たひお備忘録

趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

京浜急行電鉄乗車記 【令和2年3月22日】 前編(空港線・大師線)

小島新田駅に停車中の京急川崎行き普通列車

 3月下旬の3連休最終日。新型コロナウイルス(COVID-19)による感染症によって、世間が騒がしくなっている昨今なのですが、この日は、どうしても日延べできない用事があったため上京。で、その用事だけのためだけに行けば良かったものの、せっかく上京するのだからと、ついでに、一度「ちゃんと」乗りたいと思っていた京浜急行電鉄(と、ついでに横浜シーサイドライン)に乗ってしまうことに。


乗る前~京急とオレ

 京浜急行電鉄。しばしばネタにされる程に親しまれている、関東が誇る大手私鉄で、そのルーツは明治31年(1898年)に川崎と川崎大師を結ぶために設立された大師電気鉄道。

 先日、阪神電気鉄道などに乗った時の記事でも書いたのですが、明治時代から大正時代にかけて、鉄道設立の根拠として当時の「私設鉄道法」ではなく、元々は馬車鉄道のために作られ、いわゆる路面電車に向けた条例であった「軌道条例」(後の「軌道法」)を用いる事業者も多かったのですが、大師電気鉄道もその一つで、明治32年(1899年)1月、川崎駅(後の六郷橋駅で現在は廃止)と大師駅(現在の川崎大師駅)の間2.0kmが開業。日本で3番め、関東では初の「電気鉄道」でした。

 それ以来、京浜間(東京と横浜の間)の路線建設を目指し社名を「京浜電気鉄道」改名したり、軌間(2本のレールの間隔)を1435mmから1372mmにしたものの再び1435mmに戻してみたり(「軌間」は鉄道の根幹に関わるものなので、簡単に変更できないんですが。)するなど当時からかなり攻めていたのですが、関東の大手私鉄ではだいたいがその影響を受けた「陸上交通事業調整法」によっていわゆる「大東急」の一部になったあと、太平洋戦争後の昭和23年(1948年)、京浜急行電鉄が設立され、大東急から独立という経緯をたどりました。

 で、その京急との個人的な関わりについては、昭和58年(1978年)の夏、大井競馬場で数日間に渡って開催されたとあるイベントに強制的に連れて行かれた際、滞在先から大井競馬場に通うため、品川駅から立会川駅まで連日乗ったのが始まり。京急は、その時の数少ない楽しい思い出だったりします。その後だいぶ経ち、私がお兄さんと呼ばれるのは憚られるようになった頃、知り合いの子供を連れて東京と横浜に行った際、品川から途中、八景島シーパラダイスに寄りつつ横浜まで行ったことや、オッサンになった後、川崎競馬場への行き帰りや羽田空港への行き帰りに利用と、首都圏の私鉄の中では利用していたほうなんですが、いわゆる「乗り鉄」では乗ったことがなく、ならばいっそ改めて全部乗ってしまおうかと。(そしてついでに、こちも八景島シーパラダイスに行く時にちょっとだけ乗ったことがある横浜シーサイドライナーも改めて全部乗ってしまおうかと。)

 もっとも、それを決断したのが出発前日遅くというか、実はこの新型コロナウイルスの関係で、「こんな時期、余計なことはしないほうが」と内心の天使サイドと、「この先どうなるのかわからねぇんだから、乗れる時に乗っちまえよ」という悪魔サイドとの葛藤があって、ギリギリまで悩みました。もっとも、この記事を介している時点で悪魔サイドが勝ってしまったのですが、この時は、1月末から続いてきた(仕事にも影響出ている)このコロナ騒動に正直疲れてきていたので気晴らしが欲しかった、というのが正直なところだったんです。

実際に乗ってみる

【某駅に入ってくる上野東京ライン小田原行き普通列車】
某駅に入ってくる上野東京ライン小田原行き普通列車
【新橋駅でいただいた朝食】
新橋駅でいただいた朝食

 今回、行くのが決まったのが前日遅くで、調べる時間があまりなかったのと、どの路線も比較的本数の多い京急に乗ることもあって、ギッチギチに乗り継ぎは決めず、何となくの予定しか立てないまま、とりあえずという感じで自宅最寄り駅からJR東北本線(宇都宮線)上りの1番列車に乗車。蒲須坂駅-黒磯駅間の上り始発となるこの列車は、小金井駅までグリーン車が連結されないので、今日は最初から下車する新橋駅まで、後ろから2両目の固定クロスシートで過ごしました。そして、新橋駅構内で朝食を摂った後、都営地下鉄浅草線に乗って泉岳寺駅まで。

