趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】
糸数城は、沖縄県南城市にあるグスクで、沖縄本島南部では最大規模とのこと。
三山時代の始まった14世紀初期の頃、南山の有力按司であった玉城按司の三男、糸数按司が築いたとされ、その後の尚巴志の琉球統一の際、上間按司に攻め落とされたとも言われています。
また、沖縄が本土復帰した1972年(昭和47年)には、国の史跡に指定されました。
【広場のような所】
【現地案内板】
玉城城からカーナビを頼りに糸数城へと向かったのですが、最初に案内されたところは地図で見ると近いんだけど、実際は???という場所。なので、スマホの地図アプリなどでそれっぽい所に当たりを付けクルマを走らせたのですが、通りから入るわりと急な坂道を登ると、突然石積が。で、そのまま道っぽいところを恐る恐る進んでいくと、広場のような所に出たのですが、冒頭の写真の石碑と、その脇には案内板がありました。
【広場から見た北のアザナ】
【城壁の外側から見た北のアザナ】
広場から北東の方向に、なにやら高い石積が見えたのですが、後で調べたところによると「北のアザナ」と言って、この糸数城跡で残る一番高い石積だったそうで。で、石積に使われている石が、下部は四角く整形してあるのに対し上部は野面積みっぽい感じがするのが不思議というか。あとアザナというのは、いまいちハッキリとわからなかったのですが、見張り台等の張り出した部分ということで良いのでしょうかね?
【城壁の石積(1)】
【城壁の石積(2)】
【城壁の石積(3)】
【石積内側の意味有りげな形状の箇所】
城壁の石積は、途中で段になっているところが有るのは城壁の内側から撮った写真ということになるんですかね。また、石積に用いられている石が、布積の四角く加工された石だったり、野面積の自然石っぽいのもあったりと、場所によってバラエティー豊かなのですが、何故そういうふうになったんですかね?あと、石積内側の部分には、なにやら意味有りげな形状の箇所がありましたが、これまたどういう役割をしていたんですかね?
【門跡】
【門跡の加工された石】
石積の途中には、立派な門跡があったのですが、その部分の石はビシっと整形され、下部にはほぞ穴も開いています。ちなみに、往時は櫓がこの上に載っていたみたいですね。
【南のアザナ付近(1)】
【南のアザナ付近(2)】
石積の南には、南のアザナと呼ばれる張り出した箇所が。形状といい高さといい、何とも興味深い感じがします。
【石積西側の草っ原】
石積から西方向(グスクの外方向?)へ林の中の短い小径を抜けると、(草刈りされた)草っ原が広がっていました。
【郭跡?】
【郭跡?南端から海方向を見る】
石積の東側(グスク内?)には平らになっていて、そのフチには一部石積の基部?が残っているような場所があったのですが、郭跡なのでしょうか?
というわけで糸数城だったのですが、さすがは沖縄本島南部では最大規模を誇るだけあって、かなりの見応えでした。また、本文中にも書きましたが、野面積と布積が組み合わさったような石積は、大変興味深かったというか。ちなみに現状では、石積の一部が修復されたような状態で、もしこれがもっと復元・整備されれば有数の観光スポットになりそうな感じもするのですが、自然と一体になったような現在の姿もこれはこれで良い雰囲気です。ただし、訪れ音には際で現、長袖長ズボン、そしてしっかりとした靴があった方が良かったなぁ、と思いました。(あまりに無防備な格好だったので、あまり歩き回れなかったんです…。)
現在、新しいコメントを受け付けない設定になっています。
このブログの管理人
【ご注意】 このブログに記載された情報は訪問当時のもので、現在のものとは異なる場合があります。あしからずご了承ください。
ツイッター
カテゴリー
ブログ内検索
最新記事
カレンダー
アーカイブ
忍者ツールズアクセス解析