趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】
また先月の用足しがてらの北海道旅行がらみの記事なんですが、今度は、北海道滞在3日目にして用足しの当日、用務先に向かう前に立ち寄った、札幌市交通資料館について。
札幌交通資料館は、昭和47年、市電全廃計画(実際には全廃になりませんでしたが。)を契機に、これまでの札幌の交通の歴史を残す為に博物館建設の構想が出され、その後昭和50年2月のさっぽろ雪まつり期間中にオープン。その後、地下鉄車両や市営バスも展示されるようになったそうです。で、以前、札幌市交通局の全線(市電と地下鉄)を乗るには乗ったのですが、ここを見ないと全部乗った気がしないというか、そんな思いを持っていたので、今回、あまり時間が取れなかったのですが、用足し前にちょっと見てみることにしました。
というわけで、平成23年9月11日の日曜日、すすきののホテルを出て、中島公園駅から札幌市営地下鉄南北線真駒内行きの電車に乗って、自衛隊前駅へ。そこで降り、西側の出口を出てから地下鉄の高架に沿って平岸通りを真駒内方向に進むと、程なくして資料館の入り口が。
【開門前の入り口】
でも、時刻はまだ午前9時半を回ったばかり。で、こちらの開館時刻は午前10時。気合いが入りすぎて開門前に来てしまいました。
そこで待ってても良かったのですが、朝食がまだでお腹が空いていたので、一度自衛隊前駅まで戻り、前の記事で書いた構内にある食堂で朝食をば。ちなみにこの食堂、札幌市の外郭団体がやっていて、交通局の職員食堂を兼ねているようで。で、お腹も膨れ、ちょうど開門となったようなので、再び資料館へと向かいました。
【交通資料館入口】
【交通資料館入口の看板】
私の前には、親子連れや孫を連れたおじいちゃんとおぼしき方々など、既に何組か入場していました。ちなみにこちら、入場は無料となっていますので、写真の入り口からこちらも中へ。後は、端から順に、展示物をば。
【乗合自動車(マイクロバス) 三菱 ローザ】
【マイクロバスの運転席付近】
【マイクロバスの車内】
今では全路線が廃止となってしまったのですが、かつて札幌には、市営バスが走っていたそうで。で、こちらは、昭和38年に、山間地および郊外路線向けに(最初は4台ほどが)導入された27人乗りのマイクロバス。最盛期には23台在籍していたようですが、郊外道路の整備などにより、昭和49年に廃止になってしまいました。で、こちらの資料館がすごいのは、展示されている営業用車両のほとんど全てが、内部まで公開されている事。というわけでこちらのマイクロバスも乗車でき、さらには運転席にも座れます。
【乗合自動車(ボンネット型) いすゞ BX95】
【ボンネットバスの後部】
【ボンネットバスの車内(1)】
【ボンネットバスの車内(2)】
昭和30年5月に導入された62人乗りのボンネットバス。引退後はサービスカーに改造され、昭和39年に廃車になるまで活躍したそうで。
【市営バス(新塗装車) いすゞキュービック】
【いすゞキュービックの車内】
平成6年に導入され、平成16年3月31のバス路線全廃時まで使用された車両。で、新塗装というのは1990年代半頃に札幌市交通局のCIにより導入された緑基調のカラーリングで、現在は路面電車がこのような塗装になっていますね。
【市営バス(旧塗装車) 日野ブルーリボン】
【方向幕】
【日野ブルーリボンの車内】
昭和62年に導入され、平成16年3月31のバス路線全廃時まで使用された車両。で、旧塗装というのは前述の新塗装以前に採用されていたカラーリングで、平成5年まではこの塗装で導入されていたそうです。
【木造2軸電動客車 10形(22)】
【22の車内】
【諸元表】
札幌市の路面電車は元々は市営ではなく、札幌石材馬車鉄道という会社が石材運搬の為に明治42年に開業させた路線を祖とし、その後明治45年に社名を札幌市街馬車軌道と改称し路線網を市街に広げたものが基となり、その後の大正7年、北海道開道50周年記念北海道大博覧会開催を機会に馬車鉄道を路面電車化しようという事になり名古屋電気鉄道株式会社から電車24両を購入して営業したのがはじまりだそうなのですが、その時に導入したうちの1両がこちら。で、その後、昭和2年に路面電車が市有化された際に札幌市がこれを譲り受けて使用し昭和11年に廃車になったのですが、車庫内で保管されていたところを昭和26年の丸山動物園開園にあたって園内に展示されることとなり、昭和35年に返還されると廃車になった別形式の車両の部品を使って運転可能な状態に戻され、その際、元々29だった車番を22に改称。その後は数回運転されたことはあったものの現在は静態保存状態となっているそうです。
