趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】
前の記事から続く、姫路競馬場を訪れたついでに阪神電気鉄道、山陽電気鉄道、神戸電鉄の旅客営業路線全線と、神戸高速鉄道、阪急電鉄の神戸本線に乗ってきた時の記録なのですが、今回は、阪神電気鉄道と山陽電気鉄道編のパート2ということで、直通特急に乗りつつ、阪神電気鉄道の残りや、山陽電気鉄道の全線に乗ってます。あと、飾磨駅の「山陽そば」でいただいた時のことも。
先程購入したシーサイド1dayチケットで改めて改札口を通り乗り込むのは、阪神本線と阪神神戸高速線、そして山陽電気鉄道本線にまたがって運転される山陽姫路行き『直通特急』。これが先程書いた「とある理由」で、直通特急だったら尼崎駅からでも乗れたのですが、途中駅からだと席に座れるか心配だったのと、更には、山陽姫路まで乗車時間が軽く1時間を超えるにもかかわらず全車ロングシートの編成も充当されるため、始発の大阪梅田駅でクロスシートの車両が来るまで待とうかと。加えて今回は、阪神本線に改めて乗るわけだし、列車は起点から(できれば終点まで)乗りたいと思っている個人的こだわりもあるので、一度(阪神の)大阪梅田駅まで戻ることにした次第で。もっともそのお陰で、時間に余裕を持たせるため今朝の出発がえらく早くなったり、武庫川線を夜明け前に乗ることになってしまったのですが。
それでこれから直通特急で通ることになる、阪神本線と阪神神戸高速線、山陽電気鉄道本線のうち、まずは阪神本線について少々。
阪神本線、正式名称は本線ですが、大阪梅田駅を起点に終点の元町駅の間、32.1kmを結ぶ、全線複線電化路線。起点終点駅を含む駅数は33駅で、加えて2箇所の信号場を有します。
その歴史は、当時アメリカで盛んであったインターアーバンに範をとり、明治32年(1899年)6月に大阪と神戸を結ぶべく設立された摂津電気鉄道から。その翌月には社名を会社設立の目的を表す、現在の「阪神電気鉄道」に改称しました。その当時の大阪と神戸の間には既に官営鉄道があり、それとの競合を理由に当時の私設鉄道条例による免許交付を受けられる見込みが低かったこともあり、私設鉄道条例とは管轄省が別の軌道条例(鉄道が逓信省に対して軌道は内務省所管)に基づく軌道線として特許を受け建設を開始し、日本初の都市間電気鉄道(インターアーバン)として明治38年(1905年)、大阪市側のターミナルを出入橋駅(現在は廃止)として、神戸駅(現在の神戸三宮駅とは別)との間が開業しました。
ちなみに、ここで言う軌道というのは、当時の法令上の定義では「道路交通を補助するもの」とされ、軌道は特別な理由がある場合以外は道路内に敷設すべしと書かれているのものの、当時の内務省幹部に確認したところ、道路内に線路を敷設する「併用軌道」が一部でもあれば良いとの見解が得られたため、終点近くの神戸市街地など一部以外は、道路以外の軌道専用敷地に線路を敷設した「専用軌道」として建設されたそうで。(余談ですが、現在残る私鉄路線の中には、この阪神電鉄の例にならって軌道線として建設されたものも多くあります。)
そして開業の翌年の明治39年(1906年)、大阪市側のターミナルが地下駅の梅田駅(現在の大阪梅田駅)まで延伸。また神戸市側のターミナルも延伸され、大正元年(1912年)、後に神戸市電となる神戸電気鉄道滝道電停と接続する新たな神戸駅が誕生。従来の神戸駅は三宮駅に改称されました。
しかし阪神間については、大正9年(1920年)に線形も良く駅数も少ない阪神急行電鉄(現在の阪急電気鉄道神戸本線)が開業。後の昭和9年(1934年)には鉄道省の東海道本線も電車の運転(料金不要の急行電車「関西急電」)が開始され、それらの間で熾烈な乗客獲得競争が開始されることに。そのうち阪神では、まず昭和8年(1933年)までに、併用軌道の全廃と神戸市街地の地下化を行い、鉄道省三宮駅付近に設けられた新たな神戸駅(現在の神戸三宮駅)との間で、全線を35分で結ぶ特急列車の運転を開始。それでも所要時間的に不利だったものの、「またずに乗れる阪神電車」のキャッチコピーで高頻度運転を行い対抗。更に昭和11年(1936年)には、神戸側の終点が阪急に先んじて市中心部に近い元町駅まで延伸され、その後の改良による路線の付け替えなどはあるものの、現在の本線が完成しました。
