趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】
名胡桃城は、群馬県利根郡みなかみ町にある連郭式の山城。で、例によって、名胡桃城についてウィキペディアや群馬県のウェブサイトで調べたことをおぼえがきがてら以下に。
と、いわゆる名胡桃城事件に関しての話ばかりになってしまったのですが、元々沼田城を攻略するために真田昌幸が拠点として館跡を作り替えただけあって、沼田城を攻めるにしろ守るにしろ重要な位置にあったからこそ、そんな事件も起きたという感じもします。
実はこの名胡桃城。今年の3月に石垣山一夜城と小田原城を訪れた際、こちらにも一度是非とも行ってみたいと思っていたお城でした。
【国道17号月夜野バイパスを行く】
それで、前の記事で訪れた沼田城の後、だいぶ日も傾いてきた中、国道17号月夜野バイパスをちょとだけ北上。それで、「名胡桃城址前」という信号のある交差点のところが丁度駐車場の入口になっていました。また、駐車場と城跡の間には元レストランとおぼしき案内所があったのですが、丁度閉めてボランティアの方々?が帰られるところでした。
【般若郭】
【郭のふちの段差】
それで駐車場になっているのか般若郭と呼ばれるところ。ここには、掘っ建て柱跡が20箇所確認されたそうで、名胡桃氏の館があったと推定されています。また、その周囲というかふちのところなどには、明らかに人の手による段差が付けられていますが、後世になって作られたものでしょうか?
【城跡の入口付近】
【入口付近の案内図】
般若郭とその周囲の断崖だけでご飯一杯くらいは軽くイケルのですが、だいぶ日も傾いていることだしさっさと城跡へ。で、その前に入口付近にある案内板なのですが、これが写実的で解りやすかったです。
【馬出郭】
月夜野バイパスに隣接してあるのが馬出郭。一段高くなっている部分もあるのですが、それがどういった意味かはわかりませんでした。あと、こちらには「丸馬出」との石碑が建っていたのですが、現状では四角っぽい形状。ということは、武田勝頼の命で築城された時は武田流築城術の特徴である丸馬出が築かれたが、後北条氏が奪取した際に角馬出に改修されたんですかね。(もっとも、その後畑として使われていた時にそうなったのかもしれませんが。)
【三の丸堀】
【三の丸】
だいぶ浅くなってしまったかもしれませんが、郭と郭の間の堀はしっかりと残っていて、その間は土橋で結ばれています。で、その先の三の丸は菜の花畑になっているのですが、菜の花って、結構刺激の強い匂いがしません?
【二の丸堀と土橋】
【二の丸堀】
【二の丸】
当たり前っちゃ当たり前ですが、三の丸の先は二の丸。で、この二の丸の入口はかつて、土塁による食い違い虎口があったらしいです。
【本丸堀と土橋】
【本丸堀】
【本丸虎口跡】
【本丸】
更に進んで本丸へ。入口の案内板では本郭となっていました。それでさすがに本丸だけあって整備されてます。ですが、面積的にはかなり小さく感じ、そんなところからもここは一般的な城では無く、砦というか前線基地っぽい感じが伝わってきます。
【本丸から見た袖郭と土橋】
【袖郭の土囲】
【袖郭】
【袖郭からの景色】
【物見郭】
本丸の先には袖郭が。入口の案内板ではささ郭となっていましたが、笹の葉みたいに細長い形状だからなんですかね?それで、ここには低い土塁も残っていました。そしてその先には物見郭が有ったのですが、ここ二日間の旅の疲れが足腰に来ていたためその間の土橋を渡る自信が無く断念。もし事故でも起こしたら、現在わりと自由に見られるこの城跡が、そうでなくなってしまうかもしれないので。
というわけで、名胡桃城だったのですが、急峻な地形を削って築いた連なる曲輪の形状がはっきりと残っているのが素晴らしかったというか。個人的には土の城が大好きなので、これには相当感動しました。正直、先程の沼田城ではモヤっとしてしまったのですが、これでスッキリ。本当に、立ち寄って良かったです。でも、こういう城跡って、一般的にはウケないんですよねぇ…。
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