趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】
安房鴨川駅では一度改札口から出て、駅舎の写真を撮影。で、その時、駅の近くにとてもそそられる立喰そば屋さんを発見したものの、残念ながらお休みだったようで。(気になって後で調べたら、鴨川のソウルフードと言うべきお店で、現在は駅西口にお店を構えているんですね。)
この時、館山駅で弁当を買わなかったこともあって大変空腹だったのですが、駅舎内にあるニューデイズでは駅弁が売られているので、それら購入してから入場。
【安房鴨川駅に停車中の千葉行き普通列車】
【うにとさざえめし(1050円)】
【さんが焼きおにぎりサンド(250円)】
次に乗るのは、12時53分の千葉行き普通列車。安房鴨川駅まで乗ってきた列車と同じ209系2100番台の6両編成が既に2番線ホームに停車中でした。
なので早速乗り込み、車内で先程購入した駅弁を。
まずは「うにとさざえめし(1050円)」からいってみたのですが、ひじきの炊き込みご飯の上には、その具のひじきの他、蒸しウニと、味付けサザエ・アカニシ貝、錦糸卵、紅ショウガ、セロリの佃煮などが所狭しと並べられています。で、ご飯や海産物は全体的に磯の香りが程よく、味付けも程よく感じられる味わいで、もう。そんな中、個人的には、付け合せのセロリの佃煮が、一番印象的でした。
次に、いっしょに購入した、さんが焼きおにぎりサンドも。海苔とご飯で具材を挟んだ、(一時期流行った)おにぎらずのような構成ですが、メイン具には、青魚を味噌や薬味などと叩いてから焼いた当地の郷土料理、さんが焼きが。そこに青じそと千切りキャベツがサッパリ感を加え、マヨネーズが全体をまとめているという感じで、これも、また。個人的にはかなり好みの味でしたね。
と、弁当などを食べ終わって一息ついた頃、定刻となり列車は安房鴨川駅を後にして、外房線を走り始めます。
それでこの外房線。千葉駅を起点に終点の安房鴨川駅を結ぶ93.3kmの路線で、起点駅と終点駅を含む駅数は27駅。全線電化されており、千葉駅-上総一ノ宮駅間など計54.4kmの区間で複線化されています。
外房線は、先程まで乗ってきた内房線以上に歴史のある路線で、明治29年(1896年)1月に蘇我駅-大網駅間が、同年2月に千葉駅-蘇我駅間が開業。当時は官営鉄道ではなく、房総鉄道という私鉄でした。
その翌年の明治30年(1897年)4月には一宮駅(現在の上総一ノ宮駅)、明治32年(1899年)12月には大原駅まで開業するも、明治39年(1906年)に施行された鉄道国有法により、翌年、国に買収され、明治42年(1907年)に路線名称が房総線と定められました。
そして国有化後も延伸を続け、大正2年(1913年)6月に勝浦駅まで、昭和2年(1927年)4月に上総興津駅まで、昭和4年(1929年)4月に安房鴨川駅まで開業して全通。その際、現在の内房線である北条線を編入しています。
その後は、内房線のところでも触れたように、昭和8年(1933年)4月に千葉駅-大網駅-安房鴨川駅間を房総東線に、蘇我駅-安房鴨川駅間を房総西線に分離。昭和47年(1972年)7月の全線電化完成とともに、路線名称が外房線となりました。
昼下がりとあって、車内はボックスシート、ロングシート共に座席定員の3割程度の乗車率。リゾートマンションでしょうか?ところどころに高い建物がある鴨川市内を離れて海のほうへと向かいます。もっとも、先程までの内房線同様というか、このあたりも安房台地や上総台地がそのまま海に落ち込む地形なため、海沿いの区間は所々という感じなのですが。
