たひお備忘録

趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

『探訪!日本100名城』 12/100城目 会津若松城 【平成25年2月9日】

鶴ヶ城跡碑

 足利氏館、金山城、箕輪城のまわった翌週。今度は三連休を利用して、東北のお城を巡ってきました。で、その最初が、現在放送されている大河ドラマ『八重の桜』の舞台となった、鶴ヶ城こと会津若松城です。

会津若松城について

 会津若松城は福島県会津若松市にある国の史跡(史跡名は若松城跡)。梯郭式の平山城で、別名は鶴ヶ城、若松城とも呼ばれるというか、会津若松城という呼び方の方がマイナーらしい(実際、石碑も「鶴ヶ城跡」となっていますし。)です。

 もともとは、南北朝時代の元中元年/至徳元年(1384年)、鎌倉時代の13世紀中頃より当地を支配していた蘆名氏の、7代当主である直盛が館を造ったのがはじまりとされ、その後15世紀半ばまでには黒川城とその城下が成立。以後、代々蘆名氏支配の中心として栄え、天文22年(1553年)16代当主盛氏が城主の頃には、奥州で伊達氏と並ぶ有力大名となったそうで。

 しかし、盛氏の晩年より後継者問題などで家中がごたつき始めていたところ、盛氏の没(天正8年)後である天正17年(1589年)、20代当主義広の時に伊達政宗が豊臣秀吉の制止を無視して会津を攻め、蘆名氏を滅ぼし黒川城を入手。しかし天正18年(1590年)、結局政宗は秀吉により会津を召し上げられてしまいました。で、それにより秀吉の命で黒川城に入ったのは蒲生氏郷。文禄元年(1592年)より城郭及び城下町の改修に着手し、更には、町の名を黒川から若松へと改め、翌年には、望楼型7重の立派な(ちなみに、7重には「何段にも重なる」の意味もあるので実際は地上部5重という話も)の天守が完成。城の名も「鶴ヶ城」に改められました。

 ですが、慶長3年(1598年)、氏郷の子である秀行が家中騒動のため下野国宇都宮に移封され、替わってやって来たのは上杉景勝。鶴ヶ城が手狭だと考えた景勝は慶長5年(1600年)に神指ヶ原(現在の会津若松市神指町)に神指城の築城を開始するのですが、秀吉の没後対立が深まっていた徳川家康がこの年、会津征伐を決意。その為築城を中止しその対応に当たりました。で、その後、石田三成の挙兵に伴い関ヶ原の戦いへと続いていくのですが、戦後、関ヶ原で西軍に付いた景勝は米沢に移封され、再び蒲生秀行が慶長6年(1601年)に入封。その後の慶長16年(1611年)、慶長会津地震と呼ばれる大地震が会津を襲い、石垣の崩壊や天主が傾くなどの被害が。また、この年は江戸屋敷が焼失したり干ばつに見舞われたりして、その所為か秀行は翌年に病死。子の忠郷が10歳という若さで跡を継ぐも、寛永4年(1627年)に夭逝し、子がなかったので、弟忠知が伊予松山に転封となりました。

 替わって松山からやって来たのが、賤ヶ岳七本槍の一人である加藤嘉明ですが、藩内の整備に着手するも寛永8年(1631年)に死去し、替わって子の明成が当主に。その明成は西出丸、北出丸などの造築、慶長会津地震により傾いた天守を明治まで残る5重の層塔型天守に改築したのですが、この改修が幕府の疳にさわったのか、家臣との対立(会津騒動)を理由に領地を召し上げられ、2代将軍徳川秀忠の庶子であった保科正之が入封。子の正容が3代当主となると松平姓と葵の紋の永代使用(正之の頃から使用を許されるも、養子として育ててくれた保科家に恩義を感じ固辞してきたとのこと)を許され、以後幕末まで会津松平家の居城となりました。

 そして慶応4年(1868年)。戊辰戦争の際の会津戦争にて、1ヶ月の籠城戦のうえ開城。天守を含む多くの建造物の傷みは激しく、その後も放置されたまま明治7年(1874年)に廃城、破却となり、その後石垣の一部も取り壊されてしまったのですが、昭和35年(1960年)までには本丸が復元され、昭和40年(1965年)には天主が鉄筋コンクリート造により外観復興復元。平成12年(2000年)に本丸内の干飯櫓(ほしいやぐら)と南走長屋が復元され、平成23年(2010年)には黒瓦だった天守の屋根瓦を明治時代に解体される以前の赤瓦葺に復元されました。

実際に行ってみた

 今回の旅行のルート的にはちょっと戻る形になるのですが、喜多方で朝ラーをいただいた後、午前8時過ぎに会津若松市内へ。大河ドラマの舞台なので冬でも混むだろうと思い、なら少しでも空いてる時間にと思って、開城時刻の午前8時30分に合わせてお伺いすることにしていました。

【北出丸交差点】
北出丸交差点
 カーナビの指示どおりに走っていると遠目に天守がちらと見え、そのまま進むとすぐにお城の入口に。この時点で駐車場の位置とか判っていなかったので、とりあえず直進することに。