更に太平洋戦争後は大型高性能車の投入がなされ、さらなるスピードアップとサービスの向上が行われ、また昭和52年(1977年)には、全線が軌道法に基づく「軌道」から、鉄道法に基づく「鉄道」に変更となっています。
神戸高速鉄道が計画されていた当時から、神戸高速鉄道を介した阪神の梅田駅(現在の大阪梅田駅)と山陽の電鉄姫路駅(現在の山陽姫路駅)間の直通運転は計画されていたものの、車両規格の違いなどから神戸高速鉄道開業後も長きに渡って暫くの間、一部区間の乗り入れにとどまっていましたが、これらを結ぶ『直通特急』が登場したのは平成10年(1998年)のこと。阪神と山陽双方の車両が使用されています。で、当初は30分間隔の運転だったのが、今では10~20分間隔の運転に。また当初より途中停車駅も増え、大阪梅田駅と山陽姫路間の直通利用というよりも、広範な区間利用を狙って運行されている面の方が大きそうです。
それで先程述べたように、この直通特急。全車ロングシート編成は避けたかったのですが、改札口を通ってホームに向かい、丁度停車していた7時14分発が、山陽電気鉄道の5000系というセミクロスシート車で、この時点で十分に空席があったものだから、即座に乗ってしまうことに。実はこの列車から5本連続で、クロスシート車の確率が高い山陽電気鉄道の車両を使用した列車が続ことは、事前に山陽のウェブサイトで見られる時刻表で調べていたのですが、あっさり1本目にしてお目当ての列車に乗ることができてしまいました。
その、6両編成の後ろから2両目、車両番号が5015(モハ5000形)に乗車。ちなみにこの5000系という車両。山陽電気鉄道が昭和61年(1986年)、翌年に予定されていた国鉄分割民営化後の、競合する山陽本線との競争力強化のため、当時まだ普通列車用として残っていた性能の低い旧型車両の置き換え用に導入を開始した形式。片側に両開きの3扉を持つ全長約19mの車体に、主電動機の制御には当時の国鉄車両でも採用されていた回生装置付きの界磁添加励磁制御を採用し、最高速度は110km/h。車内は当初、集団離反式(車両中央から車両端に向いた)の固定式クロスシートを装備した3両編成で登場したものが、後には特急列車用となり4両編成、そして6両編成化され、平成7年(1995年)まで増備が続けられました。また車内も当初の固定式クロスシートから転換式クロスシートに交換。(更に一部車両はロングシートに交換。)またこの直通特急運転開始に伴って、阪神の路線への乗り入れ対応改造を実施。そして平成30年(2018年)には主電動機の制御をVVVFインバータ方式に変更し車両内外装を大幅にリニューアルした編成も登場しました。で、この5015は、調べてみると、昭和63年(1988年)に製造され、平成7年(1995年)に転換式クロスシートに改造された車両のようで。
【福島駅-野田駅間】
【淀川駅-姫島駅間】
【大物駅-尼崎駅間】
私が乗車した後も乗客は増え続け、ドア付近には立つ人も出てきた頃、定刻となり発車。福島駅を過ぎて地上に出ると、進行方向左手の景色は大きな通り(曽根崎通り)とビル群から、阪神高速3号線が近づいてきて視界を塞ぎ、そのまま淀川を再び渡ります。そして高速道路が視界から消えると工場群が広がって、今日最初に乗った阪神なんば線と合流する大物駅を通過。ここからは尼崎駅の間は高架下に、車両の整備等を行う尼崎工場と、併設された尼崎車庫が広がります。それにしても、大阪梅田駅を出て8分あまりですが、このまでの区間は、とても変化に富んだ車窓風景が楽しめますね。
