趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】
【3日目の乗車区間】
※クリックで拡大(この絵に限らず当ブログの画像はクリックでだいたい拡大しますので。)
サカエチカでの腹ごしらえが済んだ後、次に乗るのは小牧線。そのためにまずは、栄駅から10時34分発の名古屋市営地下鉄名城線、大曽根行き普通列車に乗って平安通駅に。これから乗る小牧線ですが、ほぼ全列車が名古屋市営地下鉄上飯田線を直通して、平安通駅まで運転されています。それでまずは、これから乗る小牧線と、ついでに名古屋市営地下鉄上飯田線について。
小牧線は、上飯田駅を起点に終点の犬山駅まで20.6kmを結ぶ路線。名鉄の定めた路線記号は「KM」で、起点終点を含む駅数は14駅。全長の約半分にあたる上飯田駅と小牧駅との間9.8kmが複線化されています。
路線建設に至るまでの経緯も結構複雑なのですが、結果的に昭和6年(1931年)2月、名鉄の前身である名岐鉄道により、名古屋市の上飯田駅から味鋺(あじま)駅を経由して新勝川駅に至る路線と、味鋺駅から新小牧駅(現在の小牧駅)に至る路線が城北線として開業。同年4月に新小牧駅から犬山駅の間が開業した際、上飯田駅-犬山駅の区間は将来東大曽根駅(現在の大曽根駅付近)まで延伸することが予定されていたので大曽根線に、味鋺駅と新勝川駅の間は勝川線と改称されましたが、東大曽根延伸の話は立ち消えになり、勝川線も昭和11年(1936年)に休止となり翌年に廃止されてしまったという。
そして昭和10年(1935年)に名岐鉄道と愛知電気鉄道が合併して現在の名古屋鉄道が誕生したのですが、この当時、小牧線という名称は、犬山線の岩倉駅から小牧駅(現在の小牧駅とは別駅)へ至る路線に付けられていました。その後は、昭和17年(1942年)に上飯田駅-小牧駅間が電化。昭和20年(1945年)5月に小牧線の犬山駅を廃止すると共に大曽根線の新小牧駅を小牧駅と改称して、小牧線の列車が乗り入れるようになりました。
太平洋戦争後は、昭和22年(1947年)に非電化区間として残っていた小牧駅-犬山駅間が電化。翌昭和23年(1948年)には路線名称を、これまでの小牧線を岩倉支線に、大曽根線を小牧線にそれぞれ改称。(ですが岩倉支線は昭和39年(1964年)に廃止に。)その後は、一部区間の複線化などの改良が行われたものの、昭和46年(1971年)に上飯田駅で接続していた名古屋市電御成通線が廃止になってしまい、名古屋市側のターミナルに接続するのは路線バスだけという状態に。その結果、小牧線は大都市近郊路線にもかかわらず、単線区間が多く運転間隔も比較的長いローカル線的雰囲気があったそうで。
その後、名古屋市側ターミナルの不便を解消するために計画されたのが、名古屋市営地下鉄の平安通駅と小牧線の上飯田線を結ぶ上飯田連絡線。平成4年(1992年)、当時の運輸省内に設置された運輸政策審議会において平成20年(2008年)までに建設する路線として答申され、平成8年(1996年)に着工。同時に、小牧線の上飯田駅-味鋺駅間の地下化と複線化工事も行われることに。
着工前年に発生した阪神淡路大震災を受けて構造物の耐震基準が変更となったり、平成12年(2000年)の東海豪雨の影響を受け工事が延びましたが、平成15年(2003年)に完成して平安通駅-上飯田駅は名古屋市営地下鉄上飯田線として開業。相互乗り入れが行われ、小牧線の列車が平安通駅まで直通するようになりましたが、味鋺駅-平安通駅の区間は、第三セクターの上飯田連絡線株式会社が線路や駅など施設を(第三種鉄道事業者として)保有し、味鋺駅-上飯田駅間2.3kmが名鉄、上飯田駅-平安通駅間0.8kmが名古屋市営地下鉄を運営する名古屋市交通局が(第二種鉄道事業者として)列車の運行を行う上下分離方式を採用。ちなみに地下鉄上飯田線は、路線の全長が800mと、日本一短い地下鉄路線になっています。
そんな小牧線と地下鉄上飯田線に乗るためにこれから乗車するのが、10時58分発の犬山行き普通列車。小牧線(と上飯田線)は名鉄と名古屋市営地下鉄両方の車両が走っているのですが、ホームに停車していたのは名鉄の車両である300系電車。名鉄の名古屋市営地下鉄乗り入れ車両フォーマットに従い車体長20mの4扉車というエクステリアですが、車内はロングシートに加えて一部扉間が、何と転換クロスシートになっているんですよね。その4両編成のうち前から2両目のクロスシート部分に着席。車両番号は331(モ330形)で、調べたところ上飯田連絡線の開業に先立つ平成14年(2002年)に製造された車両、しかも300系のトップナンバー編成のようです。
