趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】
今回の日帰り旅は、計画段階から難産。
元々この日は東京に私用があったため、上京したついでにどこか乗り鉄でもと考えていたのですが、ならば今年から収集を始めた「鉄印」がらみにしようと、首都圏の第3セクター鉄道で未だ鉄印をもらっていない、千葉県を走る「いすみ鉄道」に乗ることに決めました。
ですが計画を立てる時、失礼ながら、いすみ鉄道だけじや勿体無いと思い、千葉県にあるJRのローカル線や私鉄も組み合わせられないかと、色々と乗り継ぎを調べてみたものの、これが……。
用足し的には新宿駅に午後7時までに着いていれば良かったので、比較的時間に余裕はあると踏んでいたのですが、いざ、他の路線を組み合わせようとすると、「ついでとは罷りならん」とばかりに、途端に乗り継ぎが破綻してしまうという。
それで幾度もの試行錯誤の末、途中でいすみ鉄道をはさみつつ、この日運転されている新宿発着の臨時特急に乗り、JRの内房線と外房線を使って房総半島をぐるっと一周することに。
千葉県にある房総半島は、ざっくりした括りで言うと栃木県と同じ関東地方にありながら、栃木県からは公共交通機関で直通できないこともあってかなり縁遠く感じられる地域で、実際のところ、個人的には房総半島よりも北海道のほうが行った回数が圧倒的に多かったりするのですが、逆にこの機会にぐるっと廻るのも良ろしかろうと。
そんなわけで、改めて令和2年11月某日。朝5時過ぎに自宅の最寄駅に。最近夜明けが遅くなってきたことに加え、この日は時折雨がパラパラ落ちてきているので空がだいぶ暗いなか、黒磯5時27分発のJR東北本線(宇都宮線)蒲須坂駅-黒磯駅間での上り一番列車が入線してきました。
この列車、平日は上野行きですが、土曜・休日は上野東京ライン直通の小田原行きに。車両は小金井駅までE231系電車の5両編成=普通車のみ。小金井駅でグリーン車付きの10両編成を増結します。
後寄り2両に付いているボックスシートに座り、相変わらず小雨が降るなか発車。途中、宇都宮駅あたりで日が差すも、石橋駅あたりでまた雨が降り出し、間々田駅を過ぎると再び晴れ間が見え、古河駅を過ぎると曇り空となって霧も出てきました。
そんな、あまり良くない方向に天気が目まぐるしく変わるなか、列車は埼玉県に入ると徐々に乗客を増やし、大宮駅で席が埋まるくらいの乗車率となって、赤羽駅に到着。
赤羽駅からは、埼京線8時17分発の新宿行きに。車両はE233系電車10両編成ですが、休日にもかかわらず車内はかなり混雑していて、1分遅れで赤羽駅を発車しました。
【そばいち新宿店 店舗外観】
【いただいたかき揚げ天玉蕎麦(540円)】
ですが気にするほど遅れは広がらず、終点の新宿駅に到着。
お目当ての特急列車に乗る前に、南口改札内コンコースに有るJR東日本系列の駅そば店「そばいち新宿店」で、天玉そばの朝食を。いつの間にか、店名含めてリニューアルしていたようですね。
それで東日本的濃口醤油がメインなれどやや甘味を効かせたつゆこそ、以前あったお店の味を思い出させますが、店内で茹で上げる細めの蕎麦は香りにそば粉感があり、ソリッドな歯応え。また店内で揚げられるかき揚げ(タネはタマネギ、ニンジンと青菜少々)はサクサク感があるなど、普通に美味しくいただけます。
以前は味やメニューなどの評判がかなり悪かったJR東日本系列の駅そば店(ネットでは「味災茶屋」なんて言われてましたっけ。)ですが、現在はリブランドと共に、味の方も相当進化しているようですね。
蕎麦をいただいたあとは、新宿駅9時8分発の特急新宿さざなみ3号館山行きに乗るべく、7番線へ。
定期列車の「さざなみ」は現在、東京駅と君津駅を京葉線・内房線経由で結ぶ列車ですが、「新宿さざなみ」は週末や祝日を中心に、新宿駅と館山駅を中央線・総武本線・内房線経由で結ぶ臨時列車となっています。
