たひお備忘録

趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

E4系Maxと北越急行ほくほく線、上越国境の清水トンネルとループ線乗車記 ~ 鉄印帳の旅(6) 【令和3年1月】 その1

越後湯沢駅に到着したMaxたにがわ403号

 昨年9月から始めた、第三セクター鉄道を巡る『鉄印帳』の旅ですが、年明けの某日、今回は新潟県を走る北越急行ほくほく線へと。
 そしてそのついでにもう一度乗っておきたかった、E4系と上越新幹線ガーラ湯沢駅への支線、そして上越線の上越国境にある清水トンネルとループ線も。


E4系Maxたにがわ

 今回の旅の最初の目的は、東京8時4分発、ガーラ湯沢行き上越新幹線、Maxたにがわ403号。というのもその列車に使われるE4系新幹線電車、愛称「Max」ですが、個人的にはデビュー以来、盛岡駅-宇都宮駅間、東京駅-仙台駅間をはじめ何度も乗っていたものの、今年(令和3年)中の廃止が発表されていて、その前にもう一度乗りたいと思っていたとこころでした。
 加えて、個人的には現在、スキーやスノーボードはやっていない(かつて付き合いでスノーボードを少々かじっただけ)なので、なかなかガーラ湯沢駅まで行く機会がないため、これで、E4系乗車とガーラ湯沢駅訪問を一度に果たしてしまおうかと。

【那須塩原駅に入ってくるなすの258号】
那須塩原駅に入ってくるなすの258号

 そのためには、まずは東京駅まで行く必要があるというか、せっかくなので始発駅から終着駅まで乗りたいという乗り鉄の性(さが)で、東北新幹線との乗換駅の大宮ではなく東京駅から乗ることに。
 それに間に合うよう、那須塩原駅6時35分発のなすの258号に乗車。郡山駅始発の列車はE5系+E6系の17両編成で、乗り込んだのはE5系の指定席である8号車。このご時世の為か先客は1名で、その後もごくわずかしか乗車がなく、東京までほぼ貸切状態でした。
 そんな中、夜明けの空などをボーっと眺めたり、そのうちウトウトしているうちに、列車は定刻の7時44分、冬晴れの東京駅に到着。

【東京駅改札口付近の案内表示】
東京駅改札口付近の案内表示

 東京駅では一度改札口を出てから再び入場。Maxたにがわ403号が発車する21番線には、先発の7時48分発Maxとき403号新潟行きが停車中。E4系の16両編成は、まさしく「堂々たる」という感じで。

【東京駅に入ってくるMaxたにがわ403号】
東京駅に入ってくるMaxたにがわ403号

 で、それが発車しても21番線ホームは、こんなご時世の中でも比較的賑わっているというか、スキーやスノーボードを持ち、色とりどりのウェアに身を固めた若者たちが集まってきました。
 そんな7時50分過ぎ、高崎始発のMaxたにがわ472号が16両編成で入線。これが折り返し、Maxたにがわ403号となります。

 それでいよいよお目当てのE4系電車に、久しぶりに乗り込むわけですが、平成6年(1994年)にデビューして好評を博したオール2階建て新幹線E1系電車、愛称「Max(Multi Amenity eXpressの略)」のあとを受け、平成9年(1997年)12月にデビュー。こちらも登場時からMaxの愛称が付いています。
 車両の特徴としては、E1系から大きく変化した外観(騒音対策とトンネル微気圧波対策で先頭部が伸び、造形も相まって正面から見ると「コーンヘッド」みたいになりました。)もあるのですが、12両固定編成のE1系に対して、E4系は8両固定編成とし、それを必要な輸送力に応じて単独、もしくは2編成併結で使用できるようになりました。ちなみに、2編成併結の16両編成の定員は1634人にもなり、高速列車としては世界最大だそう。また後に、山形新幹線直通の400系電車、E3系1000・2000番台電車とも併結運転を行いました。
 運用面では、デビュー当時は東北新幹線のみで使用されましたが、現在は上越新幹線のみで運用。平成25年(2013年)から廃車も開始され、当初の予定では令和2年度(2020年度)末までに全廃される予定でしたが、全国に大きな被害をもたらした令和元年台風19号によって、長野新幹線車両センターが水没。その際、被災した北陸新幹線用のE7系、W7系電車が全車廃車となり、その代替として上越新幹線に既に投入済みまたは投入予定だったE7系を北陸新幹線へ回すことに。そのため上越新幹線では当面のあいだ上越新幹線ではE4系を運用し続ける措置が取られましたが、それも長くは続かず、令和2年(2020年)12月にJR東日本から、令和3年(2021年)秋頃をもってE4系を全廃する旨の発表がなされてしまいました。