最初の停車駅である尼崎駅では、結構な数の乗客が降りて、同じくらい乗車。席確保の面から言えば、やっぱり、大阪梅田駅から乗って正解でした。で、発車後、駅構内の引き上げ線に、懐かしいタイプの「ジェットカー」のうち、トップナンバーの編成が停車していました。この5000系という車両、現在でも4.5km/h/sという鉄輪式の鉄道では日本最高の起動加速度を誇るので、できれば今回の旅で乗ってみたいと思っていまたのですが、そのチャンスは無いまま終わりそうです。
尼崎駅を出た列車は、その先暫く高架線から、遠くに海を感じることもあるけど、基本的には人口密度の高そうな市街地を眺めつつ走行。住宅や商業ビルだけではなく、工場も混ざります。毎日乗る人にとっては退屈な景色でしょうけど、こちらは普段全く見慣れていない景色の分、眺めていて退屈はしません。そんな中、直通特急はあまり停車せずに進むのですが、停車する甲子園駅、西宮駅も、先程の尼崎駅同様、乗客の入れ替わりが結構ある印象です。
次の芦屋駅では、降りる人よりも乗る人が多く、神戸市に入って最初の停車駅である魚崎駅でも同様。神戸市の中心部に向かう人がお多いのかと思いきや、次の御影駅では、向かいのプラットホームに停車中の普通列車に、かなりの人が乗り継ぎました。ただ、乗る人もそれなりに多く、混雑気味の乗車率は変わらず。車窓には相変わらず、マンション、工場、商業ビルの混ざった景色が続きます。
その後列車は、神戸市の中心市街地を抜ける地下区間に。地下に潜って暫くすると神戸三宮駅で、ここでは降車客の方が多い模様。そして次の、阪神本線の終点である元町駅では、乗り降りは少なめ。ちなみに大阪梅田駅からここまで約37分。時刻は7時51分の定刻でした。それで元町駅から先は、神戸高速鉄道が施設を保有する(阪神)神戸高速線へ。なのでここで、その路線について少々。
(阪神)神戸高速線は、西代駅を起点に、終点元町駅を結ぶ5.0kmの路線で、起点終点を含む駅数は7駅の複線電化路線。また全線が地下区間となっています。
太平洋戦争後、神戸市街地の復興計画において市電を廃止し公共交通機関の高速大容量化を計るため、戦前から神戸市内に乗り入れていた阪神、京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)、山陽、神戸電気鉄道(現在の神戸電鉄)の私鉄4社を接続させる目的で、神戸市と先述の私鉄4社などが出資する第三セクターとして昭和33年(1958年)に設立されたのが神戸高速鉄道。
設立から10年後の昭和43年(1968年)に、西代駅から(阪神の)元町駅と、その途中の新開地駅から(阪急の)神戸駅(現在の(阪急)神戸三宮駅)を結ぶ東西線と、新開地駅から湊川駅を結ぶ南北線の全線が開業。うち、東西線の西代駅-新開地駅-元町駅間を使って、阪神と山陽の相互直通運転が開始されました。
開業当時から暫くの間、線路と駅だけ保有し、車両は持たずに乗り入れ会社の列車をそのまま通行させる神戸高速鉄道は特異な存在だったのですが、昭和63年(1988年)からは前年に施行された鉄道事業法により、神戸高速鉄道が施設を保有する第三種鉄道事業者となり、乗り入れていた4社が列車を運行する第二種鉄道事業者に。その際、二種鉄道事業区間が全て「神戸高速線」となりました。
特に東西線は、西代駅-(阪神)三宮駅間が阪急の神戸高速線、西代駅-元町駅間が阪神の神戸高速線、更にそれら全線が山陽の神戸高速線と、第二種鉄道事業路線の区間が重複していたのですが、平成22年(2010年)にそれら重複区間の解消が計られ、西代駅-元町駅間が阪神の神戸高速線に、新開地駅-(阪神)三宮駅間が阪急の神戸高速線となりました。(ちなみに、山陽の神戸高速線と、阪神の西代駅-新開地駅間のは廃止に。また新開地駅-高速神戸駅間は阪神と阪急の重複区間のまま残されています。)
それで神戸高速線に入って最初停車駅である高速神戸駅では、阪急の電車が反対側のホームに停車中。昭和初期に阪神急行電鉄が開通して以降、熾烈な乗客獲得競争を繰り広げた両者が、神戸高速鉄道の開通によって接続しただけではなく、某投資ファンドをきっかけとして同じ阪急阪神ホールディングスの子会社同士になっているなんて、その時には全く思いもつかなかったんじゃないでしょうか。
