趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】
瑞巌寺は、宮城県松島町にある臨済宗妙心寺派のお寺で、正式名称は松島青龍山瑞巌円福禅寺。
元々は天台宗のお寺で、その創建は古く、伝わるところによれば天長5年(828年)、比叡山延暦寺第三代座主で慈覚大師とも呼ばれる圓仁が、延福寺として開山。当初は奥州藤原氏の外護を受けたのですが、藤原氏滅亡の後は鎌倉幕府が替わって大檀越となり、北条政子が今なお残る仏舎利を寄進したりしました。
ですがその後、鎌倉時代中期(の正元年間(1259~1260年)頃という話も)に、伝わるところによれば禅宗に傾倒していた鎌倉幕府第5代執権北条時頼(ちなみに、大河ドラマになった8代執権北条時宗の父。)が天台宗徒を立ち退かせ、法身禅師を開山とし臨済宗円福寺に。その後鎌倉に建長寺(個人的には、けんちん汁で有名。)を開いた蘭渓道隆が2代目の住持となり、以後その弟子が円福寺に住していったのですが、次第にその勢力を拡大させ、寺格も五山十刹に次ぐ諸山の高位となったのですが、戦国時代を経て次第に衰退。また、天正6年(1573年)頃から臨済宗妙心寺派に属するようになりました。
そして江戸時代に入り、伊達政宗が師である禅僧虎哉宗乙(個人的には、大滝秀治さんと、「梵天丸もかくありたい」を思い出したりして。)の勧めで円福寺復興を思い立ち、諸国から名工130人を集め、建材は熊野から運び入れ、政宗自ら縄張りを行うなどして、慶長9年(1604年)から丸4年の月日を掛けて完成(現在国宝指定の本堂や庫裡などはこの時の建築だそうです。)させ、寺の名も現在の松島青龍山瑞巌円福禅寺と改めました。その後は伊達氏の庇護のもと隆盛をきわめ、この際、それまで瑞巌寺とは別個に存在した五大堂が、瑞巌寺の管理下に入ったとのこと。
しかし明治に入ると伊達家の版籍奉還、寺社領上知令による寺領の没集、そして廃仏毀釈運動により荒廃しかけたのですが、明治9年(1876年)に当地を巡幸された明治天皇の行在所となった際、内帑金千円が下賜され、復興の契機となり、昭和に入って戦後には本堂などが国宝に指定、大書院も建築されました。そして平成に入り、平成20年11月から平成30年3月までの予定で、国宝の本堂や国重文の中門と御成門など大規模な修繕が行われることとなりました。
実はこの瑞巌寺。今から約6年ほど前に、仙台・松島方面に団体で旅行した際にお伺いしているのですが、その時はバチ当たりなことに二日酔いのせいもあってほとんど記憶が無いというか…。でもその時に印象深かったのが、参道横の土産物店の店先にいらっしゃった松尾さんなのですが、ショックなことに忽然と消えていたというか。(東日本大震災の際の津波で流されてしまったのでしょうか。)
【在りし日の松尾さん】
で、今回。前述のとおり、本堂などは修繕中で見られないのですが、逆にその期間内に普段は公開されていない庫裡や陽徳院御霊屋(寶華殿)、本来は本堂に安置している御本尊、藩祖政宗公と2代忠宗公の大位牌や三代開山木像が特別公開されているということでお伺いすることに。
【五大堂】
まず、瑞巌寺とは少しだけ離れたところにある五大堂に参拝。伝承によれば大同2年(807年)、坂上田村麻呂が奥州遠征の際に毘沙門堂を建立したのが始まりとされるのですが、その後、圓仁が延福寺を創建した際に仏堂を建立し、大聖不動明王、降三世明王、大威徳明王、軍荼利明王、金剛夜叉明王の五大明王像を安置したことにより五大堂と呼ばれるようになったとのこと。で、現在のお堂は、慶長9年(1604年)に伊達政宗が瑞巌寺の再興に先立って再建した物で、国重要文化財に指定されています。
【総門】
参道を少し入ったところにある総門は、宮城県指定の重要文化財。あと、前述の松尾さんがいらっしゃったのは、確か、写真右手のお店だったかと。
【参道と杉木立】
東日本大震災の津波によって、瑞巌寺のある松島町は奇跡的に犠牲者が出なかったのですが、それでも、写真右手前の小さい看板の所まで津波が押し寄せ、参道両脇の杉がその後塩害により立ち枯れ、何本も伐採されてしまいました。
【洞窟遺跡群】
鎌倉時代から江戸時代にかけて造営されたもので、洞窟の中には無数の墓標が安置されたり、壁面に彫りつけられています。
と、ここまでが自由に拝観できるところ。ここから先は拝観料(大人700円)がかかります。それにしても、拝観料を払わずに無言で突進してきたバチ当たりなオバサンにはびびったというか…。
【本堂】
前述のとおり修繕中。入口のところでそれを知った観光客が「見ても仕方ない」と引き返していたのですが、何と勿体ない!(大きなお世話ですが…。)
【庫裡】
本堂と共に国宝に指定されています。そしてここから入って、奥の現在仮本堂となっている大書院へと行けるのですが、その大書院では前述のとおり藩祖政宗公と2代忠宗公の大位牌などが特別に公開され、間近で見ることが。で、これがまた見事だったというか。
【夫婦欅と陽徳院御霊屋入口】
樹齢800年という夫婦欅(松島町指定の天然記念物)の下にある小さな門をくぐって、案内看板のとおり暫く進むと、陽徳院御霊屋があります。ちなみに、陽徳院というのは伊達政宗の正室である愛姫のこと。で、その御霊屋である寶華殿ですが、これがまた素晴らしかったというか。
その後、(写真は撮っていないのですが)瑞巌寺所蔵の宝物を展示している青龍殿を拝観したのですが、これまた貴重な物が沢山展示されていて凄かったです。
というわけで、本堂などは修繕中ではあったのですが、特別公開されている物などかなり見応えがあったというか、中でも特に陽徳院御霊屋は、見れば見るほど息をのむ見事さで、とても有り難い物を見せていただいたというか。で、今度は、修繕が終わった後にでも来て、今回見られなかったところを含めてまたじっくりと拝観させていただきたいと思います。
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