たひお備忘録

趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

偶然「橋」に惹かれた、山形鉄道・JR左沢線乗車記 ~鉄印帳の旅(4) 【令和2年9月10日】 その1

長井駅に停車中の赤湯行き普通列車

 今回で4回めとなった、全国の第三セクター鉄道会社を巡る「鉄印帳」鉄印収集の旅。先の記事でも書いたとおり、青春18きっぷの夏季使用期限である9月10日に、1日分残っていたそれを使って、山形県の山形鉄道に乗ろうかと。それとついでに、ちょっと足を伸ばして、しばらくぶりにJRの左沢(あてらざわ)線にも乗ろうかと。以下はその記録でございます。


プロローグ

【黒磯駅に停車中の新白河行き普通列車】
黒磯駅に停車中の新白河行き普通列車
【新白河駅に停車中の福島行き普通列車】
新白河駅に停車中の福島行き普通列車

 前日の夜、寝酒のつもりがついつい深酒になってしまい、結構な二日酔いのまま、自宅最寄りのJR駅へ。今回の旅で、最初に目指すはJR奥羽本線の赤湯駅から分岐する山形鉄道フラワー長井線というわけで、JR東北本線(宇都宮線)の宇都宮発下り始発列車に乗り、黒磯駅から6時13分発の新白河行き普通列車、新白河駅からは6時46分発の福島行き普通列車という、7月に東北地方の鉄印集めとJR線に乗るために行った旅と同一ルートでまずは北上。その時は夏休み期間だったのが今回は2学期に入って通学客が増えたせいか、車内は7月の時よりも混んでいて、途中、私が座っていたボックスシートも珍しく4人フルに座っている時がありました。

 そして福島駅からは、今回の旅で唯一、普通列車以外に乗車。というのも青春18きっぷだけでは自宅から山形鉄道を往復するだけで終わってしまうのですが、ここで1500円ちょっとのエクストラコストをかけて福島駅-米沢駅間だけ山形新幹線というか特急つばさを使えば、左沢線まで乗れって帰ってこれることがわかったんですよね。

【そば処福島 店舗外観】
そば処福島 店舗外観

 それで新幹線に乗り換える前に、先日の東北旅行の時にもいただいた新幹線コンコースにある「そば処福島」で、朝食に立ち食いそばを。福島駅にはもう一箇所、立ち食いそばがいただけるお店があり(駅ビル「パワーシティPivot」の1階)、今回はそこでと思っていたのですが、営業時間を調べずに行ってしまったため、営業時間11時からという表示を見てガックリした次第。

【いただいた{ちくわ天そば(460円)+ラジウム玉子(110円)】
いただいた{ちくわ天そば(460円)+ラジウム玉子(110円)

 なので気を取り直して再びこちらでとなったのですが、アツアツで味がハッキリしたそばは二日酔いの身体に染み渡ると思いきや、食べたら余計に気持ちが悪くなってしまったという……。若い頃は、二日酔いでも腹に何か入れれば落ち着いたのですが、齢五十を超えると、ほんと、無理できなくなるという。ですがそんな中、追加したラジウム玉子は美味しかったというか、白身フルフル黄身が硬めのしっかりとした温泉卵になっていたのが嬉しかったです。

【福島駅に停車中の新庄行きつばさ123号】
福島駅に停車中の新庄行きつばさ123号
【福島駅-笹木野駅間】
福島駅-笹木野駅間
【大沢駅-関根駅間(だったと思う)】
大沢駅-関根駅間(だったと思う)

 その後用を足してからホームに上がると、ここから乗る8時48分発の新庄行き山形新幹線つばさ123号は丁度入線したところ。写真を撮ってから先頭車(E322-2008)の自由席に腰を落ち着けますが、車内はかなり空いていました。それで定刻に福島駅の新幹線ホームを発車すると、高度を下げて地上の奥羽本線に合流。福島の市街地を抜けると一気に板谷峠を上り下りして米沢盆地へと入り、約35分で米沢駅に到着。途中で車内販売がまわってきたのですが、希少になった車内販売の売上に貢献したいけど結局買うものが思いつかずにスルーしてしまったという。