次の新開地駅は、元の神戸高速鉄道南北線、現在の神戸電鉄神戸高速線と、現在走っている元の神戸高速鉄道東西線、現在の阪神電気鉄道神戸高速線が接続するターミナル。ここでも乗客がわりと入れ替わり、いつの間にか車内は、小学生中学生高校生と、学生さん達が増えている感じ。ですがそれら学生さんたちは、次の高速長田駅で下車。このあたりに学校があるのか、はたまた、ここで接続する神戸市営地下鉄に乗換えるのでしょうか。ちなみにここまで、大阪梅で駅を出てから約45分。時刻は7時59分の定刻です。
高速長田駅の次駅は、(阪神)神戸高速線と山陽電機鉄道の境界となる西代駅。この列車では通過となってしまうのですが、これで阪神鉄道の全線を乗り終え、初めての山陽電気鉄道本線に入っていくことに。で、その山陽電気鉄道本線について、ここで少々。
山陽電気鉄道は、明治40年(1907年)に設立された兵庫電気軌道が祖。名前のとおり、軌道法に基づく軌道線として許可を受け、神戸と明石の間を結ぶ鉄道として建設を開始。明治43年(1910年)に兵庫駅(後の電鉄兵庫駅)と須磨駅の間を開業させた後も順次延伸し、大正6年(1917年)に明石駅(現在の山陽明石駅とは別)まで全通させました。
更に兵庫電気軌道は、地方鉄道法による鉄道線として姫路までの延伸を計画し、大正8年(1919年)に別会社の明姫電気鉄道を設立。しかし同区間は別会社の播州鉄道も敷設を計画して路線敷設免許取得を争うことになり、更には播州鉄道が兵庫電気軌道に対して敵対的買収を仕掛け、経営権を奪う事態にまで発展しました。ですが結局、免許は、旧兵庫電気軌道の経営陣が実権を握る明姫電気鉄道に下り、さらに神戸の湊川から明石の間も免許を取得して神戸姫路電気鉄道と改称。さしあたって明石駅前駅(電鉄明石駅を経て現在の山陽明石駅)と姫路駅前駅(電鉄姫路駅を経て現在の山陽姫路駅)の間の建設を開始し、大正12年(1923年)に開業させました。
それでここまで、兵庫電気軌道、神戸姫路電気鉄道という鉄道会社が出てきたのですが、この2つの鉄道会社に電力を供給していたのが、現在の関西電力の前身の一つである宇治川電気。この宇治川電気が自社電力の安定供給先として電気鉄道経営に乗り出し、昭和2年(1927年)に相次いで2社を合併。更に翌年の昭和3年(1928年)には、明石駅前駅に連絡線を設置すると共に車両を新造して、架線電圧から車両限界(ざっくり言うと車両の大きさ)まで違った2社の路線の直通運転が開始に。ちなみにその後も、軌道線を鉄道線に合わせる形での規格統一作業は徐々に進められたそうで。更にその後、宇治川電気は鉄道部門を再度分離することとなり、昭和8年(1933年)、現在の山陽電鉄が設立し、この路線は山陽電気鉄道本線となりました。
そして太平洋戦争後、戦時中に焼失した車両を補うため、運輸省から国鉄モハ63形電車を導入することになり、軌道線部分の車両限界拡大や架線電圧の変更が一気に進捗。昭和23年(1948年)には架線電圧も統一されました。更に昭和30年代からは前述の神戸高速鉄道が建設され、山陽は阪神との直通運転が昭和43年(1968年)4月から開始されることになるのですが、その前日、電鉄明石駅と兵庫駅間が廃止に。廃止された電鉄兵庫駅付近には、最後の併用軌道区間が残っていたそうです。ちなみに法的には、昭和52年(1977年)、西代駅と電鉄明石駅の間が、軌道から鉄道へと変わりました。
列車は山陽で最初の停車駅である板宿駅を過ぎてから、暫く続いた地下線から地上へと。その後、月見山駅、山陽須磨駅と停車しながら海沿いへと進み、瀬戸内海に近づくとJR山陽本線や国道2号と併走します。特に、須磨浦公園駅-山陽塩屋駅間は、山が海に迫る地形のため、海沿いのわずかなスペースにこの3路線がひしめく感じに。そんな時、JR線には貨物列車が走っていて、しばらくの間、並んで走ってたのですが、こちらが山陽垂水駅に停車するために減速すると、貨物列車に抜かれる形に。
