趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】
【2日目の乗車区間】
※クリックで拡大(この絵に限らず当ブログの画像はクリックでだいたい拡大しますので。)
豊橋駅に到着して名古屋本線を乗り終えた後は、豊川線に乗る予定。4分の接続時間で7時32分のJR飯田線本長篠行き普通列車に乗り換えて豊川駅まで行き、隣接する名鉄の豊川稲荷駅から豊川線に乗って国府駅まで行き、再び名古屋本線で豊橋駅に戻る計画を立てていました。それで通常だと、名鉄と共用になっている飯田線ホームで余裕のある乗り換えが出来たと思われるのですが、この時、名鉄岐阜駅での入場は名鉄電車全線2DAYフリーきっぷを使用しており、JRの豊川駅で出札する際の精算が面倒になりそうだったので、一旦改札口を出てから、飯田線の運賃は手持ちのSuicaで払うということを思いついてしまったという。また改札口を出ることによって、名古屋本線の乗車に一区切りつけたかったというのもありまして。
ですがそれが大失敗。時間が4分もあるからと高を括っていたら、まず、先述のとおり豊橋駅到着が限りなく29分に近い28分に。加えて朝のラッシュ時で混雑するホームや駅構内、そして肩から掛けた旅行鞄の重さもあって歩く速度が上げられず。(ホームでは走っちゃいけません。)更に一番マズかったのは、連日の寝不足のせいか自分自身の体内時計が大幅に狂ってしまっていたこと。降りた時のホームや一旦出た改札口付近で写真を撮っていた際も、時間的に余裕があるの思い込んで別に焦ったりはしていなかったのですが、実際には時間が刻一刻と過ぎ去っていて、気が付いた時にはすでに遅かったというか、結局のところギリギリで飯田線の普通列車に乗り遅れるという事態に。
ここで取ったリカバリー策は、豊橋駅7時36分発の犬山行き特急列車(そう、先程乗ってきた列車の折返し。)に乗ること。国府駅で豊川線の普通列車に乗り換えて豊川稲荷駅まで往復すれば、その先は予定どおりに行けることは、計画を立てる時に乗り継ぎを調べていて気が付いたんです。と、この時は豊川/豊川稲荷駅での滞在時間が極端に短くなり、ここで予定していた朝食を食べ逃すことくらいのダメージで済むと思ってしまったのですが、後で考えるとこれも失敗だったというか、予定の逆ルートを通れば、豊川/豊川稲荷駅での滞在時間をさほど減らすことなく、予定どおり朝食が食べられたんですよね。(まぁ、当時の判断を後から「神の視点」で批判してもあまり意味はないのですが。)
もっともこの時は、朝食を諦めたことによってよりお腹が空いてしまったような感覚を味わいつつ、犬山行き特急列車の一般席に乗車。5号車の1465(モ1450形)という車両です。当然車内は混んでいて座ることは出来ず、国府駅までの約10分間立ったまま、先程のドタバタで乱れた息を整えていました。
国府駅では5分の接続時間で、豊川線の7時51分発豊川稲荷行き普通列車に乗り換え。それでこれから乗る豊川線ですが、この府中駅を起点に終点の豊川稲荷駅の間7.2kmを結ぶ全線単線の路線で、起点終点を含めた駅数は5。名鉄が定めた路線記号は「TK」となっています。
その歴史は名鉄の路線の中では比較的新しく、太平洋戦争中の昭和20年(1945年)2月に、豊川海軍工廠への物資及び通勤客輸送のため、国府駅から市役所前駅(現在の諏訪町駅)の区間が豊川市内線として開業。戦時中の建設のため、レールや変電所の機器、車両などは他路線からの流用で賄われたそうです。そして戦後、国鉄豊川駅までの延伸が計画され、昭和29年に当時の新豊川駅(現在の豊川稲荷駅)まで全通。同時に路線名称も豊川線となりました。
