趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】
16回目、そして今回を含め残りはあと2回となった名古屋鉄道乗車記ですが、今回は旅の最終日に広見線に乗った時のことを。
【3日目の乗車区間】
※クリックで拡大(この絵に限らず当ブログの画像はクリックでだいたい拡大しますので。)
この日、予定していたよりも早い列車に乗り継いできたので、昨晩の辛い食べ物が悪さをして先程の小牧線の車中で腹部を襲ったビッグウェーブを始末すべく犬山駅で列車を1本遅らせてトイレに行っても良かったのですが、犬山駅に着いた頃にはすっかり収まっていたので、とりあえず停車中していた広見線の列車に乗り、次に乗り換える新可児駅まで行ってしまうことに。
それでこれから乗る広見線ですが、この犬山駅を起点に、終点の御嵩(みたけ)駅までの22.3kmを結ぶ路線。名鉄が定めた路線記号は「HM」で、起点終点駅を含む駅数は11。途中の新可児駅でスイッチバックしている配線が特徴的で、またそれを境に、犬山寄りは複線、御嵩寄りは単線となっています。
このスイッチバック式の配線は広見線の成り立ちと関係していて、まずは新可児駅と御嵩駅の区間について。大正7年(1918年)に新多治見駅と広見駅(現在り新可児駅やJR可児駅の東南付近)の間を開業させた東濃鉄道は、大正9年(1920年)、広見駅と御嵩駅(現在の御嵩口駅)の間を延伸開業。当時は軌間(左右2本の線路の内側を測った長さ)が762mmのいわゆる軽便鉄道で、電化もなされていませんでした。その後、大正15年(1926年)、新多治見駅-広見駅間が国有化され、鉄道省の太多線に。そして広見駅-御嵩駅(現在の御嵩口駅)間は東美鉄道に譲渡されました。その後、昭和3年(1928年)、東美鉄道は軌間を現在と同じ1067mmに改軌すると共に全線電化すると共に、広見駅が現在のJRの可児駅、名鉄の新可児駅の場所に移転しました。それと参考までに東美鉄道は、昭和5年(1930年)に伏見口駅(現在の明智駅)から分岐して八百津駅までの路線も開業させています。
一方、犬山駅と新可児駅との区間ですが、大正14年(1925年)、現在とは別の名古屋鉄道(以下、「旧名古屋鉄道」と。)が犬山口駅と今渡駅(現在の日本ライン今渡駅)の間を今渡線として開業。その後の昭和4年(1929年)に延伸して広見駅まで乗り入れた際、現在と同じスイッチバック式の配線となり、名称を広見線と改称しました。またその翌年の昭和5年(1930年)には、旧名古屋鉄道と東美鉄道が、鉄道省(後の国鉄、現在のJR)太多線の広見駅との共同使用を止め独立。その際、駅名を新広見駅と改称。更に話は飛びますが、昭和57年(1982年)に現在の新可児駅に改称しています。
それで旧名古屋鉄道は名岐鉄道を経て昭和10年(1935年)に愛知電気鉄道と合併し、現在の名古屋鉄道が誕生したのですが、それから遅れて昭和18年(1943年)、東美鉄道は名鉄に合併され、東美鉄道だった路線は名鉄の東美線となりました。そして太平洋戦争後の昭和21年(1946年)、広見線の犬山口駅-富岡前駅を廃止、犬山駅-富岡前駅が開業し、それにより起点駅が犬山駅に変更に。昭和23年(1948年)には新広見駅-御嵩駅(現在の御嵩口駅)間が広見線に編入され、伏見口駅-八百津駅間は八百津線に変更。(その後八百津線は、平成13年(2001年)に廃止。)昭和27年(1952年)には御嵩駅が開業し、ここに広見線が全通。ちなみにこれまでの御嵩駅は御嵩口駅に変更となりました。
しかし平成19年(2007年)、利用客が少なく不採算路線となっている新可児駅-御嵩駅の廃止の可能性を名鉄が表明。以降、沿線自治体が赤字を補填しながらの運行が続いているとのことです。