またこのあたりは単線区間のため、安房鴨川駅の次の安房天津駅で約4分停車して早速交換待ち。日差しは心地よく、長閑という感じですね。
ですが、その次の次の駅である行川アイランド駅は、名前のとおり、20年前に閉園したレジャー施設「行川アイランド」の最寄だった駅。駅からは施設の一部も見え、駅の周囲はクルマが1台も停まっていない駐車場などがあって、往時の賑わいを考えると少々切ないのですが、閉園から時間が経っているにもかかわらず、施設や駐車場は比較的きれいに保たれているようでした。
行川アイランド駅を発車した列車は、先程まで同様、時おり海を見ながら走行。残念ながら、先程までわりあい晴れていた空が、いつの間にか雲の面積のほうが増えてきました。
そんなどんよりした空の下、海ではサーフィンに興じている人たちも。
そして勝浦駅を過ぎると線路が複線に変わり、早速反対方向の列車とすれ違います。
次の御宿駅では、ホームにある海女の像を後ろから眺めることに。そして御宿駅を出ると線路が再び単線に戻り、また海からも遠ざかります。
あとは、上総台地の中の僅かな平地を辿るように列車は走り、その平地が大きくなって街に入ると、定刻の13時41分、いすみ鉄道が分岐する大原駅へと到着しました。
次に発車するいすみ鉄道の列車まではまだ時間があったので、一度駅舎から出て駅舎の写真を撮影。いすみ鉄道は、元々、旧国鉄~JR東日本の路線だったのですが、第三セクターのいすみ鉄道に転換される際、専用の乗り場と駅舎が、向かって左手に新設されました。
それで今回の旅の最大の目的であるいすみ鉄道。
その唯一の路線であるいすみ線は、ここ大原駅を起点に、終点の上総中野駅までの26.8kmを結び、起点終点駅を含めた駅数は14駅。全線非電化単線となっています。
先述のとおり、転換前はJR東日本の木原線だったのですが、遡ると大正11年(1922年)に公布された「改正鉄道敷設法」によって、木更津から久留里、大多喜を経て大原に至る鉄道として建設予定線となりました。
ですがそれに先立つ大正元年(1912年)12月。大原駅と大多喜駅を結ぶ、軌間610mm(ちなみに、JRやいすみ鉄道は1067mm)、延長約15.5kmの千葉県営大原大多喜人車鉄道が開業。以降、経営難などによって経営者を変えつつ、大正12年(1923年)には人力からガソリンカーへの転換が行われた夷隅軌道という路線があったものの、先述の鉄道路線の建設が決定されると、建設の支障になることや鉄道開業後は経営が成り立たなくなることを理由に、木原線の工事資材運搬用路線としてどうかと国に買収を申請。これが受理され、昭和2年(1927年)9月に廃止となったそうです。
そして昭和5年(1930年)4月、大原駅-大多喜駅間が、木原線として開業。ちなみに木原線という名称は、起点となる木更津の「木」と終点となるの大原の「原」を取って付けられました。
以降、昭和8年(1933年)8月に総元駅まで、翌昭和9年(1934年)8月に上総中野駅ので開業。
また、木更津駅から久留里駅の区間も、大正元年(1912年)12月に千葉県営鉄道久留里線として軌間762mmで開業し、先の改正鉄道敷設法を受けて大正12年(1923年)9月に国有化。昭和5年(1930年)8月には軌間を1067mmに改軌し、昭和11年(1936年)3月には上総亀山駅まで延伸ましたが、上総中野駅と上総亀山駅の間は結ばれることなく終わりました。
開業後は、千葉県でも人跡稀な地域を走行するため乗客数の少なさに苦労しつつ、昭和9年(1934年)には合理化のためにガソリンカーを導入したり、太平洋戦争後の昭和29年(1954年)にはレールバスが導入してみた(7年間ほど使用)ものの、昭和43年(1968年)には国鉄諮問委員会によって鉄道路線としての役割を終えたとする「赤字83線」に指定。そして昭和56年(1981年)9月、国鉄再建法施行によって第一次廃止対象特定地方交通線に指定されましたが、鉄道存続を望む地元の要望などにより、新たに発足する第三セクター会社を受け皿に鉄道を存続させることになりました。