空港線

【泉岳寺駅の駅名標】
泉岳寺駅の駅名標

 今回の京急(と横浜シーサイドライン)の旅は、泉岳寺駅からスタート。駅名標は京急式ではなく、都営地下鉄式なんですね。

【泉岳寺駅に入ってくる羽田空港第1・第2ターミナル行きエアポート快速】
泉岳寺駅に入ってくる羽田空港第1・第2ターミナル行きエアポート快速

 今日京急で最初に乗るのは、泉岳寺駅9時10分発の羽田空港第1・第2ターミナル行きエアポート快速。この列車で空港線まで一気に乗ってしまおうと。前述のとおり空港線には、羽田空港への行き帰りで乗ったことがある路線なのですが

 それで入ってきたのは、1000形という形式の8両編成。個人的に京急1000形と言えば、かつて356両と京急で最も多い両数だった初代1000形を未だに連想してしまうのですが、現在活躍する2代目は、都営地下鉄浅草線乗り入れ規格に基づいた全長約18m、片側3扉の車体に、車内はロングシート(一部の車両は車端部のみ固定クロスシート)で、VVVFインバータ制御の主電動機を備えて平成14年(2002年)度に1次車の導入が開始されて以来、ほぼ毎年度増備が続けられ、昨年(令和元年)度製造された19次車まで、4両編成、6両編成、8両編成が合計でなんと472両(一応数えたんだけど間違っていたら申し訳ない)も導入されています。

 で、これだけの長きに渡って製造されているため製造年次によって車体が当初のアルミ製から6次車以降はステンレス製に変わったりするなどの(また他にも細かい)違いがあり、この編成は、今回乗車した先頭車の車両番号1121(デハ1000形M2uc)から、平成22年(2010年)度に製造された10次車。で、中でも8両編成は、同年の京成電鉄・成田スカイアクセス線開業準備用として製造されたグループのようで。

 車内はかなり空いていて、8人掛けのロングシートに座っているのは数人ほど。ただ、運転席のある乗務員室直後の特等席(立席)は先客がいたので、おとなしくロングシートに着席。列車は2分停車ののち泉岳寺駅を発車すると、ちょっとだけ第一京浜の下を走ってから地上に出たところで品川駅に到着しました。

 品川駅では少々乗客を増やし、8人掛けのロングシートに5,6人位座っている状態に。またドア付近には、で立つ人も少し出ました。で、品川駅から先は、何度か乗ったので多少見覚えのある景色の中を。そんな中、かつて何度か降りた大井競馬場最寄りの立会川駅、平和島駅と、1~3分ごとに停車しますが、その間に駅を1つ2つ通過しています。で、平和島駅で特等席が空いたので、いそいそと移動。

【梅屋敷駅進入】
梅屋敷駅進入
【梅屋敷駅-京急蒲田駅間】
梅屋敷駅-京急蒲田駅間

 梅屋敷駅を通過した列車は、ホームが2階と3階にある京急蒲田駅の3階に向け高度を上げ、1面2線のホームへと到着。それでここから分岐する空港線についてですが、京急蒲田駅を起点に、終点の羽田空港第1・第2ターミナル駅の間6.5kmを結ぶ路線で、起点終点駅を含む駅数は7駅。全線複線化されています。

 その歴史はかなり古く、明治35年(1902)に蒲田駅(現在の京急蒲田駅)-穴守駅(現在の穴守稲荷駅)の間を京浜電鉄の穴守線として開業。当時は軌道条例に基づく軌道路線でした。で、明治43年(1910年)には複線化され、その後の大正2年(1913年)、穴守駅が東に800m移転したこと伴い路線もその分延伸。それで開業当時は、穴守稲荷神社への参拝客輸送がその目的でしたが、京浜電鉄が穴守駅周辺の観光開発に力を入れたお陰でその観光客輸送という目的が加わり、更には昭和6年(1931年)の羽田飛行場(東京飛行場)開業によって、飛行場利用客の輸送も行うようになったそうで。(もっとも、当時は航空運賃が非常に高価だったため、乗れる人は限られているようでしたが。)