乗り込んだ新可児行きの普通列車は、4両編成の6500系電車。先程乗った小牧線もトップナンバー編成だったのですが、何と続けてのトップナンバー編成。昭和59年(1984年)の製造で、車内もオリジナルのセミクロスシートのままというのが嬉しいですね。その先頭車6401(ク6400形)の、空いていた進行方向左側のクロスシートに着席。程なくして11時36分の定刻となり、犬山駅を発車しました。
犬山駅を出た列車は、左にカーブして広見線へと。右手には、名鉄で2番目に大きい車両基地、犬山検査場が。そして次の富岡前駅までは住宅地が眼に入るのですが、それを過ぎると車窓は鄙びてきて、田んぼの中に住宅、そして河岸段丘か里山かわかりませんが小高い地形という風景が続きます。
【善師野駅-西可児駅間(進行方向左側)】
【善師野駅-西可児駅間(右前方)】
次の善師野駅を出ると、名鉄にしては駅間が長いところに。これは愛岐駅、帷子駅、春里駅の3つを統合して西可児駅を設置したためだそうで。それでこの区間、私が座っている左側の車窓は、小高い地形の上に所々住宅地が見えるものの、展望があまり利かない感じに。一方右側の方が開けた感じがして、分譲地的住宅地も見えます。そして前方には、雪化粧した高い山々が。(方角的に木曽山脈?全く自信なし。)で、そんな中、広見線唯一のトンネルである愛岐トンネルを抜け、車窓にまた住宅が増えたと思ったら西可児駅に到着。
西可児駅を出るとまた里山が車窓に迫るものの、それを抜け可児川を渡ると可児川駅に到着。このあたりから、次の日本ライン今渡駅に近づくにつれ可児市の市街地という感じになりますが、流石に今日の序盤に見た名古屋市及び近郊よりはのんびりとした感じ。その中をそのまま走り、JRを跨いで右に曲がると、犬山駅を出てから約20分、定刻の11時56分に、この列車の終点である新可児駅の、ターミナル駅のような頭端式ホームに停車しました。
【新可児駅の中間改札口付近】
【新可児駅の駅名標(犬山方面)】
【新可児駅の駅名標(御嵩方面)】
新可児駅では、次の列車まで20分近く待ち合わせ時間が。それでまずは、駅構内のトイレを少々拝借。実はこの頃、先程治まった下腹部のビッグウェーブが再び襲ってきつつあったので、ギリギリセーフという感じで。あとはこの広見線の前に乗った小牧線の更に前、名古屋市営地下鉄の運賃を精算。それでこの新可児駅から先の広見線は、午前10時以降は昨日の蒲郡線のようなワンマン運転になるためか、御嵩行きの列車が発着する1番線には中間改札が設けられているので、改めて名鉄電車全線2DAYフリーきっぷを通してプラットホームへ。
その中間改札を通って待つこと暫し。12時10分頃、犬山駅方面からの列車とほぼ同時に、御嵩駅からの列車が2両編成で到着。車両は蒲郡線でも使われているワンマン仕様の6000系。乗り込んだ車両は先頭車の6209(モ6200形)で、流石に3本続けてのトップナンバー編成はないよなと思ったのですが、調べてみるとこの車両、昭和51年(1976年)に4両固定編成で登場した6000系が、昭和53年(1978年)から2両固定編成も作るようになった際の最初の番号の編成で、ある意味トップナンバーとも言えなくもないかなぁ、と。それにしても、列車の先頭部及び最後部に掲げられた「新可児⇔御嵩」の行先標が昔の列車を彷彿とさせますが、これは終点の御嵩駅での折り返し時間が短いため(に行先標を挿しっぱなしにする為)でもあるようですね。
やがて定刻の12時14分となり、列車は新可児駅を後に。同時に発車した中部国際空港行きの列車と別れて右にカーブ。先程も渡った可児川を再び渡ります。その後暫くの間、道路と併走。沿線は農地が多く、その中に住宅が点在しているといった感じ。
新可児駅を出て約4分で、平成13年(2001年)までは八百津線が分岐していたこの区間唯一の交換可能駅である明智駅に到着。もっとも、この時間帯の広見線末端区間は列車交換はなく、同じ編成が行ったり来たりしているだけなのですが。それにしても、線路脇に植えられた南天が赤く色付きとても綺麗ですね。
