たひお備忘録

趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

『探訪!日本100名城』 これまでのダイジェスト

日本100名城の一部

 前エントリで、「白河にお城とラーメン目当てに行ってきた」と書いたのですが、そのお城というのが、日本城郭協会の選定した『日本100名城』の一つである白河小峰城。これまでも歴史好きな相方のお陰で、旅先にあるお城などの史跡にはちょくちょく寄っていたのですが、実は、昨年の8月から、改めて日本100名城巡りを始めたというか、相方と共に、『「日本100名城」選定記念スタンプラリー』でもやってみようかと思った次第でして。

 で、今後当ブログでもその記録を書いていこうと思うのですが、その前に、これまで巡ったお城のことを少々。

1/100城目 大坂城 【平成24年8月1日】

大坂城復興天守

 日本100名城巡りの1城目は、『太閤さんのお城』こと大坂城。ですが、現在残る遺構は、全て江戸時代になって徳川家によって造られた物。っていうか、大坂城を攻め落とした冬の陣と夏の陣も割と非道いと思うのですが、更にはそれまであった秀吉の大坂城を埋め立てて、同じ場所にそれより大きな物を造る(っていうか造らせる)って、何ともえげつない事するなぁ、なんて。あと、現在ある復興天守(昭和6年築)が、実はこれまでの大坂城天守の中で、一番長く現存しているというのは意外な驚きでした。

2/100城目 仙台城 【平成24年8月12日】

伊達政宗騎馬像

 次に訪れたのは、伊達政宗が築いた仙台城(別名青葉城)。大河ドラマの『独眼竜正宗』にリアルタイムでハマった世代としては、政宗に対してちょっと特別な思いがあったりして。で、遺構としては石垣、土塁、堀しかないのですが、写真の伊達政宗騎馬像は個人的に初めて見たのでちょっと感動しました。あと、青葉城資料展示館のCGシアターで観た映像は、とても精緻なCGと、私でも知っているような声優さんが出てたりして、なかなかに面白かったです。

3/100城目 福岡城 【平成24年9月29日】

福岡城多門櫓

 次に訪れたのは、黒田長政が関ヶ原の戦いの論功行賞で筑前国に五十二万三千石を与えられた際に築いた福岡城。遺構としては櫓や門があるのですが、個人的には石垣と、天守跡と言われている所からは見える博多湾方向の景色が印象的だったというか。(でも、福岡城って、天守が有ったか無かったかハッキリしていないんですね。)あと「福岡」って、今は県名、市名となっているのですが、黒田長政がこの地に城を築く際、黒田家ゆかりの地である備前国福岡から取った名前なんですね。

4/100城目 大野城 【平成24年9月29日】

百間石垣

 次は、福岡城と同日に訪れた、築城年が飛鳥時代で、築城主が大和朝廷という古代山城である大野城。正直、古代まで行くと個人的な守備範囲からは外れるのですが、それでも、古代から残る石垣などの遺構にはロマンを感じずにいられないというか。あと、ここは城域というか、遺構が在る場所がかなりの広範囲に渡っていて、本来なら山歩きも兼ねて見て回るのが良いと思うのですが、時間の都合で、写真の百間石垣など駐車場や道路から近い遺構しか見られなかったのはちょっと残念でした。

5/100城目 高松城 【平成24年10月7日】

月見櫓

 次に訪れたのは、四国讃岐国の高松城。天正15年(1587年)讃岐国17万6千石の大名に封ぜられた生駒親正が天正18年(1590年)年に築城したお城だそうで、個人的には、これまで何度か高松琴平電気鉄道(ことでん)に乗り鉄で来た際に、車窓から眺めた景色が印象的だったというか。で、高松城は日本三大水城の一つに数えられるのですが、現存する月見櫓や水門などで、お城と瀬戸内の海との繋がりを、じかに確認することができたのは良かったですね。

6/100城目 丸亀城 【平成24年10月7日】

丸亀城大手二の門から見た天守

 次は、高松城の後で訪れた丸亀城。元々は、室町時代初期に奈良元安が現在丸亀城がある亀山に砦を築いたのが始まりとされ、その後、前述の高松城を築いた生駒親正が高松城の支城として築城。そして、江戸時代に山崎家治が入封し丸亀藩が成立した後の寛永20年(1643年)時より改修が始められ、その後城の主が京極高和に替わった後の延宝元年(1673年)に改修が完了。この改修時に造られた天守の御三階櫓や石垣等が現存しているとのこと。で、こちらの特徴が、総高60メートルの日本一高い石垣と、高さは15メートルで現存するなかでは最も小規模という三重天守。それを、時間の関係で写真の大手二の門から一気に登って降りてきたので大層疲れたのですが、天守から眺める瀬戸大橋など瀬戸内海方向の眺めは素晴らしかったですね。

7/100城目 飫肥城 【平成24年11月3日】

大手門付近

 次に訪れたのは、九州日向国の飫肥城。元々は、日向の地に勢力を伸ばした土持氏が南北朝時代に築城したのが始まりと伝えられ、その後、室町時代末期に薩摩の島津氏が、鎌倉時代から日向で勢力を蓄えてきた(土持氏との関係も深い)伊東氏の南下に備え一族である新納忠続を入城させた後の文明16年(1484年)、その伊藤氏が飫肥に侵攻して以来、当地を巡る争いが天正15年(1587年)に伊藤祐兵が豊臣大名として飫肥城主なるまで103年もの間続いたという歴史があるのですが、個人的には正直言って、日本100名城にならなければお伺いしたどうか怪しいところ。でも、実際に現地を訪れてみると、何とも雰囲気のある良い場所だったというか。でもって、後で時間を作って、ゆっくりと再訪したいと思いました。
 


 え?トップの写真は結構な数(でもないか)のお城が写っているのに本文は7城目までしかないですって?実はこれ、全て自分で行って撮ってきた写真なのは間違いないのですが、前述の7城以外は、『「日本100名城」選定記念スタンプラリー』を始める前にお伺いしたお城というわけで。で、それらの再訪を含め、今後も随時巡っていきたいのですが、このペースで行くと、100名城全にお伺いするのは、一体何時になるんでしょうかね。せめて、スタンプラリーのスタンプが現地にあるうちに、お伺いしたいと思っているのですが。

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