趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】
前の記事から続く、1月に行った、E4系Maxに乗ったり北越急行ほくほく線に乗ったり上越線清水トンネルとループ線に乗ったりした日帰り旅行記。
それで今回は、今回の旅の一番の目的とも言える、北越急行ほくほく線へと。
その湯浴み像がある1番線に停車していたのが、10時30分発の水上発長岡行き普通列車。嬉しいことに、その車両は今回初めて乗ることになるE129系電車です。
それでこのE129系。それまで新潟地区で使用されていた115系電車の置き換え用に、平成26年(2014年)から導入が開始されたJR東日本の直流電車。車体に巻かれた赤っぽい色と黄色は、昭和53年(1978年)まで当地で使用されていた「新潟色」(余談ですが、前の記事でもちょこっと書いた、昔、私がこのあたりまで来た時に走っていた列車も、新潟色の70系電車でした。)がモチーフなんですかね。
で、軽量ステンレス製の、片側両開き3扉の車体を持ち、車内は中央扉を境に一方がロングシート、一方がボックスシート(固定クロスシート)+ロングシートという配置となっています。
それでこのE129系。2両または4両で編成を組みますが、2両が1ユニットとなり、2両とも連結面側の台車がモーター付きの電動台車、反対側の台車がモーターの無い付随台車という仕様。
昔の電車は、車両単位で電動車(モーター付き)、付随車(モーターなし)となっていて、先程のE4系新幹線電車のところでもちょっと使ったように、4M4TといったMT比という編成両数に対する電動車と付随車の割合を書くことがあったのですが、このE129系や、そのだいぶ前に出たJR東海の313系電車など、1両のなかに電動台車と付随台車が混在するような車両、例えば2両編成の場合2M、3両編成では2M1Tという表記となるものの、台車単位で見ると1M1T相当となる列車の出現は、それを趣味とする側も認識を改める必要があるのでは、などと思ってしまいます。(駆動軸数の比率を約分して書くと、何両編成かわからなくなっちゃいますし。どうしたらいいんですかね。)
と、どうでもいいことで話がそれましたが、そのE129系の普通列車は、2両編成が2つつながった4両編成。車内はかなり空いていて、先頭車のクモハE129-121は、先客が4人ほど、加えてボックスシートが空いていたので、ここに腰を落ち着けることにしました。
やがて定刻となり、モーターを制御するインバータの音を車内に響かせながら発車。
程なくして、黄緑色をした架線柱が目に入りましたが、それを見て「新潟に来たなぁ」と実感。また雨こそ降り続いているものの、景色は一面の雪景色で、途中の塩沢駅のホームでは融雪装置から水が出ていた景色というのも、「雪国に来たなぁ」と。
そんな中列車は10時52分の定刻に、北越急行ほくほく線に乗り換える六日町駅に到着。何故かボーっとしていたため、危うく乗り過ごすところでした。
六日町駅で乗り換えるのは、10時57分の犀潟行き普通列車。1両編成です。
ほくほく線の列車は、快速や後述する超快速など、越後湯沢駅や直江津駅まで乗り入れる列車もあるのですが、普通列車はこの列車のように、律儀にほくほく線内だけを走るものもあるようで。
それでこの北越急行ほくほく線。先述のとおり、平成9年(1997年)に開業した第三セクターの鉄道路線ですが、犀潟駅を起点に、終点がこの六日町駅となる、全長59.5kmの路線。起点駅と終点駅を含む駅数は12駅で、全線単線ですが、直流1500Vで電化されています。
その歴史は開業前から波乱万丈。
元々豪雪地帯として知られた、現在まつだい駅のある新潟県東頸城郡松代村(後に松代町を経て現在は十日町市の一部)から、鉄道建設の要望が出されたのは大正時代にまで遡ります。
それ以降の歴史をかいつまんで説明すると、一度は軽便鉄道として建設予定となったものの太平洋戦争の敗戦で中止となり、戦後はルート選定で揉めて時間を費やし、昭和の中頃から後期にかけて国鉄の新線としてようやく建設が決定・着工されるものの、トンネルの難工事と国鉄の財政悪化を受けて建設が凍結に。
