たひお備忘録

趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

阪神電気鉄道・山陽電気鉄道・神戸電鉄など乗車記 【令和2年2月5日~6日】 その3 (神戸電鉄編 Part 1)

新開地駅に停車中の粟生行き普通列車

 前々の記事から続く、姫路競馬場を訪れたついでに阪神電気鉄道、山陽電気鉄道、神戸電鉄の旅客営業路線全線と、神戸高速鉄道、阪急電鉄の神戸本線に乗ってきた時の記録なのですが、今回は、神戸電鉄編ということで、神戸電鉄の全線に乗った時のことと、その前に阪急電鉄神戸線に乗ったり、新開地駅の「高速そば」でいただいた時のことを。


神戸電鉄編 Part 1 (令和2年2月6日(木) ~阪急電鉄神戸本線、神戸電鉄神戸高速線・粟生線・有馬線・都市公園線・三田線)

 この日は、帰る前に、阪急電鉄神戸本線・神戸高速線、そして神戸電鉄の全線に乗り、その途中、神戸高速鉄道の「高速そば」をいただく予定。

阪急電鉄神戸本線・神戸高速線

【大阪メトロなんば駅入口】
大阪メトロなんば駅入口

 今朝も昨日に続いて4時過ぎに起床。眠気はさほどなかったのですが、流石に2日続けての4時起きは身体に堪えた感じも。それで2泊したホテルをチェックアウトし、大阪メトロのなんば駅へと。ここでキャリーバックをコインロッカーに預けて身軽になり、今日の行程へと。

【なんば駅に入ってくる千里中央行き普通列車】
なんば駅に入ってくる千里中央行き普通列車

 まずは、大阪メトロ御堂筋線の一番列車となる、5時11分発千里中央行き普通列車に乗車して梅田駅まで。ド平日の早朝なのですが、さすがは難波とあってか、朝帰りっぽい若者が多数乗り込みました。

【大阪梅田駅の駅名標】
大阪梅田駅の駅名標

 梅田駅に到着後は、阪急電鉄(以下、阪急)の大阪梅田駅へと。ここから新開地行きの普通列車で、阪急神戸本線と神戸高速線を一気に乗ってしまおうかと。それで列車に乗る前に、阪急神戸本線と神戸高速線についてごく簡単に。

 まずは阪急電鉄神戸本線ですが、昨日乗った阪神電気鉄道本線のところでも触れたとおり、大正9年(1920年)、阪神急行電鉄によって十三駅と神戸駅(後に上筒井駅を経て20年後に廃止)の間が開業。阪神間で先んじる鉄道省、阪神電気鉄道に対してスピードの優位性でアピールしました。

 更に大正15年(1926年)には梅田駅(現在の大阪梅田駅)-十三駅間の高架化と同時に専用の複線が設けられ、昭和5年(1930年)には特急列車の運転開始で更にスピードアップ。昭和9年(1934年)には梅田駅-神戸駅間で所要時間を25分まで短縮されました。更に昭和11年(1936年)には神戸駅が現在の神戸三宮駅に移り、距離が延びたにもかかわらず高出力の主電動機を持つ新車投入で所要25分を維持。表定速度(運行距離を所要時間で割ったもの)78.0km/hというのは、当時の国内で2番めに早い列車でした。そして戦後は、復興とともに優等列車の運転を再開。所要時間も徐々に戦前のレベルまで戻すことに。

 一方、(阪急)神戸高速線についてですが、新開地駅を起点に、終点の神戸三宮駅までの間、2.8kmを結ぶ路線。起点終点駅を含む駅数は4駅で、全線電化されています。

 昭和43年(1968年)の神戸高速鉄道開業により神戸高速鉄道を介して阪急と山陽電気鉄道本線との相互乗り入れが開始され、昭和63年の(1988年)の鉄道事業法施行に伴い西代駅と三宮駅(現在の神戸三宮駅)の間は神戸高速鉄道が施設を保有する第三種鉄道事業者、阪急電鉄と山陽電気鉄道が列車の運行を行う第二種鉄道事業者となったのは、昨日乗った阪神の神戸高速線とも共通するところ。

 ですが昨日の阪神と違うのは、阪急神戸本線内の特急列車が相互乗り入れ前の7両編成から、8両編成、更に10両編成と長大化していく一方、山陽電気鉄道本線はホーム有効長の関係で6両編成までしか入線できないという制約が発生。阪急は三宮駅での増解結で対応していたものの、平成10年(1998年)に山陽区間への乗り入れを廃止し、乗り入れ区間は新開地駅までとなりました。そして平成22年(2010年)、西代駅から新開地駅までの区間の、第二種鉄道事業を廃止。これにより阪急の神戸高速線は、新開地駅と三宮駅の間となりました。