ちなみに、「さざなみ」はかなり歴史のある列車の愛称で、それこそ戦前から臨時列車に使用されたそうですが、内房線経由の列車として定期列車化されたのは昭和38年(1968年)。昭和47年(1972年)7月に特急化され、以降平成27年(2015年)3月までは、東京駅(昭和60年までは多客期に新宿駅発着の列車もあり)と館山駅、千倉駅などを総武本線・内房線経由で結んでいました。
【新宿駅に停車中の特急新宿さざなみ3号(先頭車)】
【新宿駅に停車中の特急新宿さざなみ3号(最後尾)】
同一ホームの8番線には東京行きの中央線快速列車が約4分間隔で発着するなか、8時51分頃、5両編成のE257系500番代電車が東京方から入線。程なくしてドアが開き、指定席の3号車に乗車するのですが、モハE256-516という車両で、調べたところ平成17年(2005年)の製造とのこと。
この形式は、あずさ号、かいじ号など中央本線の特急用に作られたE257系電車をベースに、房総地区特急列車の旧型車両置換え用として平成16年(2004年)10月から運用が開始された直流用の特急型車両で、モノクラス(普通車のみ)の5両固定編成。で、5両編成を2つ繋げた10両編成での運用もあるため、両端の先頭車は貫通扉を装備しています。
【モハE256-516の車内】
【モハE256-516のシート】
個人的に、このE257系に乗るのは2度めですが、前回は蘇我駅から東京駅までと短区間の慌ただしい乗車(しかもその時、何故かヘロヘロに疲れていた)だったので、車内をゆっくり見る余裕もなかったんですよね。で、乗り込んだ車内は、今どきの車両だなと思ったのですが、同形式のデビューから15年以上経っていたんですね。
他にも待っていた何人かが乗り込みましたが、最終的に私の乗った3号車には10人にも満たない乗客で、定刻に発車。それにしても、私の席の斜め前に座った中年女性。席に腰を落ち着けて以来、連れの初老の男性に向かって、缶入りのアルコール飲料片手に、マスクも付けずにずっと大きな声で喋っています。
そんな中、車内放送が行われ、まずは自動放送にて「新宿さざなみ」の停車駅、次駅案内。その後、車掌さんの肉声による案内がありました。
新宿駅を出た列車は、まずは中央快速線を走行。個人的にこれまで上京した際に何度も見た、比較的馴染みのある風景ですが、特急列車の窓から眺めると、また違った味わいというか。もっとも、速度的には特急列車と言うには少々遅めに感じますが。
やがて御茶ノ水駅の手前から総武線に入り、神田川を割って最初の停車駅である秋葉原駅に停車。この3号車には2,3人ほど乗り込んできました。
秋葉原駅を出た列車は相変わらずビルが林立する中を進むと、個人的にクルマでは何度もその川沿いの首都高速6号向島線を走った隅田川を渡って、かつて房総方面へ向かう急行列車の発着駅だった両国駅を通過。合流してきた東京駅からの総武快速線へと転線して錦糸町駅に停車。向かいのホームには、銚子からの特急しおさい6号が停車中でした。
錦糸町駅で(この車両に)4,5人ほど乗客を増やすと、この後列車は、千葉駅まで総武快速線の高架線を走行。先程までビルが林立していた車窓は、駅の周辺を除くと低い建物が増えてきました。
そして荒川を渡って新小岩駅を通過すると、ようやく特急列車らしいスピード感が出てきたなと思ったら、船橋駅に停車。ここでは5,6人ほどこの車両に乗せ、車内は賑やかに。
もっとも、その賑やかさを一手に担っているのが、先程の中年女性で、乗車以来、酒が入ってますますヒートアップという感じ。女性の仕事上での話や知り合いの個人情報が、聞きたくなくてもガンガン耳に届いてきます。
次に停車した新小岩駅では乗車なし。今乗っているE257系500番代が所属する幕張車両センターを過ぎると、やがて列車は千葉駅に到着。ここでも、この車両に乗車はありませんが、ホームに人気はあったので、他の車両では乗降があったとは思いますが。
