たひお備忘録

趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

上毛電気鉄道乗車記 【令和2年6月19日】

中央前橋駅で並ぶ2本の列車

 前の記事でもちょっとだけ書いたとおり、外出自粛要請が全面的に解除になったこの日たまたま、相方共々お隣の群馬県に行く用事ができたのですが、その途中に私だけ、かねてより一度乗ってみたかった、上毛電気鉄道上毛線に乗ることができました。


上毛電気鉄道上毛線について

 それで今回乗る上毛電気鉄道及び上毛線について少々。

 上毛電気鉄道は東武鉄道の連結子会社(って、この記事を書く時に知りました)で、同じ群馬県内の私鉄である上信電鉄も大株主になっている(これも以下略)鉄道事業者。上毛線は、上毛電気鉄道唯一の鉄道路線で、中央前橋駅を起点に終点の西桐生駅までの間25.4kmを結び、起点終点駅を含む駅数は23駅、全線単線となっています。

 その歴史ですが、学生時代に授業で習ったとおり、明治から大正時代にかけて、生糸は日本の主要輸出品(外貨獲得手段)となっていました。で、その原料である蚕繭の産地であった赤城山南麓部は、地図を見ると判るのですが、先に開通した両毛線が、桐生と前橋の間で伊勢崎を経由するため路線を南下させたお陰で、鉄道交通に恵まれない地域になっていました。

 それを解消すべく地元有志によって大正8年(1919年)、前橋と桐生を結ぶ電気鉄道路線として東毛電気軌道を計画。またその翌年の大正9年(1920年)頃、群馬電力によって前橋と桐生の間のみならず、群馬県南部から埼玉県北部まで含む都市間連絡鉄道である上毛電気鉄道を計画。ですが色々あって最終的にこの両者は合同されて上毛電気鉄道となり、大正13年(1924年)に前橋市と桐生市を結ぶ路線と、その途中の大胡町から伊勢崎市を経て埼玉県本庄町とを結ぶT字形の鉄道路線の免許を取得。大正15年(1926年)に会社が設立されました。

 そして昭和3年(1928年)11月、中央前橋駅と西桐生駅を結ぶ上毛線が開業。両駅とも国鉄駅とは接続せず、繁華街に近いところに駅を設け、当時は非電化路線だった両毛線に対して、電車運転によるスピードと両毛線の倍の運転頻度という優位性があったため、前橋と桐生を直通する旅客を奪うことに成功したそうで。更に昭和7年(1932年)、東武鉄道桐生線が開業したことにより新大間々駅(現在の赤城駅)で接続。東武鉄道の太田駅と中央前橋駅の間に直通列車が設けられました。(昭和10年(1935年)まで運転。)ただ、大胡から本庄へと至る路線については、群馬埼玉県鏡の利根川を渡る坂東大橋が鉄道道路併用橋として建設されたものの、昭和5~6年(1930~1931年)にかけて発生した、後に「昭和大恐慌」と呼ばれる経済危機のあおりを受け路線自体の建設は中止となり、昭和9年(1934年)に鉄道免許も失効してしまいました。

 その後は戦後に至るまで、地域の主要な交通期間として利用され、また一時は東武鉄道の浅草駅から中央前橋駅夜行や昼行の急行列車が運転されたこともあったのですが、群馬県は昭和44年(1969年)から都道府県別の自動車運転免許保有率全国1位を続けているように、昭和中期(1960年代以降)のモータリゼーションの影響をモロに受けて昭和40年(1965年)を頂点に乗客数が減少に転じ、更には昭和43年(1968年)には国鉄両毛線の全線電化完成、加えて近年は主な利用客である高校生も少子化の進行によって減少するなど経営環境が悪化。そんな中、人員の削減や、平成7年(1995年)にバス事業を廃止、平成11年(1999年)からは全線でワンマン運転を行うなど経営合理化を進めてきました。また平成10年(1998年)度からは、沿線自治体、群馬県で組織する上毛線再生協議会を設置。赤字補填など積極的な公的支援の他、パークアンドライド用駐車場や駅前広場の整備などの利用促進策を講ずるなど、官民一体となって運行を続けています。