 そして戦前の大東急時代だった昭和18年(1943年)、軌道法に基づく軌道路線から地方鉄道法に基づく地方鉄道路線に変更を経て、昭和20年(1945年)の太平洋戦争終結を期に、米軍が接収した羽田飛行場絡みで稲荷橋駅-穴守駅が営業休止に。また蒲田駅-稲荷橋駅も上り線がアメリカ軍に接収されたため単線化され、上り線のあったところには、国鉄蒲田駅から羽田飛行場内へと至る貨物線が敷設されました。その後、昭和23年(1948年)の京急発足に伴い継承された穴守線ですが、昭和27年(1952年)に羽田飛行場が米軍からの(一部)返還に伴い上り線も返還され、複線運転が復活。更に、昭和31年(1956年)、稲荷橋駅から改名した穴守稲荷駅から先の休止区間に羽田空港駅が設けられ、昭和38年(1963年)には路線の名称も空港線となりました。

 しかし、羽田空港駅と空港の旅客ターミナルが相当離れていたため空港アクセス路線とは言い難い状況で、更に、昭和39年(1964年)の東京オリンピックを前に、当時の運輸省から空港乗り入れの打診があったものの、本線の輸送力増強を理由に断ったとのこと。この羽田空港乗り入れについては、昭和47年(1972年)から再度検討がなされたそうなのですが、京急側の打診に対して運輸省や東京都が門前払いを続けているような状態が続いたのですが、羽田空港拡張に伴う沖合展開事業によって状況が変わり、新たに建設されるターミナルビルに京急も乗り入れることに。それに伴い、平成3年より穴守稲荷駅-羽田空港駅間が営業休止となり、平成5年(1993年)に穴守稲荷駅-羽田駅(現在の天空橋駅)間が暫定開業。そして平成10年(1998年)に羽田空港駅(現在の羽田空港第1・第2ターミナル駅)が開業して全通。その後、一部区間の高架化や国際線ターミナル開業に伴う新駅の設置が行われました。

 なお現在空港線を走る列車は、成田空港駅とを結ぶ(成田スカイアクセス線経由)エアポート快特、都営浅草線経由で京成電鉄に乗り入れる快特といった線内に通過駅のある列車と、久里浜駅とを結ぶ特急、逗子・葉山駅とを結ぶエアポート急行、そして普通列車という線内が各駅停車となる列車合わせて最小5分間隔で高頻度に運転されています。

 と、思った以上に説明で紙幅を使ってしまったのですが、個人的には子供の頃、首都圏の私鉄が載ったムック本で見た、羽田空港に乗り入れていない、旧型の車両が走る頃の空港線が印象に残っていて、逆に近年(と言っても、もう空港乗り入れから20年以上経ってるんですね。)の、ちゃんとした空港アクセス路線になっている空港線については、過去2度程乗ったにもかかわらず、未だに狐につままれているんじゃないかと思えるほどだったり。

【京急蒲田駅発車直後】
京急蒲田駅発車直後
【京急蒲田駅-糀谷駅間】
京急蒲田駅-糀谷駅間
【京急蒲田駅-糀谷駅間(シーサースクロッシング)】
京急蒲田駅-糀谷駅間(シーサースクロッシング)
【糀谷駅進入】
糀谷駅進入

 30秒の停車時間で慌ただしく京急蒲田駅の3階を発車した列車は、まだホームの途中という位置のポイントで分岐して左に急カーブ。その直後、高度を下げて2階からの線路と合流するのですが、この時点では通常と逆の右側通行になっており、糀谷駅手前に設けられたダブルクロッシング(正式には「シーサースクロッシング」と言うらしいです)で転線して左側通行に。このダブルクロッシングと転線はさして珍しくもないとは思うのですが、空港線に初めて乗った時に何故か驚いた記憶があったりして。

【糀谷駅-大鳥居駅間(高架区間終わり)】
糀谷駅-大鳥居駅間(高架区間終わり)
【糀谷駅-大鳥居駅間(地下区間入り口)】
糀谷駅-大鳥居駅間(地下区間入り口)
【大鳥居駅-穴守稲荷駅間】
大鳥居駅-穴守稲荷駅間

