たひお備忘録

趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

名古屋鉄道完全乗車記 【令和2年1月23~25日】 その9(西尾線)

吉良吉田駅に停車中の弥富行き急行列車

 9回目となる名古屋鉄道乗車記ですが、今回は旅の2日目に西尾線に乗った時のことを。



目次

【2日目の乗車区間】
2日目の乗車区間
※クリックで拡大(この絵に限らず当ブログの画像はクリックでだいたい拡大しますので。)

西尾線

【吉良吉田駅の乗換改札口】
吉良吉田駅の乗換改札口

 吉良吉田駅まで乗ってきたのは私の他、蒲郡駅から乗ってきたお年寄りのグループ客がほとんどのようで、更には私を含むそのほとんどが、乗換改札口を通って西尾線の列車に乗り換えた模様。

【吉良吉田駅の駅名標】
吉良吉田駅の駅名標

 それでこれから乗る西尾線。今でこそ名鉄が定めた路線記号は先程の蒲郡線と一体となる「GN」で、新安城駅を起点に終点の吉良吉田駅との間24.7kmを結ぶ、単線一部複線、起点終点を含めた駅数14駅という路線ですが、その成り立ちはわりと複雑。というのも、元々は西尾鉄道と碧海電気鉄道とがそれぞれ開通させた路線を統合して、現在の西尾線が生まれたからなんです。

 そのうちまずは西尾鉄道ですが、当初の社名は西三軌道といい、明治44年(1911年)、現在のJR岡崎駅に隣接する岡崎新駅から西尾駅の間を開業。翌年に西尾鉄道に社名変更後も徐々に路線を延ばし、大正4年(1915年)に吉良吉田駅まで開通。ただし、位置的には現在の駅よりも約300m北方だったそうで。更に翌年、吉良吉田駅から吉田港駅まで開通して西尾鉄道は路線を全通させたのですが、軌間(左右2本の線路の内側を測った長さ)が762mmのいわゆる軽便鉄道で、電化もなされていませんでした。そして大正15年(1926年)、先述の名古屋本線でも出てきた愛知電気鉄道が西尾鉄道を合併。岡崎新駅-吉田港駅間の全区間が、愛知電気鉄道(愛電)西尾線となりました。

 一方、碧海電気鉄道は、愛知電気鉄道の子会社として発足。大正14年に今村駅(現在の新安城駅)-米津駅間を開業させ、昭和3年(1928年)には西尾駅まで延伸しようとしていました。それと同時期、西尾線の軌間762mmから1067mmへの改軌と電化工事を推し進めていた愛知電気鉄道は、線形の悪かった西尾駅付近を改良するため、既設の西尾駅を移設し、碧海電気鉄道の西尾駅を共同使用することに。そして晴れて10月、碧海電気鉄道の西尾駅延伸と、西尾線の改軌・電化および移転した西尾駅への乗り入れがなされると共に、碧海電気鉄道と西尾線の直通運転が開始。しかしその一方、西尾線の三河吉田駅-吉田港駅間は廃止となりました。

 で、それらが完成した翌年の昭和4年(1929年)に、西尾線の岡崎新駅-西尾駅間の改軌と電化が完成。昭和10年(1935年)には愛知電気鉄道は名岐鉄道と合併して現在の名古屋鉄道が発足し、西尾線も名鉄に引き継がれました。また昭和17年(1942年)、吉良吉田駅からほど近い三河鉄道の三河吉田間まで西尾線が延伸され、翌年には西尾鉄道の吉良吉田駅が三河鉄道の三河吉田駅に統合。蒲郡線との直通運転も開始されました。

 そして太平洋戦争が激化する昭和18年(1943年)、西尾線の岡崎新駅-西尾駅間が戦時中の不要不急路線として休止。(その後一部区間で運行が再開されたものの、昭和37年(1962年)廃止に。)翌昭和19年(1944年)3月には名古屋鉄道が碧海電気鉄道を合併し同区間は碧西線となり、同日、西尾線の西尾駅-三河吉田駅間も碧西線に組み込まれることに。これが現在の路線で、戦後の昭和23年(1948年)、名称を西尾線と変されました。