その後の昭和の末期、当時地元に絶大な影響力を誇った田中角栄元首相の肝いりで、第三セクター化のうえ建設が再開されたものの、史上屈指の難工事となった鍋立山トンネルのために計画が遅れる中、今度は建設が滞っていた北陸新幹線の代わりに、全線を電化のうえ最高速度160km/hのスーパー特急を走らせることになり、その対応工事のため更に計画が遅延。平成7年(1995年)に、ようやく鍋立山トンネルが竣工し、残りの区間の工事も完成すると、翌平成8年(1996年)から試運転が開始されました。
そして先述のとおり、平成9年(1997年)3月に北越急行ほくほく線が開業。「ほくほく線」という路線名称は、それより5年前の平成4年(1992年)、沿線住民にアンケートを取って決定されたとのことです。
で、前例のない在来線での高速運転に際し、「はくたか」という名称となったJR直通特急列車の最高速度を開業当初は140km/hとし、その後さらなる技術的検討を行った上で最高速度を引き上げることになったのですが、平成10年(1998年)10月から150km/hとなり、開業から5年後の平成14年(2002年)3月、いよいよ160km/hでの運転が開始されました。ちなみに、この「はくたか」の効果はすさまじく、北越急行は開業翌年度に黒字化し、収益の約9割を占めたそうです。
一方北陸新幹線は、ほくほく線に遅れること約半年の平成9年(1997年)9月に長野駅まで開業。当時は長野行新幹線(行の時はちょっと小さく書いてあった)と呼んでいた記憶があるのですが、しかしその後、長野より先の区間もフル規格の新幹線を整備することになり、平成27年(2015年)3月、金沢駅まで開業し、それによって、ほくほく線内からは特急列車の運転が消滅。それを見越して北越急行では余剰金を積み立てた他、認可上の最高速度を130km/hに引き下げた(ちなみに北越急行が保有する一般用車両の最高速度は110km/h)ことによる設備のスリム化でコストダウンを図ったり、これまでの特急優先のダイヤを見直して普通列車のスピードアップしたほか料金不要の速達列車「超快速スノーラビット号」の運行を開始するなどダイヤ面での改善、更には平成28年(2016年)から佐川急便の宅配便を旅客列車を使用して輸送するなどの増収策を実施し、平成30年(2018年)には永続的な鉄道運営に向けた運賃改定が行われました。
またこの列車に使われている車両は、ほくほく線の普通・快速列車に使われるHK100形電車。車端部に貼られたプレートに書かれた車番を見ると、HK100-5となっています。
それでこのこのHK100形電車。平成9年(1997年)3月のほくほく線開業に合わせて新製された形式で、片側あたり2箇所の片開き扉を持つ全長約20mの両側運転台付き鋼製車体に、車内はドア付近がロングシート、それ以外が固定クロスシート(ボックスシート)というインテリア。
また先述のとおり、ほくほく線は特急列車の最高速度は160km/hを予定していたため、その間を縫って走れるよう、IGBT素子を使ったVVVFインバータで制御される走行装置は、起動加速度3.0km/h/s、最高速度110km/hと(当時としては)高性能。
平成21年(2009年)からは、経年劣化した主制御器や冷房装置を更新するなどのリニューアル工事が行われました。
そのHK100形に乗り込んだところ、1両編成のお陰か乗車率は良かったのですが、かろうじて1つだけ残っていた進行方向左側のボックス席に座ることが。そこに席に荷物を置いたら、今度は前方の運転台へ行き、運転手さんからほくほく線の一日乗車券「ほくほくワンデーパス」を購入しました。
席に戻ると程なくして定刻となり、六日町駅を発車。その際、電車なのに、車体がプルプル小刻みに震えるのが可愛らしいというか。そして雪景色の中を走ること約3分で、ほくほく線では珍しく1つもトンネルをくぐらないまま魚沼丘陵駅に到着。