【E4系(E455-22)平屋部分のシート】
E4系(E455-22)平屋部分のシート

 車内清掃が済んで8時ちょうどに乗車が開始されると、乗車列どおりには並んでおらず若干カオス状態でウェイウェイしている若者たちと共に車内へ。もっとも、その若者たちは2階席に行き、私はといえば、今回、事前に指定席特急券を購入しておいた車端部にある平屋部分へと。
 というのも、これまでE4系で乗ってきたのが2階建て部分の2階席や1階席ばかりだったため、今回は一部の車両にある平屋部分(えきねっとの表記だと「フラットシート」)に乗ってみようかと。まぁ、通常の車両と大差ない平屋部分は、Maxに乗る意味という点では微妙なのですが。

 席に落ち着くと、平屋部分に他の乗客は居ない模様。車掌さんからは案内放送の際、車内でのマスク着用、座席の向かい合わせての使用はしないよう注意喚起のアナウンスが有りました。そして程なくして8時4分の定刻になり、東京駅を発車。
 地下に潜って次の上野駅でも、ホームにはスキーやスノーボードを持った若い人たちがわりと待っていましたが、私が乗る平屋部分への乗車はなし。再度車掌さんから、車内でのマスク着用、座席の向かい合わせての使用はしないようアナウンスがありました。

【上野駅-大宮駅間】
上野駅-大宮駅間

 上野駅を発車した列車は、在来線の日暮里駅付近から地上に出たあと、高架に上がり車両基地の脇を通り、荒川を渡って埼玉県へと入り、そののち埼京線と並走して大宮駅に到着。ここでは、ホームに待っている乗客はわずかでしたが、私の乗った平屋部分に初めての乗車がありました。
 で、発車後、車掌さんからマスク着用、座席を回転しての使用について三度目の注意喚起放送がありましたが、これからスキーに行く浮かれた若者たちは、ちゃんと言うこと聞いているんですかね。(決めつけは良くないですが。)

【大宮駅発車直後】
大宮駅発車直後
【本庄早稲田駅にて】
本庄早稲田駅にて

 大宮を発車した列車は、上越新幹線へと突入。少しのあいだ並走した東北新幹線と緩く左にカーブ切って別れ、東北・上越新幹線のバーターとして建設された埼玉新都市交通ニューシャトルの車庫の脇をかすめて北東に進路を取ります。
 ここから先の区間、個人的に乗車したのは数えるほどですが、その景色はザ・関東平野の都会寄りというか、目に入る建物こそ違えど、東北新幹線の宇都宮駅までの区間と印象はそうそう変わらず=あまり新鮮味のない景色。2階席にでもしておけば、ちょっとは印象が違って見えたんですかね。
 そんな中、熊谷駅に停車しましたが、乗降はほとんど無い様子。その熊谷駅を過ぎると農地が目立つようになり、そんな景色も、引き続きザ・関東平野という感じで……。
 そして次の本庄早稲田駅は、平成16年(2004年)に地元の要望で開業した駅。新幹線の途中駅を開業後に地元からの要望で新設なんて、大昔は考えられなかったのですが、ホームに人影は全くありません。ということは、平日に、首都圏への通勤通学利用がメインの駅なんですかね。で、ここで8両編成のMaxとき306号と交換しました。

【本庄早稲田駅-高崎駅間】
本庄早稲田駅-高崎駅間

 本庄早稲田駅ほ出た列車は、引き続き関東平野と北東に進んでいきますが、このあたりからでしょうか、進行方向右手奥に、上毛三山の一つである赤城山が。まだまだ遠くに霞んでいる状態だと思ったら、それがだんだんと近づいてくると、高崎駅に到着。ここで約5分停車しますが、到着したホームに人影はほとんど無く、何とも静かな停車時間です。