 その後、架線電圧の関係で一時は休止されていた蒲郡線との直通運転が再開したり、名古屋本線直通の特急列車が運転がなされたりしたものの、末端区間である西尾駅-吉良吉田駅間の利用客が減少し、前述した蒲郡線と同様、平成9年(1997年)には当時の社長が不採算路線として廃止検討を表明。平成10年(1998年)からは運行経費削減のため、末端区間と蒲郡線直通のワンマン運転が行われたりしました。更にその後、平成20年(2008年)に蒲郡線とのワンマン直通運転が全廃。名古屋本線直通の特急列車の吉良吉田駅-西尾駅間も廃止になったものの、現在は吉良吉田駅発の大半の列車が名古屋本線(以遠)への直通運転が行われています。

【吉良吉田駅に停車中の弥富行き急行列車】
吉良吉田駅に停車中の弥富行き急行列車

 そんな変遷をたどった西尾線を走破するのが、吉良吉田駅9時45分発の弥富行き急行列車。この列車は西尾線を全線走った後、新安城駅から名古屋本線、須ケ口駅から津島線、対馬駅から尾西線という全区間乗り通す乗客はほぼいないと思われるルートを通って走ります。(こういう車両運用って、個人的には名鉄らしく感じます。)またホームの長さギリギリに停車していた4両編成の車両は、名鉄一般車で最大派閥を誇る6000系グループのうち、回生ブレーキを装備するなどして昭和59年(1984年)から登場した改良型の6500系という形式。乗り込んだ先頭車の車両番号は(ク6500形の)6516なので、昭和62年(1987年)に製造され、平成7年(1985年)に車内をロングシートに改造された車両のようです。

【吉良吉田駅-上横須賀駅間】
吉良吉田駅-上横須賀駅間

 先頭の乗務員室直後のロングシートが空いていたので有り難く座らせて貰い、程なくして定刻に。発車した時点で、この車両は9人掛けロングシートに1,2人、各車平均すると1両に10人いないくらいの乗車率。それで発車して市街地を抜けると暫くは田んぼの中を走るのですが、この西尾線の末端区間、吉良吉田駅と隣の上横須賀駅の間が4.2km、その隣の福地駅との間が3.1kmと、名鉄にしては駅間距離があって、加えてカーブも少ないせいか、かなりのスピードで飛ばしますね。(100km/hくらい出ているのでは。)

【西尾駅進入】
西尾駅進入
【米津駅に停車中の弥富行き急行列車】
米津駅に停車中の弥富行き急行列車

 吉良吉田駅を出て10分少々で田園風景に別れを告げ、高架線に登ったと思ったら、西尾線の中心であろう西尾駅に到着。蒲郡線、西尾線末端区間を通ってきた身には、蒲郡駅以来となる駅の周りの「街」感が眩しいです。その西尾駅に3分停車する間に座席が9割方埋まり、10時丁度に発車。隣の西尾口駅手前まで複線化されているのですね。その後、駅間は農地が目立ち、駅付近は民家が目立ち、ところどころに工場があり、遠くに低い山という、田舎寄りの郊外といった景色が続き、駅ごとに乗客が乗ってきます。そんな中、米津駅の交換待ちを利用して、吉良吉田駅で撮れなかった先頭車の写真を撮影。

【米津駅-南桜井駅間】
米津駅-南桜井駅間
【新安城駅進入】
新安城駅進入

 米津駅を発車した列車は、これまで走っていた西尾市から安城市へと入り、南桜井駅に停車した後、再び複線区間を走って桜井駅に。ちなみに西尾線の複線区間は現在この2箇所だけですが、西尾駅と新安城駅の間は概ね複線分の用地が確保されているようで、また写真の南桜井駅手前など、将来を見越してか単線だけど複線用の架線柱が使われている箇所もありました。そして沿線の景色は徐々に都会っぽく変化していき、名古屋本線と合流する新安城駅に到着。ここから次に停車するある知立駅まで列車に乗り続けます。


つづく

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