魚沼丘陵駅を出ると、ほくほく線はいきなり真価を発揮しだすというか、まず全長10471.50mの赤倉トンネルに突入。トンネル内には、かつて特急はくたか号が運転していた頃に使用し現在は休止中となっている赤倉信号場があって、それを通過。そしてそのままトンネル内にある美佐島駅に停車します。
どうでもいい話ですが、ちょっと前からスマートフォンに、いわゆる「位置ゲー」というものを入れていて、美佐島駅がゲーム上のチェックポイントになっているにもかかわらず、トンネル内ゆえに携帯の電波も入らずGPSの電波も届かないめ、チェックインもできないという。
その美佐島駅を発車して少し行くとようやくトンネルを抜け、すぐにしんざ駅に停車。その後ほくほく線は、JR飯山線と交差するための高架線に。十日町の街並みが結構立派だなと思っていたら、すぐに十日町駅に到着。さすがはほくほく線で(多分)乗降客が一番多い駅だけあって、ここでわりと降りる人が多かったです。
一日乗車券を見せて改札口を出た後は、まっ先に窓口へと向かい、北越急行の「鉄印」をゲット。私と同じ列車から降りたと思しき人も、鉄員を貰っていたようでした。
その後、待合室内にある「雪中庵」という駅そば屋さんで、蕎麦を。入口のところにある券売機で天玉そばの食券を買って店員のお姉さんに渡すと、わりと長めの湯がき時間の間、ツユを小鍋で温めていました。
なので、手渡された蕎麦はアツアツ。
色が濃い目のツユは、(しょっぱい物が好きな)個人的な好みだと塩気がもうちょい欲しい気もしましたが、出汁感がそれなりにあって、甘さ控えめの味付は良い感じ。
ソバはツルっとした啜り心地で、。歯応えが、あるにはあるがわりと柔らかい食感。蕎麦の香りそれなりにありました。
そして具のかき揚げは、サクサク感があって、ツユとの馴染み良いタイプ。タネはタマネギやニンジンに加え、しっかり火が通った長ネギの甘味が良かったです。
蕎麦をいただいても、次に乗る列車まではまだ45分以上あったので、駅の周りを歩いてみたかったのですが、生憎、新潟県に入って以来降り続いていた雨は、ここに来て本降りと言った具合。先述のとおり傘を忘れてしまったため、駅の待合室で時間を過ごすことに。そうしていたら、JR飯山線の、12時35分発の列車が運休とのアナウンスが聞こえてきました。
途中から私一人になった待合室で待っていると、やがて次に乗る12時16分発の直江津行き普通列車の改札が始まりました。
再び一日乗車券を見せて階上のホームに上がると、先程は気が付かなかったのですが、構内の線路沿いには消雪のためのスプリンクラーが設置されています。で、後で調べたところ、水利はこの先にある薬師峠トンネルの湧水を利用し、散布した水はこの後も十日町市内の道路の消雪に利用されたあと、信濃川に放流されるとのこと。流しっぱなしではなく、ちゃんと循環利用されているんですね。
そのスプリンクラーを眺めていると、まずはまつだい駅方面から、越後湯沢行き普通列車が入線。そして程なくして、しんざ駅方面から直江津行きの快速列車が入線してきました。
直江津行きの快速列車は、先頭が「ゆめぞらⅡ」のヘッドマークを掲げたイベント用の車両HK100-9で、後部が一般車両HK100-10の2両編成。ここはイベント用の車両に乗り込みます。で、そのイベント用の車両ですが、日曜日になると、トンネル走行時、車内に設置したプロジェクターから映像が車両内に映し出されるという演出があるのですが、あいにく今日は土曜日。ですが、シートはボックスシートではなく2人掛けの転換クロスシートなので、その座り心地は楽しめそうです。
2両合わせて先程の列車よりも少なく感じる乗客を乗せ、定刻に十日町駅を発車。この車両も先程乗った車両同様、細かくプルプルしながら動き出すんですね。
列車は十日町駅を出るとすぐに全長1695.10mの十日町トンネルに突入。抜けるとほくほく線では一番長い鉄橋で信濃川を渡って、すぐ次の全長6199.17mの薬師峠トンネルに。トンネル内には赤倉信号場と同じ理由で休止中の薬師峠信号場があります。それにしてもこの列車、トンネル内はかなり飛ばしていきますね。