【城内1】
城内1
【城内2】
城内2
 その先、市営駐車場の案内看板に従って進むと城内へ。クルマで城内に入るのって、何か「良いの?」ってドキドキしてしまうというか。そして北出丸を抜け、西出丸にある駐車場に到着。時刻は午前8時30分を少しだけ回ったところだったのですが、前後してクルマが入ってきていました。ちなみに、料金は1時間200円となっています。

【西出丸方向から見た本丸】
西出丸方向から見た本丸
 梅坂を登って虎口を通ると、雪を被った天主が。いきなり絶景というか、この季節に来て良かったなぁ。

【鐘撞堂】
100mei10076.jpg
 会津戦争の際、敵の砲火を受けつつも開城まで時を知らせる鐘を鳴らし続けたとされるところ。個人的には、戊辰戦争って、生まれる遙か前のことなのですが、何となくまだ生々しく感じるというか。

【鶴ヶ城稲荷神社】
鶴ヶ城稲荷神社
 黒川城築城時に縄張りに苦心していた蘆名直盛が、田中稲荷神社に勧請したところ霊夢があり、目覚めると降り積もった雪の上に狐の足跡があって、それを頼りに縄張りを築いたとの伝説があるそうで。

【天守】
天守
 天主の出入は走長屋から。ですが看板は「出口」とだけあったので、冬季以外は出口専用でしょうか?で、内部は『鶴ヶ城天守閣博物館』となっていて、様々な歴史的料などが展示されていたのですが、1階のCGシアター?の映像は、現在放送中の大河ドラマ『八重の桜』の主人公新島八重を紹介する作品が放映されていました。それと、日本100名城のスタンプは、入口を入ったところの売店カウンターに置いてありました。

【天主から見た太鼓門(北方向)】
天主から見た太鼓門(北方向)
【天主から見た走長屋・南走長屋と干飯櫓(南方向)】
天主から見た走長屋・南走長屋と干飯櫓(南方向)
【西方向の本丸内には桜の花が】
西方向の本丸内には桜の花が
 天主からは城下が一望。周りに高い建物が無いのでことさらパノラマ感が強調されますね。今回は雪模様だったので、今回は天気の良い時に来てみたいです。また、西方向の庭には桜の花模様が描いてあったのですが、2月8・9日に行われた会津絵ろうそく祭りの地上絵の物だったのですね。 

【お城ボくん】
お城ボくん
 天主を一通り見学した後は、売店エリアの走長屋を抜け、平成12年に復元された南走長屋と干飯櫓を見学。で、南走長屋の手前には、会津若松市観光PRキャラクターのお城ボくんが鎮座していました。

 その後、城内の散策も程々に切り上げて、次の目的地に向かおうとも思ったのですが、一度駐車場を出た後、ちょっと名残惜しくなってというかトップの写真に使った『鶴ヶ城跡』の関市の写真が撮りたくて、再び北出丸交差点から城内へと入り、北出丸内にある民間の駐車場へ。ちなみに料金は市営駐車場の倍の30分200円でした。

【北出丸の堀と石垣】
北出丸の堀と石垣
【北出丸入口】
北出丸入口
 そこで、件の石碑や堀と石垣の写真を撮った後、売店で売っていたエゴマ味噌の焼き団子もいだだき満足したので、再び城内を通って、同じ市内にある次の目的地へと向かいました。

阿弥陀寺

 で、向かったのが、お城と同じ会津若松市内でも七日町のほうにあるこのお寺。すぐ近くにある、最近出来たらしい七日町浪漫デッキ駐車場(30分100円)というところにクルマを停めて、いざ。

【御三階】
御三階
【瓦と妻板の三つ葵】
瓦と妻板の三つ葵
 こちらには、会津若松城本丸にあった御三階が移築されているのですが、会津戦争で失われた本堂の替わりとして使用されていたとのこと。で、この御三階、外見は3層櫓ですが内部は4層になっているそうです。また、正面の唐破風は本丸玄関の一部だそうで、瓦と妻板には三つ葵があしらわれているのですが、どちらも会津葵ではなく、妻板部分の物は江戸末期に使われたというの13芯の徳川葵、瓦には9芯の物が使われていました。

 その他、この阿弥陀寺には、新撰組三番隊隊長であった斎藤一(が改名した藤田五郎)のお墓もあります。

感想とかまとめとか

 実はこの会津若松城。中学校の時に遠足で行った筈なのですが、全く記憶に無いというか…。その後、会津若松には何度も来たことはあるのですが、せいぜい国道118号を通り過ぎざまに眺める程度だったんですよね。ですが今回改めてお伺いしてみて、戦国時代から明治に至るまで、各時代で重要な舞台となったこのお城に、何か特別な物を感じたというか。今回は駆け足になってしまったので、今度は雪の無い季節に来て城内をゆっくり散策すると共に、会津若松市内に多数ある史跡も巡ってみたくなりました。

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