明智駅を出ても、列車は相変わらず農地に住宅が点在するような景色の中を進みます。JRの路線だと、びっくりするくらい人跡のない区間を通ったりするのですが、私鉄はそうでもなく、この一時は廃止が表明された区間でも、人の営みが目に入ってきます。そんな中、やがて列車は顔戸(ごうど)駅に停車。なかなかの難読駅ですが、名鉄で一番北にある駅でもあるそう。
顔戸駅を出て三度可児川を渡って暫く行くと、昭和27年(1952年)3月までは終着駅だった御嵩口駅。現在は1面1線の棒線駅ですが、現在使われているホームの向かい側には、かつて亜炭の積み出しに使われたという広い構内と低いホームが残っています。
【御嵩駅停車】
御嵩口駅を、僅かな停車時間ののちに発車すると少しだけ走って、12時25分の定刻、終点の御嵩駅に到着。降車した僅かな乗客のうち幾人かは、私と同じ目的で来たようでした。
御嶽駅では、一度出札口から出て駅舎の写真を撮影。先程降りた、私と同じ目的の人は4分後に折り返していく12時29分発の列車に乗り込みましたが、時間に余裕があることだし、私は1本遅らせて30分後の12時59分発の列車に乗ることに。「乗らないんですか」と声をかけてくださった運転手さんに次の列車に乗る旨を告げて見送れば、可児川が作った低い谷あいの集落にある終着駅に静寂が訪れるなんてことはなく、上空を旋回するセスナ機から、大音量で宣伝が流れています。また駅近くの全線に止まったトビが「ピョロロ〜」っと鳴き、更にはそれに反応しているのか、スズメが集団で「チュンチュン」の2,3乗くらいのボリュームで鳴いています。
やがて少々煩かった宣伝飛行が終わると、それに釣られてか鳥たちの大合唱も止み、ようやく静けさが。落ち着いたので、ホームの端まで歩いてみたり、その際見つけた御嵩口駅寄りの構内にあった木製の架線柱を眺めてみたり、その後ホームのベンチに座ってのんびりしてみたりして、御嵩駅の「雰囲気」を味わいました。個人的に、鉄道の旅の途中、こういう縁もゆかりも無い駅で列車を1本遅らせて無為な時間を過ごすということをたまにやるのですが、結構良いものです。
【木製架線柱と御嵩駅に入ってくる折返し新可児行き普通列車】
【御嵩駅に停車中の新可児行き普通列車】
そんな感じで御嵩駅に滞在すること約30分。12時55分に、折返し新可児駅行きとなる列車が到着。車両は先述のとおり、先程と同じ編成ですが、乗る車両は変えて、先頭車の6009(ク6000形)に。先程は乗務員室直後で前方の景色を眺めていましたが、この列車はガラガラなのを良いことに、ロングシートの中央部付近に座って、反対側の窓からのんびりして景色を眺めていました。
御嵩駅から来るときと同じ約11分で新可児駅に到着後、乗換えたのが、13時14分発、犬山駅から準急列車となる、広見線・犬山線経由の中部国際空港行きの普通列車。新可児駅始発の犬山方面行き列車は、土日平日にかかわらず、概ね1時間に2本が、中部国際空港行きとなっています。で、その車両はこの旅で何度も乗った6500系の4両編成で、前から3両目の6453(モ6450形)、昭和59年(1984年)製に乗り込んで、空いていたクロスシートに着席。この旅でこの名鉄独特のクロスシートに座れるのも、これが最後かもしれません。
【富岡前駅-犬山駅間(犬山検車区の建物と豊田線用車両)】
【富岡前駅-犬山駅間(地下鉄上飯田線車両)】
それでこの列車に終点まで乗車すれば、この旅でまだ乗っていなかった犬山線の一部、常滑線の一部、そして空港線に乗ることが出来、名古屋鉄道全線完乗を達成することができるのですが、名鉄で最後に乗るべき列車は既に決まっているので、とりあえず犬山駅で下車することに。その手前の犬山検車区という車両基地には、先程乗った小牧線に乗り入れている名古屋市営地下鉄上飯田線の車両や、昨日乗った豊田線の地下鉄乗入用車両などが停まっているのが見えました。
つづく
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