実際に乗ってみる

【中央前橋駅の駅舎】
中央前橋駅の駅舎

 そんな上毛電気鉄道上毛線に乗るべく、(令和2年)6月19日の金曜日の14時20分過ぎに、相方のクルマを運転して前橋中央駅まで。梅雨真っ最中なのでこの日の朝から雨が降ったり止んだりする中をここまで来たのですが、丁度雨が小止みになったのは良かったです。それでこの中央前橋駅、使用開始は平成12年(2000年)12月と、既にそれから20年近く経っており、建設当時のモダンな建物という感じで。

【中央前橋駅改札口付近】
中央前橋駅改札口付近

 それは駅舎内に入っても同様。自動券売機など必要最小限のものが機能的にレイアウトされていますが、所々に20年の歳月が見え隠れ。で、その券売機で乗車券を購入して入場。(ちなみに交通系ICカードは使えません。)その際、久しぶりに切符にハサミを入れてもらいました。

【中央前橋駅のホーム】
中央前橋駅のホーム 

 しかし3面3線(うち両端の2面は不使用で立入禁止)の頭端式ホームに入ると一変。レトロと言ったら申し訳ないかもしれないのですが、個人的にとても懐かしい昭和を感じる私鉄ターミナルの雰囲気が良いですね。また、駅のすぐ脇には広瀬川が流れているのも良い感じ。ただ先程、駅に着いた時はこの広瀬川の存在を全く感じなかったのですが、なんと、駅前広場のところは暗渠になっていたという。

【中央前橋駅に停車中の西桐生行き普通列車】
中央前橋駅に停車中の西桐生行き普通列車

 その雰囲気のある既にホームに停車していたのが、これから乗る14時45分発の西桐生行き普通列車。ちなみに上毛線の定期列車は概ね30分間隔で運行され、そのほとんどが中央前橋駅-西桐生駅の運転(2往復のみ中央前橋駅-大胡駅間)で、その全てが普通列車となっています。

【700型電車(クハ726)の車内】
700型電車(クハ726)の車内

 そしてその定期列車に使用される電車は全て、京王電鉄3000系を改造した700型という形式の、1M1T(主電動機(モーター)付の電動車が1両、主電動機を持たない付随車が1両)の2両編成。ちなみに、元の京王電鉄3000系は3M2Tの5両編成で、そのうちの中間の電動車2両を種車に(うち1両を電装解除して付随車に)して新造した運転台を取り付けたものと、編成両端の運転台付の付随車2両を種車に(うち1両を主電動機等を取り付けて電装化)したものとの2種類があります。で、ホームに停車していたデハ716+クハ726は、中間電動車を改造したもので、その元となった車両は昭和46年(1971年)に製造され、平成11年(1999年)に上毛電気鉄道にやってきました。また、元の京王電鉄3000系の前面上部は7色のカラーバリエーションがあったことで知られているのですが、この700型も導入当初は薄青緑色に統一されていたものの、現在は全8編成が全て別の色に塗られており、この編成は薄紫にも見える淡青色に。その色からか「紫陽花」のヘッドマークが付けられ、車内には紫陽花の造花があしらわれていました。

【前橋中央駅のホームで並ぶ列車】
前橋中央駅のホームで並ぶ列車

 14時38分に、折返し15時15分発となる列車が到着。暫しの間、2本の列車がホームに並びます。それでこちらの列車は、運転手さん乗り込むと、コンプレッサーのスイッチを投入、女性の声による自動案内音声が流れ、14時45分の定刻、私以外数名の乗客を乗せて中央前橋駅を後に。ちなみに最近、ロングシート車の場合、運転席直後に立って前方の景色を眺めることが多いのですが、この車両は最前部の車体中央付近にワンマン運転のための運賃箱と、最前部のドアのところから運賃箱まで仕切りのプラスチックチェーンが張られているので、走行中はドア付近に立って前を眺めることに。

【中央前橋駅-城東駅間】
中央前橋駅-城東駅間
【城東駅-三俣駅間】
城東駅-三俣駅間

 中央前橋駅を出た列車は、左にカーブしつつ広瀬川と別れ、右に切り替えしたところで最初の停車駅である城東駅に到着。前橋にはかつて関東七名城の一つと謳われた厩橋城(前橋城)があり、その本丸跡からここまで直線距離で約1.8kmほど離れています。ここで数名の乗客を載せて発車。先程来、列車は前橋市の市街地を進んでいますが、線路の周囲には戸建の住宅が多く、そこにアパートが混ざる印象。そして城東駅から程なくして交換可能駅である三俣駅に停車。で、ここでも数名の乗客を載せて発車。相変わらず住宅街を進みますが、その密度感が減ってきた印象となり、片貝駅へと。先程までだいぶ弱まっていた雨が、ここに来て普通の降り方になってきました。