降りたホームの反対側に停車していたのは、昨日の尾西線でも乗った6800系電車の2両編成。先頭の6833(ク6800形)に乗車。調べたところ、平成3年に製造され、平成23年(2011年)に尾西線・豊川線のワンマン運転化に合わせてそれ用に改造された編成のようです。
国府駅を定刻に発車した列車はちょっとのあいだ名古屋本線と並走した後、左にカーブして別れ、高架線に登ったと思ったら最初の駅である八幡駅に停車。豊川線については、個人的にずっと地上を進むと思い込んでいただけに、この高架線と立派な高架駅は少々以外な気がしました。そして駅に停車すると、全てのドアが解放。昨日の尾西線は朝のラッシュ時だからとあまり疑問に思わなかったのですが、この豊川線、ワンマン運転と言っても、列車の運転手さんは運賃収受、切符集札業務はやらないタイプなんですね。
八幡駅を出るすぐに地上に降り、住宅地の中を淡々と走行。枕木は木製で、タタンタタンと線路の継ぎ目を通過する音が頻繁に聞こえることから、長さ100mレールが使われているのでしょうか。あと線路の隣をあまり立派じゃない道路が並走していることと、その道路と線路の高さがあまり変わらないのは、この豊橋線が元々は鉄道ではなく、軌道法に基づく軌道(ものすごく雑に言うと「路面電車」の類。)として建設されたことと関係があるのでしょうかね。
最後の途中停車駅である稲荷口駅を発車した列車は、左に急カーブを切りつつJR飯田線と合流したと思ったら、終点の豊川稲荷駅に進入。到着は、定刻の8時2分よりも1分遅れての到着となりました。
列車が停車した後、乗っていた先頭車の一番前のドアから早足で降りて一度改札口を通過。豊橋駅からここまでの運賃をSuicaで支払いました。名鉄電車全線2DAYフリーきっぷを持っていたので本来不要な筈なのですが、今後Suicaを使う際の処理が面倒そうだったので支払った次第。そしてすぐに引き返して大急ぎで写真を撮ってから停車中の列車内へ。
というわけで豊川稲荷駅から乗るのが、先程列車の折返しとなる、8時5分発の国府行き普通列車。今度は気をつけていたのでので豊橋駅のような目に合わず、定刻のちょっと前には乗車できていたのですが、列車の発車が1分遅れました。それで乗車したのは2両編成の先頭車、6933(モ6900形)に乗車。行きは前を見ようと乗務員室直後に立っていたので帰りはロングシートに座って暫しのあいだ休憩を。行きもそれほど混雑していなかったのですが、帰りはもっとガラガラの車内。反対側の窓越しに見えるのは住宅ばかりという感じで、景色よりも府中駅に着いてからのことを、手持ちのスマートフォンを使ってネット検索。ですが、ここでやらかしてしまったというか、この豊橋線は、途中の諏訪町駅と八幡駅の間に、列車交換のための諏訪新道信号場というのがあり、国府行きの列車はここで一時停止するんですよね。それを写真にでも収めようと思っていたのですが、すっかりと忘れ、発車した時に「あっ!」と。やはり今日はどうも駄目っぽいようで。
【国府駅の駅名標】
【この日の朝食】
【国府駅に入ってくる豊橋行き特急列車】
府中駅到着は、時刻をメモするのを忘れて定刻かどうかはわからなかったのですが、停車後、すぐさま下車して豊川線の車内で調べたことを実行。と言ってもそんな御大層なものではなく、10分少々の接続時間を利用して、駅に隣接するコンビニで朝食を購入しただけなんですが。それをホームのベンチで大急ぎで食べ、丁度食べ終わった頃に入ってきたのが8時32分発の豊橋行き特急列車。車体前方にパンタグラフがある1700系はカッコ良いのですが、それにしてもこの1700系は4編成しかないにもかかわらず、昨日今日でよく遭遇するな、と。
つづく
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