山陽垂水駅を出た列車は、一時海から離れたものの、次の停車駅である舞子公園駅手前で、石海峡大橋を見ながら再び海の近くへ。また舞子公園駅を発車直後、JR山陽本線を跨ぎ、暫く併走するものの先ほどと位置関係が逆転。個人的にはここからの区間、国鉄もしくはJRの列車から見た(ちなみにこの区間に乗る時は、海を見るために必ず海側のクロスシートに座るかドア付近に立っていた。)山陽電気鉄道が、これまで見たことがある全てだったりして。で、最初に見た時の山陽電車は塗色が紺とクリーム色だったのですが、そこから35年も経って今回ようやく乗れているという。
山陽明石駅を過ぎるとJR山陽本線と離れ、海から離れてはいないものの海沿いではないところを進むようになり、車窓から見える景色も、これまでよりのんびりしてきたというか、所々に農地が現れ、高い建物もめっきり減りました。もっとも、車内は相変わらず混んでいて、次の東二見駅を過ぎても、私の隣にもずっと誰かしか座っているのが続いています。それにしてもこの直通特急、通しで乗る乗客はあまりいないとは思われるのですが、停車駅ごとに入れ替わり立ち替わりという感じで、ほんと盛況ですね。
それでこの頃、ちょっとばかり悩むことが。というのもこの先、姫路競馬場に行くというこの日最大の目的が控えているのですが、先述のとおり大阪梅田駅で乗ろうとしたうちの一番速い列車に乗ってしまったこともあって、この列車に乗り続けてしまうと、山陽姫路駅で少々時間を持て余すことに。一方、競馬以外の予定としては、山陽の網干線に乗ることと、その乗換駅の飾磨駅で「山陽そば」をいただくこととがあるのですが、予定では競馬場の帰りに寄ろうと思っていました。ですが、空腹とはいかないまでもうどん・そば1杯くらいなら食べられる腹具合になってきたし、これからこれらをこなしてしまえば宿のある大阪に戻ってから過ごす時間が増やせますし。それに、この直通特急は途中で降りることになりますが、直通特急は帰りにも乗る予定ですし。
【尾上の松駅-高砂駅間】
【5015(モハ5000形)のシート】
そんなことを悩んでいると、列車は加古川を渡って高砂に到着。降りる人の方が明らかに多く、やっと隣の席が空きました。そして次の荒井駅では車内が一気に空き、今乗車している車両のシートの写真が撮れるほどに。ちなみに新井駅の到着時刻は8時39分と、この列車を通勤で使うには、時間的にこのあたりがリミットでしょうか。そして大塩駅、白浜の宮駅と停車した列車は、定刻の8時51分、大阪梅田駅から約97分で、飾磨駅に到着。終点の一つ手前で降りるというのは正直勿体ない気がするのですが、先ほど考えたとおり、この駅でこの列車を下車することにします。
列車を降りるとすぐ、ホームの西代駅側というか東端にあった、「山陽そば」の飾磨店に。それにしてもこの飾磨駅は面白い構造をしているというか、櫛形ホームと言って、やたら広い島式ホームの中央に頭端式ホームを設けたような構造になっていますが、その根元の部分に、わりと大きめなお店が建っています。
結構広い店内に入ると、平日の朝の9時半という中途半端な時間帯のせいか、先客はなし。注文は券売機で食券を買う方式ですが、先程の阪神そば以上に品数が多いですね。それで購入した食券を、お店のお姉さんに渡すとすぐに注文した月見うどんが登場しました。
丼から早速つゆを一口啜ると、出汁感は結構しっかりしているけど、それよりも、一口目で味がわかるハッキリした味付けが、この手のお店っぽくて良いですね。更にそこに、天かすが香ばしさとコクを加えます。またうどんは、プリプリッとした食感の茹で麺。そして生卵は、私は子どもの頃から、途中で黄身を割ってうどんに絡める派。こちらのお店はツユの味がハッキリしているので、生卵でも薄まる感が無くて最後まで良い感じでいただけました。
というわけで、本日2件目の立ち食いうどんだったものの、あっという間に美味しく完食。何てというか、気取らない感に溢れた、ホっとする感じが良かったですね。