【大阪梅田駅に停車中の新開地行き普通列車】
大阪梅田駅に停車中の新開地行き普通列車

 5時40分発の新開地行き普通列車は、既に梅田駅の9号線ホームに停車中。その車両は、厳つめの外観から新しい形式だと思ったのですが、最後尾に掲げられている車両番号は7007。ということは昭和55年(1980年)から昭和63年(1988年)にかけて210両も製造された、阪急で最も数が多い7000系のうち、昭和57年(1982年)に製造され、平成21年に大幅なリニューアル工事を受けた編成じゃないですか。

 その前から2両目となる、7607(M7600形)に乗車。車体長19mの片側3扉のロングシート車という構成はリニューアル前と同一ながら、ロングシートは間仕切り付きのものにに交換され、ドア上部にはLCDディスプレイを新設されるなど、内装もアップデートされています。

 で、半分くらい座席が埋まったところで、阪急名物の神戸本線、宝塚本線、京都本線同時発車。隣には、宝塚行き普通列車が並走します。2つ目の十三駅で結構な乗車があり、ドア付近には立つ人も。昨日の阪神でも思ったのですが、世間は私が思っているよりも早起きなようですね。

 その後列車は、夜明け前の暗闇の中、神戸本線を走行。そんな中、以前園田競馬場に来るために乗り降りした園田駅や、阪神競馬場に向かう時に乗り換えた西宮北口駅にも停車。駅ごとに乗り降りはあれど、乗車率はあまり変わらずという感じで進んでいきます。それにしても、神戸線には何度か乗ったことがあり、その時に景色は眺めているので、今回は諦めても差し支えないと思っていたものの、見えないなら見えないで正直勿体無いという思いも。やがて列車は、大阪梅田駅を出てから約38分で、神戸本線の終点である神戸三宮駅に到着。ここで乗客を多少減らして神戸高速線へと入ります。

 神戸高速線へと入り、花隈駅では入れ替わりは殆どなかったものの、次の高速神戸駅では、降りた反対側のホームで接続する山陽姫路行きの直通特急に乗換える人が多く、車内はガラガラに。私も直通特急に乗り換えた方が新開地駅に2分ばかり早く到着するのですが、このままこの列車に乗り続け、定刻の6時27分、新開地駅に到着しました。

【新開地駅の駅名標(阪神・阪急)】
新開地駅の駅名標(阪神・阪急)

 新開地駅では、神戸電鉄(以下、神鉄)の神戸高速線に乗り換え。それでこの神鉄の神戸高速線は、新開地駅を起点に隣の湊川駅を結ぶ駅数2、距離0.4kmの鉄道路線。全線複線電化されています。それで昭和43年(1968年)の神戸高速鉄道開業と同時に列車運行を開始。当時は南北線と称していましたが、昭和63年(1988年)からは前年に施行された鉄道事業法により、神戸高速鉄道が施設を保有する第三種鉄道事業者、列車を運行する神鉄が第二種鉄道事業者になり、その際、路線名称も(神鉄の)神戸高速線となりました。

【新開地駅阪神・阪急ホームの乗換階段入口】
新開地駅阪神・阪急ホームの乗換階段入口
【新開地駅の西改札口】
新開地駅の西改札口

 乗ってきた阪急の列車を降りた後は、列車前方(西代駅)方向の階段を登れば、もう、神戸電鉄の改札内。ですが、ここで一端リセットしたい気分だったので、西改札口から一度出て、改めて入場。そしてまずはトイレへ向かい、用足し。この先これから昼近くまで、乗り継ぎの都合上、大きい方ではトイレに行ける見込みがないもので。ただ、時間的余裕もないので早々に切り上げ、神戸電鉄の列車に乗る前に、次のところで朝食を。

高速そば

 それが、新開地駅の神戸電鉄線改札内にある「高速そば」。その名前から暫しネタにされるようですが、神戸高速鉄道の「高速」から取った屋号。この新開地駅は、先述のとおり開業当時から、神戸高速鉄道の所有となっているというわけで。

【高速そば 店舗外観】
高速そば 店舗外観

 そのお店は、改札口から入って、神鉄の乗り場近くの、スロープ状になっているところに。お店に着いたのは午前6時半頃ですが、平日は6時に開店するという店内には数人の先客が。私も店外の券売機で食券を買ってからお店の中へと入りました。