【米沢駅に停車中の山形行き普通列車】
米沢駅に停車中の山形行き普通列車

 米沢駅からは、9時39分発の山形行き通列車に。私以外に乗り継いだ乗客はいないようでした。で、既にホームに停車していたのは、JR東日本仙台支社管内用の近郊型車両として製造された719系電車の0番代を元に、標準軌用台車にするなど山形新幹線区間用として平成3年(1991年)に製造された(719系電車)5000番代の4両編成(2両編成×2本)。0番代は今年(令和2年)3月のダイヤ改正で定期運用がなくなってしまいましたが、こちらは車齢30年近くになろうとも現役バリバリというのが嬉しいです。

 先頭車(クモハ719-5012)に乗り込んでしばらくすると定刻となり、山形駅を発車。それでこの719系電車ですが、ドア付近はロングシート、ドア間はクロスシートのセミクロスシート配置となっているのですが、クロスシート部分の配置が独特で、中央が4人掛けのボックス席、その前後はボックス席に向かって2人掛けのシートが置かれた「集団見合型」という配置になっています。

【高畠駅-赤湯駅間】
高畠駅-赤湯駅間

 米沢駅を後にした列車は、置賜盆地とも呼ばれる米沢盆地を走行。山形県の米どころといえば庄内平野が有名ですが、ここ米沢盆地も稲作が盛んで、車の外には収穫間近の稲が黄金色に実っていました。で、そんな中を走って定刻の9時56分、赤湯駅に到着。ここで降りるのは数年前の正月に、辛味噌ラーメンを食べに来て以来だったりします。

【赤湯駅の駅名標(JR)】
赤湯駅の駅名標(JR)

山形鉄道フラワー長井線

【赤湯駅の駅名標(山形鉄道)】
赤湯駅の駅名標(山形鉄道)

 赤湯駅では待ち合わせ時間が約51分とあまり良い接続ではないのですが、10時47分発の山形鉄道フラワー長井線荒砥行き普通列車に乗り換え。山形新幹線が走る区間の奥羽本線=在来線の愛称「山形線」は列車本数が少ない(板谷峠を新幹線で越えたのも実はその所為。)と、更にフラワー長井線も負けずに列車本数が少ないので、仕方ないんですが。で、これから乗る、今回の旅の一番の目的ある山形鉄道とフラワー長井線について少々。

 山形鉄道フラワー長井線は、赤湯駅を起点に、終点の荒砥駅までの間30.5kmを結ぶ、全線単線、非電化の路線。起点駅と終点駅を含む駅数は17駅で、起点の赤湯駅でJR奥羽本線(山形新幹線と山形線)と、途中の今泉駅でJR米坂線と接続しています。

 その歴史は古く、大正2年(1913年)10月、赤湯駅-梨郷駅間6.5kmが、鉄道院の長井軽便線として開業。翌大正3年(1914年)11月には長井駅まで11.4kmが延伸されました。そして大正11年(1922年)9月に長井線と改称された後、同年12月に鮎貝駅まで9.7kmを延伸。翌大正12年(1923年)4月に荒砥駅まで2.6kmが延伸され全通しました。ちなみに、大正11年(1922年)4月に公布された改正鉄道敷設法によって、荒砥駅から左沢線左沢駅までの路線も計画されていたものの、建設されずに終わっています。

 その後は置賜地方の足として、旅客列車の無煙化(ディーゼルカー化)、途中駅の新設などを行いつつ運行されてきましたが、昭和43年(1968年)9月に国鉄諮問委員会が提出した意見書に、廃止すべき「使命を終えた」赤字ローカル線、いわゆる「赤字83線」の一つとして長井線が指定。これを受け、沿線自治体などによって長井線存続期成同盟が結成されましたが、首相交代などで「赤字83線」の廃止は一旦沙汰止みになりました。

 しかし、国鉄末期の昭和61年(1986年)10月、国鉄再建法に基づき廃止対象の第3次特定地方交通線に選定。これを受けて設置された特定地方交通線対策協議会によって、第三セクター会社を設立して移管されることが決まり、昭和63年(1988年)4月に山形鉄道を設立。そして同年10月25日から、国鉄長井線を継承したJR東日本に替わり、山形鉄道フラワー長井線として営業運転を開始。ちなみにフラワー長井線という線名は、沿線に花の名所が多いから名付けられたそうで。またその際、路線の営業キロが30.6kmから30.5kmと0.1km短くなりました。