「山陽そば」でうどんをいただき満足した後は、山陽網干行きの普通列車に乗って網干線に乗ります。先程、直通特急を降りてすぐにうどんをいただいたのは、何も食い意地のためではなく(いや、食い意地が張っているのは間違いないですが。)、網干線の列車の運転間隔のおかげで、次の列車まで余裕があったからでして。
それでこれから乗る網干線ですが、飾磨駅を起点に終点の山陽網干駅まで8.5kmを結ぶ全線単線電化路線。起点終点駅を含む駅数は7駅です。
その歴史は、昭和12年(1937年)に鉄道免許が交付。申請時の区間は飾磨から網干を経て相生までだったのですが、許可されたのは網干までだったという経緯があるそうで。それで昭和15年(1940年)10月に電鉄飾磨駅(現在の飾磨駅)と夢前川駅の間が開業したのを皮切りに路線を伸ばし、翌昭和16年(1941年)7月に電鉄網干駅(現在の山陽網干駅)ので全通しました。
ちなみに、網干以西への延伸は太平洋戦争後にも計画され、当時のバス燃料の不足もあって、昭和27年(1952年)ら飾磨から赤穂まで25.2kmの免許が交付されましたが、実際には建設に多額の資金を要することや、その後の燃料事情の改善によって建設されることがないまま、昭和51年(1976年)に免許が失効しています。
うどんを食べ終わったあと、行き止まり式となっている網干線のホームで待っていると、入ってきたのが折返し山陽網干行きとなる普通列車。車両は、最新の6000系という形式の3両編成でした。それでこの6000系は、平成28年(2016年)から導入が始まった山陽では最新の形式。従来の山陽の車両同様、両開き3扉を持つ長さ約19mの車両で、車内はロングシート。主電動機の制御はVVVFインバータ制御方式を採用ししています。また当初は3両編成から導入され、令和元年(2019年)からは4両編成の導入が開始。3両編成単独もしくは4両編成単独で運用される他、3両編成を2つ繋げた6両編成で直通特急の運用に入ることもあるそう。で、乗り込んだのは、3両編成の真ん中、6305(サハ6300形)という車両で、調べたところ平成29年(2017年)に製造されたようですね。
8人掛けのロングシートに5人程度の乗客を乗せ、列車は9時4分に飾磨駅を発車。先頭の運転台直後の席はシルバーシートになっていたため諦め、どうせ往復乗るのだからと、往路は普通に座っていこうかと。それで発車すると列車は築堤に登って高度を上げ、高架線をちょっとだけ走って高架駅の西飾磨駅に到着。ここで反対方向の列車と交換するのですが、その車両も6000系でした。
飾磨駅を発車して以来、向かい側の窓越しに見える景色は、市街地と、その向こうにというか海沿いに大きな工場という感じ。線路は高架線から夢前川を渡って夢前川駅に停車すると、半分くらいの乗客が下車。ここから先は地平を進みます。で、次の広畑駅付近まで車窓から見える見える工場は、この網干線の建設が許可された理由のひとつとなった、旧日本製鐵広畑製鐵所、現在の日本製鉄瀬戸内製鉄所広畑地区でしょうか。
その後も、住宅地の向こうに大きな工場という景色は続き、そんな中、山陽天満駅で2度めの列車交換。その車両はまた6000系でした。それで列車は平松駅に停車した後、飾磨駅から約17分、9時21分の定刻に、終点の山陽網干駅に到着。ちなみに、JR山陽本線にも網干駅があるのですが、直線距離で3kmほど離れているそうです。
山陽網干駅に到着後は、一度改札口を出て写真を。駅全体を撮ろうとしたのですが、駅ビルになっていたため改札口付近だけ撮ってお茶を濁すことに。
その後再び改札口から入って、乗ってきた列車の折返しとなる、9時27分発の飾磨駅普通列車に。復路は、先頭の6005(クモハ6000形)に乗り込んだところ、幸いな事に運転台直後の特等席が空いていたのでそこに座り、前面展望を堪能することに。
【平松駅-山陽天満駅間】
【山陽天満駅進入】
【広畑駅-夢前川駅間】
【夢前川駅-西飾磨駅間(夢前川橋梁)】
【夢前川駅-西飾磨駅間(高架区間)】
【西飾磨駅進入】
【西飾磨駅-飾磨駅間】