【ぼっかけそば 420円】
ぼっかけそば 420円
【いなり 200円】
いなり 200円

 それでいただいたのが、牛スジとコンニャクを醤油とみりんなどで甘辛く煮た神戸の郷土料理「ぼっかけ」が載るぼっかけそば。つゆの出汁感はそこそこですが、あっさり上品な風味に、味付けもあっさりめ。また色黒のソバは茹で麺で、柔らかめの食感にツルツルっとした啜り心地。蕎麦の香りもそこそこありました。それと具のぼっかけは、食感はともかく、味的には脂があるにもかかわらずあまりガツンと主張せず、全体と馴染んでいるよう。それと一緒にいただいたいなりは、三角形の形状的から関西をだなぁ、と。また中の酢飯はお酢が強めに効いており、これまた関西のお稲荷さんに入っていることが多いゴマが、いい仕事をしていました。

 というわけでどちらも美味しくいただき満足して、神戸電鉄の列車乗り場へ。

【神戸電鉄新開地駅構内】
神戸電鉄新開地駅構内
【新開地駅の駅名標(神戸電鉄)】
新開地駅の駅名標(神戸電鉄)

神戸電鉄神戸高速線・有馬線(一部)・粟生線

【新開地駅に停車中の粟生行き普通列車】
新開地駅に停車中の粟生行き普通列車

 新開地駅から乗車するのが、6時45分発の粟生行き普通列車。4番線ホームに停車していたのは、ちょっと懐かしめな外観をした1000系という3両編成の電車。しかも、メモリアルトレインとして、戦後復興期の塗装を再現した編成じゃないですか。

 それでこの1000系。主電動機の制御方式は抵抗制御で、車体の仕様は両開き扉を持つ全長約18mのロングシート車というのは共通なれど、製造年次が昭和40年(1965年)から平成3年(1991年)と長きに渡り、その間の車両運用の変更などもあるため、当初は片側2扉車だったのが3扉車となり、車両により運転台(片側・両側)や搭載機器などのバラエティーが豊かなのですが、この編成は3扉・3両編成で製造されたデ1150形・サ1250形、もしくは1150系とも言われるグループのうち、昭和52年(1977年)に製造されたもの。

 その列車の写真を撮ろうとしたところ、運転席の隣にぬいぐるみが乗っているのを発見。神鉄は全線ワンマン運転を実施しているので、車掌さんの代わりという訳ではないでしょうが、後で調べてみたところ、神鉄のマスコット「しんちゃん」。(さらにもう一人、鉄道の妖精「てつくん」もいるんですね。)それはともかく、とりあえず写真を撮ってから、先頭車の1151(デ1150形)に乗車。何となく座ったロングシートが半分弱くらい埋まる程の乗車率で、定刻に新開地駅を発車しました。

 神戸高速線が終わる次の湊川駅までは0.4kmしかないので、地下を走ってあっという間に到着。湊川駅も地下駅なので、ほんと、なし崩し的に乗り終わってとまった感が。で、この時、「これで神戸高速鉄道の全線に乗ったぞ」と思ったのですが、この当時というかこの記事を書いている今(令和2年5月下旬)も、神戸高速鉄道は、新神戸駅と谷上駅を結ぶ北神急行電鉄北神線の、第三種鉄道事業者になっていたんですね。(令和2年6月1日付で神戸市に事業譲渡になる予定だとか。)

 湊川駅では乗客を増やして発車。列車はここから鈴蘭台駅まで神鉄の有馬線を走行。で、有馬線についてはこの後、改めて書くとして、湊川駅を出てから程なくして地上に出た列車は、明らかにキツイ上り勾配を、グイグイと登り始めました。海抜0mの湊川駅からスタートして六甲山系内を走る神鉄は、全線のうち8割以上が勾配区間で、そのうち3割を超える区間で35‰以上、さらにそのうち2割の区間で50‰の急勾配となっているとか。そのため、強力な非常ブレーキなど、それに対応した特別な装備が施されています。

