趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】
【2日目の乗車区間】
※クリックで拡大(この絵に限らず当ブログの画像はクリックでだいたい拡大しますので。)
乗車するのがこの短時間で3回目になってしまった国府駅と豊橋駅の間を乗り終えると、先程やらかした改札から一度出て、再びSuicaで入場。次に乗る蒲郡線のためにJR東海道本線の列車でに乗り換えます。その際、元々の計画だと豊川駅で朝食に買おうと思っていたいなり寿司がコンコースで売られているのを発見。思わず手が伸びそうになったのですが、先程朝食におにぎりを2つも食べてしまったので涙を飲んで見送りました。
豊橋駅から乗る列車は、8時48分発の大垣行き特別快速列車。ホームに降りて程なく、今やJR東海の在来線スタンダードとなった313系電車が入線してきました。その車内は通勤ラッシュ時間を概ね過ぎているせいか、席がさらっと埋まってドア付近には立ってる人も。私の隣も、若いサラリーマン風の男性が座りました。やがて定刻となり発車すると、降りる予定の蒲郡駅までは12分ほど。席でちょっと落ち着くと到着という具合で、隣の男性にどいてもらい、網棚から大きな旅行鞄を下ろして下車。
列車を降り、Suicaを使ってJRの改札口から出たあと、今度は名鉄電車全線2DAYフリーきっぷを携えて、何やら裏口めいている名鉄の改札口から入場。それでこれから乗る蒲郡線。吉良吉田駅を起点にこの蒲郡駅を終点とする、17.6kmの路線で、起点終点を含む駅数は10駅。全線単線の路線で、名鉄が定めた路線記号は、吉良吉田駅で接続する西尾線を含めて「GN」となっています。それでこの蒲郡線という路線名が付いたのは昭和23年(1948年)のことなのですが、元々の姿はだいぶ違っていました。
元々は三河鉄道が大正3年(1914年)に刈谷新駅(現在の刈谷駅)から大浜港駅(現在の碧南駅)まで開通させた路線を延伸させ、三河吉田駅(現在の吉良吉田駅)まで到達したのが昭和3年(1928年)のこと。そこから三河湾に沿って更に線路を伸ばし、昭和4年(1929年)には三河鳥羽駅まで、昭和11年(1936年)7月には三河鹿島駅まで、そして同年11月には蒲郡駅まで全通。その後昭和16年(1941年)、三河鉄道は名古屋鉄道に合併され三河線になり、更に昭和23年(1948年)、三河吉田駅と蒲郡駅の間が蒲郡線として分離されたという成り立ちになっています。
また名鉄による沿線の観光開発などと合わせて昭和40年(1965年)からは西尾線経由で名古屋本線直通の特急列車が新設。(平成17年(2005年)まで運転。)輸送力増強のために複線化の認可も取られたものの、観光客の減少や沿線の道路の整備よって利用客が減少。一転して不採算路線になり、平成9年(1997年)には当時の社長によって廃止を検討する旨が公表。それによって、蒲郡線のルーツたる三河線の碧南駅-吉良吉田駅などが廃止されたのですが、蒲郡線(と接続する西尾線末端区間)存続を望む沿線自治体と(後に県とも)協議した結果、現在のところ令和2年度(2020年度)までは沿線自治体が運行費用の一部を支援することによって存続が決まっているようです。
そんな蒲郡線を乗る列車が、9時11分発の吉良吉田行き普通列車。1面2線の高架ホームにちょこんと、ちょっと懐かしい見た目2両編成が停車していました。で、この車両。形式は昨日笠松駅から名鉄岐阜駅まで乗った6000系という3扉通勤型車両と同じながら更に古いタイプで、乗車した先頭車の6212(モ6200形)は調べたところ今から40年以上前の昭和53年(1978年)の製造。昭和61年(1986年)に車内が集団離反式クロスシートからロングシートへと変えられ、更に平成10年(1998年)には大規模な整備とともにワンマン化改造がなされているのですが、ドア間の連続窓やその内側に下がるカーテンに、パノラマカーから続く名鉄車両デザインを垣間見ることが出来ます。
列車は9人掛けのロングシートに4,5人程度の乗客を乗せ発車。それにしも、乗客の年齢層がとても高いというか、一部はグループ客の数多くの老人に混ざって、若者や私を含む中年がポツポツという感じで。それで発車した列車は高架線をJR東海道本線と併走し、地上に降りて最初に停車するのが蒲郡競艇場前駅。私自身、競馬という公営競技を嗜んでいることから老人、特に男性はこの駅で降りるのではと思っていたところ、この日はボートレースが開催されていないようで、降りた乗客は僅かなようでした。
私が乗っていた先頭車では乗務員室直後のシートに座っていた老女が降りたので、ここで席を移動。座りながらも首を90度傾けて前面展望保楽しむことに。で、蒲郡競艇場前駅を発車した列車は左にカーブして東海道本線と別れ、三河鹿島駅に停車。それにしてもこの車両、先程乗った豊川線もワンマン運転だったのですが、こちらのはよりガチなワンマン仕様というか、運転席の後ろには運賃箱が付き、乗車ドアは先頭車最後部のみ、降車ドアは先頭車最前部のみ開放という按配。運転手さんは停車後にドア扱いしたあと、運賃収受も行っていました。ですが、ここで降りた若い女性がそれを気にせず後部ドアから降り、運転手さんが大声で呼び止める事態に。ある程度乗客の協力必要なワンマン運転ですが、実際には気にしない乗客もいて大変そうです。
その後駅ごとにパラパラ乗客を降ろしながら列車は進み、西浦駅で交換のため4分停車してから発車。そしてここから先が、蒲郡線のハイライト。三河湾沿いの風光明媚な区間を進みます。列車は前述のとおり、景色を楽しむのが不得手なロングシートですが、乗客が少ないことをいいことに、乗務員室後ろから海側のドアのところにポジションを移して堪能。個人的に海無し県の栃木で生まれ育っただけあって、海を見ると気持ちがどうも高ぶるんですよね。
ただ、三河湾の景色を堪能できるのは、愛知こどもの国の最寄り駅であるこどもの国駅の手前まで。そこから先は三河湾と付かず離れずという感じで、海に近い地形らしい勾配をアップダウンしながら進みます。そして列車交換をした三河鳥羽駅を発車すると完全に三河湾とは離れ、農地の中を。
やがて前方に接続する西尾線の列車が停車中の吉良吉田駅が見え、蒲郡駅から約30分、9時41分の定刻に、列車は吉良吉田駅2番線に停止。その先には、平成16年(2004年)に廃止になった三河線の路盤が続いていました。
つづく
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