もっとも前方の景色は、見渡す限りひたすら住宅地という感じ。っていうか姫路って、とても大きな都市ということを、この景色で実感したというか。それで一つ気が付いたのがこの網干線、全線単線ですが、敷地は複線分確保してあるところが多いんですね。ただ、架線柱は真新しい単線用のものが使われていたので、しばらくは複線化する予定はないのでしょうかね。
そんな景色の中を列車は走り、山陽網干駅を出て約15分で、飾磨駅に到着。先程も述べように、飾磨駅の網干線ホームは行き止まり式なのですが、その向こうに山陽そばのお店があるので、そこに突っ込んで停まるように感じます。
戻ってきた飾磨駅では、4分の待ち合わせで接続する、9時46分発の直通特急に乗車して、残りの山陽電気鉄道本線を乗りつつ山陽姫路駅まで。実はこの列車、大阪梅田駅から乗る候補に上がった列車のうち、最も遅い列車だったりします。それで入ってきたのは先程も乗った5000系電車の6両編成。乗り込んだ先頭の5608(クハ5600形)は、平成元年(1989年)に製造された車両のようですね。
それでこの列車、終点の山陽姫路駅で降りやすいと思われる先頭車に乗ったためか、車内は先程の直通特急よりも明らかに混んでいます。なので空席はなく、運転席直後にも先客がいたので、中途半端なところに立って外を眺めることに。
飾磨駅を発車した列車は右にぐいと曲がって進路を北にとり、姫路市の市街地を飛ばします。外に見える建物も、先程の網干線はもちろん、飾磨駅までの本線よりも高いものが目立ち、市街地でも中心部に向かっている感がありますね。そして、駅を2つばかり通過して約4分。高架線に登って右にカーブすると、定刻の9時50分、終点の山陽姫路駅の、頭端式ホームに到着しました。
【姫路競馬場スタンド】
【スタート】
【最終コーナーを回る競走馬】
【最後の直線とゴール】
山陽姫路駅に着いた後は、駅前が出ている無料の送迎バスに乗って今回の旅の本来の目的である、姫路競馬場へ。ここで最終レースまで競馬を堪能しました。もっとも、馬券の方はからっきしだったんですがね。
姫路競馬場から無料の送迎バスで山陽姫路駅の駅前まで戻ってきたのが、16時58分。そこから道路を横断して山陽百貨店に入り、2階へと上がって山陽姫路駅の改札口へ。着いた時は気が急いていて気が付かなかったのですが、この山陽姫路駅、百貨店内にあるやや小ぶりな私鉄ターミナルといった風情が、何とも良い感じですね。
【山陽姫路駅に入ってくる折返し大阪梅田行き直通特急】
【山陽姫路駅に停車中の大阪梅田行き直通特急(2本とも)】
改札口を通ってプラットホームに入ると、既に17時25分発の大阪梅田行き直通特急が、誤乗防止のためかドアは開けずに停車中。そして程なく、それより先発の折返し17時13分発となる直通特急も入ってきました。で、25分発はクロスシートの山陽5000系。13分発はロングシートの阪神8000系。25分発は来る時に大阪梅田駅から乗った停車駅が少ない「直通特急A」というタイプで、13分発は停車駅が多い「直通特急B」というタイプ。で、ここでどちらに乗るか相当悩んだ結果、先発となる13分発、阪神8000系の方を選択。これから100分以上乗ることを考えるとクロスシートの方が良いに決まっているのですが、山陽5000系は今日既に2回乗っていますし、阪神車の直通特急、しかも今回の旅で乗ったことがない形式の車両となれば、そちらを選ばざるを得ないというか。どうせもうすぐ日も暮れ、外の景色も見えなくなるでしょうし。
それでこの8000系。旧型の車両置き換えのため、昭和59年(1984年)から平成7年(1995年)にかけて(阪神・淡路大震災の被災のためその代替車の製造まで入れると平成8年まで)製造された阪神の優等列車用車両。車体こそ従来の阪神車と同様の片側3扉全長約19mのロングシート車ですが、阪神で初めて6両固定編成が採用されました。また主電動機の制御は、登場時に阪神で従来車の改造に使われていた界磁チョッパ制御方式を採用。製造が長きに渡ったため、製造年次による差異がわりとあるものの、平成14年(2002年)からは順次リニューアル工事が実施され、その際、一部の編成では中間の2~4両のクロスシート化が行われた編成も。で、今回乗り込んだのは、前から2両目の8045(8001形)という車両なのですが、調べたところ平成6年(1994年)に新造され、平成26年(2014年)にリニューアルされたようです。
