たひお備忘録

趣味の活動記録。
【タイトル題字:細身のシャイボーイ様】

名古屋鉄道完全乗車記 【令和2年1月23~25日】 その4(竹鼻線・羽島線)

笠松駅に停車中の新羽島行き普通列車

 4回目となる名古屋鉄道乗車記ですが、今回は旅の1日目に竹鼻線と羽島線に乗った時のことを。



目次

【1日目の乗車区間】
1日目の乗車区間
※クリックで拡大(この絵に限らず当ブログの画像はクリックでだいたい拡大しますので。)

竹鼻線、羽島線

 定刻の8時15分よりは若干遅れて名鉄一宮駅まで戻ったあと、次に乗る路線のために、名古屋本線の列車で笠松駅まで移動するのですが、名古屋本線もダイヤが若干乱れていたため、約3分遅れで入って来た8時14分発の名鉄岐阜行き特急列車に乗ることができました。

【名鉄一宮駅に入ってくる名鉄岐阜行き特急列車】
名鉄一宮駅に入ってくる名鉄岐阜行き特急列車

 その列車は、名鉄岐阜寄りに通勤型の3100系2両を増結した、1700系特急型車両6両の合計8両編成。名鉄の特急列車は、豊橋寄り2両が2扉オールクロスシートの特別車(指定席)、岐阜寄り4両が3扉セミクロスシートの一般車(自由席)という6両編成で、車体の塗装は白地に赤帯、屋根はグレーのカラーリングという車両が多いのですが、朝のラッシュ時などは岐阜方に通勤型の車両2両を増結して、名鉄では最長の8両編成になています。それでこの、通勤型と特急型編成の色違いが、ラッシュ時間帯は手持ちの車両をフルに活用している感があって個人的には良い感じに思うものの、最近は、増結に使用される通勤型車両を特急型車両と同様の塗装に変更しているようで。

【名鉄岐阜行き特急列車(一般車)の車内】
名鉄岐阜行き特急列車(一般車)の車内

 乗車列に偶然並んでいたのは前から3両目、特急型一般車の乗車列。ちなみに先程1700系と表記したこの特急型車両。特別車は1700系ですが、一般車は2300系という形式で、乗車したのは一般車の2331(モ2300形)という車両。平成20年(2008年)に製造されました。また車内の一部が転換式のクロスシートになっていて、並んでいたのが先頭付近だったこともあり、幸運にもそのクロスシートに座ることができたのですが、笠松駅までの乗車時間は8分と僅かでその乗り味を堪能できないのが何とも勿体ないという。

 特急列車は、笠松駅に定刻より約4分遅れの8時26分に到着。雨は先程の玉ノ井駅よりも強まり、パシャパシャと音を立てて降っています。そんな中、これから乗る竹鼻線と羽島線。両線とも全線単線で、竹鼻線は、笠松駅を起点に終点の江吉良(えぎら)駅の間10.3kmを、起点終点を含めた駅数9駅で、羽島線は、江吉良駅を起点に終点の新羽島駅の間1.3kmを起点終点を含めた駅数2駅で結びます。それで現在は両線が一体となって列車が運行され、名鉄が定めた路線記号も両線「TH」となっているのですが、元々は竹鼻線が相当前に開業して、その後、その途中から羽島線が枝分かれしたという経緯があり、以下長くなりますが、それらを少々。

 まずは竹鼻線は、大正10年(1921年)、竹鼻鉄道が笠松駅(現在の西笠松駅)と竹鼻駅の間に開業。同年、美濃電気鉄道笠松線の笠松駅を、竹鼻鉄道との接続のために新笠松駅に移転の上、駅名を笠松駅に改称。その後昭和4年(1929年)、当時は栄町駅という名称に一時改称していた竹鼻駅から大須駅までの区間を開業させ竹鼻鉄道が全通しました。そして昭和5年(1930年)に美濃電気鉄道を合併して名古屋鉄道(現在の名古屋鉄道とは別会社)から改称した名岐鉄道が、昭和10年(1935年)、名古屋方面へと向かう名岐線(後の名鉄名古屋本線)を開業させた際、笠松線との接続地点に現在の笠松駅(当時は新笠松駅と呼称)を開業。ちなみにこの年、名岐鉄道は名古屋電気鉄道と合併して現在の名古屋鉄道となっています。更にその後の昭和18年(1943年)に竹鼻鉄道は名古屋鉄道に合併され、笠松駅と大須駅の間が竹鼻線となったのですが、それからだいぶ経った平成13年(2001年)、羽島線との接続駅である江吉良駅から先の区間が廃止となり現在の路線長となりました。