 糀谷駅を発車した列車は、高層マンションやアパート、ビルに事業所など雑然とした風景の中、高架線から一度地上に。そんなに長くない地上区間でも、踏切が複数あるんですね。そしてその後、地下に潜って大鳥居駅に停車。発車後は再び雑然とした地上に出て、穴守稲荷駅へと。

【穴守稲荷駅発車直後】
穴守稲荷駅発車直後
【羽田空港第1・第2ターミナル駅進入】
羽田空港第1・第2ターミナル駅進入
【羽田空港第1・第2ターミナル駅停車直前】
羽田空港第1・第2ターミナル駅停車直前

 穴守稲荷駅を発車すると、すぐに列車は地下に。ここから終点までは地下区間が続きます。で、地下区間最初の駅である天空橋駅は、東京モノレールとの接続駅。そして次羽田空港第3ターミナル駅は、平成22年(2010)年の羽田空港国際線ターミナルビル開業に合わせ、羽田空港国際線ターミナル駅として開業したものが、今年3月14日に現在の駅名に変更されたもの。個人的に、初めての海外一人旅の際、初めて空港線に乗った時に利用した思い出だったりして。そして次が終点の、ここも今年の3月14日に改名された羽田空港第1・第2ターミナル駅。到着は9時35分の定刻でした。そんなわけで、京急蒲田駅からわずか11分で終点まで到着したのですが、短い高架・地上区間と長い地下区間という、改めて乗ると変化に飛んだなかなかに面白い路線でしたね。

【羽田空港第1・第2ターミナル駅改札口付近】
羽田空港第1・第2ターミナル駅改札口付近
【羽田空港第1・第2ターミナル駅の駅名標】
羽田空港第1・第2ターミナル駅の駅名標
【羽田空港第1・第2ターミナル駅に停車中の逗子・葉山行きエアポート急行】
羽田空港第1・第2ターミナル駅に停車中の逗子・葉山行きエアポート急行

 羽田空港第1・第2ターミナル駅では一度改札口から出て運賃を支払った後、改めて入場して9時43分発の逗子・葉山行きエアポート急行に乗車。京急線内で完結する列車なのですが、停車していたのは都営地下鉄浅草線の5500系という車両でした。

 この5500系。平成30年(2017年)に運用を開始した都営浅草線最新の車両で、都営地下鉄浅草線乗り入れ規格に基づいた全長18m、片側3扉の車体に、車内はロングシート、主電動機はVVVFインバータ制御という車両。車両番号を見たところ、そのトップナンバー編成のようで、後ろから2両目の5501-2(5500-2形)という車両に乗り込んだところ、車内は所々に「和」を感じる意匠が盛り込まれているとの事ですが、それらが結構目立ちますね。

 で、定刻となり羽田空港第1・第2ターミナル駅を発車。ロングシートに1,2人座っていれば良いくらいの乗車率です。そして次の羽田空港第3ターミナル駅、その次の天空橋駅を過ぎても車内はガラガラだったのですが、穴守稲荷駅、大鳥居駅と乗客が増えました。しかし、糀谷駅ではほとんど乗車はなく、京急蒲田駅に到着。次に乗る大師線が分岐する京急川崎駅までこの列車に乗り続けても良かったのですが、今回は京急に乗りに来たというわけで、ここで列車を降り、京急本線の後続列車に乗換えることにしました。

【京急蒲田駅に入ってくる神奈川新町行き普通列車】
京急蒲田駅に入ってくる神奈川新町行き普通列車

 京急蒲田駅からは、10時1分発の神奈川新町行き普通列車に乗り換え。入ってきたのは6両編成の1000形で、前から2両目の1344(デハ1000形M1u)に乗車。車番から、平成26年(2014年)度に製造された14次車のようで。

【六郷土手駅-京急川崎駅間】
六郷土手駅-京急川崎駅間

 それで列車は東京都と神奈川県の境の多摩川を渡って、約4分で京急川崎駅に到着。ここで大師線の列車に乗り換えます。

大師線

【京急川崎駅の駅名標】
京急川崎駅の駅名標

 さて、これから乗る大師線ですが、個人的にはこれまで、川崎競馬場に行く際に港町駅までの1駅間だけ何回か利用したことがあるだけ。路線としては、京急川崎駅を起点に、終点の小島新田駅の間4.5kmを結ぶ路線で、起点終点駅を含む駅数は7駅。全線複線化されています。