【高崎駅-上毛高原駅間】
高崎駅-上毛高原駅間

 高崎駅を出て市街地を抜けると、車窓の景色は一気に鄙びて、赤城山もだいぶ近くに感じられるようになりました。そして、北陸新幹線との分岐点を過ぎると、関東平野の終わりを告げるトンネルに突入。
 群馬新潟県境の三国山脈を始めとする峻険な山々を貫いて走る上越新幹線の高崎駅-長岡駅間は、開業世界最長を誇った大清水(だいしみず)トンネルを始めとする長大トンネルが連続する区間で、実延長136.5kmのうち約78%に当たる107km余りがトンネル内を走行します。
 で、まず最初に入ったのが、上毛三山のうちの一つ、榛名山の裾野にある榛名トンネルで、全長15350m。
 続けざまに入るのが、子持山と小野子山の間を貫く中山トンネルで、全長14857m。日本のトンネル史上屈指の難工事のうちのひとつとして知られ、昭和47年(1972年)の着工から昭和57年(1982年)の完成まで10年もの月日を費やしています。
 これらを抜けると今度は短いトンネルを抜け、上毛高原駅に停車。ホームには誰もいませんでした。

 上毛高原駅を出ると、日陰に雪が残るようになり、それを一瞥しただけで再びトンネルへと。全長7295mの月夜野トンネル、783mの第一湯原トンネル、703mの第二湯原トンネル、そして谷川岳を貫く全長22221mの大清水トンネルが連続して続きますが、その間の僅かな地上部は防雪用のシェルターに覆われているため、実際には約31kmもの間、トンネルの中を進むように感じます。
 それにしても、高崎駅を出て以来、携帯電話の電波が殆ど入らないというか、時刻表や地図、更には旅程のメモなど、全部スマートフォン頼みというのは、こういうトンネルが続く区間は、どうにもならなくなりますね。(このE4系はWi-Fiも飛んでないですし。)
 そんな中、車端部のドア上部にある文字情報では、上越線の湯檜曽駅-土合駅間の線路点検の影響で、越後中里駅-水上駅間で運転見合わせ中。運転再開は9時40分との文字が。ガーラ湯沢駅までこの列車に乗った後は上越線にも乗る予定となっていますので、影響なければ良いのですが。

【越後湯沢駅発車直後】
越後湯沢駅発車直後

 やがて、長い長いトンネルが終わると、先程までの冬晴れからは一転してどんよりとした曇り空が広がり、周りの山々が雪をいだく越後湯沢駅に停車。ガーラ湯沢行きの車両からもだいぶ降車がありました。またここで、後寄り8両を切り離しますが、ガーラ湯沢駅のホーム有効長が12両分しかないためらしいです。
 そして身軽になったMaxたにがわ403号は、9時37分に越後湯沢駅を発車。ここからガーラ湯沢駅までの1.8kmは、実は在来線である上越線の支線扱いだったり、線路は一見複線だけど実は並列単線だったりと、わりと特殊な区間なのですが、新潟に向かう上越新幹線といつの間にか離れると短いトンネルをくぐり、あっという間という感じで終点のガーラ湯沢駅に到着。

【ガーラ湯沢駅の駅名標】
ガーラ湯沢駅の駅名標
【ガーラ湯沢駅に到着したたにがわ403号】
ガーラ湯沢駅に到着したたにがわ403号
【ガーラ湯沢駅の線路終端部分】
ガーラ湯沢駅の線路終端部分