 一方羽島線は、岐阜市方面から東海道新幹線岐阜羽島駅へと連絡するため、竹鼻線の江吉良駅から分岐する新羽島駅までの路線として、昭和30年代後半には建設計画ができ、新幹線との同時開業を予定していたものの、用地買収に難航。また名鉄も他の新線建設を優先していたため工事着工および工期が伸び、開業したのは昭和57年(1982年)の暮れのことでした。

【笠松駅に停車中の新羽島行き普通列車】
笠松駅に停車中の新羽島行き普通列車

 で、それらの両線を走る列車は、特急列車を降りたホームの反対側に停車していた8時31分発の新羽島行き普通列車。先程来、名鉄の一般車両はスカーレット一色と散々書いてきたのですが、近年はそうでも無くなってきているらしく、この列車はステンレス製の銀色のボディに赤い帯を巻いた3300系という形式の、4両固定編成の通勤型車両。平成16年(2004年)から昨年まで、2両固定編成の3150系と合わせて100両あまりが製造された形式です。

【笠松駅-西笠松駅間】
笠松駅-西笠松駅間

 その4両編成の最後尾、3412(モ3400形)という車両に乗車。ちなみにこの車両は、平成30年(2018年)に製造された、3300系では現在のところ最も新しいグループに属するようで。で、ロングシートに座って発車を待つのですが、この時間帯、ここから羽島方面に向かう乗客は少ないらしく、結局のところ8人掛けのロングシートに3,4人程度という乗車率で笠松駅を後に。乗客が少ないため、ロングシートでも反対側の窓から景色がよく見えるのですが、笠松駅を出てからずっと住宅地を進んでいて、沿線人口も多そうな感じなんですがね。しかも、次の西笠松駅で、その半分くらいが降りてしまいました。

 西笠松駅では対向列車の交換待ちをしてから発車。竹鼻線と羽島線は全線単線ですが、この西笠松駅を含む3駅が交換可能駅で、その3駅全てで列車交換することによって15分間隔で列車が運行されています。そしてその次の南宿駅では、この車両の乗客はとうとう私だけになってしまいました。またここで2度目の交換待ちを行ったところ、反対列車が少々遅れてるとのことで、こちらもその影響を受け5分ほど遅れて発車。その後、途中で現れた不破一色(ふわいしき)という厳つくも格好良い駅名の由来は何かなと考えて(ちなみにその後調べたけど、ネットをちょっと漁っただけでは不明だった。)いると、線名の由来となった竹鼻駅に到着。別の車両に乗ってた小学生の団体が下車していきました。

【岐阜市役所前駅-江吉良駅間】
岐阜市役所前駅-江吉良駅間

 竹鼻駅の次が、竹鼻線で(笠松駅を除く)唯一の駅員配置駅である羽島市役所前駅。ここで列車は3度目の交換をしてから発車。するとちょっとだけ高架線に登ったと思ったら、また地上に降りて江吉良(えぎら)駅に到着。ここは太平洋戦争中の昭和19年(1944年)、戦時中の合理化を理由に休止となり、その後30年以上経った昭和57年(1982年)、ここから分岐する羽島線の開業と共に復活したという経歴を持つ駅。その江吉良駅を出た列車は再び高架線に登って羽島市の市街地を進み、前方に見えていた新幹線と寄り添うように向きを変え、列車は途中の5分遅れをそのまま保って8時58分頃、終点の新羽島駅に到着。隣の岐阜羽島駅には、デビュー前で試運転中のN700S系が停車していました。

【新羽島駅に到着】
新羽島駅に到着
【岐阜羽島駅に停車中のN700S系】
岐阜羽島駅に停車中のN700S系

 新羽島駅で列車を降りた後は、いったん改札口を出て、雨の中を隣接するJR岐阜羽島駅へ。もっとも、両駅の間には屋根が掛けてあってので、傘を差さずともぬれることはなかったのですが。で、何故に岐阜羽島駅まで来たのかと言えば、まずは先程来、空腹の非常警報が来つつあった腹具合を治めるため。駅舎内に、いわゆる駅そば・駅うどんのお店があることを、先ほど名鉄一宮駅で食べ損なった時に調べてわかったからでして。