そして昭和62年(1987年)4月、国鉄の分割民営化によってJR東日本が継承すると、同年7月にいすみ鉄道株式会社が設立され、翌昭和63年(1988年)3月より転換。
転換後も赤字に苦しみ、千葉県及び沿線自治体も一時は廃止もやむなしとなりましたが、社長の公募、直営店による関連商品の販売など経営の多角化、訓練費用(700万円)自己負担による運転手の募集、沿線活性化などの経営改善化策を行った結果、平成22年(2010年)8月に、当面の間という条件付きですが鉄道の存続が認められ、JR西日本から譲渡された旧国鉄型車両の運行、レストラン列車など貸し切り車両を運行するなど、積極的な増収策を実施しています。
【待合室から乗り場方向を望む】
【大原駅の駅名標(いすみ鉄道)】
そんないすみ鉄道いすみ線にこれから乗っていくわけなのですが、既にいすみ鉄道乗り場の1番線ホームには、乗車予定の14時28分発、上総中野行き普通列車が停車中。
その車両は一見すると、旧国鉄型の車両かと思わせるのですが、中身は平成24年(2012年)から導入されたイベント用、観光用車両として作られたトイレ付きクロスシート車、いすみ300形気動車がベース。
平成25年(2013年)から旧国鉄型車両を運行するいすみ鉄道は、新製車にもかかわらず正面や側面窓、前照灯や尾灯などの外観を旧国鉄型車両のキハ20形に似せ、車内はトイレなしのオールロングシートとしたたいすみ350形気動車を、平成25年(2013年)に導入したのですが、平成27年(2015年)に最後のいすみ300形を導入するにあたって、外観はおろか塗装も朱色とベージュの旧国鉄一般色として、更には形式も元ネタのキハ20形、車番を1303(300形の3両目ということで303にしようとしたが、国鉄キハ20形に303の車番を持つ車両があったため、1000番台を付した。)とした車両を導入しました。
で、個人的には、いすみ鉄道の車両の中ではこの車両が一番乗ってみたかったので、とってもラッキーです。
【大原駅に停車中の上総中野行き普通列車】
【サボ受けと形式・車番表記】
【キハ20 1303の車内】
【キハ20 1303のボックスシート】
駅の売店でいすみ鉄道1日フリー乗車券を購入。早速乗り場に入場して停車中の車両を間近で見ると、白熱灯1灯をシールドビーム2灯に改造したかのような前照灯や、尾灯とステップ、その上のヘッドマーク受けの配置、側面中央のサボ受け、そして形式・車番名・諸元表記の書体などなど、なかなかに細かいところまで凝っていて、更にに乗り込むと、旧国鉄型車両と同じようなブルーのモケットが貼られたシートがずらりと並び、室内灯の蛍光灯は白熱球色と、こちらもかなりのこだわりというか。また後部のヘッドマーク受けには、令和2年7月豪雨により甚大な被害を受けた、くま川鉄道支援のためのヘッドマークが掲げられています。
やがて、座席がさらっと埋まるくらいの乗客が乗りこんだところで定刻となり、今どきのエンジン音を響かせながら発車。列車はワンマン運転で、案内アナウンスは女性の声での自動放送です。
大原駅を発車すると、すぐに車窓の景色が鄙びるというか、ローカルな街の外れっぽい景色が。点在する建物の間にある休耕田には、外来種のセイタカアワダチソウが黄色い花を付けています。程なくして1面1線の棒線駅である西大原駅に停車。駅間距離は1.7kmとかなり短いですね。