【丸山駅-鵯越駅間】
丸山駅-鵯越駅間

 その後も長田駅、丸山駅と、乗客を少しづつ増やしながら坂を登っていきます。このあたりの家々の屋根が白くなっているのは、霜でも降りたんですかね。そして次の鵯越(ひよどりごえ)駅は、源平合戦に出てくる「鵯越の逆落とし」の場所かどうかは議論が分かれるものの、この路線的にはこの先50‰の勾配が続く難所。トンネルをいくつか潜った後、進行方向左側にダムの堤体が見えたのですが、これが丸山ダムで、このダムの建設により、鵯越駅の次の菊水山駅(現在は廃止)と鈴蘭台駅の間が平成7年(1995年)、全長1184mの菊水山トンネルを含む新線に切り替えられました。

 トンネルの多い新線を過ぎると、新開地駅から約14分、6時59分の定刻に鈴蘭台駅に到着。ちなみにこの駅の標高は278m。この高さを、湊川駅から7.5kmの距離で登ってきたことに。

 そしてここから先、列車は粟生線へと入ります。それでこの粟生線、鈴蘭台駅を起点に、終点の粟生駅の間、29.2kmを結ぶ路線。起点終点駅を含む駅数は20駅で、一部が複線化された電化路線です。

 この歴史は、神鉄の前身である神戸有馬電気鉄道が、三木までの線路敷設を計画し、昭和3年(1928年)に鉄道免許交付を受けたものの開通には至らず、昭和11年(1936年)に設立された三木電気鉄道が、神戸有馬電気鉄道より鉄道免許を譲り受けて建設を開始。同年12月に、鈴蘭台駅から広野ゴルフ場前駅までの区間を開業。その後も徐々に路線を伸ばし、昭和13年(1938年)、三木福有橋駅(現在の三木駅)までの区間を開業。太平洋戦争後の昭和22年(1947年)、神戸有馬電気鉄道が三木電気鉄道を合併。同年、粟生までの延伸について鉄道敷設認可を受けました。更に昭和24年(1949年)に社名を神戸電気鉄道へと変更する間にも路線の延伸計画は進み、昭和27年(1952年)、粟生駅まで全通しました。

 その後、沿線の宅地化の進行に伴い利用客も伸び、神鉄も一部区間の複線化や列車の編成両数を増やすなどの対応を取っきたのですが、1990年台前半を境に利用客は減少に転じ、近年では粟生線だけで毎年10億円程度の赤字を生む状態に。沿線自治体は活性化協議会を設置し、神鉄でも減便などの合理化を行うものの事態は好転せず、今後の路線の存続において、予断を許さない状態になっているようです。

【鈴蘭台駅発車直後】
鈴蘭台駅発車直後

 新開地駅を出てからこれまでは、何となくロングシートに座ってしまっていたのですが、ここからは気合を入れて、ちょうど空いていた運転台直後に立って前方を眺めることに。それで1分停車ののち鈴蘭台駅を発車した列車は、これから始まるラッシュ時に向けて出払ったのか車両があまり停まっていない鈴蘭台車庫の横を通ってから左にカーブしてトンネルを抜けた直後に停車する鈴蘭台西口駅は、駅構内から鈴蘭台駅側にかけて50‰の勾配がある駅。ちなみにこの駅の標高304mは、粟生線内で最も高いものとなっています。で、駅構内のホームを含め日陰になっているところは薄っすら白くなっていて、どうやら霜ではなく雪が降ったようですね。

【西鈴蘭台駅-藍那駅間】
西鈴蘭台駅-藍那駅間
【藍那駅進入】
藍那駅進入

 鈴蘭台西口駅から先、暫くは下り勾配が多い感じになり、次の西鈴蘭台駅では反対方向の列車と交換。ここから先は複線区間になるものの、線路は山間地を進むという感じで、途中、遮断機のない踏切も。そして藍那駅で2分ほど停車して列車交換します。

【藍那駅-川池信号場間】
藍那駅-川池信号場間
【川池信号場通過】
川池信号場通過

 藍那駅から先は再び単線になり、藍那隧道を潜ったあたりでしょうか、山越えは終わって浅い谷あいを行くような景色になったと思ったら、次の木津駅との中間にある川池信号場から先、線路は再び複線に。それにしても、列車本数が少ない粟生線とはいえ、この区間は結構マメに対向列車とすれ違います。

【見津信号場-木幡駅間】
見津信号場-木幡駅間
【押部谷駅停車中】
押部谷駅停車中

 そんな中、車内は立つ人が少しという感じで列車は進み、木津駅を出た列車は、途中の見津信号場、そしてここも列車の姿がなかった見津車庫の横を通過して木幡駅に停車。それにしても、先程山は超えたと思ったのですが、線路は相変わらず勾配ばかりです。そして次の押部谷駅では、交換待ちしている列車を見つつ入線。新開地駅を出て30分、時刻は7時15分の定刻でした。それで5分停車の間にもう1本の列車と交換してから発車しましたが、駅員さんが走っている姿を見てなにかトラブルがあったのかと焦りました。(今日は列車が1本でも遅れると、予定した行程をこなせなくなるもので。)