 その歴史は京急の歴史、というと言い過ぎですが、京急の創業路線がこの大師線で、先に書いたとおり、大師電気鉄道によって明治32年(1899年)1月、川崎駅(後の六郷橋駅で現在は廃止)-大師駅2.0kmが、軌道法に基づく軌道路線として開業したのが始まり。同年内には全線複線化され、明治35年(1902年)に川崎駅が六郷橋駅に改名すると共に、新たな川崎駅(現在の京急川崎駅)-六郷橋駅間が延長開業しました。しかし、昭和3年(1928年)までに全線で専用軌道化、それと同時に経路変更が行われた結果、六郷橋駅以外の途中駅は軒並み廃止になったそうで。

 その後の昭和17年(1942年)に、大東急に編入。昭和18年(1943年)には全線が軌道法に基づく軌道路線から地方鉄道法に基づく地方鉄道路線に変更しものの、翌昭和19年(1944年)6月に川崎大師駅から延伸開業した産業道路駅(現在の大師橋駅)、同年10月に産業道路駅から延伸開業した入江崎駅、更に翌昭和20年(1945年)1月に入江崎駅から延伸開業した桜本駅までの区間は、その全線が軌道法による軌道路線としての開業でした。

 そして太平洋戦争後の昭和23年(1948年)、京急の発足にあたって大師線は継承されたものの、昭和26年(1951年)に末端の塩浜駅-桜本駅までの期間が休止。後にこの区間は、川崎市電が乗り入れた後、正式に川崎市に譲渡され、川崎市電の一部となりました。(しかし川崎市電は昭和44年(1969年)に廃止。)更に昭和39年(1964年)、塩浜操駅(現在の川崎貨物駅)建設のため、小島新田駅を起点側に300m移転したうえ、小島新田駅-塩浜駅間が休止に。そしてこの休止区間は昭和45年(1970年)に正式に廃止となり、現在の大師線となりました。また川崎大師駅から先の区間は昭和52年(1977年)に軌道路線から地方鉄道路線に変更。そして近年は立体交差化事業が行われ、平成31年(2019年)3月に産業道路駅(現在の大師橋駅)など一部区間が地下化されたのと同時に、東門前駅-小島新田駅間が複線化され全線複線化を達成しました。

 また、現在大師線を走る列車は、全列車線内完結(京急川崎駅-小島新田駅間)の普通列車で、平日はラッシュ時が5分間隔、オフピーク時が10分間隔、土日祝日は終日概ね10~12分間隔の運転となっています。

【京急川崎駅に停車中の小島新田行き普通列車】
京急川崎駅に停車中の小島新田行き普通列車

 高架線上の京急川崎駅本線ホームから階段を降りて、地上にあるはにあるのですが、大師線ホームへ。で、そのホームには既に、赤い車体に細めの白帯という、旧1000形全盛期に京急を知った者としては「これぞ京急」という塗装を纏った4両編成が停車していて、これが乗る予定の10時14分発小島新田行き普通列車。ちなみに大師線は、駅ホームの有効長の関係で、全列車4両編成での運転となっています。

 その車両は、1500形という形式。昭和60年(1985年)から平成5年(1993年)にかけて166両製造された車両で、全長約18mの車体に京急の車両で初めてとなる両開き扉片側3扉は共通ながら、製造時期によって車体が普通鋼製からアルミ製に、走行装置も主電動機の制御方式が界磁チョッパ制御からVVVFインバータ制御へと変更されています。更に、当初は4両編成で登場したものが途中から6両編成、8両編成も登場。更には、経年車を対象とした更新工事も順次行われ、平成21年(2009年)に全編成が完了。また、4両編成と8両編成の界磁チョッパ制御車の一部がうち一部が、6両編成化のうえVVVFインバータ制御に改造されました。

 それで先頭車である1508(デハ1500形M2c)に乗車。車番から、1500形として昭和60年(1985年)に最初期に投入された3編成のうちの1つで、普通鋼製の車体と界磁チョッパ制御の主電動機を持つグループ。で、運転席のある乗務員室直後はロングシートだったのですが、運良くそこが空いていたので、前面展望を楽しみつつ行くことに。