【片貝駅-上泉駅間】
片貝駅-上泉駅間

 片貝駅では数名の乗車の他、中央前橋駅を出てから初めての降車客が。その片貝駅を出ると、線路の周りには田んぼが広がり、ここから先しばらくは、宅地と農地の入り混じった景色が続くことに。駅間距離も、片貝駅までは1kmもなかったのがここからは多少延びるのですが、それでも2kmを超えるのは稀というのが私鉄っぽく感じます。そして次の上泉駅は交換可能駅で、上毛電気鉄道のウェブサイトによれば、昭和40年(1965年)まで駅に隣接して上毛電気鉄道地直営の竹の花プールという集客施設があったとのことですが、国土地理院のウェブサイトで昭和30年台後半の航空写真を見てみると、駅から約300mほど東北東の、プールの水源だったとという桃ノ木川の畔にそれっぽい施設があるのが確認できました。余談ですがこの頃は、この辺り一面の田んぼだったんですね。そしてその後の圃場整備で、その施設は跡形なく消えてしまったようですが。

【赤坂駅進入】
赤坂駅進入
【心臓血管センター駅で交換した中央前橋行き普通列車】
心臓血管センター駅で交換した中央前橋行き普通列車

 上泉駅を出た列車は、先述の桃ノ木川を渡って左にカーブして赤坂駅に停車。高校生が自転車ごと乗ってきましたが、上毛線では15年以上前から平日朝のラッシュ時を除いてサイクルトレインを実施中とのこと。そして赤坂駅を出て、左手には住宅、右手に大きな墓地などを見つつ進み、とても立派な上武国道をくぐると、元々は昭和40年(1965年)に前橋病院前信号所として開設された心臓血管センター駅。上毛電気鉄道のバス事業廃止に伴い、当時の群馬県立循環器病センター(病院)への路線も廃止されるため、平成6年(1994年)に駅に昇格となり、平成13年(2001年)に病院の改名に合わせて現在の駅に変更されました。で、この心臓血管センター駅で、中央前橋駅を出てからはじめての列車交換。相手は、前面上部が青色に塗られたデハ712+クハ722でした。

【心臓血管センター駅-江木駅間】
心臓血管センター駅-江木駅間
【大胡駅進入】
大胡駅進入

 心臓血管センター駅を出ると、左手に市営住宅の高い建物を見つつも駅間距離が0.6kmなのであっという間に江木駅に到着。ここは上毛線の利用促進策としてパークアンドライド用駐車場やロータリーが整備されたそうで。で、その江木駅を出ると、列車は平成の大合併まで前橋市と大胡町の境界だったところを超えて定刻の15時3分、大胡駅へと到着。ここでこの列車を降りることに。

【大胡駅に停車中の西桐生行き普通列車】
大胡駅に停車中の西桐生行き普通列車
【大胡駅を発車する西桐生行き普通列車】
大胡駅を発車する西桐生行き普通列車

【大胡駅の駅舎】
大胡駅の駅舎

 大胡駅で降りたのは、国の登録有形文化財に指定されている、大胡駅の駅舎や構内の電車庫、隣接する変電所を見るため。それでまずは構内踏切を渡って向かう駅舎ですが、昭和3年(1928年)の開業当時のもので、コンパクトながらも、個人的にはとても懐かしい昔の駅の雰囲気が味わえます。私が子供の頃は、こういう駅が色んな所にあったんですよね。

