるかなと思っていたのですが、大きな乗降はありませんでした。
益子駅を発車した列車はすぐに益子町の市街地を抜け、車窓は再び田園風景に。特に進行方向左手は、線路と小貝川との間に、圃場整備された大きな区画の田んぼが広がります。そんな中、次の七井駅の手前で、タヌキとキジを発見。タヌキは、私が住む栃木県ちょい北部の田舎でも発情期?によくロードキルされているのを見かけるのですが、キジは普段めったにお目にかかれませんね。
七井駅では、乗客のうち多数を占めていた高校生が下車。車内は10名も乗ってない程となったのもつかの間、次の多田羅駅で今度は中学生がまとまって降り、乗客は私を含めて残り3名に。そして益子町から市貝町に入った市塙駅で1人降り、残り2名となりました。
【市塙駅停車中】
【市塙駅-笹原田駅間】
【笹原田駅-天矢場駅間】
3分停車の間に反対方向の列車と交換してから市塙駅を発車すると、田んぼの中をのんびり走っていた先程までと一変。谷が狭まってきて山っぽい景色の中へ。線路の方も、かなりの急坂となる25パーミルの上り勾配が出現し、ディーゼルエンジンの音がこれまでよりも高鳴ります。それでここから先、国鉄(JR)時代は終点の茂木駅まで駅がなかったのですが、真岡鐵道転換後に、笹原田駅、天矢場駅が設置。そのうち笹原田駅では乗客が1人乗ってきました。
天矢場駅を出て暫くすると、右手に「道の駅もてぎ」が現れますが、こちらで提供されている「ゆず塩ら~めん」は、全国の道の駅グルメNo.1を決める「道1グランプリ」で三連覇を達成して殿堂入りとなった品。茂木駅からは道なりで1.5kmほど離れています。(田舎だと、クルマに乗って移動する距離。)そして、線路両側の谷が若干広がると、運転席から下館駅を出て初めてATS(自動列車停止装置)の警告ベル、そしてキンコンキンコンというチャイムが立て続けに聞こえてきて、終点の茂木駅に到着。下館駅を出てから約1時間8分。時刻は8時39分の定刻でした。
【茂木駅の駅名標】
【茂木駅の駅舎】
【購入した真岡駅までの乗車券】
茂木駅からは、乗ってきた列車の折返しとなる、8時52分発の下館行き普通列車に乗車。ですがその前に、改札口の女性に下館駅からの乗車券を渡して駅を出て、駅舎の写真を撮った後、駅併設のきれいな公衆トイレで用を足し、自動券売機で真岡駅までの乗車券を購入します。
そして再び改札口を通って下館行きの列車に乗車。そう言えば駅構内には、SLもおか号で使用する蒸気機関車の向きを変えるため、可愛いサイズの転車台がありました。
私含め3人の乗客を乗せた列車は、定刻に茂木駅を発車。景色が見づらいロングシートというのは残念ですが、空いている車内で、床にディーゼルエンジンの点検蓋が付いているあたり着座し、そのエンジン音を聞きながら、反対側の窓越しに流れる景色をのんびりと眺めつつ行くことに。
茂木駅から続く谷あいを抜けた市塙駅で、往路と同様最初の列車交換。その間に、JRの烏山駅からの那須烏山市営バスが到着しました。実は今回の計画を立てる際、かつての国鉄バスと同じルートを走るこのバスに乗ることも考えたのですが、ここで乗り継ぐ予定の茂木行きの列車と3分しか接続時間がなかったので大事を取って今回実際に乗ったルートにしたのですが、(この日に限ったことかもしれませんが)ちゃんと乗り継ぎできましたね。
市塙駅で2名ほど乗客を増やした列車は、その後、駅ごとに乗客を1人2人と拾いながら、往路と同じく西田井駅で列車交換をして、また景色も谷あいから田園風景、そして田舎町へと移り変わりながら進み、茂木駅を出てから約44分、定刻の9時36分に、真岡駅へと到着。ここでこの旅の目的である鉄印帳に記帳してもらうべく途中下車しました。
真岡駅ではまず、この度の一番の目的である鉄印帳への記帳をすべく、有人窓口へと。ちなみに降りた列車の乗客で同じ目的の人はいないようでした。で、窓口でその旨お願いしたところ、記入済みの用紙にその場で日付を入れたものを貰えたのですが、これが思っていた以上にスピーディー。予定では、真岡駅からは次の10時23分発の列車に乗ることにしていたのですが、先程まで乗っていた列車の、8分停車の間に余裕で貰えてしまったというか。(※もっとも、これは平日の午前中で私の他に誰もいなかったことが大きいと思います。週末、特に混雑が予想されるSLもおか号の停車時間内に貰おうというのは、どうかなぁ、と。)ちなみに鉄印には真岡鐵道の社章と、真岡鐵道転換時に導入されたモオカ63形気動車側面に描かれていたライン(の一部)があしらわれていました。
なので券売機で下館駅までの乗車券を購入して、停車中の列車に再び乗車。じつはここで予定より1本早い列車に乗っても、途中の乗り継ぎの関係で、自宅最寄り駅に帰り着く時刻は変わらないのですが、出来た余裕で、昼食をゆっくり取ることができそうです。
そして真岡駅を定刻の9時44分に出た列車は、最終的に6名の乗客を乗せ、定刻の10時9分、ATSの音をキンコンキンコンと鳴らしながら、終点の下館駅に到着しました。
【下館駅に到着した普通列車】
【下館駅にあった沿線案内】
【下館駅の駅名標】
下館駅では、真岡鐵道ホーム出口に設置された簡易Suica改札機にタッチ。既にホームに停車していた、10時32分発の水戸線小山行き普通列車に乗り継ぎます。で、とりあえず前から3両目のクロスシート座り、懐かしい発車メロディと共に発車。窓に雨がポツポツと当たる中、モーターを制御するインバータの音などを堪能しつつ、約22分で小山駅まで。
