趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】
今回、うるま市へ来た目的の一つが、勝連城のある与勝半島(勝連半島)から、その北東沖にある平安座(へんざ)島を結ぶ『海中道路』を走ることだったのですが、そこからついでとばかりにお隣の宮城島、そして更にその先の伊計(いけい)島までクルマを走らせた時に見つけたのがこの仲原(なかばる)遺跡。で、見つけたからにはちょっと見ていこうかと。
仲原遺跡は、沖縄県うるま市の伊計島(いけいじま。地元では「イチジマ」とも)にある、今から約2000~2500年前、沖縄の歴史区分だと沖縄貝塚時代中期(本土だと縄文~弥生時代にかけて)の集落跡。当時のものとしては沖縄県内でも最大だそうで。
伊計島はもともと遺跡が多いところだったらしいのですが、1978年(昭和53年)に行われた沖縄大学学生文化協会によって発見。その翌年、県による発掘調査が行われました。その結果、外壁に琉球石灰岩を用いた竪穴住居跡やその住居跡を利用した室内墓、また壺や鉢などの土器、石斧などといった生活用品の他、サメの歯やイモガイを用いた装飾品などが出土したそうです。
その後、1986年(昭和61年)には国の史跡に指定され、昭和62年から平成8年にかけて「イチの里 仲原遺跡」という歴史公園として整備されたのですが、その際、遺構の上に約70cmの盛り土を行って保護すると共に、その上に遺構の位置や形状を復元。また、いくつかの住居の復元もなされました。
【伊計大橋を渡って伊計島へ】
冒頭にも書いたとおり、こちらは目的を持って行ってみたというより、伊計島をクルマで通りかかった時に看板を発見して立ち寄ったという感じで。
【仲原遺跡全景】
で、伊計島の大部分は土地改良(ほ場整備)事業によって整形されたサトウキビ畑が広がっている(元々この遺跡が発見された経緯が、土地改良事業の事前調査だったそうで。)のですが、その中にぽつんとあるという感じです。
【第15号復元住居】
こちらの遺跡には、径が5~6mある大型の住居と、径が2~3mの小型の建物があるのですが、まずは大型の方から。内部には炉がしつらえられ、小型住居の母家的な建物だったと考えられているようです。またこちらの竪穴住居で特徴的に感じたのが、琉球石灰岩を使用した外壁。こういうタイプの竪穴住居(の復元したもの)って、個人的には初めて見たような気が。
【第2b号復元住居】
【第18号復元住居】
こちらは、小型のタイプ。どれも住居内部に炉はないそうで。また、第18号復元住居はあえて屋根を葺いていないのですが、お陰で住居の構造がよくわかりますね。
【第1号復元住居】
こちらは、写真だと他の復元住居と同じなのですが、廃屋を利用した墓と考えられているもので、竪穴内から埋葬された成人女性の人骨と副葬品が見つかったとのこと。
というわけで偶然発見した仲原遺跡だったのですが、なかなかに興味深かったです。正直、沖縄でも本土でも先史時代は個人的興味の守備範囲から外れるのですが、見たら見たで興味が湧いてくるというか。またこちらは復元整備の具合も程よく、当時を偲ぶには良い感じでしたね。
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