で、せめて一方は他のお客さんと隣り合わないよう車端部のシートに、海に背を向けるよう着席。その後ロングシートがさらっと埋まる程度の乗車率で、山陽姫路駅を発車。界磁チョッパ制御のモーター音を聞きつつ、車内を見るとはなしに見ていたのですが、向かい側に座って静かに読書に勤しむ老人男性が被る帽子が、毎年12月に香港で行われている競馬の国際レース『香港國際賽事(香港国際競争)』のものじゃないですか。さっきまで同じ姫路競馬場で、熱く勝負していたんですかね。
列車は神戸に近づくにつれ乗客を増やしながら進み、そのうち、ドア付近には立つ人も。ただし、極端な混雑はなく、眼の前に人が立つことはないような。また、車端部なので揺れは大きいはずなのですが、昨日の寝不足が祟り睡魔が襲ってきて、気がつくとウトウトと。ただそんな中、丁度目が覚めた時に目に飛び込んできた、芦屋付近の夜景は綺麗でした。
神戸の市街地を出た後も、ロングシートが常に埋まっているくらいの乗車率で進んだようですが(もっとも、ほとんどの区間で寝ていたため定かではありませんが。)、尼崎駅で車内はグっと空くことに。私もここで降りれば、宿のある難波にちょっとだけ早く到着できるものの、この列車に最後まで乗って行こうと思います。
尼崎駅を出て暫く行くと、今日3度めとなる、淀川の長い鉄橋をゆっくり渡って、大阪市の中心部へ。そして18時54分の定刻に、列車は大阪梅田駅に到着しました。
【梅田駅に入ってくるなかもず行き普通列車】
【宿に帰る前にいただいた肉うどん】
この後、大阪メトロの梅田駅からなかもず行き普通列車に乗り換え、宿のあるなんば駅まで。ですが宿に戻る前、先に夕食をと思って寄ったお寿司屋さんが、味は悪くなかったものの居心地の面では微妙。(もっとも、元から長居できるようなお店ではありませんでしたが。)なので早々に切り上げて夜の街へ。それで入るなら居酒屋的なところが良かったのですが、難波で一見が飛び込みで良い店に当たる確率は相当低いよなぁ、なんて考えつつ歩いていると、雰囲気のあるうどん屋さんを見つけたので、そこで〆てしまうことに。このお店を含め、今日はうどんばかり食べたのですが、みんな違ってみんな良かったなぁ、と。
と、気分も持ち直したところで宿に帰り、さっさと就寝。部屋も悪くないし、昨晩の寝不足もあって良く眠れると思いきや、そうでもなかったんですよね。
大阪難波
05:03
|阪神なんば線
|581
|普通
05:28
尼 崎
05:29
|阪神本線
|563
|普通
05:34
武 庫 川
05:48
|阪神武庫川線
|53
|普通
05:53
武庫川団地前
05:56
|阪神武庫川線
|52
|普通
06:01
武 庫 川
06:08
|阪神本線
|564
|普通
06:13
尼 崎
06:45
|阪神本線
|642
|急行
06:54
大阪梅田
07:14
|阪神本線、山陽電鉄本線他
|9073
|直通特急
08:51
飾 磨
09:04
|山陽電鉄網干線
|961
|普通
09:21
山陽網干
09:27
|山陽電鉄網干線
|962
|普通
09:42
飾 磨
09:46
|山陽電鉄本線
|9381
|直通特急
09:50
山陽姫路
17:13
|山陽電鉄本線
|H9470
|直通特急
18:54
大阪梅田/梅田
19:03
|大阪メトロ御堂筋線
|46
|普通
19:11
な ん ば
阪神 運賃 大阪難波-武庫川団地前 360円
阪神 運賃 武庫川団地前-大阪梅田 270円
阪神・山陽シーサイド1dayチケット 2000円
大阪メトロ 運賃 梅田-なんば 230円
(合計 2860円)
つづく
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