【京急川崎駅発車直後】
京急川崎駅発車直後
【京急川崎駅-港町駅間】
京急川崎駅-港町駅間

 定刻に京急川崎駅を発車した列車は、大師線用の1500形電車が留め置かれている留置線の脇を過ぎ、わりと高いマンションのような建物が目立つ中、左手に多摩川の土手を見つつ第一京浜をくぐり、ゆるいカーブをいくつか通って最初の停車駅である港町駅に到着。

【港町駅-鈴木町駅間】
港町駅-鈴木町駅間
【鈴木町駅-川崎大師駅間】
鈴木町駅-川崎大師駅間

 港町駅を発車すると、これまでと一転して線路は真っ直ぐに。左手は味の素の工場が続き、右手には相変わらず高い建物が見えますが、その高さというか密度が先程よりは低くなっているように感じました。そんな中、直線区間に入ると先に見えていた鈴木町駅に停車。この時点で、次の川崎大師駅が見え、発車するとそれが徐々に近づいてきて到着。駅のホームはカーブの途中にあるような感じで、また駅の前後には、大師線にほぼ並走する国道409号との踏切が2箇所もあるという。で、実はこの国道409号の川崎大師駅付近は、だいぶ前の元日にクルマで走ったことがあり、その時は渋滞で大変だった覚えが。

【川崎大師駅-東門前駅間】
川崎大師駅-東門前駅間
【東門前駅停車】
東門前駅停車
【大師橋駅進入】
大師橋駅進入

 川崎大師駅を発車した列車は右にカーブすると再び直線区間に。車窓から見える景色は、先程までのマンションに加え、小規模な事業所や戸建の住宅も増えてくる中、東門前駅に停車。そこを発車するとすぐに地下に潜って大師橋駅に。このあたり、先程乗った空港線と、間に多摩川を挟んだ直線距離で2kmと離れていない(某地図サイトで計測したら1.7kmくらいだった)のですが、沿線の雰囲気は、何故かわかりませんが、わりと違うように感じます。

【大師橋駅-小島新田駅間】
大師橋駅-小島新田駅間
【新田駅進入】
新田駅進入

 大師橋駅を発車すると列車は再び地上に出て、先程より明らかに低い建物が増える中、終点の小島新田駅に到着。京急川崎駅を出てから約9分、時刻は定刻の10時23分でした。

【小島新田駅の駅名標】
小島新田駅の駅名標
【小島新田駅改札口付近】
小島新田駅改札口付近
【川崎貨物駅構内を走行する神奈川臨海鉄道】
川崎貨物駅構内を走行する神奈川臨海鉄道

 小島新田駅では一度改札口から出て、そこににあった売店で水を購入。すると、ディーゼル機関車の音が聞こえてきたので、音の方へと近づいてみると、神奈川臨海鉄道のDD55形機関車が、ちょうど走ってくるところでした。

【小島新田駅に停車中の京急川崎行き普通列車】
小島新田駅に停車中の京急川崎行き普通列車

 先程乗ってきた列車は3分の停車で折り返してしまったので、その次の10時36分発の列車で戻ることに。それでやって来たのは先程と同じ1500形の4両編成で、その前から2両目の1518(デハ1500形M2)に乗車。帰りはロングシートに腰掛けて、車内越しに反対側の景色見つつ。それで車内の様子も何となく目に入ってくるのですが、小島新田駅発車時点では半分も埋まっていなかったシートが、駅ごとに乗ってきた乗客で埋められていき、川崎大師駅でほぼ満席に。この大師線、日曜日の昼間でも10分間隔で列車が走っているにもかかわらず、それに見合う乗客数はあるようですね。

【三崎口行き快特列車(2129・デハ2100形Ms)の車内】
三崎口行き快特列車(2129・デハ2100形Ms)の車内
【横浜駅を発車するの三崎口行き快特列車】
横浜駅を発車するの三崎口行き快特列車

 京急川崎駅に到着後、2分で接続する10時48分発の三崎口行き快速特急に乗り換え。写真を取る暇もなく入ってきたのは、快特専用となっている2100形というオールクロスシート車。前から5両目の2129(デハ2100形Ms・平成10年(1998年)製造の2次車)に乗り込んだところ、座席は半分以上、しかも窓側の席は全て埋まっている状態。なので空いていた通路側の席に座って約7分間。次の停車駅である横浜駅まで行き、そこで京急全線乗車の度は一時中断とします。


つづく

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