【大胡駅構内の電車区あたり】
大胡駅構内の電車区あたり
【大胡駅の電車庫】
大胡駅の電車庫

 次に雨が降る中、線路沿いの道を中央前橋方向歩いて電車庫を。これも改造はされつつも開業当時のものが今でも使われています。それで訪問当時は外から眺めるだけでしたが、現在は(令和2年7月1日から)完全予約制で見学が可能になっているそうで。ちなみにこの時、駅構内には前面上部が薄青緑色のデハ711+クハ721、全面上部が薄緑色のデハ717+クハ727が留め置かれ、車庫の中には全面上部が桃色のデハ715+クハ725と、イベント列車(10万円で貸し切り列車にすることができるそうで。)や保線工事の際の貨車牽引に使われるデハ100型(デハ101)が入っていました。ちなみにこの日、大胡駅のホームにある待合室が、ペンキ塗りたてになっていたのですが、このデハ101を模した塗装にしたようですね。

【大胡駅の変電所】
大胡駅の変電所

 最後は、駅まで戻ったあと、最近整備された駅前広場を見つつ西桐生寄りの踏切を渡り、今度は駅構内の古い建物を眺めつつ少しだけ歩いて変電所に。ここの建物と鉄塔も開業当時のものですが、建物はともかくとして、鉄塔も耐用年数が長いんですね。

【大胡駅に停車中の中央前橋行き普通列車】
大胡駅に停車中の中央前橋行き普通列車

 で、これらをカメラに収めたあと、また踏切を渡って大胡駅まで。丁度反対方向の列車が来たところで、前面上部が黄色のデハ714+クハ725でした。

【ホームから撮った変電所】
ホームから撮った変電所
【留め置かれているデハ717+クハ727】
留め置かれているデハ717+クハ727
【ホームから撮った電車庫】
ホームから望遠で撮った電車庫
【デハ100型(デハ101)の模型】
デハ100型(デハ101)の模型

 最後は、ホームから改めて変電所やら電車庫やらの写真の他、構内に止まっていたデハ717+クハ727や、構内に展示?してあるデハ100型(デハ101)の模型の写真を。

【大胡駅に入ってくる西桐生行き普通列車】
大胡駅に入ってくる西桐生行き普通列車

 そうこうしているうちに、次に乗る列車の時刻となり、15時33分の西桐生行き普通列車で上毛線の旅を再開。入ってきたのは先程中央前橋駅でも見かけた、前面上部がオレンジ色のデハ718+クハ728の編成で、元々は京王電鉄3000系の編成両端の運転台付の付随車2両を種車に(うち1両を主電動機等を取り付けて電装化)改造したもので、その元となった車両は昭和47年(1972年)に製造され、平成12年(2000年)に上毛電気鉄道にやってきました。で、その車内は先程の列車よりも乗客が多かったのですが、席は十分空いていたので、まずは適当なロングシートに座って一休み。このご時世のお陰でマスクが必須の世の中ですが、マスクを付けたままだと、ちょっと動くだけですぐ息苦しくなり、かつ蒸れて相当つらい状態になっていたので。

【樋越駅-北原駅間】
樋越駅-北原駅間
【粕川駅停車中】
粕川駅停車中

 それで大胡駅を発車した列車は、程なくして荒砥川を渡るのですが、そこにかかる荒砥川橋梁は、先程の大胡駅などと同様、国の登録有形文化財に指定されています。そんな中ロングシートに座って暫くの間、相変わらず農地と宅地のモザイクとなっている外の景色や、数は少ないながら老若男女という感じの乗客の様子を見るとはなしに見つつ、床下から聞こえる主電動機の唸りを聴くことに。列車は駅ごとにパラパラと乗客を降ろしつつ、樋越駅、北原駅、そして平成の大合併前は粕川村だったところに入り、新屋駅、粕川を渡って粕川駅と停車していくのですが、粕川を渡る粕川橋梁も、国の登録有形文化財に指定されています。またこの粕川駅で、前面上部が赤色のデハ713+クハ723と交換したのですが、これで上毛電気鉄道を走る全ての電車を見たことになります。

【新里駅停車中】
新里駅停車中

 粕川駅を出て次の膳駅までが、現在の前橋市域。そして次の新里駅からは現在の桐生市域に入るものの、平成の大合併までは新里村だったところです。で、この新里駅は交換可能駅となっていて、更に側線には、保線作業に使われている上毛電気鉄道唯一の(車籍を有する)貨車、ホキ1形貨車が停まっていました。そして新里駅を出た列車は、結構立派な赤城神社の脇を過ぎ、旧新里村内を走行。ここまで来ても、景色は先程とあまり変わらるところがなく、新川駅、東新川駅と停車。このあたり、乗客の乗り降りはあまりなくなったような。