【爽亭岐阜羽島店】
爽亭岐阜羽島店
【みそうどん 640円】
みそうどん 640円

 その駅舎内にあるお店が、爽亭岐阜羽島店。屋号「爽亭」のお店って、首都圏以外にもあったんですね。そこで入店前、食券を買う時に珍しさにつられてみそうどんという品を。わりと広かった店内は椅子完備で、首都圏の爽亭とは違うお店のよう。で、程なく登場したみそうどんですが、一言で言うと、うどんと卵が煮込まれていない味噌煮込みうどん。豆味噌などで味付けられた汁には一緒に煮込まれていたであろう鶏肉、白菜、油揚げ、シイタケ。そこに湯がいた冷凍っぽい歯応え強めなうどんと生卵が合わさって、これはこれで美味しくいただきました。

【新羽島駅外観】
新羽島駅外観
【新羽島駅の駅名標】
新羽島駅の駅名標

 食事の後は、岐阜羽島店構内で用を足そうとするも、現在改修工事中で仮設トイレしかないんですね。名鉄の新羽島駅にちゃんとした水洗トイレがあったらしいのですが、この時は火急の身体的要求もあり、その仮設トイレへ。ゆっくり用を足していたつもりはないのですが、気が付くと時間が経っていて、折り返しは9時35分発の列車に乗ることに。

【岐阜羽島駅に入ってくる折り返し笠松行き普通列車】
岐阜羽島駅に入ってくる折り返し笠松行き普通列車
【新羽島駅に停車中の笠松行き普通列車】
新羽島駅に停車中の笠松行き普通列車
【6905(モ6900形)の車内】
6905(モ6900形)の車内

 改札を通ってホームで待っていると、入ってきたのは見た目からしてちょっと懐かしいタイプ。更に嬉しいことに、個人的にかつて何度か乗ったことがある名鉄の一般型車両といえば、車体中央部のドアを挟んで背中合わせ方向にシートが固定された(集団離反型と言う)クロスシートなのですが、まさしくそのタイプ小躍りしたくなりました。で、先頭車に乗り込んで車両番号を確認したところ、(モ6900形)6905という番号が。調べたところ、少し前に津島駅から乗ったのと同じ6000系グループの6800系という車両で、6000系を元にモーターの制御方式を変更(抵抗制御から界磁添加励磁制御に)し、更に回生ブレーキを装備するなどして改良した形式。で、そのうち、昭和63年(1988年)に製造されたグループのようです。

 笠松駅からの往路は、主に進行方向左側の車窓を観ていたので、今度は反対側となる進行方向左側のクロスシートに。程なく定刻となり発車したところ、床下から響く界磁添加励磁制御されたモーターの「フォ~ン」というか「シュイ~ン」という音が、今時のものとは違って何とも良いですね。そして続けて聞こえてきた、ドアの開閉などに使う圧搾空気を作るコンプレッサーの音も昔の「シュココココココ~ッ」というタイプで、とても懐かしく感じます。

【不破一色駅-須賀駅間】
不破一色駅-須賀駅間

 それら極上のBGMとなりうる音を堪能しつつ、クロスシートなので格段に見やすい車窓風景を眺めながら先程来たルートを逆戻り。往路は住宅地の中を走る路線という印象でしたが、こちら側、というか景色がよく見えたせいか、住宅地の中に農地も結構混ざっていたことに気が付きました。

【笠松駅東口】
笠松駅東口
【笠松競馬場正門】
笠松競馬場正門
【スタンドから見える名鉄電車】
スタンドから見える名鉄電車
【レース中の様子】
レース中の様子

 笠松駅に定刻の9時58分に到着した後は、駅からほど近い場所にある、この旅の本来の目的である笠松競馬場へ。馬券や競馬場グルメを堪能したのはもちろん、加えてスタンドからは競馬場に隣接している名鉄名古屋本線の列車が頻繁に見えて、その度に目を楽しませてくれました。それでメインレースまで観戦した後、最終レース前に退場。当初の予定どおり10月に来られていたら、最終レースまで観戦出来たのですが、今だとこれから乗ろうとする路線が日没後になってしまうので、後ろ髪を引かれる思いで競馬場を後に。朝から降り続いていた雨は競馬場から出る頃には上がり、名鉄の線路沿いの通路を通って笠松駅まで。


つづく

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