 そして山形鉄道となってからは、経営の合理化などによって黒字化を達成しましたが、少子化の影響などによって主な利用客であった高校生が減少するなどし、平成9年度(1997年度)から赤字に転落。沿線自治体からの補填を受けて営業を続けていたものの、経営再建を目指して平成28年(2016年)、地域公共交通活性化再生法に基づく「鉄道事業再構築実施計画」の認定を受けることに。これにより、鉄道用地を沿線の2市(南陽市、長井市)2町(白鷹町、川西町)が無償取得して保有し、それを山形鉄道に無償貸付する上下分離方式を導入。利用客数が最盛期の4割程度に落ち込む中、資産保有コストの圧縮などで平成28年度(2016年度)決算で早くも20年ぶりの黒字を達成し、今後も老朽設備の更新や維持修繕の充実が図られるそうです。

【赤湯駅に停車中の荒砥行き普通列車】
赤湯駅に停車中の荒砥行き普通列車
【YR-883(YR-880形)の車内】
YR-883(YR-880形)の車内
【YR-883(YR-880形)のクロスシート】
YR-883(YR-880形)のクロスシート

 これからそんなフラワー長井線を走る列車は既に、赤湯駅の山形鉄道ホームである4番線ガラガラというアイドリング音を響かせながら、車体の塗装に紅花があしらわれた(沿線の白鷹町が紅花の産地なのでそれにちなんだ塗装との由。)1両のディーゼルカーが停車中。ドアも空いていたので整理券を取って乗車し、車内で発車まで待たせてもらうことにしました。それでその車両は、昭和63年(1988年)の山形鉄道開業時に導入されたYR-880形気動車という形式。鋼製の車体は全長18m級で、両端に片開き扉を計2か所設置。車内はドア付近がロングシート、中央部がボックスシートのセミクロスシート配置で、車内にはトイレが設置されています。

 その進行方向左側のボックスシートに座って待つこと暫し。発車時刻が近づくにつれポツリポツリと乗客が集まりだし、10時42分発の山形新幹線からの乗り継ぎ客を数名を加えて合計10人程度になると、10時47分の定刻、列車はディーゼルエンジンをふかして赤湯駅を発車。列車はワンマン運転で、自動の案内アナウンスが流れます。

【赤湯駅-南陽市役所駅間】
赤湯駅-南陽市役所駅間
【南陽市役所駅-宮内駅間】
南陽市役所駅-宮内駅間

 発車してすぐ左にカーブして奥羽本線と別れた列車は、すぐに山形鉄道転換時に新設された最初の途中駅である南陽市役所駅に停車。(ちなみに駅間距離は0.9km)で早速1人が下車します。そして発車後は、農地の向こうに建物が見えるような景色となりますが、作物が袋掛けされた果樹、形状からして西洋梨っぽいのが当地らしいというか。ちなみに、山形県は有名なラ・フランスなど西洋梨の栽培が盛んで、全国の生産シェアの6割を占めるそうで。

 やがてATS(自動列車停止装置)のチンコンチンコンという動作音が運転台から鳴り出すと、宮内駅に到着。交換可能の有人駅で、ウサギの駅長「もっちぃ」がいることで知られていますが、今回は旅程の関係でスルー。またここで若い女性の4人組が下車して、替わりに高校生が1人乗ってきました。

【おりはた駅-梨郷駅間】
おりはた駅-梨郷駅間
【梨郷駅】
梨郷駅

 宮内駅を出た列車は、果樹園の中をのんびりと走行しておりはた駅に停車。そして水田の中をのんびりと走って長井軽便線開業時の終着駅であった梨郷(りんごう)駅に停車。その梨郷駅は、かつて1面2線の島式ホームだったものが、後に駅舎側の1線を撤去して1面1線の単式ホームとなった際、駅の前後の線路はそのままにしたため、ホームの前後で線路が若干カーブしています。(地図で見ると良くわかるんですが。)ちなみに、どちらも乗降客はありませんでした。