 越後湯沢駅に隣接する保線基地の裏山をスキー場にして、そこに新幹線(前述のとおり厳密には上越線の支線ですが)を直結させてしまうという、国鉄の頃じゃ考えられない施策によって誕生した駅ですが、つい最近出来たという個人的な認識にもかかわらず、開業は平成2年(1990年)と、既に30年以上経っていたんですね。というか、実は一度乗り鉄で来たことがあったものの、それから約20年経ってしまっていたというのが、何とも……。
 ホームから改札口へと上がると、そこはガーラ湯沢スキー場の入り口になっており、そこに現れたコートを着てショルダーバックを下げた姿の自分は、ひどく場違いな感じでした。(どうでもいい話ですが、以前、新幹線でガーラ湯沢駅に来た時は、当時付き合っていた人の格好を真似して、サーフ&スノーっぽいブランドの服を着ていましたっけ。)

【ガーラ湯沢駅の駅舎】
ガーラ湯沢駅の駅舎

 次に乗る列車は、越後湯沢駅10時30分発の長岡行き普通列車。というわけで1駅戻らねばなりませんが、都合の良い列車は無いので、約2kmの道のりを歩いて向かうことに。ちなみに、ガーラ湯沢から他のスキー場を経由して越後湯沢駅に向かう無料シャトルバスも運行されていますが、スキーもしないのにバスだけ利用するのはどうかということで。(格好も格好だし。有料なら乗るんですがね。)
 それで駅舎の外に出ると雨がパラついていたものの、傘を忘れてしまったため、その中を、スマートフォンの地図を頼りに出発。といっても、駅を出て突き当たる新潟県道462号湯沢温泉線をひたすら行くだけなのですが。

【越後湯沢駅への道すがら(1)】
越後湯沢駅への道すがら(1)
【越後湯沢駅への道すがら(2)】
越後湯沢駅への道すがら(2)

 県道462号に出ると右に進み、先程乗ってきた線路をくぐると、重機やロータリー車を使った除雪作業中。歩道は雪に埋もれていましたが、交通誘導員さんの指示に従って通過。
 その後スノーシェッドを抜けて進んでいくと、上越新幹線の聳え立つ高架をくぐり、道なりに左に折れて暫く行くと、先程くぐった新幹線の高架と寄り添うように進みますが、駅に近づくにつれ、沿道には飲食店やスキー・スノーボードのレンタルショップ、そしてビル旅館が立ち並ぶようになりました。
 で、そのまま進む途中、近くにビルの屋上からドサっと雪の塊が落ちてきたのにはびっくり。どうやらビルの屋上に積もった雪を捨てているようで、そのビルの前の歩道はカラーコーンなどで歩けないように区切ってありましたが、まさか屋上から雪が落ちてくるとは思いませんでした。もっとも、当地では見慣れた光景らしく、かなり大きな音を立てて雪が落ちても、注意を払う人はいませんでしたが。

【越後湯沢駅】
越後湯沢駅

 普段(と言っても、冬場はサボり気味ですが)のウォーキングなら20分位で進む距離を、足元に気をつけていた所為か30分近くかかって越後湯沢駅に到着。実は、私の鉄道旅行の最古の部類の記憶を紐解くと、45年くらい前に降り立ったことを思い出す駅ですが、その時は上越新幹線開業前で当時とは駅舎の姿形が全く異なっているせいか、全く別の駅に来たようです。
 それは、駅の構内に入っても同じで、いろいろな店舗の入る立派な駅ビルなど、ほんと、以前の駅が思い出せないくらい。またここで早めの昼食の時間を設けても良いくらいだったのですが、思っていたよりも移動に時間がかかってしまったため、そそくさと六日町駅までの切符を買ってから入場。

【越後湯沢駅の駅名標】
越後湯沢駅の駅名標
【ホームにある「湯浴み」像】
ホームにある「湯浴み」像

 越後湯沢駅のホームに入ったところ、「湯浴み」と題したブロンズ像が鎮座。これは元々、「湯の町」湯沢の象徴として昭和27年(1952年)、下り線ホームの洗面台に設置(ちなみに当時の駅では、列車利用者の便を図るため、洗面台が当たり前のようにありました。)したもの。それが経年によって傷んでしまったため、平成9年(1997年)の北越急行ほくほく線開業に合わせ、修復そして台座を新製のうえ0・1番線ホームに移設したものだそうです。


 と、越後湯沢駅まで戻ってところで、ページあたりの容量の関係もあり、今回は一旦仕舞いとさせていただきたく思います。(つづく)

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