たひお備忘録

趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

『探訪!日本100名城』8/100城目 白河小峰城 【平成25年1月27日】

小峰城跡碑と三重櫓

 前エントリで、日本城郭協会の選定した日本100名城を巡っている事と、これまでお伺いしたお城の事を書いたのですが、今度は、新たにお伺いしたお城について。『探訪!日本100名城』の8城目は、福島県白河市にある、白河小峰城です。

白河小峰城について

 白河小峰城は、福島県白河市にある梯郭式平山城で、別名は白河城や小峰城。(っていうか、どちらもかつての名前ですよね。)主要な曲輪の周囲に石垣を配した、関東というか東日本では珍しい、総石垣造りとなっています。以前は市指定史跡だったのですが、日本100名城に選定後の平成22年に国の史跡に指定されました。

 もともとは、南北朝時代の興国元年[南朝]/暦応3年[北朝](1340年)、鎌倉幕府の討幕に参加して功績を挙げ白河などの所領を与えられた白河結城氏(それまでも下総結城氏の庶流として白河結城氏があったが、その支配は白河の一部にとどまり大部分は下総結城氏が支配していたという話あり。)の結城親朝が、小峰ヶ岡に築城して小峰城と名づけたのが始まりとされるそうで。ですが天正18年(1590年)、豊臣秀吉の奥州仕置の際、白河結城氏が小田原征伐に(伊達政宗に止められていたため)参陣しなかったかどで改易となると、当地は会津領となり、蒲生氏、上杉氏、再び蒲生氏が支配となりました。

 その後、江戸時代に入るのですが、寛永4年(1627年)、伊達政宗(及び東北諸藩)への備えという使命を帯びた丹羽長重が、白河藩初代藩主として10万700石で棚倉城から加増移封した際、幕命により寛永6年(1629年)より大改築に着手。(加えて、城下町も整備したそうで。)4年の歳月を費やして1632年(寛永9年)に完成し、名も白河城と改めたのですが、これが現在残る遺構のベースになっているようですね。で、その丹羽長重を含め江戸時代には7家21代の城主の交代(ちなみに、丹羽氏以外は全て親藩、譜代。)を経て、慶応3年(1867年)、最後の藩主であった阿部氏が移封された後は二本松藩(ちなみに二本松藩は、白河藩2代藩主である丹羽光重が移封された藩。)預かりとなったのですが、翌慶応4年(1868年)、戊辰戦争で奥羽越列藩同盟軍と新政府軍との激戦地(白河口の戦い)となり、その結果、天守に相当する三重櫓を含む大半を焼失し落城してしまいました。

 そして現代。落城の際の焼失や破却によって、城跡には曲輪、土塁、石垣、水堀を残すのみとなっていたのですが、平成3年に三重櫓が、その後平成6年にも前御門が、江戸時代の絵図に基づき木造で復元されました。ですが、平成23年3月11日。東日本大震災によって石垣が9箇所(その後余震で更に1箇所)崩落。三重櫓や前御門を含むお城の大部分は立ち入り禁止となり、現在も復旧作業が続けられているという状況になっています。

実際に行ってみた

 実は、自宅から一番近い日本100名城が、こちらの白河小峰城だったりするのですが、東日本大震災でかなりの損害を受けたのは知っていた(実際に遠目からですが見たことはあった)ので、その修復が終わってから行こうかと思っていました。ですが、とりあえず白河にラーメンをいただきに行くついでに日本100名城選定記念スタンプラリーのスタンプだけでも捺して来ようかと思い、急遽というか何となくお伺いする事に。

【小雪のちらつく東北道を北上】
小雪のちらつく東北道を北上
 そんなわけで、距離的に高速に乗るほどでもないのですが、これまた何となく、自宅の最寄りICから東北自動車道へ。小雪がちらつく中を小半時も走れば、もう、白河中央ICへ。その後、前々エントリであげたラーメンをいただいてから向かいました。

【白河集古苑】
白河集古苑
 駐車場にクルマを止めまず向かったのが、日本100名城選定記念スタンプラリーのスタンプがあるのがこちら。ここには、小峰城を築城した白河結城氏と、白河城最後の城主である阿部氏縁の品々が納められています。それにしても、こういう所に行くたびに、歴史にまつわる品々が当たり前のように残してある日本って何気に凄いなぁ、と思ったりして。ちなみに拝観料は、大人310円でした。

【会津門付近から観た石垣】
会津門付近から観た石垣
 この辺りからだと、さほど被害を受けているようには見えないのですが…。

【藤門付近から観た三重櫓】
藤門付近から観た三重櫓
【清水門付近から観た三重櫓】
清水門付近から観た三重櫓
【望遠で撮った三重櫓】
望遠で撮った三重櫓
 前述のとおり、石垣にかなり被害を受けているのがはっきりと判ります。

【被害状況と修復作業の説明】
被害状況の説明修復作業の説明
 この日は土曜日だったせいか、またお昼時だったせいか作業は行われていませんでしたが、復旧作業はまだまだ続くようです。

感想とかまとめとか

 東日本大震災からまもなく2年になろうとしていますが、このお城を含め、至る所にまだ爪痕がはっきりと残っているのを、改めて感じました。このお城の近くにも仮設住宅がある様な状況でお城の修復ばかり願うことはできませんが、早くかつての美しい姿を取り戻して欲しいと思います。その時は、また必ずお伺いしますので。

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