【梨郷駅-西大塚駅間】
梨郷駅-西大塚駅間

 梨郷駅を出で少し行くと進行方向左手には、国道113号と、その向こうに水田を挟んで建設中の国道113号バイパスとなる「梨郷道路」が。この梨郷道路は、国道113号赤湯バイパスなどと接続して新潟県まで続く地域高規格道路の「新潟山形南部連絡道路」の一部となる予定です。かつて昭和の中頃から、鉄道から乗客や貨物を奪ったモータリゼーションという図式があったと思うのですが、地方部では鉄道の役割がミニマムになりつつある現在、更なる道路の整備が鉄道にどう影響するんですかね。

【梨郷駅-西大塚駅間(最上川)】
梨郷駅-西大塚駅間(最上川)
【今泉駅】
今泉駅
【今泉駅-文化の里駅間(白川)】
今泉駅-文化の里駅間(白川)
【今泉駅-文化の里駅間(米坂線分岐点付近)】
今泉駅-文化の里駅間(米坂線分岐点付近)

 やがて列車は、最上川と少しだけ並走してから渡って西大塚駅に停車。木造のとても古そうな渋い駅舎だと思ったら、国の登録有形文化財になっていたんですね。その西大塚駅も乗り降りなく発車した列車は、しばらくすると左手からJRの米坂線が合流し、久しぶりにATSの動作音を鳴らしながら今泉駅に到着。1人降りて2人のるという、乗降客的には少ない数ですが、ジャンクションらしい広い駅構内が印象的でした。ですがこの今泉駅、じつは管理上の駅構内も広く、今泉を出た列車は水田の中を走り、最上川の支流である白川を渡って程なくしてから現れる米坂線との分岐点までが、今泉駅の構内扱いとのこと。今泉駅から1.8km離れたこの地点には、かつて白川信号場がありましたが、昭和59年(1984年)2月に今泉駅と統合されています。

【時庭駅-南長井駅間】
時庭駅-南長井駅間

 列車は米坂線と別れると再び水田の中を走りますが、左手の水田の向こうには、大朝日岳を主峰とする朝日連峰が見える筈だと思いきや、この日は朝から天気がパっとせず、山の上には低い雲が垂れ込めてよくわからなかったという。そんな中停車した時庭駅は、ここも乗降客なし。その後沿線の景色がが水田から、水田が混ざりつつも長井市の街並みに変わると南長井駅に停車。ここで4人降りてしまい、残る乗客は私を含め2人に。そして久しぶりにATSの作動音が鳴ったと思ったら、長井駅に停車。ここは古い駅舎が残ることで知られていたのですが、それがなくなり、その場所には巨大な鉄筋コンクリート造っぽい建物が建設中でした。

【あやめ公園駅-羽前成田駅間】
あやめ公園駅-羽前成田駅間
【白兎駅-蚕桑駅間】
白兎駅-蚕桑駅間

 長井駅では、私以外の乗客が下車し、替わりに山形鉄道の関係者っぽい女性が2名と、一眼レフカメラを首からかけた壮年男性1名を乗せてから発車。長井市の市街地を走って平成14年(2002年)に新設されたあやめ公園駅に停車し、発車後、野川を渡ると再び水田と、それ越しに朝日連峰が見えますが、相変わらず低い雲が山並みを見せてくれません。また一瞬晴れたと思ったら、今度は狐の嫁入りという、安定しない天気の中、開業当時の古い木造駅舎を持つ羽前成田駅、平成元年(1989年)新設の白兎駅、防風林に覆われた蚕桑(こぐわ)駅と停まっていきますが、いずれも乗降客はなし。元から列車が空く平日の昼前という時間帯というのもありますが、やはりフラワー長井線の利用客は高校生がメインなんだな、と実感します。