それを抜けても全長667.30mの犬伏トンネル、全長125.0mの第一田沢トンネル、全長1934.00mの第二田沢トンネルと抜けて、渋海川を渡ると最後に全長295.00mの松代トンネルを抜けてまつだい駅に到着。このあたりは大変雪深いところで、それ故このほくほく線が建設されたのですが、駅の手前あたりは、線路脇の積雪が壁のよう。
乗客を何人か降ろしてまつだい駅を発車すると、列車はまたすぐにトンネルへと突入しますが、このトンネルが、史上屈指の難工事となった全長9125.50mの鍋立山トンネル。
昭和48年(1973年)12月に着工したものの、可燃性ガス・石油の噴出や、非常にもろいうえに掘削しても押し戻されるほどの膨張性地山などによって掘削工事は困難を極め、未完成のまま、昭和55年(1980年)の国鉄再建法によって一度は工事が凍結に。もっとも、切羽(掘削部の先端)の安全確保のため昭和57年(1982年)3月まで工事が続けられました。
そして北越急行の第三セクター会社設立によって、昭和61年(1986年)2月に工事が再開。ですが、掘削の難しさは当然変わっておらず、当時可能であったあらゆる工法を試した結果、平成7年(1995年)11月にようやく完成。途中の中断期間を含むと、着工から完成まで、実に21年11ヶ月を要したことになります。
で、当時だったかほくほく線の開業時だったかに、鉄道雑誌でこの鍋立山トンネルの記事を読んだことがあるのですが、圧力のかかったマシュマロにトンネルを掘るといった記述があり、その工事の困難さが印象に残っていたところでした。
そんな鍋立山トンネルですが、途中にある儀明信号場を含めてあっさりと通過して、出たところがほくほく大島駅。
誰も乗り降りしないままそこを発車するとすぐに全長1585.40mの深沢トンネル、続いて全長3732.98mの霧ヶ丘トンネルを通過。実はほくほく線に乗るのはこれで3度めなのですが、このトンネルの連続が、改めてほくほく線だな、と。そしてそれらを抜けたところが虫川大杉駅。ここで1両編成の普通列車と交換しました。
虫川大杉駅を出ると、全長697.50mの有島トンネルを抜けて到着するのが、うらがわら駅。付近には昭和43年(1968年)まで、新黒井駅から延びた頸城鉄道の終着駅である浦川原駅があった筈ですが、その痕跡でもないかと見回しても、雪が深くて全くわからぬまま発車。
その頸城鉄道は、付近を流れる保倉川が作った平地を東に進んでいましたが、ほくほく線は北東の山へと向かい、全長3287.00mの第一飯室トンネル、続けて全長272.50mの第二飯室トンネルをくぐり、それを出た所にある大池いこいの森駅を通過。この列車の種別は快速ですが、十日町駅-直江津駅間で唯一通過となるのがこの駅です。(他には、JRの塩沢駅と、ほくほく線内は魚沼丘陵駅、美佐島駅、しんざ駅を通過。)
大池いこいの森駅を通過したあとは、ほくほく線内最後のトンネルとなる全長250.00mの中島トンネルを抜けて、くびき駅に停車。ここて1人乗客を降ろしました。
くびき駅を出た列車は、一面の水田の中を走行。どこまでも続くかのような雪原になっていて、それはそれで見事なのですが、水田に稲のある時期は、さぞや美しい光景が広がっているんでしょうね。
そんな中、高架線を走る列車は北陸自動車道をまたぎ、大きくカーブを描いてJR信越本線に合流し、ほくほく線の起点駅である犀潟駅に到着。
JR信越本線に入って次の黒井駅は、かつて隣接する新黒井駅が、頸城鉄道の起点駅でした。そこで3人組の親子連れを載せた列車は、十日町駅から約42分、定刻の12時58分に、直江津駅へと到着。到着前の案内放送は、途中駅とは違って、アナウンスの前に音楽が流れました。
直江津駅に降り立つのは11年ぶりですが、その間に、北陸新幹線金沢開業に伴う並行在来線の移管が行われていたため、まず駅名標が、信越本設直江津駅以南と北陸本線直江津駅以西の移管を受けたえちごトキめき鉄道のものになっていました。それで手持ちの切符は、先述のとおり北越急行ほくほく線の一日乗車券だったので、出札口のところで精算したところ、そこにいた駅員さんもえちごトキめき鉄道の制服を来ていたという。路線的にはJR信越本線も乗り入れている当駅ですが、中身はすっかりと入れ替わっていたんですね。