千葉駅を発車すると路線は外房線に入り、すぐに蘇我駅に停車。他の車両では僅かに乗車があったようで。そして蘇我駅を出ると、列車は外房線から内房線へと入り、すれ違う列車も、総武快速線直通のE217系に加えて、短い編成の209系が加わります。
それでこの内房線。この蘇我駅を起点に終点の安房鴨川駅までの119.4kmを結ぶ路線で、起点駅と終点駅を含めた駅数は40駅。蘇我駅-君津駅間38.3kmが複線化されています。
かなり歴史のある路線で、明治45年(1912年)3月に蘇我駅-姉ヶ崎駅が開業、同年8月に木更津駅まで延伸したのですが、当時は木更津線と称しました。その後の大正8年(1919年)に安房北条駅(現在の館山駅)まで延伸されると北条線と名称を変え、昭和4年(1929年)4月に安房鴨川駅まで延伸され全通。その際、千葉駅-安房鴨川駅間の房総線(現在の外房線)に編入されました。それが昭和8年(1933年)に蘇我駅-安房鴨川駅間を房総西線として分離。昭和47年(1972年)7月に、今乗っている「さざなみ」の特急列車化と時を同じくして内房線に改称されたという。
その内房線に入ると、車窓にようやく農地が現れ始め、列車は五井駅に停車。進行方向左手のホームには、小湊鐵道のディーゼルカーが停まっていましたが、この小湊鐵道は今回の旅に絡めようとして断念したうちの一つ。
五井駅過ぎると、車窓は宅地と農地が混在するようになってきたと思ったら、程なくして進行方向右手に、京葉臨海工業地帯が。高い煙突や高圧鉄塔などが目に入ります。
工業地帯が終ると、今度は車窓に水田が広がります。それでここまで順調に走ってきた新宿さざなみ3号ですが、木更津駅の少し手前で突如速度を落とし、程なくして一旦停止。車掌さんのアナウンスによると、先行列車が遅れているそうで。
その後、走り出したと思ったらまた停止したりして、木更津駅には定刻の10時23分から約7分遅れで到着。ここから分岐する久留里線も、今回の旅に絡めようとして断念したうちの一つです
木更津駅では、7分遅れをそのまま維持して発車。線路は、これまで暫く走ってきた海沿いの沖積平野から、万葉集にも登場したという上総台地の末端を横切ることになり、トンネルを2つばかりくぐります。そしてその後、程なくして平野に戻り、7分遅れて君津駅に到着。隣には総武快速線・横須賀線直通列車のE217系が停車中でした。
君津駅から先、内房線は複線から単線へと変わり、列車本数もぐっと減りますが、景色的にはここからがハイライト。
小糸川が作った沖積平野を過ぎると、再び上総台地が海まで迫る地形となり、内房線も海沿いに追いやられたと思ったら、列車はいよいよ海岸線に近づきます。通過する上総湊駅の辺りでは、かつての線路跡でしょうか、古いレンガ造りの橋脚の向こうに港が見えました。
次の(これまた通過の)竹岡駅は、竹岡式ラーメンで有名になったところで、一昨年、そのラーメンを食べに降りたところですが、そこから次の停車駅である浜金谷駅の間は、内房線が最も海沿いを走る区間。国道127号越しに海が迫りますが、台地が急に海に落ち込むような地形で、砂浜はなく、時折ゴツゴツした岩場が現れます。
このあたり、これまで曇りだった空から丁度日が差し、景色を楽しむには絶好となったものの、件の中年女性はずっと喋り続けており、もう手がつけられない感じ。ほんと、話の種がよく尽きないものだな、と。
浜金谷駅には、8分遅れて到着。ここで初めてまとまった下車があり、この車両からも5,6人降りた様子です。
浜金谷駅を出て程なくすると海沿いからは離れ、所々遠目に見える感じに。上総から安房へ入ると、長いトンネルで鋸山を通過して、保田駅、一つ飛ばして岩井駅、そして最後の途中停車駅の富浦駅とマメに停車するものの、どこも降車客は無しかごく僅かです。
その富浦駅を7分遅れで発車した列車は、そのままの遅れを維持した11時26分、終点の館山駅に到着。降車客の大部分が出口へと向かい、この先へと向かう普通列車へと乗り継ぐのは僅かなようでした。