【四季の郷駅-荒砥駅間】
四季の郷駅-荒砥駅間

 蚕桑駅を出てしばらくすると、一面の水田という景色は進行方向右側に移り、私が座っている左側は建物がポツポツと。そしてあまり駅っぽくない印象の鮎貝駅、平成19年(2007年)新設の四季の郷駅と停車すると、立派なトラス橋で最上川を渡ると程なくしてATSの作動音を鳴らしつつ、1面1線の終着駅である荒砥駅へと到着。赤湯駅から約52分、時刻は11時39分の定刻でした。

【荒砥駅の駅名標】
荒砥駅の駅名標
【荒砥駅の駅舎】
荒砥駅の駅舎
【荒砥駅の車両基地】
荒砥駅の車両基地

 荒砥駅からは、乗ってきた列車の折返しとなる11時46分発の荒砥行き普通列車に乗車。ですがその前に、一度改札口から、お年を召した方々の団体さんが楽しげおしゃべりしている待合室を通って外に出て、駅舎の写真を撮影。近年に建て替えられた瀟洒かつ立派なもので、駅前交流施設や地元の自治公民館が併設されたいました。そしてその後、構内へと取って返し、駅に併設の車両基地をホームから写真撮影。

【荒砥駅に停車中の赤湯行き普通列車】
荒砥駅に停車中の赤湯行き普通列車

 その後、列車の写真を撮ってから乗り込むと、先程待合室にいらした団体さんと、先程の列車に長井駅から乗ってきた3名の方が。で、制服を着ている女性はガイドさん兼添乗員さんといった感じで、一眼レフと男性はその団体さん達に同行するカメラマンさんだった模様。というわけで、長井駅から先、まとも(人間的に、ではない)な乗客は私一人だったことになります。

【荒砥駅-四季の郷駅間(最上川橋梁(1))】
荒砥駅-四季の郷駅間(最上川橋梁(1))
【荒砥駅-四季の郷駅間(最上川橋梁(2))】
荒砥駅-四季の郷駅間(最上川橋梁(2))

 その団体さん御一行と私を乗せ、列車は定刻に荒砥駅を発車。車内では早速ガイドさんのお話が、ところどころご当地の言葉を使って行われています。で、中でも説明された板のが、荒砥駅を出てほどなく渡る最上川橋梁。先程の往路では私も軽く触れただけですが、実はこの立派なトラス式の鉄橋は、日本で現存する最古の鉄道橋という大変由緒があるもので、元々は東海道本線の木曽川橋梁として、イギリス人が設計し、イギリスから資材と技術を輸入し明治20年(1887年)に完成したもの。その後の大正3年(1914年)、木曽川橋梁は耐荷重の大きい橋に架け替えられた後、当地に運ばれ、一部(桁のうち3つ)が長井線(現在のフラワー長井線)の最上川橋梁となった他、同じ山形県内の左沢線の最上川橋梁(の一部)にもなりました。で、その経緯からこれら2つの橋は「双子橋」とも呼ばれるそうなのですが、その歴史的価値から左沢線の最上川橋梁ともども、平成20年(2008年)には土木学会選奨土木遺産に、平成21年(2009年)には経済産業省の近代化産業遺産に認定されました。

【四季の郷駅-鮎貝駅間】
四季の郷駅-鮎貝駅間

 そんな最上川橋梁を運転席横の特等席で見た後は、進行方向左際のボックス席に座り、自然と耳に入ってくるガイドさんの話を聞きながら外の景色を。先程とは反対側ですが、水田が広がる景色はさほど変わらずというところ。ちなみにこのガイドさん。お二人のうち主に喋っていらしたのは、当地在住のシンガーソングライター、AKEMIさんという方で、巧みな話術でお客さんを盛り上げておられました。

【羽前成田駅】
羽前成田駅
【羽前成田駅-あやめ公園駅間】
羽前成田駅-あやめ公園駅間

 その後、蚕桑駅で乗客を1人加えた列車は、荒砥駅から約20分かけた12時6分、長井駅に到着。山形鉄道の鉄印はこの長井駅に置いてあるので私はここで下車するのですが、私以外の乗客もすべて、この駅で降りたようでした。