ですが北口を降り、そのまま線路に沿って進んだところにある駅そばのお店は、以前と同じ位置に。もっともこちらも、記憶にない「直江津庵」という屋号が付いていましたが。
で、腹具合にも余裕があったので、せっかくだから一杯いただいていくことに。
それで前回お伺いした時にいただいた「もずくそば」にも惹かれたのですが、今回は珍しい「大めぎす天そば」をいってみることに。ちにみにメギスというのは、ニギス(似鱚)という魚の当地での呼び方との由。
早速ツユからいってみたところ、この手のお店っぽい醤油っ気ビンビン、甘さ控えめ、塩気しっかりという、個人的には大変好みの味わいだったことに加え、若干太めのソバも個人的に好きな茹で麺というのも嬉しい限り。
そしてメインとも言えるめぎすの天ぷらは、「大」と付けども絶対的には小振りの魚だけど身の厚みがわりとあって、食感は冷めていたせいか繊維質っぽいぼそっとした歯応え。ツユで温まると真価(まではいかないけど)を発揮して、わりとしっかりとした魚の味がしてきました。
【直江津駅の駅舎】
【直江津駅の駅名標】
【直江津駅に停車中の越後湯沢行き超快速ノーラビット号】
そんな一杯を食べ終わって外に出ると、私が乗る列車の1本前となる、13時16分発の六日町駅行き普通列車が発車していくところ。それを駅の外から見送り、再び改札口から入ってホームに出ると、私が乗る13時53分発の越後湯沢行き超快速スノーラビット号が既に停車中というか、先程乗ってきた2両編成の折返しでした。
それでこの超快速スノーラビット号。先程ちょこっと書いたように、特急はくたか号廃止後に新設された料金不要の速達列車。下り(越後湯沢駅始発)が2本、上り(直江津駅始発)1本の、1日1.5往復の運転で、下り列車のうち1本は途中、十日町駅のみの停車で、越後湯沢駅-直江津駅間を57分。それ以外は途中、六日町駅、十日町駅、まつだい駅、虫川大杉駅に停車して61分で結びます。(ちなみに、同区間全駅停車の普通列車は所要時間83分ほど。)
【乗車しなかったHK100-10の車内】
【乗車したHK100-9の車内】
もう車内には入れるようだったので、再び転換クロスシートのHK100-9 ゆめぞらIIに乗車。発車間際に、えちごトキめき鉄道からの乗り継ぎ客を数名受けたあと、運転士さん「発車します」という声と共に発車。2両編成のうち、後部となるこの車両には4人ほどの乗客が。
直江津駅を発車した列車はすぐさま加速して、結構な速度でJR信越本線を走行。犀潟駅を、やや速度を落として通過したあと、北陸自動車道をまたぐ大きなカーブをからほくほく線内に入ると、一段とスピードアップ!車両の性能から、110km/h以上は出ていない筈ですが、とても速く感じます。またそんな中でもあまり揺れないのは、線路が元々160km/h対応だからでしょうか。
先程とは反対側の席に座って外を眺めるものの、基本的にはトンネルが多く、それ以外も雪に覆われていて同じ印象の景色が流れるなか、虫川大杉駅に停車。
乗降はなく発車すると、鍋立山トンネル内の儀明信号場で反対方向の列車と交換。その直後に減速してまつだい駅に停車するも、ここでも乗降はなし。
また連続するトンネルに入っては抜け、信濃川を渡って高架線に登ると、十日町駅に停車。ここでは、数人の降車に対して10人近くの乗車がありました。
十日町駅を出た列車は再び加速し、ほくほく線内最後のトンネルとなる赤倉ンネルを抜けて程なく、六日町駅に停車。ここでも、降車客よりも乗車客のほうが多いようで。
六日町駅を出て、列車は上越線に入っても快走が続きますが、新潟県内に入って以来、朝からずっと降り続いていた雨が、石打駅を過ぎた頃から雪に変わってきました。
そして終点を告げる音楽が鳴ったのち、越後湯沢駅到着のアナウンス。列車は定刻の14時54分、かつて特急はくたかが発着した1番線ホームに到着。ここで上越線の上り列車に乗り換えます。
と、越後湯沢駅まで戻ってきたところで、例によって容量の関係で記事を切らせていただきます。(つづく)
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