【室内展示場入口】
【室内展示場の室内(1)】
【室内展示場の室内(2)】
室内展示場に入ると、平成20年に廃車となった地下鉄6000形電車先頭部のモックアップ(一部は本物の部品を使用しているらしいです)が目に飛び込んできます。で、中には、札幌市交通局の年表や、歴代の乗車券、以前使用されていた制服や廃車になった車両のマスコン等の部品、歴代の路面電車車両の模型などが展示されているのですが、中でも、年表の上に掲げられた、手書きで大変味のあるイラストが個人的には印象的でした。
【軌条、交叉器(ダイヤモンドクロッシング)など】
展示室を出て奥に向かうと、昭和40年代に撤去された市電のレールなどが。
【高速電車第4次試験車 すずかけ】
札幌市営地下鉄は、世界でも珍しい車輪ではなくゴムタイヤを用いた方式(更にその中でも独特で「札幌方式」と呼ばれています。)で昭和46年に開業したのですが、それより前の昭和42年から44年にかけて、世界でも類を見ない札幌方式の営業用車両開発のため、専用の試験場(札苗試験場)の線路延長676mのコースを50,000km以上走って基礎資料を収集した車両とのこと。ちなみに、見た目的にはかなり異形なのですが、足回り(走行装置、制御装置、制動装置等)は、札幌市営地下鉄初の営業用車両である1000形・2000形とほぼ同一だそうです。
【鋼製2軸ボギー電動客車 Tc1形(Tc1)】
【Tc1の運転席側】
【Tc1の車内】
昭和36年にラッシュ対策として登場した2両連結試作車で、通称「親子電車」。Tc1は親子のうち「子」にあたり、ラッシュ時は「親」にあたるM100形(M101)と連結して使用し、日中の閑散時には親のみで単独運転できる車両として作られたそうで。ですが、実際には連結・解放に労力がいるため常に親子を連結した状態で使われ、その後、運賃収受方式の関係で親のM101のみ継続して使用されることとなり、昭和45年に分離され、Tc1のみ昭和46年に廃車となってしまったとのことです。(なお、親のM101は現在でも使用されているそうで。)また、形式のTcは制御装置付き付随車の事と思われるのですが、勾配対策の為、付随車であるこの車両にもモーターが1台搭載されているそうです。(ただし、単独運転はできないそうで。)
【鋼製2連節電動客車 A800形(A801+A802)】
【A801+A802の車内】
昭和38年、前述の親子電車に続いてラッシュ対策用として登場した北海道初の連接車。親子電車の反省から2つの車両の間を通り抜けできるようにし、2つの車体を3つの台車で支える連接構造が採用されています。で、この形式は計3編成あったのですが、昭和47年から49年にかけて休車となり、昭和51年に全車廃車となってしまいました。ちなみに、形式の頭にあるAはArticulate(連接)の略。それにしても、曲線区間での車体の張り出しを抑えるためのほっそりした両端部がことさら全体を長く見せ、何とも特徴的ですね。
【鋼製2軸ボギー内燃客車 D1040形(D1041)】
札幌市電には、かつて、全国でここだけで世界的にも類を見ない路面電車ならぬ「路面ディーゼルカー」が走っていた時期がありました。変電所の増設をせずに路線の延伸をすることが目的だったのですが、結局は昭和42年にその路線を電化することになり、多くは車体を流用し路面電車として生まれ変わったのですが、昭和39年に2両投入されたこのD1040形は、電車化されることなく休車となり、昭和46年に廃車となってしまったそうです。それにしても、窓が大きく局面が多用された「札幌スタイル」とも呼ばれる車体は、今見てもモダンで流麗なデザインですね。ちなみに、この車両は残念ながら車内に入れませんでした。
【ブルーム式2軸内燃除雪車 DSB形(DSB1)】
札幌市電(と函館市電)は、冬季に活躍する「ささら電車」(後述)という除雪車が有名だと思うのですが、こちらは前述の非電化区間を含む路線の除雪に使用されたささらディーゼルカーとでもいうべき車両。昭和36年に製造され、その後の増備車を含む総勢3両で活躍したのですが、昭和42年の電化にともない出番が減り、昭和46に廃車となったそうです。
【ブルーム式2軸電動除雪車 雪1形(雪8)】