【長井駅に到着した赤湯行き普通列車】
長井駅に到着した赤湯行き普通列車
【長井駅の駅名標】
長井駅の駅名標

【長井駅の仮設待合室と仮駅舎】
長井駅の仮設待合室と仮駅舎
【山形鉄道の鉄印】
山形鉄道の鉄印
【建設中の長井駅駅舎兼長井市庁舎】
建設中の長井駅駅舎兼長井市庁舎

 団体さん御一行はバスで次の目的地へと向かい、他の1人も何処かへと向かう中、私は仮駅舎内に置いてある自動券売機で赤湯までの切符を買ってから、事務所で山形鉄道の鉄印をゲット。で、駅のところで建設中の巨大な鉄筋コンクリート造っぽい建物は長井市の新しい市庁舎で、その中に長井駅が入る由。その建物を後ろに見つつ、昼食をいただくべく駅から続く道を。

【ハイらーめんデス。長井駅前店 長井駅前店 店舗外観】
ハイらーめんデス。長井駅前店 長井駅前店 店舗外観
【いただいた「冷ドン(冷たいラーメン)」(700円)】
いただいた「冷ドン(冷たいラーメン)」(700円) v

 歩くこと5分ほどで、事前に調べておいた「ハイらーめんデス。長井駅前店」に到着。個人的に好きな、ローカルなチェーン店っぽいお店ですが、そこで「冷ドン」という名前の冷たいラーメンを。朝食を福島駅でいただいた時にはまだ二日酔いで体調がひどかったのがようやくだいぶ回復してきたようで、冷たくてちょっとしょっぱ目の醤油味のスープやコシのある麺が美味しく感じられました。

【長井駅のホーム】
長井駅のホーム
【長井駅を発車する荒砥行き普通列車】
長井駅を発車する荒砥行き普通列車

 ラーメンをいただいたあと、次に乗る13時45分発の列車までまだ1時間以上あったのですが、暑いなか街なかを歩き回るのもしんどかったので再び長井駅へ。仮駅舎の隣の仮設待合室は冷房が入っていたものの、先客に一瞥されたのと設置されたTVで流れていたワイドショーは見たくなかったので、渋い木製の上屋がかかったホームに置かれた椅子で待つことにします。個人的に、縁の薄い駅のホームでなんとなく時間を潰すことは、決して嫌いじゃないんですよね。それで途中、折り返して次に乗る列車となる荒砥行きの普通列車を見送ったり。

【長井駅に入ってくる赤湯行き普通列車】
長井駅に入ってくる赤湯行き普通列車

 やがて先程見送った列車が赤湯行きとなって入線。実はその前にも、ここ荒砥駅で交換した車両でした。で、その車両の形式はYR-880型ですが、車体の塗装にダリヤがあしらわれた(沿線の川西町に日本有数のダリヤ園があるためそれにちなんだ塗装との由。)YR-888で、平成2年(1990年)に増備された車両です。で、私を含めた3人の乗客がここから乗車。車内は先程乗ったYR-883とは違って、この増備された車両はロングシートのみで、トイレも付いていません。

【西大塚駅進入】
西大塚駅進入
【西大塚駅-梨郷駅間】
西大塚駅-梨郷駅間
【梨郷駅-おりはた駅間】
梨郷駅-おりはた駅間

 最初はロングシートに腰を下ろしたものの、先客が4人、うち1人は南長井駅で降りて乗客は6名と車内が空いているのを良いことに、車両の先頭部で前方の景色を眺めることに。ようやく晴れ間が見えるようになり、夏の名残を残す日差しの下で見る前方の景色は、とても良いものですね。中でも、西大塚駅-梨郷駅間の最上川橋梁(正式名称??)は、カーブしたガーダー橋が連続して続く、なかなかに見事なものでした。

【宮内駅進入】
宮内駅進入
【赤湯駅進入】
赤湯駅進入

 一方車内は、宮内駅で2人、南陽市役所駅で1人の乗客を増やし、奥羽本線の線路と並走すれば、ATSの動作音を鳴らせて定刻の14時16分、赤湯駅に到着。基本的に盆地の中の長閑な路線ですが、所々に小味の効いた景色を見ることができて楽しかったです。


 以上、まだ旅の半分くらいなのですが、長くなってまいりましたので、今回はこのあたりで。(つづく)

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