土曜日午前中の中途半端な時間に加えて、名古屋市から郊外へと向かう列車とあってか、あまり乗客が増えないまま定刻となり上飯田駅を発車。それから約1分、あっという間というか、極めてあっさりと上飯田駅に到着。あっさりしすぎていて、駅に停車中の写真を撮るのを忘れてしまいました。
約1分の停車の後、11時00分に上飯田駅を発車し、列車はいよいよ小牧線へと。少しだけ地下を走った後、味鋺駅の手前で地上へ。これを初見で「あじま」と読める人はあまりいないと思うのですが、次の駅もまた「味」が付く味美(あじよし)駅。それで調べたところ、地名の由来として地元新聞社のウェブサイトに、味鋺は味鋺神社に祀られた、味美は味美古墳群の中にある白山神社に祀られた、「味饒田命(まじにぎたのみこと)」に由来するとのことでした。(昨日の猿投に続く古代史ロマンだなぁ。)
【味美駅-春日井駅間】
【春日井駅にて】
【牛山駅-間内駅間】
次の春日井駅は、同名の駅がJR中央本線にもありますが、そちらとは直線距離で約3km離れています。それにしても、プラットホームにかかる古びた屋根などが昔のローカル線的小牧線を偲ばせますね。一方車窓から見える景色は、味鋺駅手前で地上に出た時の住宅街という印象から、牛山駅を出ると立ち枯れたススキの原などこちらも次第にローカル線的雰囲気に。また次の間内駅では駅前に立派な銅像が立っていたのですが、後で調べたところ、子孫が当地に縁のある浅井長政公とのことでした。
間内駅を過ぎ、路線が小牧市内に入ると再び車窓には住宅など建物が増えるのですが、線路は連続立体交差化のために地下に潜りつつ掘割の中にある小牧口駅に停車。ちなみにこの駅も、先程乗った瀬戸線の東大手駅や初日に乗った竹鼻線・羽島線の江吉良駅同様、太平洋戦争に伴って昭和19年(1944年)に休止となった駅の一つだったのですが、岩倉支線と共に廃止になった西小牧駅の代替で、1964年(昭和39年)に復活したそうで。そして次が、平成元年(1989年)に完全な地下駅になっている小牧駅に停車。平安通駅を出てからここまで約17分、定刻の11時15分に到着。乗車時間的に、この列車のちょうど半分となりました。
小牧駅では、乗客が多少入れ替わったようで。でもここから先は、これまでの複線から単線になり、今度は地下から掘割を経て高架線へと登って高架駅の小牧原駅に停車。このあたりから、小牧駅から乗ってきたアジア系外国人の大きな話し声で車内は急に賑やかに。普通に会話しているだけだと思うのですが、口調や声の高さから喧嘩しているように聞こえます。そして次の味岡駅も高架駅ですが、プラットホームが2面あるものの、一方には線路や架線が設置されていない状態。将来的に交換可能駅にする予定があるんですかね。ちなみにこの味岡駅。先程の味鋺駅、味美駅と同じく駅名に「味」が付きますが、前出の地元新聞社のウェブサイトによるとこちらはそれらとは無関係で、当地の古い地名である「味岡村」に由来するそう。
小牧原駅を発車すると線路は地上へと戻り、田県神社前駅に停車して反対方向の列車と交換。古い鉄道と寺社仏閣は関係が深く、名鉄もパッと思いつくだけで神宮前駅や豊川稲荷駅があるのですが、この田県神社前駅も、かつては年に一歳執り行われる田縣神社の豊年祭の際、名鉄名古屋駅方面から犬山駅経由で臨時列車が運行されるほどだったそうで。
田県神社前駅を後にして、路線が犬山市に入ると田んぼが多くなり鄙びたローカル線の雰囲気。そして次の楽田(がくでん)駅出ると、更に鄙び度が増す感じ。そういえばこのあたり、線路の敷地は複線分確保されていて、架線柱も副専用のものが使われているんですね。で、この頃、車窓の景色はすっかり大人しくなり、加えて先程来少々喧しかった外国人の会話もこの頃には落ち着いていたのですが、今度は私の中のマグマが目覚めたというか。というのも昨晩いただいた辛い辛い台湾ラーメンと手羽先が朝方に続いて再び悪さを始め、出口に向かって波のように押し寄せてきました。
そんな繰り返し襲うビッグウェーブに耐えつつ列車は進み、最後の停車駅である羽黒駅に。そして次は終点だと思ったら、程なくして田んぼの中に停車。羽黒駅と犬山駅の間にある五郎丸信号所で列車交換をしたのですが、この時間帯、一日のうちに運転本数が一番少ないので少々意外な感じが。そして五郎丸信号所を発車すると程なくして左側から犬山線、右側から次に乗る広見線の線路が近づき、11時32分の定刻に、列車は犬山駅に到着しました。
つづく
現在、新しいコメントを受け付けない設定になっています。
このブログの管理人
【ご注意】 このブログに記載された情報は訪問当時のもので、現在のものとは異なる場合があります。あしからずご了承ください。
ツイッター
カテゴリー
ブログ内検索
最新記事
カレンダー
アーカイブ
忍者ツールズアクセス解析