【館山駅の駅名標】
【館山駅に停車中の安房鴨川行き普通列車】
館山駅の駅舎に入っている食堂には、マスコミに取り上げられるなどして有名な、鯨弁当というのが売られているのですが、列車が遅れたのと、それほど空腹ではなかったため購入を見送り、すぐ次の列車に乗り継ぎます。
その列車は、11時39分の安房鴨川行き普通列車。6両編成の209系2100番代電車が、跨線橋を渡った3番線ホームに、既に停車していました。
それでこの209系2100番代電車。ドア開閉装置が違う以外はほぼ同一仕様の209系2000番代電車と共に、JR東日本千葉支社管内のローカル輸送に使用されている電車で、先日、銚子電鉄などを訪れた時や、一昨年、竹岡式ラーメンをいただいた時にも乗りました。
元々は京浜東北線用として平成4年(1994年)試作車が登場、翌年から量産が開始された10両編成の209系電車を、平成21年(2009年)からJR東日本千葉支社管内の普通列車用に6両・4両編成化すると共に、車内もロングシートだったものを一部車両にボックスシートを設置するなどの改造を施したもの。先日、後継となるE131系電車が登場し、現在は試運転が行われているようですが、他にも京浜東北線で209系電車を置き換えたE233系電車が改造されて千葉支社管内に投入されるという話もあるようで、あと数年で廃車となってしまうみたいですね。
新宿さざなみ3号を降りてすぐに乗り換えたのが功を奏したのか、数少ないボックスシートのうち、海沿いとなる進行方向右側に座ることが。それ以外は閑散とした乗車率ですね。
やがて定刻となり発車。ですがすぐ、緊急制動がかかって停止。それで乗り遅れそうになった乗客を拾うと、列車は何事もなかったかのように、再び走り出しました。
館山駅を離れた列車は、大きく左にカーブして、進路を東へと。房総半島の南端近くを横断にかかります。
車窓の景色は、館山の市街地から水田が広がるようになり、そこから安房台地の丘陵が迫ってきたところで最初の停車駅である九重駅に停車。ここから丘陵地帯を抜けると太平洋側で、かつて特急さざなみが足を伸ばした千倉駅に。
その後は、外房に出たけど路線名は内房線のまま、海の近くというか、気配はすれども姿は見えないなか、水田と住宅が混在するなかを走行。千歳(ちとせ)という北海道にあるのと同名の駅に停車し、次の南三原(みなみはら)駅を過ぎた辺りでしょうか、ようやく海沿いに出ることが。ただ、太平洋を十二分に堪能できるという感じではなく、一瞥しただけですぐに海から離れてしまいました。
和田浦駅の次の江見駅で、列車交換待ちのため4分ほど停車。
発車して暫く、たしか2つめの短いトンネルを抜けると列車は再び海沿いに出るのですが、実はそこは海上に橋を架けた区間で、しかもその橋が、「土木学会推奨土木遺産」というのに認定されている「山生(やもめ)橋梁」。この区間、安房台地が海に迫り、海上に線路を敷設せざるを得なかったところですが、海上に鉄橋は耐腐食性の問題があったため、鉄道橋では日本で初めて、鉄筋コンクリートT字梁を用いた橋梁として建設されました。その竣工は大正13年(1924年)、供用開始は大正15年(1926年)とのことです。
で、前回この区間を乗った時にはその橋の存在そのものを知らず、今回改めてとなったわけなのですが、橋桁は線路の下だから見えず、海の眺めは目の前を走る国道128号によって邪魔されるという……。
その後も短いトンネル交えつつ、ところどころ台地の海沿いにへばり付くような集落を見下ろしながら列車は走り、太海駅を過ぎると内陸方向に進路を変えて、定刻の12時23分、終点の安房鴨川駅に到着しました。
と、内房線の終点の安房鴨川駅まで来たところで、記事をいったん切らせていただきます。
(つづく)
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