ささら電車は、大正11年、当時の札幌電気軌道株式会社が考案した除雪車で、車体前面に45度の角度で取り付けられたロータリーブルームと呼ばれる除雪用ブラシに竹製のささらを用いたことからこの愛称で呼ばれるようになったそうです。で、この雪1形は、その時に考案され実用化した最初の形式で、合計8両が製造されたのですが、当初は木造だった車体が老朽化し、昭和43年から45年にかけてうち7両の車体を鋼体化したのですが、昭和26年に製造されたこの雪8は鋼体化されることなく、昭和46年に廃車となったそうです。
【鋼製2軸ボギー電動客車 320形(321)】
【321の車内】
昭和32年に7両が登場した車両で、形式の320形は昭和32年に製造という意味らしいです。で、この形式から札幌市電独特の流線型車体が始まったそうで(ちなみに、後に札幌スタイルと呼ばれる特徴を持った車両は翌年に登場した330形からだそうです。)、その他にも、ドアエンジン、蛍光灯、Zパンダグラフ、弾性車輪など、当時しとては画期的な新機軸が採用された車両だったのですが、昭和48年に使用していた路線の廃止にともない、この車両も廃車になってしまったそうです。
【半鋼製2軸ボギー電動客車 600形(601)】
【601に掲げられていたサボ】
【601の車内】
昭和24年から26年にかけて市営化後同一形式としては最大の20両が製造され、昭和46年の廃車まで様々な改造を受けながら23年間使用された形式がこの600形だそうで。ちなみにこの601ですが、元々は昭和25年に製造された615という車両なのですが、廃止時に601に改番されたうえでこちらに保存されたとの事です。
【プラウ式2軸電動除雪車 雪11形?(雪11)】
札幌市電の除雪車と言えば前述のブルーム式ささら電車が有名なのですが、こちらは、鉄製の羽で雪を押し出して除雪するプラウ(雪かき)式除雪車。昭和33年に木造車を改造して作られ、昭和49年に廃車となったそうです。
【アルミニウム合金製片連接電動制御客車 1000形(1001+1002)】
【1002の正面】
前述のとおり、札幌市営地下鉄は、世界で初のゴムタイヤを使用した方式(案内軌条式車両)で昭和46年に開業したのですが、その際に初の営業用車両として用いられたのが、1000形と2000形という車両。ちなみに、両形式とも基本的には同じ構造で、1000形は2両編成用(2両編成×14本で28両在籍)、2000形は4両編成用(4両編成×7本で28両在籍)という違いしかなかったのですが、実際にはほとんどの列車で4両編成で運転され、更には乗客の増加に伴い6両編成化、最終的には8両編成化(8両編成×20本まで増備)され、1000形も2000形に編入・改番がなされたそうです。その後、後継車両の登場にともない昭和60年から廃車が始まり、平成11年6月を最後に営業運転から退いて全車廃車となってしまいました。で、この1001と1002ですが、廃車前は2320、2420と称していたらしいのですが、開業前の昭和45年8月に試験車として真駒内の教習線に搬入されて以来、高架部分で行った試験結果を量産車両に反映すると共に、昭和60年3月の廃車まで100万キロ以上を走行したそうです。それにしても、個人的には札幌の地下鉄といえばこの形式の車両が頭に浮かぶのですが、子供の頃は個性的過ぎて好きになれなかったスタイルも、今改めて見るととてもカッコイイというか。ちなみに、以前は車内に入れたそうなのですが、現在では施錠され入れなくなっていました。
【高速電車第3次試験車 はるにれ】
前述のすずかけの前に作られた試験車両で、マイクロバス型の車体と座席を持ち、動力はガソリンエンジン(8気筒エンジン×2器)。昭和40に製造され、札苗試験場で高速試験と冬季試験に供された成果を元に、前述のすずかけが製造されまとのことです。
そんなわけで、念願の札幌市交通資料館を見学することが出来たのですが、時間の関係で駆け足になってしまったのが本当に残念。できることなら、もう一度お伺いしてゆっくりと見たいところなのですが、こちらま開館する期間って、毎年5月から9月の間だけなんですよね。
現在、新しいコメントを受け付けない設定になっています。
このブログの管理人
【ご注意】 このブログに記載された情報は訪問当時のもので、現在のものとは異なる場合があります。あしからずご了承ください。
ツイッター
カテゴリー
ブログ内検索
最新記事
カレンダー
アーカイブ
忍者ツールズアクセス解析