西大原駅出て少し行くと、沿線には刈り取りの終わった水田が広がり、遠くには台地が見えます。列車が進むにつれて水田のある平地が狭くなると、切り通しで台地を抜け、再び平地になったところが上総東駅。ここは交換可能駅ですが、行き違いせずに発車しました。
そして駅周辺の家並みが途切れ、低いサミットの後に再び水田が現れると、田んぼの真中といった感じの新田野駅に停車。それでいすみ鉄道は駅のネーミングライツも実施していて、ここは「サンテック新田野」という愛称が付いています。
【国吉駅構内に留置されているキハ30 62】
【国吉駅停車中】
新田野駅を出ると、今度はそのまま水田が広がり農家住宅が点在する平地を行き、夷隅川を渡ると国吉駅に停車。駅構内には保存車両の国鉄キハ30形気動車が留置されていました。ここで初めて降車客があり、また旧国鉄型車両のキハ28 2346とキハ52 125の2両編成を使った急行列車と交換。
このいすみ鉄道の急行列車ですが、急行と言っても速達目的というよりは、レトロな旧国鉄車両を楽しむ観光用と言うべき列車で、個人的にも乗ってみたくもあるのですが、どうにも計画に入れられずに今回は断念した次第。(負け惜しみですが、キハ28もキハ52も、昔何度も乗りましたしね。)ちなみに急行列車は、かなり盛況のようでした。
国吉駅を発車後、駅周辺の街、そして水田、そして低いサミットという景色が続きますが、だんだんと平地の面積が狭くなってきたような気がして、「NIGO上総中川」駅に停車。このあたりは、景色に住宅の占める割合が多いような気がするのですが、そんな中を走ること暫し、「大多喜ハーブガーデン城見ヶ丘」駅に停車。ここは平成20年(2008年)に設置された、いすみ鉄道転換後に唯一新設された駅で、駅周辺には真新しい住宅が建ち、学生さんが1人下車していきました。
城見ヶ丘駅を出て、両岸が鬱蒼とした竹林に覆われた夷隅川を渡って市街地に入ると停車するのが、「デンタルサポート大多喜」駅。徳川四天王の一人、本多忠勝公が一時期居城にしていた大多喜城のあった街で、個人的にも城跡に行きたいのですが、それはいつかゆっくり来ることにします。
それで駅の方は点対象に配置された相対式ホームが特徴的で、広めの構内にはいすみ線で使われている気動車が何両か置いてありました。またいすみ線の途中駅のなかで一日平均乗車客数が最も多いだけあって、下車客もわりと多い感じ。ちなみに、いすみ鉄道の鉄印が置いてあるのもこの駅ですが、それは帰りにいただこうかと思います。
列車は、3分の停車中に反対方向の列車と交換してから大多喜駅を発車。大原駅から大多喜駅の手前まで、概ね西に進んできた列車は、夷隅川と共に進路を南に変えます。
これはいすみ線が、上総台地内に夷隅川が作った平地を進むからなのですが、それにしてもこの夷隅川。地図で見ると、羊腸のごとくクネクネと折れ曲がっていて、いすみ線とは何度も交わることに。一般的に橋梁は建設費を始めとするコストが嵩むので、旧木原線の建設はかなり大変だったことが忍ばれます。
大多喜駅を出て以来、それまでよりも明らかに上り勾配が増え、この路線が通る平地の面積も、狭くなってきたような。そんな中、小谷松駅、東総元駅と停車。列車が進むごとに駅周辺の民家は減り、景色というか雰囲気が、更に鄙びてきたような気がします。
その後も上り勾配は断続的に続き、トンネル抜けると「三育学園大学久我原」駅に停車。ここに至っては、山中の小駅という感じで。
そして久我原駅を発車すると、何度めかの夷隅川を渡って、久しぶりの集落という感じの「GSK総元」駅に停車。僅かに下車客があったようで。
