趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】
また記事更新の間が開いてしまいましたが、以前あげた記事のとおり沖縄そばをいただいた後、沖縄滞在2日目午後の部ということで向かったのが、今回の旅の主目的、沖縄県の日本100名城の残り1つである今帰仁城です。
今帰仁城は、沖縄県国頭郡今帰仁村にあるグスク。で、それについて例によって公式ウェブサイト、今帰仁村のウェブサイト、そしてウィキペディアなどで調べたことを以下にざっと。
【今帰仁城跡の案内看板】
【駐車場】
実は以前(お城巡りにあまりプライオリティーを置いていなかった頃)沖縄を訪れた時、なんとなく今帰仁城を観ようと那覇から当地までクルマを走らせたことがあったのですが、今帰仁城に着く直前、道路脇に立つ『琉神マブヤー』ショーの看板を見つけ、急遽そちらに向かってしまったという…。(それはそれでたいへん面白かったのですが。)ですが今回は、なんとなくではなく、確固たる意思を持って当地へ。
【グスク交流センター】
【グスク交流センター前にあった顔出し看板】
まずは、グスク交流センターで入場券と、日本100名城スタンプラリーのスタンプをゲット。また、こちらには飲食物売店もあるので、これからの城攻めに備えドリンクも購入。(この日も天気に恵まれて大変暑かったんです。)
【今帰仁村歴史文化センター】
入場券も買ったので早速グスクへと思ったのですが、その前に、グスク交流センターから駐車場を挟んで向かい側にある今帰仁村歴史文化センターで、今帰仁城と当地についてのお勉強を。(先程買ったドリンクはタオルに包んでショルダーバッグの中に仕舞いました。)ちなみに、入場券は今帰仁城跡と共通になっています。で、こういう施設がグスクに隣接してあると、知識で得たことがすぐに見られて本当に良いと思います。
【今帰仁ムラ跡】
【ハンタ道入口(出口?)】
グスク交流センターや今帰仁村歴史文化センターのあるところから道路を渡って、いよいよ今帰仁城へ。このあたりはグスクに隣接していた今帰仁ムラ跡というべき場所なんですかね?また、ここからは現今泊集落へと続くハンタ道と呼ばれる古道が(一部)残っていて、ちょっと歩いてみたかったのですが、そういうレベルの道じゃないっぽいので断念。
【外郭から見た今帰仁城】
【外郭の石積】
外郭に当たる部分にも低い石垣や拝所が復元されていたり、掘立柱建物跡がわかるよう整備されています。それにしても、石積が特徴的な波形のカーブを描いていますね。
【大隅(うーしみ)の石積その1】
【大隅の石積その2】
【大隅の内部】
外郭の内側にあるのが大隅(うーしみ)という郭。この郭の石積が外郭のそれ同様の波形のカーブを描いているのですが、こちらの方が圧倒的に高さがあるので、その存在感がこのグスクを特徴付けているというか、もの凄く印象的ですね。で、この大隅は、今帰仁城でも最大級の郭なのですが、その内部では兵馬の訓練が行われていたと考えられています。また、グスクの外へと抜ける洞窟の入口もあるそうで。ちなみに此処って、内部見学というか立入可だったんですね。(気付かずに上から眺めただけで済ませてしまった…。)
【平朗門(へいろうもん)】
【平朗門に居た猫】
大隅(うーしみ)の向かって右手にあるのが、今帰仁城の正門と言うべき平朗門(へいろうもん)。昭和37年(1962年)に修復されたそうです。また、この門のすぐ脇ところには狭間があるのですが、そこには猫が良い感じに鎮座していました。
【カーザフ】
いきなり感のある写真になってしまいましたが、こちらは平朗門(へいろうもん)から右に外れたところにある窪地でカーザフと呼ばれる場所。(ちなみに、写真はグスク内から見下ろす感じで撮ってます。)川の谷間という意味らしいのですが、グスク内の水利も兼ねていたんですかね?
【七五三の階段】
平朗門(へいろうもん)から真っ直ぐグスクの上部というか奥に向かって続く立派な石畳の通路が七五三の階段。今帰仁村や今帰仁城のウェブサイトによると「戦後まもなく米軍の車両が城内へ登ることから、戦災文化財の修理として文化財保護委員会の指導のもと、今見る階段の整備が行われました。」とのこと。また、この両脇にはカンヒザクラが植樹されており、桜の名所としても有名だそうです。
【旧道(入口側から)】
【旧道(出口側から)】
平朗門(へいろうもん)から右手に向かって伸びるのが、元々の道というか通路である旧道。入口のところから奥というか上に向かうと道は一気に狭く急峻になるのですが、攻められた時に守りやすくする為、そうした造りになっているそう。
【大庭(うーみやー)】
【カウラカー】
平朗門(へいろうもん)から七五三の階段もしくは旧道を登り切ったところにあるのが、大庭(うーみやー)と呼ばれる郭。ここには、名前のとおり広場的な場所の他、南殿・北殿といった建物があったそう。また、東南側には常時水を湛えている窪んだ岩石があり、カラウカーと呼ばれているのですが、そこはかつて女官達が髪を洗ったり、水量で吉凶を占ったと伝えられているとのこと。
【主郭】
大庭(うーみやー)の奥の一段高いところが、現在主郭と呼ばれている場所。数多くの建物礎石が見つかり、発掘調査の結果、13世紀終わり頃から17世紀はじめ頃まで機能していたとのこと。また、その後設置された火神(ひのかん)を祀る祠は、現在に至るまで信仰の対象となっています。あと、火神の祠の側には、前述の山北今帰仁城監守来歴碑記も有ります。
【志慶真門郭(しじまじょうかく)】
主郭の更に奥というか外側にある郭が、この志慶真門郭(しじまじょうかく)。地面から生えている短い丸太は、郭に有った掘立柱建物跡をあらわしています。で、この更に奥というか山手方向の石積の外には、志慶真ムラが有ったそうで。
というわけで今帰仁城だったのですが、前述のとおり、外郭と大隅(うーしみ)の石積がもの凄く印象に残りました。また、昨日観た首里城は勿論のこと、中城城ともまた違った雰囲気のグスクという感じがして、一口にグスクと言っても、色々と違うものだなぁと思った次第で。そんなわけなので、この今帰仁城で日本100名城に指定された沖縄県内の3つのグスク巡りはとりあえず終わったのですが、それ以外のグスクも色々と見て回りたくなりました。
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