小山駅では、長い長いコンコースを急ぎ足で歩いて両毛線ホームに。停車中の、11時2分発両毛線高崎行き普通列車に乗り替えます。その列車は、久しぶりに乗る211系の6両編成(3両編成×2本)で、車内は全てロングシート。もっとも、この211系のロングシートって、乗り心地が良いから嫌いじゃないんですよね。で、前から3両目に乗り込み、最近すっかり少なくなってしまった、界磁添加励磁制御のモーター音を堪能しつつ、小山駅から2つ目、約10分で到着してしまう栃木駅で下車。ここで東武鉄道に乗り換えます。
栃木駅から東武鉄道に乗って、とりあえず下今市駅まで。というのも、これから野岩鉄道、そして会津鉄道と乗っていくわけなのですが、その両鉄道会社線にまたがって会津田島駅まで行く列車の始発駅が、下今市駅なんですよね。
丁度良いことに、栃木駅で12分の待ち合わせで接続するのが、下今市駅を通って東武日光駅に向かう区間急行列車で、入ってきたのは、東武日光線、東武鬼怒川線、そして野岩鉄道や会津鉄道でも使われている6050系電車の4両編成(2両編成×2本)。で、この6050系。なかなかにマニアックな形式の車両というか。
東武鉄道は、個人的に、古い車両も車体を新しいものに取り替えるなどして大事に使用しているイメージが有るのですが、この6050系もそうで、元々は6000系という、昭和39年(1964年)から昭和41年(1966年)にかけて東武日光線系統用に作られた2両編成の電車を、東武鬼怒川線と直通する野岩鉄道の開業に合わせて昭和60年(1985年)から翌年にかけて車体更新を行った際に作られた形式。
元の6000系は非冷房の片開き2扉の車体に、戸袋窓部分はロングシート、それ以外はボックスシート(固定クロスシート)という車内だったものを、新造された車体は冷房付き両開き2扉に。車内は従来同様の、固定クロスシート+ロングシートのセミロスシートながら、扉の変更などで若干配置が変わった他、シートピッチを広げるなどの改良を施したものが配置されました。
また、野岩鉄道開業後に運用する車両が不足するため、昭和60年(1985年)と昭和61年(1986年)に1編成づつ新製して野岩鉄道に譲渡。その後、会津鉄道の会津田島電化に合わせて昭和63年(1988年)に東武鉄道用が7編成と野岩鉄道用が1編成、平成2年(1990年)に会津鉄道用が1編成新製されました。(うち昭和63年に新製された2編成が、平成24年(2012年)に「スカイツリーレイン」に改造。)
と、モノによっては昭和の中頃に生まれた6050系ですが、乗り込んだのは4両編成の最後尾だったモハ6153という車両。調べたところ、種車は昭和40年(1965年)に製造、昭和61年(1986年)に車体更新されたようですね。で、車内はわりと空いていたので、乗車した前方のドア付近の適当なボックス席に腰掛けたところ、前隣のボックスに座っているお姉さまが、お酒をお召し上がりつつ芸能人の不倫た何だと、個人的には快くない内容のお話をされていたため、後方のドア付近のボックスに移動。イヤホンして音楽で耳をふさいでも良かったのですが、床下から響く、今や懐かしい部類となった、抵抗制御のモーター音堪能をしたかったもので。
席を移ってようやく落ち着き、そのモーター音をBGMに、車窓の景色を眺めることに。ちなみにこの時のメモには、「栃木の田舎の景色」とだけ書いてあるのですが、これは個人的に馴染み深い、里山を背景にした水田メインでそこに宅地と畑が混在したような景色のこと。そんな中、やたらとトウモロコシが目に入ります。
そんな見慣れた景色につい眠気を誘われ、少しウトウトしている間に、車窓は栃木の田舎でも、より山に近いところの景色に。所々に咲くヤマユリが綺麗ですね。そして、JRの日光線と交差し、日光街道の杉並木が目に入ると、下今市駅に到着。
下今市駅では、真岡鉄道で予定よりも1本早い列車に乗れたお陰で、次に乗る予定の列車まで1時間近く時間を作ることが。
【丸井食堂】
【いただいたもりそば(400円)】
【いただいたカレーライス(300円)】
なのでまずは昼食をと思い、ここに来る途中の車内で調べたお店に向かおうと思ったのですが、駅を出てすぐのところに、調べていたのとは違う食堂を発見。なんでも下調べしちゃつまらないと思い、今回はこの見つけたお店でいただくことにしたのですが、これが大正解。このご時世の影響でメニュー数を絞った営業をされているからなのか、どれも通常価格より安い値付けになっています。なので空腹だったこともあり、もりそばとカレーライスという、高校生みたいな頼み方をしてしまったのですが、当然茹でたてのそばは細めで喉越しが良く、コシがあってそば粉の甘味も感じられる仕上がり。そしてカレーライスは、具が豚肉とタマネギというシンプルさで、辛味もマイルドな、いわゆる「蕎麦屋のカレー」っぽい感じがしたのですが、どちらとも美味しく、これらが合わせて700円でいただけてしまったのは、ほんと、申し訳いくらいでした。
以上、いささか中途半端なのですが、だいぶ長くなりましたので、今回はこのあたりで。(つづく)
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