総元駅を出るとまたもや夷隅川を渡りますが、夷隅川を渡るのはこれで最後となり、この後は夷隅川の支流である平沢川が作った平地を進むことに。またその平地に有る水田の形状が、これまでの耕地整理もしくは圃場整備をしたような大きな長方形から、古い形状を保っているかのような、比較的小さくて不整形なものに変わりました。
列車は、エンジンをより一層ふかして上り勾配を登っていき、最後の途中停車駅である「momo西畑」駅に停車。待合室の外観が洒落ています。
そして西畑駅を出ると、狭い耕地を眺めつつ、里山の林を抜け、平沢川の短い鉄橋を渡って、その後、集落が現れると、終点の上総中野駅に到着。途中、大多喜駅くらいしか目立った降車がなかったので、わりと多くの人が大原駅から終点まで乗り通したようでした。
【上総中野駅の駅舎】
【駅前に停車中の小湊鐵道代行バスと粟又の滝行き探勝バス】
上総中野駅は、ここからJR内房線の五井駅へと向かう、小湊鐵道小湊鉄道線との共同使用駅。2面あるホームのうち、駅舎から近いホームが小湊鐵道、遠いホームがいすみ鉄道となっています。
ですが小湊鐵道は、今年(令和2年)10月11日に発生した台風14号による土砂流出により、養老渓谷駅-上総中野駅間で運休中。(※その後12月16日に復旧しました。)なのでその区間を走る鉄道代行バスが、養老渓谷にある景勝地、粟又の滝行きのバスと共に、駅前に並んでいて、何人か列車から乗り換えたようでした。
【上総中野駅の駅名標】
【上総中野駅に停車中の大原行き普通列車】
そのバスと駅舎の写真を撮ってから、先程の列車の折返しとなる、15時33分発の大原行き普通列車に乗車。私同様、この列車で折り返す人や、この列車の到着を待っていた人も居たため、ボックス席が埋まる程度の乗車はありました。
幸運なことに、往路とは反対側のボックス席が空いていたので有り難く座らせいもらい、定刻に発車。先程とは違う景色を眺めようと思ったものの気合いが入らず、何となく大多喜駅に到着。
この列車、大多喜駅で9分ほど停車するので、その間に鉄印をいただこうと下車。
窓口には先客がいたので、とりあえず駅舎の写真を撮ってから戻ると、この先客の中年女性が……。その後ろで待っていたところ、件の女性は何処ぞに行くにはどうしたら良いか駅員さんに尋ねていたところで、駅員さんが案を出してもイマイチお気に召さない様子。その後ようやく了承して切符を買ったものの、更に女性はそこで「もう一度教えてくださる?」と。
その間にも停車時間は過ぎていき、大多喜城に来るのもそう遠くないかなと思い始めたところでようやく窓口が空き、大急ぎで鉄印をいただいてからホームへ。
再び列車に乗り込むと、先程まで座っていたボックス席は女子高生の2人組が座っており、最前部の特等席にも先客がいたので、最後尾で立って景色を眺めることに
【大多喜駅発車直後】
【国吉駅停車中】
【上総東駅-西大原駅間】
急行列車と交換してから大多喜駅を出た列車は、夕日を背に進みます。
国吉駅で再び列車交換し、切り通しで台地を抜けて平地に出ると、定刻の16時32分、大原駅に到着しました。
大原駅に戻ったあとは、用足しに向けて新宿駅まで特急新宿わかしおで向かうだけ。
いすみ鉄道の駅舎から出たあと、とても綺麗に保たれていた駅近くの観光トイレを借りたのち、再びいすみ鉄道の駅舎に戻って、併設の売店で酒とつまみを購入してからJRの改札口を通ってホームへ。
日が暮れかかったホームで待つこと少々。ヘッドライトを輝かせて、特急新宿わかしおが入ってきました。
房総東線(現在の外房線)には戦前から、主に海水浴客の利用を見込んだ臨時の愛称付き快速列車が運転され、昭和33年(1958年)11月に定期の準急列車が運行を開始しましたが、「わかしお」という名前の特急列車が誕生したのは、外房線の電化が完成した昭和47年(1972年)7月のこと。