【東新川駅進入】
東新川駅進入
【赤城駅進入】
赤城駅進入
【赤城駅停車中】
赤城駅停車中

 このあたりで息も整ったので、再び最前部のドア付近に立って前方を眺めることに。で、東新川駅を出た列車は桐生市からみどり市にへと入り、上毛線唯一の他社接続駅である赤城駅に到着。ここでこれまでよりも多くの乗客が下車します。また東武鉄道のホームには、浅草行きの特急りょうもう34号が停車中。更にここで、先に乗った西桐生行きが折り返した列車と交換するのですが、先程別れた友人とその直後に別の場所で偶然再会したような、妙な感覚がありました。

【赤城駅発車直後】
赤城駅発車直後
【桐生球場前駅進入】
桐生球場前駅進入

 赤城駅を、りょうもう号の後を追うように発車した列車は、そのりょうもう号に追いすがるようにというか、東武鉄道桐生線と並行しつつ上毛線で最も長い駅間距離、といっても2.2kmですが、を走って桐生球場前駅に到着。赤城駅を出て以来、線路の両側から農地が消え、戸建の住宅が目立つようになりました。で、この桐生球場前駅は平成18年(2006年)に出来た上毛線でもっとも新しい駅。また駅名のとおり、ここから再び桐生市に入りました。

【桐生球場前駅-天王宿駅間】
桐生球場前駅-天王宿駅間

 乗客を少し増やして桐生球場前駅を発車すると、左にカーブして東武桐生線と別れ、わたらせ渓谷鐵道を築堤で跨いでから住宅地の中を走って、交換可能駅である天王宿駅に停車。ここでも乗客を少し増やすとまた住宅地の中を走って富士山下(ふじやました)駅に到着。「富士山(ふじやま・ふじさん)」と付く地名はかつての富士山信仰の名残か各地に結構あり、この富士山下駅の北側にも、標高160mの「富士山(ふじやま)」があって、しかもその八合目には浅間神社まであるそう。また、外国の方が富士山(ふじさん)の最寄り駅と間違えて来てしまうことがあるとのことですが、本当なんですかね。

【富士山下駅-丸山下駅間】
富士山下駅-丸山下駅間
【渡良瀬川】
渡良瀬川
【丸山下駅-西桐生駅間】
丸山下駅-西桐生駅間
【西桐生駅進入】
西桐生駅進入

 富士山下駅で出た列車はすぐに渡良瀬川を渡るのですが、この川に架かる渡良瀬橋梁も、国の登録有形文化財に指定済。そして渡良瀬川を渡った列車は丸山下駅に停車。ここも先程の富士山下駅同様、標高174mの丸山が駅の南側にあるという理由で命名されたそう。丸山下駅を出ると、桐生の古い市街地へと入っていくような感覚があり、わりと唐突な感じで終点の西桐生駅に到着。大胡駅から約34分、時刻は定刻の16時7分でした。

【西桐生駅の駅名標】
西桐生駅の駅名標
【西桐生駅のホームと上屋】
西桐生駅のホームと上屋
【西桐生駅の駅舎】
西桐生駅の駅舎

 大胡駅の駅舎、そしてホームの上屋も、昭和3年の開業当時のもので、これまた国の登録有形文化財に指定されています。なのでまずはホームで、降りた乗客の最後にまわってホームの写真を撮影。そして改札口から駅舎に出たところ、生憎なことに駅構内は、高校生でいっぱい。駅舎はゆっくりと見つつ写真など撮りたいところなのですが、下手に写真を撮って事案を発生させてもアレなので、速やかに駅から出て外から駅舎の写真を撮っただけで、先程到着の連絡のあった相方の車に乗り込んで駅を後にしました。


 というわけで、上毛電気鉄道の乗車記だったのですが、雨の中、片道乗っただけでは正直勿体無いというか、今度は西桐生駅の駅舎もゆっくり見てみたいですし、大胡駅の電車庫も見学させてもらいたいですし、そして天気の良い時に3つの文化財となっている橋を渡る列車を眺めてみたくもあるというか。なのでまたいつか、この地を訪れたいと思います。それまで、元気に走り続けてほしいなぁ。

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