【押部谷駅-緑が丘駅】
押部谷駅-緑が丘駅

 押部谷駅から先、線路は三たび単線に。線路の左側に並走する神戸に向かう県道は、激しく渋滞しています。次の緑ヶ丘駅では、構内に木製架線柱が。その後も木製のものをちょいちょい見かけました。で、このあたりからでしょうか、車内は通学の学生さんが増えだして、私の左右には女子高生が。その子らの親より多分年上なのにもかかわらず、運転席後ろでカメラ代わりのスマートフォンを構えていることに気恥ずかしさを覚えるのですが、まぁ、気にしても仕方ないというか。

【広野ゴルフ場前駅進入】
広野ゴルフ場前駅進入
【三木駅進入】
三木駅進入

 列車はたまに開けた場所に出るものの、アップダウンとカーブを繰り返しつつ進み、広野ゴルフ場前駅、志染駅、恵比須駅に停車。先程来、停車ごとに中高生の乗客を少しずつ増やしてきたのですが、三木の市街地に入ったところの三木上の丸駅、三木市の中心駅である三木駅で降ろしました。ちなみにこの列車の三木駅到着時刻は7時40分で、次の列車は7時55分着と、このあたりは通学には丁度いい時間帯ですね。そして1分停車の間に、この列車の他もう1本あるメモリアル塗装の、高度経済成長期の頃の塗装を再現した1000系電車と交換。

【大村駅-樫山駅間】
大村駅-樫山駅間
【市場駅-小野駅間】
市場駅-小野駅間

 三木駅を発車した列車は、次の大村駅まではわりと平坦なところを進むものの、油断するとすぐという感じでまた山の中へ。もっとも、低いサミットを超え、山陽自動車道と交差し、国道175号と並走するとまたやや平らなところに出て、樫山駅に停車。ここから先、一般的なローカル私鉄では珍しくないものの、この神鉄では珍しく感じる農地の中を走ります。その農業用水用でしょうか、いくつかの溜池をかすめ、その水源たるいくつかの細い川を短い鉄橋で渡って、7時52分に小野駅へ到着。とても大きな駅に感じます。

【小野駅停車中】
小野駅停車中
【葉多駅-粟生駅間(加古川)】
葉多駅-粟生駅間(加古川)
【粟生駅進入】
粟生駅進入

 小野駅では7分と長めの停車時間が取られ、最後の列車交換をしてから発車。この先もやや平坦な地形が続き(と言っても油断するとすぐ勾配になっているのですが)、再び農地の間を進みます。そして最後の停車駅である葉多駅に停車後、加古川を長い鉄橋で渡ると左手からJR加古川線と合流。それと寄り添うようにして、定刻の8時4分、終点の粟生駅に到着しました。ここまで、新開地駅を出てから79分かかりましたが、変化に富んだ風景で運転台後ろに立つのが苦にならなかったというか、これまで一度も乗ったこと、いや目にしたこともなかった神戸電鉄が、いっぺんで好きになりましたね。

【粟生駅の駅舎】
粟生駅の駅舎
【粟生駅の神戸電鉄乗り場】
粟生駅の神戸電鉄乗り場
【粟生駅の駅名標】
粟生駅の駅名標
【粟生駅に停車中の新開地行き普通列車】
粟生駅に停車中の新開地行き普通列車

 昼間は1時間に1本という運転間隔の粟生線も、この時間は1時間に3本も運転されているので、本来なら帰りは1本遅らせたかったのですが、今日はスケジュールがかなりタイトなため、大急ぎで一度改札口を出つつ運賃を支払い、駅舎の写真を撮ってから、乗ってきた列車の折返しとなる8時9分発の新開地行き普通列車に乗車。車両は先頭車の1152(デ1150形)です。

 それで帰り道はロングシートの端っこに座って、今となっては懐かしい抵抗制御のモーター音を聞きつつのんびりと。外の景色を見るには不向きな椅子なので、外を見ようとしても自然と車内の様子も目に入ってしまうのですが、最初はわりと乗っていた学生さんは早々に居なくなり、程なく通勤客と入れ替わり、鈴蘭台駅に近づくにつれ、立つ人も結構出てくる状態でした。


つづく

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