以降、急行列車を統合して運転本数を増やしたりして、現在(令和2年3月改正以降)は定期列車が東京駅-茂原駅・上総一ノ宮駅・勝浦駅・安房鴨川駅間に、京葉線・外房線経由で上下合わせて24本も運転される他、週末や祝日を中心に新宿わかしおが、中央本線・総武本線・外房線経由で1往復運転されています。
その1号車の指定席に乗り込むと、先客は数えるほど。席に着くと、早速先程購入した缶ビールのプルトップをブシュっと開け、先程購入したつまみと共に。焼き鯵はパリッと香ばしく、焼あさりはしょっぱ旨くて、2本目となるハイボールも早々に開けてしまいました。
で、そのまま気持ちよく用足しに突入しようと思ったのもつかの間、途中から乗ってきた、オッサンと言うには少々年を取り過ぎ、爺さんと言うには少々若い団体が、席を向かい合わせ、酒を片手にワイワイやり出したのには……。結局、錦糸町駅で降りるまで、ずっと騒ぎっぱなしだったという。
錦糸町駅を出て落ち着きを取り戻した列車は、隅田川を渡って秋葉原駅に停車。都心に入った列車は往きに乗った新宿さざなみ同様、ゆっくりめに走るとおもったら、先行列車がつかえていたのか代々木駅あたりで一旦停止。そのお陰か定刻の18時29分よりも約2分遅れの31分、新宿駅に到着。
あとは、小田急線に乗り換えて用足しを済ませ、再び新宿駅に戻ってきたのが21時40分頃。
【新宿駅に入ってきた東京行き快速列車】
【那須塩原駅に到着した新幹線なすの279号】
新宿駅21時45分発の中央線快速列車で東京駅まで行き、22時16分発の東北新幹線の下り最終1本前、那須塩原行きのなすの279号に乗って帰宅。
一部、微妙なところはあったものの、乗った路線的には充実した、長い一日が終わりました。
※便宜上那須塩原駅発着
那須塩原
05:33
|JR東北本線
|1535E
|普通(E231系)
08:07
赤 羽
08:17
|JR埼京線
|854K
|普通(108編成 E233系)
08:31
新 宿
09:08
|JR内房線他
|9045M
|特急新宿さざなみ3号(NB16編成 モハE256-516)
11:19
館 山
11:39
|JR内房線
|3133M
|普通(C621編成 クハ209-2121)
12:23
安房鴨川
12:53
|JR外房線
|266M
|普通(C602編成 クハ208-2102)
13:41
大 原
14:28
|いすみ鉄道いすみ線
|65D
|普通(キハ20 1303)
15:23
上総中野
15:33
|いすみ鉄道いすみ線
|66D
|普通(キハ20 1303)
16:32
大 原
16:56
|JR外房線他
|9056M
|特急新宿わかしお号(NB02編成 クハE256-502)
18:29
新 宿
21:45
|JR中央線
|2156T
|快速(T30編成 E233系)
21:59
東 京
22:16
|JR東北新幹線
|279B
|なすの279号(E6系)
23:25
那須塩原
※便宜上那須塩原駅発着
JR運賃 那須塩原-新宿(IC) 2640円
JR運賃 館山-安房鴨川(IC) 594円
JR運賃 安房鴨川-大原(IC) 682円
JR運賃 大原-新宿(IC)1980円
JR運賃 新宿-那須塩原 2640円
JR運賃+指定席特急券(トクだ値50)新宿さざなみ3号 2090円
JR指定席特急券 新宿わかしお 1890円
JR新幹線自由席特急券 なすの 2850円
いすみ鉄道 一日フリー乗車券(土休日用) 1500円
いすみ鉄道 鉄印帳記帳料 300円
(合計 17166円)
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